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50を過ぎて見えてくる世界

このごろよく思う。 なんて馬鹿なことが世の中には多いかということ。 それで私の反応はもう相手にしていないという心体の変化を感じている。 これは事実ですね。 迷いもしないし誇示もしない。 あと数年世の中を見透かして実体験を積み、知識と経験を蓄積していく。 60代になると全ての知性が最大になると言った哲学者をよく思いだす。 時代に翻弄されながらも結局はしない生き方を今後もしてくのは筋金入り。

今朝の冬期湛水田

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発酵が楽しい

畑の蒸気機関とさえ思われる蒸気の立ち様と地熱 土と鶏糞、米ぬかの山に二日おきに生ゴミを入れている。 三日もすれば形がなくなる。 冬の畑が生き生きしているように見える。 この蒸気機関を一箇所ではなく、何箇所も作ってみたい。 発酵とは面白いものだ。 生きてるなとつくづく思わせる。 土の表面になぜ微生物が多いか、やってみればすぐにわかる。

野崎島の話

それはもう最高のビーチ 無人島に広くて白い砂浜、誰もいない そして巨大な岩 天守堂が丘の頂上にある ここは日本じゃない 野生の鹿がいるので田畑の形も昔のままだ 昔の品種がまだあるかもしれない もう一度行く必要があるな

種を買う

診察の日であったので帰りに御船のコメリに立ち寄る。 ここには色んなものがあり重宝している。 季節に関係なく種とイタリア笠松の苗を買った。 おかひじき、クレソン、大葉にら、鷹の爪、コキア 畑の景観設計にコキアを使いたい。 ほうき草といい春夏に緑、秋冬と赤へと美しく、種は畑のキャビアとして食べられる。 後はレストラン用の食材。 おかひじきや畑で作ったクレソンに興味がある。

ピナス ピネア

pinus pinea/イタリア笠松 松が今年で5本目 盆栽も嫌いではないが目的は松の実 食材では欠かせない。 どうせならとイタリアの笠松の苗を買う。

Casa Blanca Experiment

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Nikomaru dryland rice にこまる陸稲の試み

新川米TMの検討

以前から売るときには新川米 TM と決めていた。 しかし温暖化の高温適性を考え、カメラマンが作った米 TM は、にこまるを選定しそれを先行した。 カメラマンが作った米 TM は環境保全を重視した考えで作っている。 ケミカルフリーは絶対だが、水性生物の生物多様性や地下水への供給時間を可能な限り伸ばすために冬期湛水と中干しなしを実施している。 味は良くあっさり系である。 新川米 TM はさらに旨味をより重視したいと考えている。 ヒノヒカリが美味しいのは十分わかっているが来年の品種選定はイセヒカリにした。 以前から気になっていた品種で伊勢神宮の神田で台風で倒伏しなかったコシヒカリの中で発見された。 コシヒカリの突然変異種とも新品種とも言われている。 またコシヒカリより美味いと評判。 京都ののうけんに頼み、富山県産のイセヒカリの籾種を2.3反分発注。 もちろん新川米 TM もケミカルフリーであるが、初年度は冬期湛水ではなく乾田化しレンゲを緑肥とし、油粕と米ぬかの植物性肥料になる。 早植えがこの辺りでも多いが20年前のこの村では7月になる前までに植える遅植えとし秋の登熟で旨味を引き出したい。 中干しは状況を見て判断しようと思う。 もう一つの商品は陸稲米だ。 実は私の中ではこの取り組みに期待してる部分が多い。 品種はにこまるを使う。 2年の実験でにこまるは陸稲でも実る事がわかっている。 適性もある。 問題は除草対策だけで、ケミカルフリーが前提なので一番思考を凝らす所だ。 レンゲアレロパシー、稲のアレロパシー、籾や稲藁のモミラクトンアレロパシーと群生条件になる播種を複合的に使って対応したい。 最後は在来種の野稲(陸稲もち)を水稲栽培する。 どのような育ち方をするのか非常に興味がある。 味がうまいのは皆が知っている。 西原村河原に代々伝わってきたモチ米です。

digicame 買おうかな

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もともとキャノンのピクチャースタイルの色が嫌いなのですべてアパチャーで調整する。 プロ用なのでイジる事を前提に設定してあり、階調が広くコントラストがないのでヌルい。 rawなら最低トーンカーブと彩度とシャープの調整は必要だしjpegも中途半端だ。 それが面倒だ。 飽きない色はソニーやフジのように感じる。 ソニーはデジタルの良さがあり、フジはフィルムらしいよさがある。 d200の頃の初期のニコンは好きだったが今はもう好みではない。 ライカはらしくあり、フェーズワンはいじれば相当楽しいだろうが買うはずもない。 何のために使うのか。 それはウエブサイト用と言い切っていい。 使いやすく手持ちレンズが使えるeosm6は色がeosシリーズとは違いアマチュア用に割り切った設定でjpegでも使える色。 仕上がりはさすがキャノンで、私から見ても悪くない。 たぶんこれだろうな。   EOS M6    EOS R 私から見たらどちらも変わらない。 世界的なポートレート写真家を調べていた頃彼は20dでも eos-1ds mark III と変わらないクオリティの写真作品を発表していた。 画素数は使うサイズの問題でしかない。  フォーマットサイズの描写の違いも使いようだ。 それぞれの特性を活かせばいい。  私と違って皆さんは写真を楽しめばいいと思う。 広告やネットの情報に翻弄され機材にお金を浪費するより、写真は何を撮ったかが一番大切です。

ある意味八百屋

今私が考えているマーケットは畑にお店を構えることだ。 建物は小さくていい、レジだけだから。 奥さんがこれとこれと言ったら係員がその場で大根を抜いて、トマトを摘む。 またはお客様自ら収穫してレジに持って行く。 そんなマーケットがあれば新鮮そのもので何も冷暖房のコストもかからない。 夢で終わるだろうか。 楽しい夢だ。

GALLERY CASA BLANCA からの眺め

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煙突をつけ、薪ストーブを設置 といってもまだ殺風景なギャラリー 窓から見える風景は私の田舎の景色 まだ震災復旧の工事や新築の建設車両などが見える この方向でカメラを向けることは煙突がなければなかっただろう 私は自分の意思で震災の姿を発表していない そして撮ることを途中でやめた 写真家としては失格だろうが、構わない そういう定義は本人が決めるものだ 人は復旧に励む 私から見て不思議に思うのは同じ場所に新たに建設される 現代の耐震設計なら同じくらいの地震には耐えられるのだろう そして被害を受けた私も同じ場所に住んでいる

稲は多年草

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まだ日の出前に冬期湛水の田を歩く。 残している稲株は、ひこばえがまだ青い。 この株から来年また稲穂が実るはず。 稲は多年草である事を私が証明しなくとも多くの人が実践している。 私はそれが本当かどうか見てみたい。

香心ポーク スネ肉のアイスヴァイン風

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appetizer salad soup main bread dessert drink CAFE CASA BLANCA 香心ポークスネ肉のアイスヴァイン風 1600yen+tax  Eisbein/アイスバイン ドイツ料理 塩漬け・冷蔵しておいた豚の脚肉をゆでたもの place 火曜日から土曜日までの11時から3時まで営業 場所 九州の食卓    熊本県 菊池郡大津町室148 電話 096-292-0581

稲の観察

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 水田の畦に捨てた、にこまるの苗が畦で育ち冬を迎える。 まだ脱粒していない。 秋のこぼれ種は年内に多くが発芽してしまうので来年発芽する籾種は少ない。 品種改良されたといえ自然にどう対応するのか私は見ています。 もしかもしたら春になり種が落ちたら発芽するのではないかと考えています。  まるでイネ科雑草セイバンモロコシの群生のよう。 私は全く触っていないが草にも負けず背は低いが立派な実を付けています。  にこまるの陸稲栽培に応用したい。

無農薬であるだけで今後があるか

無農薬である。 化学肥料は使わない。 しかしそれ以外は慣行農法と変わらない。 私はいつも疑問を感じている。 農法はいろいろあるが、消費者は新鮮で美味しくなければ買わない。 新鮮だから手にし、美味しそうだから買い、食べ、美味しいからリピートに繋がり、生産者を知り、生産方法を聞き、安心安全を理解する。 私は消費者が直接圃場を見れる畑でありたいと思っている。 全く違った考えで作られた畑。 見て欲しい。

May Queen

父たちが忘れていたメークインをこんな時期に植えた。 ただ、今発芽しているから私は適正な時期だと考えている。 そういう作物の植え方をして失敗したことはない。 生きる力は相当な適正能力を植物は人間の思慮以上に備えている。

ひよこ豆の発芽

水張りしたボウルのひよこ豆が3日目に発芽 室温なので暖かいが、畑に播種したらどうなるだろうか。 ビニールトンネルは使いたくないのでとりあえず籾殻を厚く撒こう。 ビニールの廃棄は個人で考えたらそうでもないが、広域で考えると恐ろしいロスに見える。 私は季節の野菜でいい。

スティック・セニョールの今

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白菜の今

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動物が荒らす

レストラン専用圃場に何かが来る。 来るだけなら歓迎だが荒らす。 困ったな。 荒らされた現場を分析するが、前回と共通点がいくつかある。 ゴールドクレストは確実に食い荒らす。 セージも食う。 種子採取のためのカボチャは芯を食う。 足跡は小さい。 ナスの枝と鉄製の芯棒をぐちゃぐちゃにする。 上手に葉っぱを引きちぎり食べてはいない。 人間かと思う行動でもあるが、ターゲットを君にした。 つがいの2匹の狸はいつも確認するが、その仕業ではない。

ブローズンフェンネルの現在

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ファッロの現在

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11月17日に播種したファッロ 今はこれくらいです。 何らかの虫がいますね。 こうして皆が冬を越します。

路地最後の冬トマト

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中玉トマトもサンマルツァーノもこんなに寒いのに実をつけ熟れようとしている。 健気というか、生きる力を感じ入ってしまう。 この後このまま冬を越し、私は春には新芽が出ると考えている。 古い枝は支柱や肥料となるだろう。 春に追肥は表土にするが、トマトが自力で生きる世界を眺めてみたい。

仕事用の時計

G-SHOCKが壊れる。 意外な盲点は薬品に弱かった。 浸透性の高い洗剤や漂白剤に脆い。 新しくシチズンのプロマスターダイバーを買う。 2016年に欲しかった型だがもう半値になっていた。 腕時計はその個体によって私に不思議な作用を起こす。 これから先はスピリチュアルな事なので書かないでおきます。

豊かな毎日

生産するということは食物を得るという行為。 そう考えると味気ないようだが、実に動物的で好きだ。 食料を確保出来たら、さらに質のいい食料を食べれたらそれはそれ以上の満足が食に対してあるだろうか。 それから先はレシピであり文化的な満足度の世界。 食べたいものは自分で作る。 とても豊かなことだ。

LOS VASCOS SAUVIGNON BLANC

LOS VASCOS チリのワイン 名前の通り白 これはいいですね。 ローソンで買ったから高くはないです。 今夜は黒鯛、白魚、地ダコ、若芽、すじこのお茶漬け。 黒鯛と若芽、地ダコが有明海のもの。 CAFE CASA BLANCAでの有明海シリーズの購入ルートを開拓した一日。

ひよこまめの播種

満月の4日前 時期は遅いが暖冬なのでひよこ豆が食べたく発芽用のボウルに水を張りひよこ豆の種子を浸ける。 発芽したら畑に蒔こう。 乾燥したひよこ豆も美味しいけど、私は未熟な青いひよこ豆を食べたい。

コンポストよりいい発酵処理による残飯の堆肥化

籾殻、米ぬか、鶏糞、畑の土を混ぜ山を作る。 およそ60kg以上はある。 その中に残飯を入れまぶしてまた山を作る。 すぐに発酵が始まりこんな冬には湯気が立っている。 何回も繰り返し最後は一部を残して堆肥にする。

焼きビーツ

ストレートにオーブンで1時間焼き皮をむきそのまま食べる。 それだけで甘く香ばしい。

GALLERY CASA BLANCA に薪ストーブ

取材の折、鹿児島のとある飲食店の薪ストーブを買い換えると言う事で、貰えますか?と尋ねたところ快く快諾されたので頂いていた。 10年以上経ってやっと日の目をみる。 今日はセットアップ なんとか煙突をつけ着火 煙が漏れるけど、暖かい。 いや熱い。 でもいいな、この煙の匂いにこの暖かさはエアコンみたいに乾いてない。 暖炉を前に視線は冬期湛水の田んぼを見ていた。 雨の一日

菊芋が美味しい

取材してた頃はあんなの旨いのかと思っていた。 それから10年近くになって九州の食卓の元デザイナーで今はかもめ農園園主の今坂くんの菊芋を Cafe Casa Blanca で食べた。 美味しいじゃない。 今坂くんの菊芋を買って帰り、来年用に植える事にした。

表土に肥料を撒く

野菜の作物を作る時、基本的に動物性肥料は土の中に入れないようにしている。 動物性肥料は植物の養分ではない。 それは微生物の餌であり微生物が分解して初めて植物の養分になる。 土に存在する微生物は表土が一番多く10センチ程まで多く存在する。 植物は始め水分を求めて直根を下に下ろすが、その後栄養分を求めて地表近くへ横根を貼って養分を吸収する。 微生物が多く存在する表土に動物性肥料を置いて微生物の分解をした後雨などで無機物が土に浸透し植物が栄養素を取り入れる。 その方が少ない肥料で済み高効率であり植物への養分の吸収も位置的に合理的だと思える。 土へ大量に投入する事による富栄養化を阻止することができ、河川や海の水質改善が期待できる。 また土の中で動物性肥料が腐敗や発酵時に発生するガスや土中の環境悪化を植物の根は受けなくて済むので野菜は健全な育ち方をし病害虫も少ない。 私の手順は最初に米ぬかや緑肥を土に浅く漉き込み土の炭素物を確保する、次にphを作物の品種によって有機石灰や苦土石灰で調整し、少し時期を置いて多品種の混在する種を表土にばら撒き足で踏んで鎮圧させる。 次に芽が出て来たら米ぬかと少量の鶏糞などの動物性肥料を表土に撒く。 その後は間引きや草取りを始め何もしない。 最初にその作物の育つ適正環境を作ったら自然に真似て播種し、表土に肥料を撒き、自然分解を待って作物の収穫を待つ。

マーケットの必要性

オーガニックのマーケットを自ら作る必要性を感じた。 ケミカルフリーの生産者を私は多く知っている。 土地もある。 声に出していけば必ず実現する。 さて次の一歩に踏み出すか。

おもしろい

桃栗3年、柿8年、梅はすいすい13年、柚子は大バカ18年、りんごニコニコ25年、 女房の不作は60年、亭主の不作はこれまた一生、あーこりゃこりゃ

昭和の豊かさ

素晴らしい昭和の時代 何が素晴らしいかって? 皆が豊かだったんだ。 それ以上の素晴らしさがあるだろうか。 今は特定が豊か あとは貧乏人ですか? つまらない。 どうでもいい。 日本人の誇りをもて。 皆が豊かで幸福だからこそ世界を平和に出来る日本人たれ。

火を見る

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薪ストーブの暖炉なら最高だが、石油ストーブの火でもいい。 火を見ると吸い込まれて行き、瞑想すらしてしまう。 冬は寒いが火が身近になり私には心地いい。 朝に仏壇へろうそくを灯し線香に火をつける。 ガスコンロの火で味噌汁をつくる。 タバコにライターの火でしばし一服。 石油ストーブに着火し暖をとる。 五右衛門風呂を沸かしていた45年前と比べ火は身近には見なくなる。 籾殻のくん炭の匂い、青草を燃す匂い。 大豆を煮るかまどの匂い。 全てが懐かしい。 火を積極的に利用した人間が今の世を造った。 しかし人は火を見る生活が無くなろうとしている。 火を再認識したいと考える。 なんでも規制を加える現代に私はアンチテーゼを唱え、次のアウフヘーベンを目指す。

最新カメラを見に行く

相変わらず欲しいカメラがない。 使っていいかなと思うのはeos m6かfuji pro2くらいだろうか。 どっちかなら買ってもいいかな。 8k出たらどっちもいらないけど。 5dmk2も相当くたびれて来た。 ネットにupする為にしか必要ない。 なので買う必要もないか。 カメラのキタムラ東バイパス店にはまだフィルムがあった。 よかった、よかった。

ゴールドクレスト

最近流行りのコニファーの一種 黄緑の葉とフィトンチッドの香りがいい。 精神科の病棟にもよくあり、自律神経の安定に効果的だという。 畑にコニファーを植えて見ようと思っている。 数本は植えたがなぜか無くなる。 人の仕業か動物か。 懲りずに昨日も数本植えて見た。

写真と農の研究所

ブロンズフェンネルを植えていた。もともと写真と農は同じフィールドであり相性がいい。 そんなことを考えていた時に一緒にするかと思いつく。 写真と農の研究所 悪くない これで行こう。 写真と農の研究所 写真のテーマである有明海の再生を農業で具現化する。

農に勤しむ

日本人のDNAに刻まれているこの習性は一度仕出すとやめられない何かがある。 あなたでもそうだ。 本当なんだよ。 こればかりは。

Vino bianco

白ワインに戻る。 日本酒は美味しいが太る。 赤ワインは経験ではある程度の金額が必要。 イタリアやチリの白ワインは1000円以下でも美味しい。 理由は樹木の品種が違うから。 19世紀の後半にフィロキセラというアブラムシの一種がフランスを中心に葡萄の木を全滅へと追いやった。 後に接ぎ木で復活するが、古い品種を自根で今でも栽培してるのはチリやイタリアの一部という。 特にイタリアは土着品種が政府公認で496品種ある。 未公認は数千という。 いりいろな古い品種の味がイタリアやチリのワインには含まれている。 美味しいわけだ。 葡萄の木は数年前からtryしているが土が合わないのかなかなかうまく育たない。 品種を変えてみよう。 info. 天草本渡で、当時の宣教師たちが植えた葡萄の木 そのさし木を数千本植えたという過去の情報を思い出す。 どうなったのか。

盆栽を嗜む

笑い話だが、アルバイトの職場で盆栽をしていると話すと、じじいだと揶揄された。 全く感性のない人間だったので相手しようか考えたが、なんて感性のない爺いだと言って愚弄した。 まあそんな職場でもあるが、言って来られたら徹底的に言ってやるのが私の性分。 全く温順しくはない。 どうでもいい話でした。 で、盆栽を嗜む。 どうも今は松が好きなようだ。 赤松と黒松。 多くの名作を見るが全く自然ではないように私には見える。 多分オリジナルの作り方を私はやるだろう。 結構楽しい趣味のように思えて来たこの頃。

さてと

平日に戻る。 日々の積み重ねが何かしらの結果に繋がる。 無言で仕事をする。 考えながら 確かめながら 見つめながら。 また何かの結果に繋がるのだろう。 出した結果は独りでに動いていく。 まるで種を蒔いた作物のようだ。 多くの結果が出る事を祈ろうか。

生物多様性環境

人間が環境を良くするのではなく、人間が考え方を改める事によって生物多様性環境が環境を改善する。

BIODIVERSITY

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突き詰めていくと私がしたいことは生物多様性(biodiversity)に他ならない。 無農薬 無化学肥料などのケミカルフリーは生物多様性では当然の前提条件である。 作物は有機物を微生物の分解を経て養分を得る。 それだけでなく多くの生き物が住める圃場は食物以外の多くの益を生む。 生物多様性の環境がなければ人間は安全なものを食べることを始め、水や空気やインスピレーションや安らぎ、文化さえ失われる。 最終的には種の消滅は人間の消滅に繋がる。 私はただ農産物をケミカルフリーで生産しているのではない。 写真家が自然の風景や有明海と向き合う時と同じ思想と態度で向き合っている。

三池高菜

三池高菜の苗を近くの床屋さんから頂いた。 ある日レストランに収める品がなく、父の畑を覗いてみた。 高菜があった、葉っぱを食べるとからし菜のような辛味と高菜独特の風味があり美味しいと感じた。 シェフへ若い高菜を持っていくとこれは使えるという。 今ではCAFE CASA BLANCAの定番の添え物になるようだ。 30株以上の苗を畑に植える。 種も時期が遅いが一袋蒔いてみた。 サラダにも浅漬けも本格的な高菜漬けも皆美味い。

AGRICULTURE

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一日の終わり仕事場から帰る。 用水路の向こうに捨てられた大根が芽を上げ生きようとしていた。 AGRICULTUREは農業とも言うがCULTUREであり農学ともいう。 生産するだけでなく植物の研究から生物多様性や環境全体への配慮や取り組みが必要とされるこれからの農業は、 農学的な視野が生産者に要求される。 更にはARTという芸術性も必然的に消費者から求められる事だろう。 私はもう農法の時代は終わったと見ている。

さやえんどう

さやえんどうの芽が出る。 とても可愛らしい。 土手のすぐ脇に植えたので支柱も使わず自力で這い上がる事だろう。 なぜか黒松と赤松の苗を買う。 盆栽は実は立派な五葉松を一つもっている。 父は長年さつきをやっていたのでやり方は知っている。 そんなことをやりたくなったのだろうか。

Cafe Casa Blanca

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骨つき鶏のコンフィ Cafe Casa Blanca Beauty and Essence Providing chemical free vegetables and rice 美しさと本質を求めるCASA BLANCAが Cafe カーサ ブランカにケミカルフリーの野菜と米を提供します。   火曜日から土曜日までの11時から3時まで営業 場所 九州の食卓    熊本県 菊池郡大津町室148 電話 096-292-0581

Cafe Casa Blanca

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Cafe Casa Blanca Beauty and Essence Providing chemical free vegetables and rice CASA BLANCA 父の青梗菜

Next Impression

For example the story of a rabbit and a turtle. A lazy rabbit loses to the turtle. My interpretation is different. The rabbit thought about the next thing and gave the win to the turtle. There is a fantasy next to the invisible world. So interesting.

Different consciousness

異なる意識 それは私が生きてる間付きまとう。 全く意識が違う。 温度差。 それしかない。 Different consciousness It's covered as long as I live. The consciousness is completely different. Temperature difference. That's it.

Cafe Casa Blanca OPEN

Progression of a dream One dream that had been stuck all the way started to move. I notice something. After I sowed the seeds, then I better not move. Watch over. It was the same as the agri I am doing now. 夢の進行 ずっと停滞していたひとつの夢が動き出した。 あることに気づく。 私が動くのではなく、種子を蒔いたら私は動かないほうがいい。 ただ見守る。 それは今私がしている農と同じであった。

Lilium 'Casa Blanca'

I buy a bulbs of Casa Blanca today. And plant it in the field. This beautiful white flower stands out for its fragrance. To be a symbol of this field.

サラダ用の野菜を

ルッコラ、ちりめんからし菜、チマサンチュ、リーフレタス、イタリアンパセリ、セロリ 少しずつ苗植え。 レストラン用は少量をゆっくり増やしていくのがポイント。 食べたいものを植える。 混植も料理レシピの相性で植えたら問題ないという根拠のない自論で栽培するが意外とそれは科学的かもしれないですね。 Vegetable for salad Rucola, mustard green, chima sangchu, leaf lettuce, Italian parsley, celery Plant seedling little by little. For restaurants, the point is to slowly increase a small amount. I plant what I want to eat. It is cultivated by self-theory that there is no problem if mixed planting is planted with compatibility of dish recipe, but it may be scientific unexpectedly.

La vita di Spider

La vita di Spider Un piccolo ragno ha appeso il nido in primavera. Diventa più grande in autunno in estate Alla fine arriverà l'inverno e gli insetti non verranno. A poco a poco, vacillando, quando lo notò, il ragno si aggrappò al nido con la morte. Spider's lifetime  A small spider hung the nest in the spring. It gets bigger in autumn in the summer Eventually winter will come and insects will not come. Little by little, wavering, when noticing, the spider clung to the nest with dead. 蜘蛛の一生 春に小さな蜘蛛が巣をかけた。 夏に秋にと大きくなり やがて冬が来ると虫が来なくなった。 少しずつ瘦せおとろえ、気がつくと蜘蛛は死んだまま巣にしがみついていた。

Cipolla rossa

赤玉ねぎ 昨年はうまくできなかった赤玉ねぎを苗植え。 普通の玉ねぎも植える。 シェフが作るRisotto agli spinaci〈ほうれん草のリゾット〉が忘れられず冬場に甘くなるほうれん草を播種。 イタリア語で書くのはカッコつけでなくて検索画像で日本語とイタリア語では違いすぎるからだよ。 Risotto agli spinaci ほうれん草のリゾット 上記で検索してご覧 全く違うでしょ。

Germogli di fallo

夕刻にレストラン専用圃場へ行くとファッロの芽が7㎝ほど伸びていた。 阿蘇での試験栽培ではなかなか育たないと聞いたが、本来欧州の品種で緯度的には北海道と変わらないエリアが多い。石川県での栽培は情報で確認できている。暖かい九州には向かないのかもしれない。しかし現在のところ9月に播種したファッロは順調だ。 食用麦の原産はメソポタミアやコーカサスだから緯度はそう変わらない。 様子を見る。

slow

調子のいい今はスローに限る。 暫し立ち止まろう。

楽しくなって来た

バイトの方も楽しくなる。 作業から離れ教育や管理の仕事をするようになる。 アルバイトなのだがなんでもさせてくれる。 清掃作業も総合的に見ると領域が広い。 私の勤める会社は学校給食や病院や施設での食料の卸しもやっている。 契約農家も多数あるらしい。 無農薬の米を普及させたいと思う私には打ってつけだ。 ここで市場を開拓しよう。

赤牛を飼いたい

子供の頃ホルスタインと赤牛を父が飼っていたので私も世話をしていた。 1頭ぐらい飼ってケミカルフリーで育て外国産の雑草種子のない堆肥を作りたいと思っている。 動物性肥料で出来た野菜の美味しさは私はよく知っている。 また肥育して赤牛の肉を食べてみたい。 鶏の卵も締め方も子供ながらに知っている。 飼ったことがないのは豚と馬ぐらいだ。 風呂は五右衛門風呂で私が火起こし担当だった。 幼少時代の再現をしてみたい。 豊かな本当のオーガニックな生活だった。

サヤエンドウ

Casa Blanca Cafe が出来るので野菜の品数を増やしていく。 ケミカルフリー(無農薬 無化学肥料)の野菜たちを提供し食べてもらいたい。 今日はサヤエンドウ 支柱は使わず土手を這わせる。 もう一つはキャベツ 一本だけ苗を買い、タネを採る。 村内に無農薬生産者は数えるほどしかいないが、その一人滝地区のo氏と今日で最後のイタリアン食堂にて会食をする機会に恵まれた。 印象的であったのは、米は除草剤を使わないと美味しくなる。という一言。 70歳代の農夫の言葉ははっきりと明言し、確かなことだいう。 私の見解は無農薬はすべての作物が植物として元気であることだと伝えた。 多くの農家は除草剤を使うと稲が弱るという。 それは明らかに農薬であるケミカルを使った環境の仕業である。 Casa Blanca は設立した当時からその理念を、美と本質を追求するとしてきた。 10年近くなるがここに来てこのような形でまた新しい出発が出来ることを本当に嬉しく思い、私がして来たことが何かしら社会に還元出来ることを次のパワーにして生きていきたい。

パラダイムシフト

直感と観察から私の見解は、以前阿蘇から加藤清正によって熊本市へとパラダイムシフトが起きたように、また熊本市内から現在の各郡部へとパラダイムシフトが起こりつつある。 現象は一部ではなく東京から地方へ、西洋やアメリカからアジア、アフリカなどへと現代は大きく変わりつつある。

現代とシンクロする

Progressive House が心地いいい。 imacにイヤホンを付け深夜か早朝とも言える寅の刻にdb.maxで聞く。  世情がすらすらと読み取れる。 私はいつも一日の出来事を夢を見ながら再現しているらしい。 音を聞くと、いくつかの記憶の映像をまた再現している。 現地で見た情感をワールドワイドで流行しいる音に変換して世界をリミックスし記憶にする。 その作業がないと私は希望が持てない。

Casa Blanca's Cafe

Casa Blanca の Cafe を3社のコラボレーションでプロデュースする。 九州の食卓が場所を提供し、イタリアン食堂が Casa Blanca の名で初の Cafe Style に挑戦し、私が食材を提供する。 詳細はまた後日。

米と水のリゾット

イタリアン食堂最後の新メニュー 私の新米を使った、  新川さん家の新米と水のリゾット まだ食べていないが、なんて Essential & Artistic & Experimental なメニューだろうと思った。 こういう発想ができるシェフの感性や態度に私はすごく好感を持つ。 この週末までしか食べれないのでお近くの方はどうぞ。 紹介制なので私の名前をお伝え下さい。

久しくゆっくり

最後のかぼちゃ出荷が延期となり、こたつの中でゆっくりテレビでも見る時間ができる。 動き回ってたのか、足が痛い事に気づく。 喉も痛くなり、少し熱があるようだ。 風邪かな。

菊苦菜

キク二ガナ いわゆるチコリーのこと。 一本だけ苗を買った。 チコリーは多年草。 最近私は多年草植物に興味がある。 キク科の植物だけあって花が矢車菊のように青く美しい。 その花を見てみたい。 そしてタネを採って多くの食用チコリーを作りたい。

やっぱり

いいことがあった。 俺はやっぱりひとりじゃないがいいな。

やっぱり

俺はひとりがいいな。

現代の農業は光合成を無視していないか。

植物は根から養分と、葉だけでなく地上部の全体で光合成をしエネルギーに変えている。 農業は肥料を重視するが、光合成についてあまり語る者はいない。 例えば稲の苗を一本植え成長させ次第に深水で栽培すると分蘖する茎は扇状になる。 この事によって稲体全体に光が満面なく注ぎ、茎が太くなり葉も成長する。 植物の栄養成長は土の養分も大切ではあるが、光を求めて成長する植物の様は光合成がいかに大切かが分かる。 そして生殖成長の時、葉や茎や根から養分を蓄積したものを移動させ実となる。 土の栄養分も過大ではない雑草を見れば光合成は植物にとって最大のエネルギー変換であり栄養源であることは分かる。 肥料だけ語るのはそろそろいいのではないか。 植物最大の特性である光をエネルギーに変えれる光合成に着目した考え方も必然としてあると思います。 健全な植物体を作れば、収量も品質も健全なものが出来るのは間違い無いでしょう。

なんとなく見られてる

冬期湛水田の田んぼに微生物の餌として米ぬかを撒いていた。 スバルの軽トラが上の道をゆっくり走り私の作業を見ているのが分かる。 その先は工事で通行止になっている。 米袋をかかえて撒いていたので遠目でもそれがヌカであることは分かっただろう。 私もニヤリ。 軽トラはUターンして走り去った。

次男とグラスドライブ

草原に軽トラを持って行き、次男とドリフトの練習をする。 いやー。 スカッとした。

カワニナの異常事態

田んぼにカワニナを入れようと思い同じ水系の川に行く。 カワニナがいない。 用水路もいない。 やっぱりか。 一時期スクミリンゴガイ通称ジャンボタニシを撲滅するために椿油粕を撒く農家がいた。 魚毒性のあるサポニンが含まれ田んぼに使うのは法的違反。 最近はスクミリンゴガイ専用のケミカル系の農業殺虫剤を使っている農家が多い。 結果は見事にカワニナが全滅した。 これはどうするか。 やはり私の冬期湛水の田んぼで守るしかない。

そろそろ終わりかな

レストランに野菜や米を定期的に運ぶ仕事はあるが、農に従事するのもそろそろ終わり。 3月までの冬の間はお休みだ。 まあやっと本業に帰れるか。 なんだろう。 充実した気分だ。 2017年6月26日に書いたブログから今日までなんとか形になるまで動いてきた。 http://shinkawaphotographiclaboratory.blogspot.com/2017/06/blog-post.html

美味しい作物

美味しい作物の作り方は多数あるが。 私の視点は2通りだった。 美味しい作物を作りたいとすると足し算の考え方になる。 環境を良くしたいと思うと引き算の考え方になる。 私が選んだ視点は引き算で作物にとっていい環境なら味は必然的に良くなる。 というもの。 もう一つは人が作物を管理しコントロールするのではなく、環境を作ったら植物としての作物に全てを任せる。
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無施肥はさっぱりしすぎて美味しくない。

無施肥の田んぼを1反試しに作った。 収量も6俵と少ない。 味はさっぱりしすぎてどうも不味くはないが美味しくもない。 この辺りの腕利き農家は必ずなたね油粕を入れる。 粘りとてかりが違い味がいいという。 ここで注目したいのは 肥料で味や性質が変わるという現象 だ。 来年はこの辺りを研究したい。 追記 植物本来の味という意見も聞くが、植物本来の味では美味しくないから品種改良や農業技術が発展してきた経緯はどうなのか。 農法や言葉に囚われるより料理と同じでさじ加減ではないか。 もちろんケミカルは使わないが。

Deep House

歳をとると運動が大切になる。 私は仕事柄運動量は多いが、やはり日頃のストレッチが一番大切。 起きてから3から5時間くらいのパソコン作業がある。 無音で作業していていると体が固まっている。 ディスコを基調にしたDeep Houseはノリが私の身体に良く合う。 足を動かしたり頭や体を揺らいだりと、ちょっとした動きをしている自分に気づく。 誰もいないので大きめのアクションをストレッチ感覚でするとさらに効果がある。 現役90歳を目指すのではなく、息子が帰るのはその位だからそれまでは動き回れる体を保たなければ。

早朝のclub

もう2年は行ってないけど、深夜の1時や2時に起きることが多いので、飲んでない時は市内のサンクチュアリやその他のクラブに出かけた。 80年代のDISCO絶頂期を大阪で踊ってた若い頃が楽しい思い出。 今はHOUSEやEDM 初期のDISCOのノリと変わらない。 HIP HOPと現在のR&Bは苦手なのでその間が空白。 50代で行くのは気恥ずかしいが、田舎町のクラブなのでそう気にはしない。 最後の出荷は来週で終わる。 その後忘年会があるらしい、皆は二次会はキャバクラと言ってるけど、バーに行ってクラブに行く方が断然楽しい。 まあ今回は付き合うか。

紅芯大根 ピンクのスープ

紅芯大根をスライスし軽く茹でミキサーにかけてもう一度煮る。 塩、胡椒、好みでチーズやコンソメ。 ピンク色の美しいスープができる。 今回はコンソメを入れたが、入れない方が優しい味で美味しい。 添加された作られた味はもう食べれないな。

ファッロの種を蒔く

満月の7日前に雨が降ったのでファッロの種子を播種。 さてこれが来春に種取りをし、再来年には一町の畑に蒔くことになる。 まだいろいろな問題はあるが、買えば済むハードルなので気にしていない。 それより買い手の開拓が最も大切だ。 このパスタ食ってみたい。

アーティチョークの咲く畑

かつてイタリア人シルビオの畑を取材した時に最初に目についたのがアーティチョークの花の実だった。 なんて綺麗なと思い多くのカットを撮った覚えがある。 それ以来自分でも植えたいなといつも考えていた。 米袋がなくなったのでハンズマンにいいのがあると言うことで行く。 ハーブの注文があったので苗を見るとそこにあった。 3つの苗を買い早速畑に植える。 さて、どんな味がするのか、どんな料理になるのか。 まったく未知数。 その他 レモングラス、フェンネル、ディル、オレンジタイム、チコリー、 イタリアンオレガノ etc.

門出パン

門出パン(もんでぱん) 私のにこまるの米ぬかを使ったパンが商品化される。 昨年は試作でイタリアン食堂で作ってもらった。 なかなか好評で今年からメニューに出る。 門出は私の田んぼがある字の名。 米ぬかの香りが香ばしいパン。

高菜がうまい

父の作った三池高菜。 浅漬けで食べる。 うまい。 今考えてることは漬物なんだよな。

世界の中でも

日本は気候と環境に恵まれた位置にあり、台風や地震こそあるが天候や雨量そして四季のある国だ。 そのことは植物が生育しやすい環境にあり、当然農作物も然り。 その中で九州そして熊本は温暖な気候に恵まれ、稲作に適した場所だ。 私が今いるここは熊本の中でも中山間地域の標高200mの位置にあり、平野の酷暑を避けられ尚且つ水が豊かな場所にある。 このように世界的にも恵まれた場所で生産している。 ここだけの話ではない。 今いる自分の場所がどういう所なのかを知ると視点が変わる。 今いる自分の場所は地方でも田舎でもない。 そうであると言う見方もあるが、私は思ったことがない。 こんなに恵まれた場所は他にはない。 いつもそう思って生きて来た。 だから私は変わらない。

父の姿

ひとつの思い出がある。 いつだったか、それは忘れたが 米の収穫を終えライスセンターから米を運んで来た。 それぞれに配達する量を数えていた。 父が言う。 今年はよく採れた。 あのおばあちゃんは飯も食われんくらい困っとるけんやってくる。 「あのお婆さんはご飯も食べれない(買えない)くらい困っているから差し上げる。」 そう言って30kgを2体車に積んで運んで行った。 その姿や一言は今でも思い出に残る。 いや、思い出というより、今後の私の農に対する姿勢の基本になるだろう。 母に今年の俺の米をそのお婆さんに持って行っていいからと伝えた。

Sauvage

ソバージュ農法(意味 ソバージュは野生の) 今年から私が試験的に行ったサンマルツァーノの放任栽培はソバージュ農法というものに近かった。 芽かきをしないのは同じだが、ソバージュ農法は支柱を使っている。 私は何もしない。 トマトは茎が土に着くと盛んに根を出す。 支柱を立ててもその現象は起こるが土まで届くことはない。 農法 色々なやり方がある。 しかし、放任という意味ではなく、その植物の種を撒いた後、人が介入しないというやり方は私に新しいインスピレーションを与えそうだ。 1万2千年前に野生種を栽培し品種改良して来た歴史から、もしかもしたら今の品種を野生的に栽培する方法もあるのかもしれない。 種を撒いた後、農業技術を使わない野菜たちをこの春から作っている。 追記 不耕起や無施肥栽培は今の私にはなぜか興味を抱けない。 耕起が農の原点で、施肥が農の発展であるのではないかと考えている。 あとは加減の問題ではないだろうか。 ケミカルは使わないがおそらく私は農法に固執することはまずない。

在来種の糯 刈り取り

3畝程の圃場に植えた在来種の糯 いつまでたってもひこばえが生える。 キリがないので今日刈り取りをコンバインのa氏に頼む。 余程美味しいのか、種まきの時から発芽してはスズメが食べ尽くし、やっと出た残りの種が発芽して育ち実をつけるとスズメが食べる。そしたらまた茎が伸び稲穂ができる。またスズメが食べたらひこばえが実るという繰り返し。 私は何もせずただじっと見て居た。 おそらく収量は30kg程だろう。 でもこの種には在来種であるという大きな魅力がある。 遥か昔からスズメもこの糯を食べてきたのだろう。 来年からは水稲栽培にして商品化するのでそれでは困るから対策が必要だが、私のことだからまあいいかと眺めるかもしれない。 気温が適正であるなら何度でも茎を出し稲穂をつけるという生態。 最後は茎の横からひこばえを出すという生態。 スズメが好む味はどういうものか。 そして在来種とはどういうものか。 興味が尽きないテーマばかりだ。

赤大根のおでん

とろけるー。

アキアカネの産卵

長崎や鹿児島では、 絶滅危惧II類(VU)- 長崎県 分布特性上重要 - 鹿児島県 とある。 この辺りでもあまり見ない。 2対のつがいが私の田んぼで産卵していた。 この時期の産卵なら田んぼは乾田が多いので産卵する場所がないのだろう。 カラスだろうがなんだろうが動物の数は私の子供の頃に比べて半数の比ではなく千分の一以上の激減ぶり。 余りにも少ない。 せめて冬期湛水の私の田んぼで命を繋いで居てくれ。

自然農への疑問から

多くの自然農を見てきたが、私には疑問が常にあった。 森林農法 草生栽培 不耕起栽培 無施肥栽培 それらは見習うべきことは多かったが、短刀直入にいうなら収量が少ないという事だ。 多収を実現している優秀な生産者もいるが、全ての圃場で実現できるかというと難しくハードルが高いので普及にまでは至ってない。 もう一つは何のための農業かという事。 2018年現在で75億5千万人の人口だが、分業化した社会では個人が生産することは不可能で農業は皆の食料を生産しなくてはいけないという命題がある。 日本の人口は1.268億、農業就業人口181.6万人。 数字での計算だが、1人の生産者が70人分の食料を生産する事になる。 自然農では到底賄えないのではないかと考えられる。 私の考えは近代以前の農業の再現と発展で、農薬や化学肥料が当たり前になかった時代。 環境に負荷も少なく生物多様性が可能であった時代に視点をもって取り組む。 最後に自然農を否定するものではない。 そういう農業が現代に現れるのは当たり前の現象だと思う。 むしろ怖いのは90億の時代と託けて遺伝子操作で作った多収品目を生産したり、それには化学農薬や生物農薬が必要だと啓蒙している現代の主流の流れが怖い。

トマトから学ぶ

サンマルツァーノは夏と秋に実った。 興味を持ったのは味の違い。 夏は皮が硬くしっかりした実で酸味もあり甘みはそう多くはない。 秋は皮が薄くまったりとした食感で酸味はなく甘い。 ミニトマト系が赤く実る積算温度は800℃ 夏場で 30日ぐらいで、今頃の季節では50日くらい。 つまり温度と時間が違う。 米に興味がある私にはやはり登熟期の温度と季節が頭に浮かんだ。 味を求めるなら早植えはだめだ。 米もまた今頃の収穫がうまいだろう。 ひこばえがうまいという民間の言い伝えは理解できる。 食味に関してもその変化は実に興味深いが、同じ植物が季節で変化する様にはもう一つ深い興味が湧く。

トマトの越冬実験

夏を過ぎ今やっと秋トマトが収穫できた。 味はまったりと甘い。 トマトは多年草というので来春までそのまま置いておこう。 藁や籾をかぶせ越冬させたい。

レンゲの種を蒔く

広門は藁をとべこずみにしたのでレンゲを蒔いた。 少なめにした方がいいので2.3反に5kg 昨夜の雨で発芽は早いだろう。 レンゲは春に鋤くが見かけの窒素量は開花前が多い。 しかし長期に肥効を効かせるには種ができ黄熟期に鋤く方がいい。 開花前の窒素量は流出し減少するのが早い。 また黄熟期に鋤けば来年は種を蒔く必要もなく経済的である。 秋に田を耕し、乾燥させ、レンゲを蒔いたり水を入れたり。 来季への準備は整った。 私は米作が一番好きだ。

形容

例えば私なら 気難しそう 苦手な感じ 怖い などとよく言われる。 バイトの清掃で最近は教育係を担当しているが、上司から新人さんに紹介される時、見かけはこうですが優しい人ですからと紹介される。 なにそれ?と思ってたけどまあ慣れた。 なんでかな、 初対面の時に絶対に笑わないからだろうか。 やっぱり容姿かな。 わからない。

恋愛02

そこにあるのは振動だ。 雌花と雄花があり、何かしらの振動があると移動し出会う。 面白いね。 農業ではない視点が楽しくなる。 農業というイメージが私は嫌いだ。 それは理であり、システムだ。 新しい視点で皆が取り組めばいい。 理系には面白い実験圃場だ。 私なんかより素晴らしい可能性をもった人が取り組んで欲しい。 私は見る事に特化している。 それぞれの能力で、農業ではなく、私が食べるものは皆にも食べてもらいたいという単純な動機で始める人が私以上に、そして私など関係なく、そして従事する事を学んで欲しい。

今は農業技術を使わない

米以外に関して当面野菜は農業技術を使わない。 目的はその野菜が人間が介入しない育ち方を見てみたいというもの。 トマトもナスも匍匐性の性質があるので支柱も立てず芽かきもしない。 農業技術を使えば多収になるのは知っているが、あえてしない。 素性を見る。 その方がアイディアが浮かぶ。

恋愛

歳を重ねても恋愛する心を忘れたら、ただ歳をとり枯れて死ぬだけ。 それが事実だとしたら。 私は? いや、あなたはどうする。

冬期湛水の開始

冬期湛水を始める。 昨年と違うのは乾土効果を取り入れた。 一度耕し、土を乾かす作業を2回行う。 乾土効果は有機物と土を耕し、天日で乾燥させる事によって有機物を脱水させ、変性させる。 そこに水分を与えると微生物の分解が促進し無機態窒素が増えると言うもの。 一反あたり平均500kgの米がとれる。 田んぼに残された稲体の重量は1500kg以上。 乾燥していないならその2倍の重量がある。 これだけの量の有機物を微生物で分解させ無機化する必要がある。 乾土効果は稲作の大切な冬の作業だ。 本当ならば12月まで土を乾燥させる計画だったが、思うことがあり一昨日から開始。

青々

あーあと打ち込むと青々となった。 あしからず。 でもそんな気分で丁度いい。 弦が緩む。 その様な時は大切だよね。 緩ませよう。

圃場

1町(1h)はイメージでは広いが実際は100mx100m この面積を一人で管理するとする。 全ての面積を同じようにやるやり方と必要な所だけするやり方で労力は変わる。 1.上手い人は必要なところだけ手を加える。 2.下手な人は面倒なのでしないところがある。 3.勤勉な人は全ての面積を同じクオリティで作業をしていく。 2より1が収穫量も品質もいい。 3は収量も品質もいいが、労力は相当なものだ。なので3は1町を2町するときに無理がかかるので1町の中でより高品質生産へとシフトする。1は圃場面積を広め収穫量を増やす。 さて品質だが、高品質へシフトした3は品種の選定や肥料効果をより高次元で高めようとする。1はコストを考え減施肥へいく方が多く、収益があるので機械化を積極的に行う。品質が悪いかと言うとそうでもなく、自然農に近い環境になるので十分な品質だ。 今の私の目にはその様に写っている。 私は基本的には1の考え方だが、2.3.も圃場によっては実施している。 まだまだ経験が足らないので一年の内に意図的に色んな方法で試す。

10年前

そのころ試験的にハーブと人参を作っていた。 無施肥の人参が美味しくローズマリーで包んでレンストランに持って行った。 そう数は多くはなかったがその頃このような生活もいいなと漠然と思っていた。 生産したものがレストランでメニューになり調理されたものをお客さんが食べ美味しいという。 その夢は現在3件のレストランで実現出来ている。 たまにレストランへ食事をしに行くと、お客さんの会話からこの野菜美味しいとか聞くと本当に嬉しく思う。 料理も美しく綺麗であることも。 採算ベースに合うかというと実はそうでもないが、そう言う事は自分の中で無視している。 なんだろう。 嬉しいと言う気持ちが私のやりがいになるからだろう。 料理とおいしそうな顔や声を聞くと、ただ一人で圃場で仕事をしていても全く疲れなど感じない。 有難い事だ。

Magic

デジタルカメラや携帯電話やタブレット、ナビなどから離れて一年以上になる。 80年代の生活になり思ったように快適な日々。 とても身軽で行動的になり生産性が高まる。 マジックからの解放で目覚める。

計画

2年後には稲作の圃場を3町(3h)にする。 その間は私有地の1.6町を二期作と二毛作で3.2町と同じ収穫を試験する。 有明海の再生のためには無農薬と減施肥の圃場を拡大することがもっとも大切であり、私が今後拡大していく圃場面積では到底なんの効果もないに等しい。 より効果的に進めるためには普及が最も大切になることはすでに見えている。 農法ではなく、近代以前の農薬や化学肥料もなく、外部から入れる肥料も緑肥や自らの田んぼの藁を牛に与え、その堆肥をまた圃場に返す循環と環境を手本に考えるなら、川の水も有明海の海水も当たり前の姿に徐々に変わるだろう。 島原 諫早 筑紫平野 熊本の圃場全てが何らかの形で無農薬、減施肥である必要がある。 普及は到底私一人の力では出来ない。 また私にはその能力がない。 拡散 人に伝えるためには本心を言ってはならない。 私が有明海の再生といって何人が賛同しようか。 皆無だ。 しかし、収量や粗利が上がるとするなら人は動く。 買い手も慣行農法と変わらない値段なら、無農薬を買う。 そのことが、大切だと思う。 拡散が広まるのは早い。 私はただ、今のやり方を模索しながら続けていこうと思う。

最近の若者

癒し、いらない。 何聞いてる? ロック。 いいな。

10cm2に10本

セイバンモロコシが雑草も生えない群生の条件は10cm2に10本が必要のようだ。 安易だが仮に稲と換算すると播種量は慣行農法の10倍以上必要になり10aあたり20kgから40kg必要。 稲の場合陸稲でも3本位の分蘖はあるので20kgもあれば十分だろう。 来年の試験用圃場は20a確保し、今レンゲが芽吹いてきた。 春先までレンゲのアレロパシーで雑草の発芽を抑制させ、根粒菌との共生で肥料を蓄える。 レンゲがある程度種を作ったら漉き込み、2週間畑化し、満月の数日前に播種し籾殻と稲藁をマルチ(堆積)にする。 目的は陸稲群生。

農業は人為的な群生的生産

農業の農作物の理想的な形態は群生に他ならない。 そのように私には見える。 一面に広がる稲田、麦畑、トマト畑 それらは視覚的には群生の形態を示す。 しかしそうならないから除草や多くの農業の技術が必要になる。 その結果の形態であるから群生ではない。 私は群生を圃場に作りだしたいと考えている。 草が生えるから除草をするではなく、草が生えないようにする。 収量や品質の前にこの件に取り組む。 できるだろうか。

他人にはわからない個人の人生

おもしろいね。 このテーマ。 わかるはずがない。 でもね。 いろんな人がいるから成り立っている。 その事実を忘れてはいけない。

陸稲への思考

おそらく私が向かってるイメージは、群生としての稲の姿。 それを陸稲でやろうというもの。 本来の稲の群生を作る。 具体的な方法は群生の条件を畑で再現する。 籾を蒔き耕し、レンゲで肥料を補い、多量の種を蒔き、籾殻と稲藁を推積する。 稲を雑草と考えるならこれだけで好条件は揃う。 稲の自然栽培をよく森の木に例える方がいるが条件も植生も全く違い話にならない。 私は写真家としてイネ科雑草のセイバンモロコシにスポットを当てた。 条件は変わらない。 さてと やるか。

セイバンモロコシの群生

川沿いに生えるセイバンモロコシの群生の一本を引き抜いて見る。 根は浅い。 この形状は陸稲の密植栽培と同じだと気付いた。 おそらく1町近くの目の前の群生は、同じイネ科の仲間である。 私の脳裏にはこの群生の姿が陸稲のそれと同じに見える。 密植した所には雑草はわずかしか生えていない。 これが自然な姿であるなら、稲もきっとこのような形態になるだろう。 たとえ品種改良した現代の稲でもそういう素性はあるはずだ。 無除草栽培であるためには群生がキーワードだろう。

透き通る米

にこまるの米は透き通る。 事実だけ伝えたい。

止まらない

止まろうと思ったがそういう性格ではない。 ただ、一年を通して検証する時期ではある。 米に関しては食味の課題が残る。 旨いがあっさりだ。 これはこれで有りだが。 後は残り1町の畑の有効利用だろう。 まだ麦に踏み切れない。 理由は麦を脱穀乾燥などのインフラ環境がここにはないからだ。 コンバインは何とかお願いできたが、それから先は大津町まで行く必要があり、効率が悪すぎる。 やればわかるが、一時的に家に保管したとして、1トンある麦のコンテナをどうやって運ぶことが出来ようか。 それが幾つもあるのだ。 米に関するインフラは当然整っている。 陸稲が効率がいい。 諸問題を解決したい。 1.6町の圃場を二期作もしくは二毛作にすれば3.2町の圃場になる。 私は今このことに集中している。 借りることは容易いが、人間関係が発生し、私は対応できない。 3.2町あれば私の目的は達成する。

観点

私の農は近代以前の農の在り方の再現と現代の品種と現代の機械を用いて、現代の環境や気温、天候を考え順応、発展させようというもの。 無農薬、無化学肥料、無施肥などの観点から農を見ているわけではない。

今年最後のカボチャの収穫

親子3人での収穫。 子供が10代のうちに体験できることが大切だと常日頃思っていた。 10代のうちに一度経験しておくと、将来始める時になんの躊躇もなく取り組める。 次男はよく手伝うが、カボチャの収穫は初めてだ。 間に合ってよかった。

新代継橋からの眺め03

季節は秋 イネ科雑草のセイバンモロコシの群生が見える。 セイバンモロコシの実を食べるスズメの行動が楽しい。 川の水は夏とは変わり柳茶色に変わる。 田んぼから水がなくなると同時に植物性プランクトンが減少している。 観察からいろんな想像が私の中で膨らんでいた。

疲れたかな

かぼちゃの出荷があと1回で終わる。 来年用の土作りとして耕し、レンゲを蒔いたり、麦を植えたりと少しずつやる毎日。 何気に疲れが出てきた。 韓国でも行こうかな。

満月を見ていて引力の何が万物に力を与えているのだろうと考えていた。 有明海においては佐賀県住之江の六角川の河口付近で潮位差6メートルで月と太陽の引力。 植物も人間にも何らかの影響がある。 何の力だろうか。 引力がどう作用するのか。 まさか満月と三日月や新月などといった見え方の形の差でもあるまい。 月の秤動の動画を見ていた。 秤動自体の揺れ動きよりも月の大きさの変化が気になった。 月の軌道は楕円形で地球までの距離が変わる。 遠地点が406400km  近地点が357000km  差が49400km これかなとぼんやり思ったが根拠はない。 天体は好きだがあの数式は理解できない。 農業にも月の満ち欠けから判断した農法が古来からある。 なかなか魅力的で面白い。 月か。 無視はできない力だな。 https://www.youtube.com/watch?v=3f_21N3wcX8&fbclid=IwAR3xqfXTecv-4_f6JHtiHMxWYNVTUIsF0tZgD2Y-SUiQkcaL_ifZuE7Iybo

かぼちゃの出荷

万次郎かぼちゃの出荷が始まる。 カミさんが手伝ってくれるので助かる。 昨日は1100kgを納める。 圃場での収穫は今度の日曜日で終える予定。 かぼちゃには相変わらず興味をもてないが、まあこれもいいかなと思うようにはなった。 カミさんは次男の大学の学費にと 米と、かぼちゃの売り上げは貯金するらしい。 研究や実験で楽しんでるからかまわないけど、小遣い欲しいな。 密かに小遣い畑を作ろう。

韓国語が心地いい

なんでかな。 いいんだよ。 隣国でしょ。 仲良くしようよ。

最悪の耕作地の改良

宮ん上の圃場は盛り土をして出来た畑で何もよく育たない。 実験材料には最適でここで収量を確保できたら理論は正しい事になる。 こういう事に私は意欲を掻き立てられる。 無理が好き。 土の構造変化にえん麦を3作し、漉き込み。 籾殻を軽トラック5台投入。 耕し、レンゲを蒔く。 来季はにこまるを密植栽培。 レンゲを漉き込み、種を10倍蒔き、籾殻と稲藁をマルチに覆う。 さーてどうなるか。

観察からの楽しい実験

圃場を耕した後しばらくすると雑草が生える。 それは群落の時もあるが、大概は一種類の群生が多い。 圃場の中には季節季節の雑草の種が大量に埋蔵されている。 この中で私が興味があるのは群生だ。 このシステムを上手く使えば耕すだけで野菜が作れるのではないかと考えている。 群落や群生のメカニズムを学び実験してみよう。

パクチー

イタリアン食堂のシェフとオーナーがジョギングで家まで遊びにきた。 香草が欲しいという。 何も植えてないなと思ったがパクチーがあるかもと思い浮かぶ。 夏に一度耕しただけのヤンバル地区の小さな畑。 昨年コリアンダーの種を蒔きそのままにしておいた。 軽トラに乗って3人で出かける。 二人はいつも荷台に乗って子供のように笑っている。 ラリーのごとき私の軽トラは山道を駆け上がる。 あった。 ちょうど良いサイズのパクチーが群生していた。 ひと握り引き抜いてシェフに渡すと香りを嗅ぎニコッと笑う。 これで行くと決めたらしい。 美味しいパクチーの香りはカメムシではない。 もっと爽やかで清々しい。

ボンベイサファイア

当時モデルだったまりちゃんが作る酒はストロングでヘビー 本人はバーテンダーが本職だ。 たまにふらっと街に出かける。 大概バーに行く。 ジン頂戴というと、冷凍庫に冷やしたボンベイサファイアを取り出し、ライムを添えてスカッと出す。 旨い。 彼女の酒は本当に効く。 何故かわからないが、その辺のカールズバーみたいなチャラチャラした物とはレベルが違う。 絶賛はドライマティーニ 幾人かのスタッフはいるが、このオーダーに関しては必ず本人がつくる。 まーた。 行って見るか。 頭の中のノイズが限界だ。

百鬼夜行

亡くなってしまったが、相棒だったライターが私の写真集を作るときはそのタイトルにしなさいと言った事を思い出した。 当の本人は当時私が乗っていたボルボのリアでいきなり琵琶を弾いたり、大分県杵築の城跡で深夜に琵琶をジャランと鳴らしていたな。 どっちが百鬼夜行かと思ったが、仲の良い相棒を失った事は本当に残念だった。 百鬼夜行か、そんなタイトルつける事はないだろうが ( āmēn ) rest in peace

基本を知る

考え方の順序は 今の圃場の地力がどのようなものかを知ることから。 次に無施肥で作物を作ったらどうなるか。 肥料を入れる前に地力窒素を最大限活かす工夫をする。 どうしても必要な成分があったらそれを補う有機肥料を追加。 最初に肥料ありきではない。 肥料を入れればいいと言う考え方では病害虫の発生や植物の生理障害、窒素過多による食味の低下や安全性の低下に繋がり、農薬の使用が不可欠となる。 肥料は最低必要量で抑える。 幾人かのプロの農家は秋のひこばえで判断する。 ひこばえの出る田んぼは窒素が多すぎるという。 私は懐疑的だが一理はある。 写真の最初の上達は足し算引き算で始まるが、多くは引き算だ。 必要ないものを消去する。 すると見えるものが画像に浮かぶ。 農に関しても同じことが言える。 焼畑、輪作、家畜糞、人糞、 化学肥料へと肥料の歴史は変わる。 その歴史を知らない我々現代人は何も足さない自分の圃場で作物が育つかを知ると学ぶことが多い。 全ての面積で実施する必要はなく、圃場の一角を使えばいい。 私は今体験を通して、農の基本を探すために古代へと歴史を遡り農がどのように発展してきたのかを調べだしている。 色々な歴史を積んだ農の技術は多く、当たり前にやっている事が何のためにやっているのかを知らないままに慣習でやることが多い。 私はひとつひとつの意味を知りたい。 写真では全部を撮りたいと常に考え。 農では全てを知りたいと常に考える。

何も変わらない

妻が笑っていう。 あんた私が若い頃に言ってた事と何も変わらんたい。 私は? 変わるはずもない。 わけわからん事言うなと思ったけど。 なにげに嬉しかった。

乾田馬耕から学ぶ

明治期の画期的な農法 それまでの田んぼは湿田が多く、場所によっては稲刈りの時まで水が入っていたという。 秋の収穫後に田んぼを乾かし春に馬で耕し肥料を入れる。 そのことによって収量が倍近くになったと記してある。 麦の裏作も可能。 以上は馬がトラクターに変わっただけで、今でも見る農の風景だ。 冬季湛水はこの逆とも言える。 一度土を乾かす乾土効果は乾くことにより藁などの有機物が微生物によって分解される速度が早まるという。 水中の嫌気性細菌でも分解するが、好気性細菌の方が分解速度が速いのだろうか。 現代の冬期湛水は一般的には2回乾かす。 秋と春に乾かし春に肥料を入れる方が多い。 昨年私は稲刈り終了と同時に水を入れ、そのまま代掻き、田植をした。 なので春のシアノバクテリアの繁殖は相当であった。 いろいろと複雑に見えるが、今後この件を紐解いてみたい。 どちらの方法も田んぼに肥料成分を増やすことを焦点にあてている。 なおかつ、大切なことはそれが一度きりではなく、繰り返しても環境が安定していることだろう。 私のぼんやりとした直感だが、秋と冬は乾田化し、なるべく速いうちに耕す。 春に水を入れ春期湛水とし、シアノバクテリアが繁殖する暖かい時期を過ぎ 、代掻きまで水を溜め、田植をするというのが肥料値は最大になる気がする。 1月にはアカガエルが産卵するので12月一杯は乾田としてみようか。 あんまり肥料があっても困るが。。

色彩判別

標的を探す時や、無くしたものを見つける時に有効。 映像は情報が多すぎるので情報を単純化して色彩だけに変換する。 やり方は割と簡単で、目の焦点を少しぼやけるようにしてものを見る。 探したいものの色を見つける、そうするといろんな色の中からそれを探せばいいので割と簡単に見つかる。 楽しいでしょ。

大型の米倉庫を作る

米の注文が多くなってきた。 来期は更に2反から4反追加し、1町の田んぼに拡大予定。 米を保存する温度は14度位が最適と考える。 この辺りでは夏場を除いては土蔵の中の温度でそう問題はない。 それで、2.5m四方、2面土壁の部屋があったので残り2面を断熱材を貼り、床を剥がして低床にし、換気扇を複数つけて通気ができるように大工さんに頼んだ。 来週から工事が始まる。 これで100体は楽に入る。 夏場用には冷蔵庫と20体入りの保冷庫があるが、殆どは新年を迎えるまでにはなくなってしまう。 この倉庫ができると5月までの保存は可能になり、敷地内もすっきりするだろう。 あはは。 いい暗室ができる。 ソルトプリントやサイアノタイプをする時にここから野外への動線は最適だな。

拡散

この集落で2ヶ所の田んぼに新しく水が張られてあった。 冬期湛水が広がる。 私の田んぼや滝地区、小野地区、大津町を見て実施されたのだろう。 私は毎朝息子を軽トラに乗せて送る時ここを通るが、笑みがこぼれてしまう。

日和見

そんな声が聞こえる。 ほっとくか。 私は先に進む。

いい加減なことを言ってみる。

無施肥で多収はそう難しいことではない。 収穫後に藁を漉き込み乾土効果で藁を分解させ窒素を蓄える。 冬から春まで冬期湛水を行い、春終わりのシアノバクテリアによる窒素固定を盛んに行う。 微生物の餌に米ぬかを撒く。 それで十分な肥料は賄える。 これはいい加減なことではなく私が今年実施した諸例のひとつ。 むしろ問題は冬期湛水の時期を長くすると肥料分が多すぎる。 これは注意したほうがいい。

父の作ったとべこずみと父

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とべこずみの再現

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左から私、父、私、史也、私、史也

とべこずみ

この地方での方言で藁を積み上げる事。 地方ではすすきと言ったり藁ぐろという言い方がある。 稲藁の利用は来年のかぼちゃとトマト、バジルのマルチに使う予定。 ビニールのマルチは私には扱いづらく、干ばつ時の水補給が出来なく、使用後の剥ぎ取り作業や処分に困る。 藁なら水も直接株下に与えることができ、使用後は漉き込み肥料になる。 作業労力はとべこずみを含めてもさほど変わることはなく、作業の応用の広い藁マルチの方が扱いやすく、収穫後もただトラクターで耕起するだけでいいし、尚且つ肥料になるなら藁マルチが断然いい。 また稲藁でやりたいことが、祖母が作っていた稲藁納豆。 それと鰹のタタキ用の焼き藁。 藁を使った文化は今では一部を除いてほとんどない。 確かに藁は田んぼの肥料や土の構造改良としても有効だが、余りに多いとメタンガスの多発生につながる。 そこそこの稲藁を田んぼに残し、レンゲなどの種を蒔こうと思う。 とべこずみ 80近くの父を呼び、作り方を教わった。 先に作った記憶のとべこずみと比べると、父の作ったとべこずみは形がすこし違う。 九州地方は雨が多いが、それは理にかなった形で、こずみかたが平面ではなく傾斜が私より急であった。 作り方をずっと私の目に焼き付けながら記録する。 父の何気ない動作は私にとってかけがえのない記録以上の心情を私に伝える。

シアノバクテリアとスクミリンゴガイ

8.416俵の分析 無施肥に近い冬期湛水田の収量はおそらく9俵以上で圧倒的に多かった。 全くの無施肥は6俵、レンゲが8俵ほどであった。 無施肥に近い(2.7反に米ぬか40kgと微量投入)冬期湛水田の春からの特徴は藍藻のシアノバクテリアの発生が多かったこと。 シアノバクテリアは窒素固定をする。 スクミリンゴガイの除草能力が高く雑草は全く生えないのでシアノバクテリアの光合成は最大になり繁殖し窒素固定をする。 いろいろ調べていくと今年の多収の要因は以上が一番大きな要因と考えられる。 生物多様性は稲作に利のある環境を産出する。

2018

2018は面白い年だった。 とりあえず自分が思ったことを実行できた。 課題はかなりあるが、そんなものだ。 だから次がある。 農は理だ。 私の得意分野。 今日は効率を無視して、藁こずみをする。 記憶に従って作ったがどうも違う。 周りからなんしよっと? と聞かれるが、被写体を作ってるとは答えなかった。 めんどい。 でも思ったな。 非効率の世界には文化がある。

仕事の仕方

1日の与えられたノルマをこなす為にだらだらと働くより。 計画を立て、仕事のケツを決めて、可能な限り早く上手く仕上げる工夫をし、後はゆっくり過ごしながら行動と観察から得た情報でシミュレートし次の計画を立てる。 自営も月給も変わりはしない。

speed

頭痛い。 人と共同作業するとスピードが違いすぎる。 超頭痛い。

答えを聞いて作業をするのか、答えを探す為に働くのか

同じ答えにたどり着いたとしてもプロセスが違う。 試行錯誤のプロセスとその間の観察が大切でその過程で多くのものを得る。 答えなんてネットに転がってるけどそれは本当に答えかというと疑問だらけの論理が多い。 多くのプロセスを経て答えを出していく者から見たら殆どは短絡的であって、体系的でも理論的でもなく、生産者の指向性も思想性も見えない。 自分は何がしたいのから思考が始まり、何をすると決めてから行動が始まる。 後は一般的には、 Plan-Do-Check-Adjust 計画 実行 チェック 修正の繰り返し。 私は、 Plan-Do-View-Adjust 計画 実行 観察 修正 の変則の組み合わせ。 意味があって変則にするが、速さと正確性を求めるなら基本通りにした方が結果は早い。 CheckをViewにすると時短出来るが映像の記憶力の訓練(膨大な映像情報から重要事項をピックアップする能力)は必要。

ヒノヒカリ

この米は非常に美味しい。 さっぱりしたにこまるもいいが、来年はこの品種を復活させたい。

写真の深度

単に画素数やフィルムサイズの話ではない。 それらの条件は大切なファクター であることは間違いないがそれだけでは深度は得られない。 写し手の知識や経験と被写体の歴史性や魅力、価値が問われる。 プロジェクトや連続したシリーズの反復でも観念的な深度が更に深まる。 また主たる被写体の背景やそれ以外に何が写っていたか、いつ撮ったかの時間性も非常に大切でそれで歴史的な時間が記録される。 最も大切なことはそれらの要素を写す前からどれだけ写し手が読めているかが問われる。 いいなと思いシャッターを切ることが多いだろうが、いいなという思いはセンスで、センスはその人の経験と知識の中で得られる。 価値が分からなければ写真になることはない。 更には歴史の文化的な色彩や画質やエフェクトによって時代色や個人のセンスを加味し、情報量を少なくすることでも効果は得られる。 私の農のシリーズはいずれ生まれるだろう。 深度は相当深いものになる。

青米の利用

無施肥の田んぼに青米を試しに投入して見る。 多収の場合施肥を施さなければ翌年は収穫量は減る。 それは今年思い知った。 施肥で何が一番いいかを考えた時、その圃場で採れたものを返すのがいいのではないかと推測。 試しに一反の田んぼに青米を300kg投入予定。 収穫された米の量とほぼ同量。 結果は来年しかわからないが面白い実験だ。 スズメ達がその田んぼに群がることだろう。

農に牧歌的な興味はない

カミさんと収穫していた時の会話の一齣 私は理論派だから叙情性に余り浸らない。 むしろ毛嫌いする。 見えなくなるからだ。 音楽を聴きながら写真を撮るようなもの。 写し手の勝手な情感はノイズにはなるが、真意は写真に写らない。 思い込みに他ならない。 そんなことを考えていたのだろう。 全くわからない様な馬鹿ではないが。

米の味

にこまるは低タンパクの米なので炊き上がりに艶がある。 どちらかといえばもっちり系で低アミロース。 低タンパク、底アミロースは旨い米の条件を満たしている。 食べた感想はいい甘みが感じられる。 しかし全体的にはあっさりだ。 昨年からこのあっさりした味に疑問を持っていた。 あっさりした米は食べ飽きない条件の1つなので悪くはないが、ヒノヒカリの様な旨味が強く感じられるものも作ってみたい。 私の米は肥料による調整を一切していない。 例えば旨味を上げるには、一般的にはマグネシウムを肥料として撒けばいい。 しかし私はそういうことをあまりしたくない。 肥料で味が変るのならある意味食品添加物と変わりはないのではないかと疑問が残る。 むしろ遺伝的に旨味の強い品種を選択した方がいいと考える。 来年は一部二期作を考えている。 にこまるは九州に適作の品種なので続けていくが二期作には向かない。 むしろ2年間の実験でわかっているが、にこまるは陸稲として優秀である。 陸稲にこまるを来年は展開したい。 二期作の品種は早生のコシヒカリと思ったが、九州でのコシヒカリを食べてみて然程美味しくない。 これも遺伝的に九州に適作の早生品種を選ぶことにするが、まだ決めていない。 食べてみてみたいのは一期作目の米ではなく二期作目のひこばえだ。 この辺りの民間の間でひこばえは旨いという伝えがあり、おそらく登熟期がこれからの時期で九州でも寒くなるから旨味が増すのだろう。 ひこばえを食べてみたい。

101

今年の米の収量は6反で101体と青米が10体 正米全量3030kg  1反あたりの収量は8.416俵 レンゲ、冬期湛水、無施肥と3つの田んぼが混在するが、納得できる収量だった。 青米が10体で 反当たり1.66体 この数字からわかるのは昨年は反あたり2体で出穂期から50日で稲刈りしたが今年は55日だったたので、5日伸ばしただけで青米率が下がっている。 コンバインのa氏が言うには後1週間遅くてもいい。 と言っていた言葉を記録しておこう。

農を見る写真家

農にたずさわる一年だった。 長年イメージしてきたことを具現化でき自分らしい農への考え方の骨子が出来た。 作物は環境で育てる。 同じ種子が水田に苗として移植された稲。零れ種が水田で育つ稲。零れ種が陸の畔で育った稲。同じ種子が乾燥した畑で育つ稲。 その形態は同じ種子にあるにも関わらず全く違う。 私は写真家としてここに着目し、非常に興味を抱いている。 初期の農に対する見解は どのように育てても作物は出来る。 環境を変えれば作物は全長や分蘖数、稲穂の長さなど植物の身体を変化させ適応し、なんとか種子を残そうとする。 植物体が健全であるなら品質と収量は適正になる。 肥料だけで多収を求めるのではなく圃場環境を考え直し環境に負荷のない在り方で適正量を永続的に収穫できる方が利が高い。 まだまだ多くの物事を見続け環境と人へ何かしらの役に立てれば幸いと想う。

休日

月から木バイトしてそれ以外で圃場を1.6町を管理するのはなかなかハードなスポーツだ。 どちらも興味のある対象なのでやめる気がしないが、さほど大変とも思わない。 私は作業や労働という観念をもって仕事したことがない。 いじょうおわり。

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EDMを家族が煩がるのでイヤホンで聴いている。 iphoneの付属イヤホンでも音が良く。 音源のバスブーストがスピーカーで聴くよりいい音だ。 個人的にはもう少し音圧が欲しい。 重低音を再生するヘッドホン買おうかな。 でもマックの出力が小さいのでアンプもいるか。 .. 自分の趣味を広げないことが肝心。 必ず私は深みにはまる。 米の収穫が終わり一安心。 今日はカミさんとかぼちゃの収穫。 あと2日ほどで終わるだろう。 出荷をしたら、後は麦の播種か。 どうしようかな。 麦の可能性を今はそう感じないから、1反と少量ならともかく1町の畑に蒔く気にはなれない。

作物を作るということ

私が今年得たものは多くあるが、一番確信したことは作物は肥料で育てるのではなく環境で育てるとこれに尽きる。 この思考へ考え方をシフトすると農への在り方も取り組み方も全て変わる。

米の収穫

圃場での結果は6反で、1000kg入りのコンテナ6.3台 おおよそ800kgx6.3で5040kg これから約3割は減るというので3528kg 60kgで割ると58.8俵で1反あたり9.8俵の計算 乾燥されるのでおそらく8から9俵の間だだろう 施肥という施肥をしていない冬期湛水の田んぼが一番収量があったのは特筆 次がレンゲ草の圃場で冬期湛水より若干低く、次の無施肥で株間30から40cmの田んぼは背丈も低く収量も低かった 明後日は乾燥が終わるとのこと 待ちどうしい

私の研究

陸稲の可能性を研究することが、私の圃場では一番効率がいい。 水田並みに収量があり、尚且つ無除草栽培できることがこの目的の終着点。 水田の種籾は1反3kgで反10俵なら600kgの収穫になり200倍。 陸稲はその半分とよく聞く。 収穫をしながら思うことは、収量の条件は平面的な見方と立体的な見方が必要のようだ。 田んぼを平面で見た時、稲穂の占める面積がどれぐらいであるか。 つまり稲穂の占める面積が多いほど多収である。 次に立体的な見方としては、稲穂の長さと数、そして稲穂の階層をみる。 当然稲穂が長く数が多い方が多収、また中干しをしないと次々に分蘖し、高さの違う稲穂の階層が生じる。 中心が一番高く、後の分蘖程低い。 面の収穫と立体的な階層の層の厚さの収穫が多収を産む。 と、これは机上の空論ではなく観察の結果だ。 平面での多収は植え付け間隔で、多くの農家に聞くがここは(熊本県阿蘇郡西原村)27cmが一番いい。30cmは広すぎる。という意見が多い。 立体での多収は品種と中干しをしない事である。 この事は農家は知っている。 中干しない方が多収である、なぜなら分蘖数が多いからとはっきり答える。 なぜしないかは収穫時に田面が硬くならない事と熟れ具合に時間差が発生するからだ。 実際に私が今年思い知らされた事はこれである。 積算時間での収穫は無意味で観測による熟れ具合による判断が要求される。 私の空想では陸稲の多収、無除草栽培は密植栽培がキーワードと考えている。 籾種の数を数倍蒔き、分蘖は期待できないので、平面での収穫がどこまで可能かを来年実施したい。

生態系の多様性

お前はおたまじゃくしがそんなに大切か? 生物多様性で最も大事なのはその種が生きる環境があるということ。 このことを農業は考え直し実行して行く必要がある。 「私の知識の中では生物多様性の一般的知識から現在1日に1種絶滅している事実や、環境保全を取り組めば田畑と森林のもつ多面的機能の貨幣評価は48兆円規模になるということを情報として知っている。」 そうするとこの方に私は何と答えていいかである。 大事ですよ。 そう答え、それ以上は伝えない方が今の私には賢明。 中干しをしないとカエルの数が多くなる。 おたまじゃくしの発生数は冬と春が多いが、夏と落水する秋にも生存する個体がある。 7月に中干しをするとそれ以降は生息できないので、5月に水を入れ7月までの3ヶ月しかなく、その間に変態できる種や個体が成体になる。 中干しなしは6ヶ月と期間が長く、遅れて産んだ個体や幼生期間の長い別の種(トノサマガエル)も育つ。 アカガエルは1月から3月に産卵し、2月から6月に幼生となり、5月から10月に成体となる。 農業生物多様性は今から事業としてメリットのある、より積極的な国策になるだろう。 個人農家も考えて欲しい。 私は人と共同で取り組む事が正直本当に出来ない。 なので1人で実践して行くだけしか能力がない。 残念ながら。

うさばらし

目下の憂さ晴らしはEDMを聞いて酒を飲むくらい。 音楽は多ジャンルで好きだが何故か最近こういう系統の音が気分がいい。 お陰で家族からは煙たがれる。 どうも明日の稲刈りは延期のようだ。 なるようになれ。 稲は最後の水を得て全てが熟れる事だろう。 私はあえて崩すが完璧主義の父の血をやはり受け継いでいる。 個人的には完璧主義では創造する事は限界があると考える。 失敗の中に次の創造はある。 失敗のない仕事は面白くない。 在り来たりをこなしていても芸術の世界や創造の世界では全く通用しない。 うさばらし 憂さを晴らして頭の中のシナプスを一度引き離し、意のままに組み替えたい。

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深夜に雨の音で目が醒める。 大きな雨音。 ことしの稲刈りはどうなるやら。 うとうとしながら20分位でやがて起きた。 薬の成分がまだ半減期を迎えてないので多少ふらつくが、パソコンのある母屋まで来る。 考えようにも思考がまとまらない。 ラジオクロックの時計がぐるぐる回る。 やっぱりダメだわ。 もう一度寝よう。 どうやら雨は止んだようだ。

陸稲観察01

a, 籾殻を捨てていた。 中には立派な米粒も混ざっている。 暫くすると捨てた籾殻の中から陸稲の芽が多数出ている。 a, の観察から陸稲を密植に蒔き、上から籾殻を被せるとマルチになり雑草の発芽が遅れるか発芽しなくなる。 稲は発芽に光は必要ないから発芽する。 b, 収穫後耕起した畑を見ると零れ種の発芽が見られる。 かなりの密植状態だが、雑草も多数見られる。 b, から、雑草は耕起した後に生き残った雑草で、発芽した陸稲とは時間差がある。 経験では陸稲を播種して暫くは雑草は発生しない。 しかし今回期待する稲のアレロパシーが雑草抑制に効果がないなら、2018年と同じ結果になる。

陸稲の可能性

暫くは陸稲について研究したい。 初期テーマは無除草栽培 a, 除草をしなくても収穫できる栽培法 稲の根にはアレロパシー物質モミラクトンが分泌される。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/rootres/25/1/25_5/_article/-char/ja/ b, アレロパシーが稲にあるなら密植栽培をすれば無除草が可能ではないかと推測 今期2018は10cm平方に2粒程のばら撒きだが、結果は雑草優勢。 手での除草は不可能。 生き残った稲の根を調べると5cm平方の根っこしか出ていない。 多くはばら撒きした時に密度が高かった場所。 分蘖株はなく1本、多くて2本。 草丈も60cm程。 しかし米は実るということに着目。 50cm幅の筋蒔き播種では通常の草丈 分蘖共に良好。 だが、この慣行のやり方では水田の半分の収穫量しかない。 除草作業も相当労力が必要。

今日も雨ですか

量と時間 積算降水量は? 金曜日が稲刈りだというのにどうなるかな。

環境破壊の農業

そろそろ日本でも問題になるというテーマ。 世界的に農業のあり方、農地の拡大が問題になっている。 水 淡水のパーセンテージは地球上で0.5%と言われている。 砂漠や農耕地に適さない地での農地を開発するが、その水の量は相当なものだという。 大河が渇水する量。 農地拡大削減の意が問われている。 メタンガス 地球上で水田から発生するメタンガスは30%に登る。 温暖化の直接的な一員。 硝酸態窒素 過度の肥料がもたらす環境破壊と人体への影響。 バルト海において海の魚が死滅するほど恐ろしい硝酸態窒素。 人において農薬以上の致死量を硝酸態窒素の多い植物は持っている。 遺伝子操作 短絡的な行為。 その後の遺伝子環境破壊は未知数。 以上数限りない。

もみがら

一枚の畑を土壌改良する必要がある。 元は道路より低い畑だったが父が業者に盛り土をさせ道路より50cm以上高くした。 何を植えてもよく育たない畑になってしまった。 硬い土で根が伸びない。 鉱物が多く有機物が少ない。 昨年からエン麦を3作緑肥にしたがまだまだ硬い。 今年からもみがらを入れることにした。 毎年軽トラック5台分を数年。 もみがらは殆どガラス質の珪素からできている。 なかなか分解しないので土の鉱物の間に入り柔らかくなる。 隙間ができると根が伸びやすくなる。 いわゆる団粒構造を、もみがらは手っ取り早く作ってくれる。

50代

男にとっては人生で一番楽しい時期かもしれない。 プラトンは60代だという。 先が楽しみな年代に来た。 一般的にはおっさんがじじいいを迎える時期。 笑ってしまうが現代ではそうであるらしい。 ネットの小僧め。 私の頭の中の構想は有限だが無限に近く拡大している。 若い頃と違うのは、他人の力を必要としないこと。 一人でやる。 それだけの思いの違いだろう。 50を過ぎれば全てが関係ない。 少なくとも良きことをしたい。 良きこととは環境に他ならない。 あとは人間だから知らない。 まあ、なんだろうな。 ワードでは、 ざっくばらんとか、なるように成らせる?とか。 事実や現象や成り立ちを農や写真的視点から学び、惑わされることはないが、そう生きたい。

万次郎を食す

成熟した今年の万次郎かぼちゃを妻がチーズ焼きにして食卓へ出してくれた。 加熱して食卓に並んだ万次郎を食べると甘さが乗って美味いのだ。 万次郎はこんなに美味しかったのか? 熟れ具合を確かめるために収穫して3日ほどのもの。 その時はスライスして生で食べたが、こんなものだろうの印象。 糖度でいうならポアロという同じ圃場に植えている品種が甘い。 しかしシェフはいつも万次郎を選ぶ。 ポアロは果実がしっかりしていて硬い。カボチャスープ向きだ。 万次郎も甘いが、果実が柔らかく少し細胞間の隙間があるのか、味が染み込みやすい。 おそらくその理由でシェフは万次郎を選ぶのだろう。 今年の万次郎は甘いだけでなく、癖もなく、エグ味もない。 無農薬有機栽培で肥料を指定の半分以下でつくり、爆発的な実のなり方を抑え、一般的なかぼちゃのように育てた。 万次郎は熊本県では我々の責任だろうが一般的な評価は不味いとなっている。 なぜそうなるかは簡単な仕組みで、買取業者が重さで金額を決めているからだ。 そうすると農家は大きな果実を作る方へシフトする。 考えられないくらい大量の肥料を入れ、窒素過多のまるまるとしたかぼちゃを作る。 その方が収益が高いのはもちろんだが、そのような野菜は万次郎だけでなく何であろうと不味い。 肥料を適正にすれば万次郎は不味いかぼちゃではなく、美味しい作物になる。 そう確信した。 収量はとても少なくなるので単価を上げないと利益は出ない。 販売先を開拓する必要がありそうだ。

百姓色

自分のオーラがカメラマンから百姓になっている。 まあいいけど。 いいのかな? トラクターに乗ってる自分が一番似合うようになった。 あーも。 麦植えたらカメラマンに戻る。 撮りたい構想は山ほどある。 でも面白いんだよ百姓は。

生野菜は食べないのがいいのでは

最近サラダを食べない。 ドレッシグをかける必要があるのがどうも。 調べると色々出て来る。 サラダは食べなくていいかも。 漬物や温野菜を食べたい。 私の理由は味を好みに変えられるから。 特に漬物。 祖母の漬物がおいしかった。 父が今では高菜漬けと母が梅干しは作るが、それ以外は何もない。 さーて私が作ろう。 ぬか漬け、味噌漬け、浅漬け、柴漬け、朝鮮漬け。 とりあえず白菜を植えてみようか。

SNSよりブログが便利

過去の出来事を見て比較するときなど、ブログが圧倒的に早くて便利。 カテゴリーで分類できるしアーカイブですぐに過去に遡れる。 SNSはそのような目的で作られていないから不便極まり無い。 集客をSNSにしてブログメインが私の目的は達する。 このShinkawa Agriculture Noteは月間4000アクセス程だが殆どはFACEBOOKとG+からのアクセス。 アクセスにあまり興味はない。 自分が動き考えてきたことを記録したい。

結構楽しいかぼちゃの収穫

父と収穫しているときはキツいイメージだった。 昔の人は労働の感覚が強く、休みなしに黙々と続けるので、軟弱な私世代はついていけない。 それにやり方も理解に苦しむ収穫方法だった。 昨年は一人で3反を収穫した。 出来るものであって収穫方法も合理的にした。 作業効率は父のやり方と比べると何倍も高くなる。 工程を変え物理的移動距離を短くする。 熟れてから随時収穫する方法をやめ、ある程度全体が熟れるのを待ち、例えば北から南へ面で収穫していく。 なんども同じ圃場に足を踏まななくていい。 持ち帰って清掃する作業は実に過酷だった。 4000kgのかぼちゃを収穫した後にまたひとつひとつ清掃するのはゾッとする。 今は収穫してタオルで拭きコンテナに詰めたら後は清掃せず出荷。 全く問題なく、収穫したてのかぼちゃはちょっと拭くだけで綺麗なものだ。 収穫後清掃せずにまとめてトラックに乗せごっちゃにするから汚れが広がる。 畑に今は屋根のない(笑)かぼちゃの倉庫を建てた。 家まで持ち帰る必要がないのでこれでも時間短縮。 まだやれることは多くはあるだろうが3反位の圃場ならこれでいい。 自分で考えながらやるとなんでも楽しくなるものだ。

今日は晴れ?

私の予定は引き続き来週350kg出荷分のかぼちゃの収穫。 あと半分もあればいいので今日中に終わる。 10・11月と週1での出荷計画。 次男は電気工事士の資格取得の試験。 早朝から大津駅まで妻が送る。 内燃機関の車から最近はモーターの車に興味を持ちだした。 送り向かいで話していた時の興味深い話、次男が言うには最近は、エンジン車は皆んなが音がうるさいというと言ってた。 時代の変化はもう着々と進んでいるようだ。 心配なのは稲刈りくらいだろうか。 実りの秋

韓国語

30年前に韓国に1ヶ月滞在していた。 同校の韓国人留学生が誘うので日本人の仲間と行く。 ソウルを中心におおよそ全ての韓国の地方を回る。 私の印象では言葉のイントネーションがタイトで何かしら喧嘩でもしてるかの印象を憶えてる。 その後オリンピックがありもう一度ソウルに訪れる。 街は新しくなり、裏路地は綺麗になったがそう変わりはなかった。 最近の韓国の音楽を聴くと、とても優しいイントネーションで昔聞いた現地の感じとは違う。 今の言葉の印象は刹那的で柔らかく聴きごごちがいい。 韓国語が非常に美しいものだと感じる。 本来はそうなのかもしれない。 言葉の文法が同じであることを始め、日本と韓国の人種的な差はそう変わらないと思う。 文化と歴史が違っているのは事実だが。 私はとても韓国が好きだ。 しかし現実には韓国をさげずむ様な気風がないではない。 まあそういうものは無視しよう。 言及しても何も得られない。 近くて遠い国ではなく、地理的に近い国であり、遠いは現代人の無知だけだ。 稲作が韓国から日本へ伝来とか実は日本から韓国へとか騒がれている。 事実がわかったとして歴史は変わるだろうが、無知ならば何を得る事ができる。 魅惑的な能力に関しては日本以上でエンターティメント性も遥かに上手。 また行って今の韓国を見て見たい。 家族を連れて釜山に行こうか。

美人

あるコンビニにまだ高校生だが完璧な美人がいる。 しかも仕事ぶりから賢さが伺える。 以前ならスカウトしていたが、今はしていない。 この方を含めて10代の完璧な美人は2人知っている。 おそらく即女優でも申し分ないだろう。 どちらにしろどの様な人生を歩まれるのだろうか。 美人は多くの人を魅了し幸せにする力を持っている。 ぜひ開眼して人生を切り開いて欲しい。

台風のなかで

大風が畑を吹き抜ける。 カボチャの収穫にはちょうどいい。 午前中2時間で3a程を収穫してみた。 収量や品質も見ながらの収穫だが、それよりこの品種を今後植えるのかを考えていた。 経営は理想ばかり言っても成り立たず、このような契約栽培は安定した収入源であり、不安定な時は確保しといたほうがいい。これだけ大量のかぼちゃを全て買い、一括で払うのはそうはない。 基本的に無農薬で育ち、化学肥料の投入なしでも収量は少し減るが品質にも影響がないことを確認。鶏糞をつかったが効果が一時的な気がした。 無動物性肥料は高知あたりではやっているような情報は知っているが、実際のことはわからない。 籾と米ヌカボカシだけという。 もし来年作るならレンゲの緑肥と籾と米ヌカだけで作りたいと思う。 などなど 食事をしながらブログを書く。 さてさて昼からも収穫とする。

アーティスト

社会的影響力を考えた時に今の時代を左右させる力は古今東西、金や権力だが現代の多ジャンルのアーティストという人々のセンスによる力も無視できないものがあると改めて思っている。 過去の神話や宗教、寓話や童話。 現代のアートというジャンルは同じ様な影響力をもつ。 写真について考える。 写真は人への伝達速度が非常に早く、例えば雑誌の写真なら1秒、目を止まらせる事ができたらそれは極めて長く成功だと考えていた。 作品展では30秒見入ってくれたら非常に嬉しく、写真を飾ってくれる人がいたら何日飾ってくれるのかを見ていた。 先ほども言った様に伝達速度が速いが故に反復して見るという事は音と比べたら一般的には少ない。 写真は記憶する事が出来、音の様に再生装置はいらない。 訓練すれば10万カットは記憶できるという。 写真は心理的に余り重たくなく、よって忘れ去られるのも早い。 その様な特性がある。 以上のことはこれまで体験して考えて来たことだが、特性は特性としてそれでも古典の中から新しい表現を試していきたい。 ある意味私の写真は影響力を持っている。 尚かつ深度がある。

今日はよくわからない

たまに田んぼに出かけ、水を抜いては家に帰り、音楽を聴いて、酒をのみ。 その繰り返し。 近所の人からなんで自分で刈らないかと聞かれたが、シュミレーション済みで、採算が合わないからと答えた。 500万の機械を買って30年持つはずもない。 中古はよく壊れる。 メンテが必要で全く採算意合わないことはこの地区の人は知っている。 老いた新規就農者だった。 余り深くは話もせずに去った。 なんとなく上から目線だったので無視した。 私は農家と話しても楽しくない。 自慢話ばかりで理論を聞いても知らんで終わる。 何人かの優秀な農家としか話さない。 彼らは私が考えたことくらい経験済みだ。 さあ。 そんなことはどうでもいいのだ。 写真的な達成感がない。 でも農にはリアルな現実感がある。 私は強欲な人間だから両方欲しい。 稲刈りが終わり、かぼちゃを収穫して、麦を植えたら暫く農から離れよう。 徹底的に離れようと思う。 何故なら自分を見失えば全ての方向性が狂うから。 私がブログを書く理由はそれだけの為にある。

時間

シオカラトンボの交尾を見る。 メスが下でオスが上。 しかし向かう方向が逆さまだ。 それで飛行する。 まさにアクロバティック。 しばらくすると辞め。 産卵をする。 オスは円形にメスを周り、次の機会を伺う。 いつの間にか、違うオスのテリトリーへ。 オス同士が戦う。 時間が長い。 まるで人間の歴史のようだ。

希望

無農薬という農のパイオニアたちが頑張っている。 いつかは皆が後を追い、皆が無農薬になればいい。 化学だけでなく生物農薬、遺伝子操作も。 有り得ない。 どうするか。 どうするか、 答えはないが、自分がしない。 まずはそこから。 それしかないんだろうなぁ、 楽しいんだけどね。 54か。 長いな 私の周辺くらい5年で片付けてやる

除草剤は諸悪の根源

外来種などの特定の植物を殺すなどの目的がなければ気軽に使うものではない。 もっと言うなら絶対使ってはならないと言ってもいい。 自然のサイクルの1つでも断てばバランスが狂い、除草剤で例えば田んぼなら稲だけが生きて、他の生物は生きれないか、繁殖が難しい環境になる。 安い除草剤があちこちで売っている。 私の畑の圃場の隣でそれを撒いた人がいる。 何も生えなくなって根まで枯らすと自慢していた。 それを聞いた村人はそれが 良え とか言って、買うと言う。 そうやって広がっていく。 これだけ量販店で売っていたら地球上でどれだけの薬品が撒かれていることだろうか。 撒くなと言っても人は撒く。 私から言えることは 少し立ち止まって足元を見て欲しい。 雑草と言われる草の花は本当に美しい。 私は来年もこの花を見たいと思う。 こんな話は嘲笑されるか無視だろうくらい知ってるが、こういうことに女性が気づけば男は女に弱い。 嫌いと言われれば男はなんとかするだろう(笑)

念願の

タイコウチを確認 これで田んぼにいた全ての水生生物を私の田んぼで見ることができた。 種があれば後は繁殖。 私が生きてる限りここに化学薬品化学肥料は入れないのできっと繁殖してくれるだろう。

ひまでおんがくかんしょう

T-ARAにまたハマる 音よりヒョミン 娯楽というか楽しみは酒を飲む以外ないという、なんともな生活。 暇がない。 大体遊び人なのでこれくらいでいいのかな。 人と話す。 好きだが苦手だ。 本当に苦手な人の時はアスペルガーと言ってさっさと抜け出す。 美人が好き。 見ているだけで楽しくなる。 美人しか付き合ったことないけど今はさらさら縁がない。 仕事が大好き。 あくせく働くことはいい。 汗流して働くのはいい。 頭を使って情報駆使して観察して。 作るのが好き。 これに尽きる。 ではでは。

地震でまだ修復していない仏間をやっと終える。 土壁の土を少し頂いた。 匂えば線香の匂い。 藁が混じっている。 ご先祖様の作った稲だろう。 土塊を水に浸し一時間くらい待つとやっと柔らかくなってきた。 この家は180年経つという。 いつの時代のものか判らないが、江戸時代のご先祖様の土と稲かもしれない。 粘土と思ったが、砂利や石が多い。 田んぼの土ではないかと推測。 田んぼに行き、土を確かめた。 構成が似てる。 でも色が違う。 田んぼの土はそれより黒い、この土は赤い。 もちろん土壁には赤土を使うことは知ってるが、昔は近くにある土を使ったという手記を読んだ覚えがある。 近くとは田んぼだ。 これから先は目測と推測だが。 もしかしたら、田んぼの土の色が変わったのではないかと浮かんだ。 長年の除草剤や農薬と化学肥料で何かしら土の変化があったのではないか。 肥毒 それもあろうが、もう少し検証したい。 冬期湛水の田んぼを見る。 少し赤い。 穴の前の田んぼを見る。 もっと赤い。 穴の前の田んぼが無農薬3年目で長い。 昔は田んぼの土はもっと赤かった。 その様な思いが浮かぶ。 サンプルとして今の田んぼの土を丸め保存する。

スクミリンゴガイの除草能力

全く大したもので、除草剤以上の働きをしてくれる。 田んぼの際までツルッとした土が見える。 居ついたものを外来種だからと劇薬を使って駆除するより、この貝を私は飼いならす。 1反の除草でも大変な苦労がある。 私が1人で6反を平気で出来るのはこの貝のおかげだ。 莫大な量の除草剤がスクミリンゴガイのいる平地で撒く必要がないなら、この貝は環境を大きく改善してくれる必要な生物と考えてもいい。

どうとらえる

雨だ 明日の稲刈りが延びる どうととらえるか。 刈り遅れは米がまずくなる。 それは本当か? 基準は? 植物的にはどうか? 今年は今年 全ては翌年へのデータになる。 私はそう考える。 自然を相手にしてるのだから今は待つしかない。 この状況で考えられる来年への対応は、多品種と植え付け時期を分散させることであろうか。 この辺りも経験と実績を積まないと将来の大規模な圃場での栽培で一番大切な判断基準になるだろう。 写真と変わらない。 一期一会 大事なことは一期一会ではなく。 その時に私がどう捉えることが出来たかだ。 気分を変えよう(笑)

立ち姿

見返り美人を思い出すが、稲の立ち姿も品種によって違う。 私はヒノヒカリの立ち姿がいつも美しいなと思っている。 止葉が長くて背の高いにこまるは、稲穂が熟れてもまだ青い茎葉が残る。 ヒノヒカリは止葉が低く、稲穂が揃って見え、全体が同じ色でうす緑から黄色く枯れていく。 いかにも頼りないコシヒカリのような茎ではなく、太くはないがそれでも背筋を伸ばす。 遠目に見ても美しく、金糸雀色の平坦な景色が日本的。 それが当たり前の様に思っていたが、にこまるの力強い圃場と比べると再認識してしまう。 父の田んぼはこうであった。

常識の真逆にある真実

陸稲糯の密植栽培を思いつき、アイディアの裏付けを調べていた。 農研機構の北海道農業研究成果情報を読む。 http://www.naro.affrc.go.jp/org/harc/seika/h20/09.06/003/main.htm 水稲の成苗・密植栽培により、N1kg/10aの減肥条件でも、減収を伴わず産米の低タンパク・高整粒率化が可能である。株間密植が実用可能で、歯車の交換で株間を10cmにして実施する。 面白い。 写真において常識の真逆に実にユニークな被写体があることを私は知っている。 私の初期の農に対する見解はどんな方法でも作物は出来ることは出来るであったが、今後は意味を見出し、方向性を作り、目的を設定し、作付けし、結果を出し、問題点を見つけ、情報を集め、改良する、という作業が必要になる。 密植栽培だから風通りが悪く病気になり易いというのも案外そうでもない。 稲は必要なスペースがあったら必要な分だけ分蘖する。 密植では多くは分蘖しない。 本当に風通しを良くするなら、今年私が実施した、8m間隔で1mの何も植えないスペースを作る方が一番いい。 この方法は台風倒伏のドミノ倒し防止にも有効であった。 私の今の考えは、本来稲は密植状態の群落で育ち、多年草である植物という大きなイメージを描いている。

頭の中で音楽が連続再生

時折よくある。 今回は10日と長すぎる。 t-araの ヒョミンのシングルを聞いて再生が止まる。 相変わらずの美貌とスタイル。 音は? 安室奈美恵とdoubleが吹っ飛んだ。 今日は稲刈り最適な熟れ具合。 出来なかったので5日が稲刈りになってるが 雨の様。

なんかつかれたな

今日は稲刈りの日だっが、まだ土の水分が多いので出来ない。 どっと疲れが出た感じ。

イタリア系レストラン専用圃場

この秋から田中ん上という3反の畑を専用圃場にする。 基本の作付けはファッロ、サンマルツァーノ、バジル その他の作付けは注文によって作る。 麦とトマトとバジルはイタリア料理では必須のもの。 今2件のレストランと取引させていただいてるが、味の評価がプロの料理人からダイレクトに伝えられ、美味しい料理に変身するのが私としては非常に楽しい。 この圃場はイタリア系としたが、まだまだ活かしきれていない畑は沢山あるので、違う要望があれば同じ様な仕組みで対応する予定。 例えば焼き和菓子用の陸稲糯もそうだ。 私の未熟さで今年は収穫が少なかったが来年はできる様にしたい。

溝を掘ると

田んぼの水溜り 溝を掘る まだいたか。 めだかがこっちに向かってくる。

溝切り

memo 田んぼに溝を切る。 おそらく5日の稲刈りは雨で出来ないだろう。 それでも準備のために今日は溝切り作業。 どうしても溜まるところがある。 昔の農具の鋤で行う。 次の台風が過ぎ去るのがおそらく8日。 風よりも雨が降る。 それから5日後がリミット。 10月12日で出穂期から54日で11日遅れ。 昨年が10日遅れで問題はなかった。

携帯電話以降

携帯電話のマイクロ波障害はどうなったのか。 wifiのマイクロ波は? ハイブリッドのマイクロ波は? やはりファンタジーかな。 童話を描くしかない様な気になる。 人は批判したら聞かないか反発するが、何かに置き換えるなら聞こうとする。

今後の品種

今後出てくる新品種は遺伝子組換えとか遺伝子導入とか、 その様なものが多いみたいですねー 詳しくは少し調べればネットにあります。 もうこのことについては 呆れる ので述べません。 理系の君は理を知らない。

次の台風

台風第25号 (コンレイ)の進路が怪しい。 米軍や西欧など他国の予測より、やはり日本の気象庁の方がレベルが違う正確さを持つ。 今週末後半の動きに気をつけよう。

米の多品種混合栽培

また新しい実験項目が増えた。 1.稲において複数の品種を混合して育てると多収になる。 2.またカビに対して耐性をもつ。 などなど。 在来種と思った野稲の種だが、実際は3品種が混じっている。 このことから学ぶのは昔の人は経験から知っていて、広く普及していたのではないかと推測。 在来種の3品種混合種を植えて今年痛感したのは、いもちに弱いと言うこと。 確かに収量は単一栽培のヒタチハタモチより多い。 この3品種混合在来種を水稲化するとき一番危惧されるのはやはりいもち病だ。 ヒタチハタモチはいもちに対して強い耐性を持っている。 4品種混合を試してみる価値はある。 理由はまだ未知数だが多様性がカビを一気に広がらせないと聞く。 また交雑すれば遺伝的にそれぞれの特性を獲得するのかもしれない。

大雨のめだか

煙草を外で吸う。 私の目の前にある水槽のめだかを見ていた。 わりと低層にいる。 上層は水温が低いのか。 それとも雨がせわしいのか。 なんだろうな。 私は事実よりファンタジーを伝えたい。 なぜかそう思った。

自由な田んぼ

1反の穴ん前という呼称の田んぼがある。 私が父に初めて任された田んぼだ。 最初は父の言う通りに慣行農法をするが、2年目からは無農薬、冬期湛水をし、メダカを育て、途中で苦情があったりとかで、3年目から今に至る。 来年は多品種を同時に植える水稲糯栽培。 本来は長年陸稲で植えられていた在来種。 私の調べでは3品種が混合していた。 私はそう言うことを面白がる性格。 これまで陸稲で植えられたものが、水稲でどう育つか。 品種は交雑するのか。 などなど興味は尽きない。 この田んぼは今では私の実験田んぼである。 今後私のことだから色んな実験をするのだろう。 さて台風。 今のところ問題なし。

台風

9月30日午前5時32分19秒jst 未だ台風の風も感じないくらいに深としている 小雨が降り続く やはり宮崎回りの台風はそう影響ないのか 出来る事ならこのまま過ぎ去って行って欲しいものだ

統率と多様性

統率するためには思想性はひとつの方がやり易い。 人を支配するためには異端はこまる。 このような理論が現代では憚るばかりか戦略として成り立っている。 多様性はその逆の考え方。 支配するものはその種や類ではない。 天や地であり、可能なものは自らの意思と適正を持ったら生きられる。 現実にある全てを認め、守ろうという考え方。 比較を人間と自然界にしたが、多様性が人間界にも発展し行く時代が次に来る。

稲の特性

ジャポニカ種である稲は多年草の性質を持っている。 この事実が面白い。 今年の観察で得たものは、たとえば陸稲で病気になった稲穂を引き抜いて暫くすると何度も新しい稲穂がでるという現象。 稲は15度以上であるなら、例えば稲を刈ってもひこばえが出る様に、気温が合えばまた実をつける。 ひこばえ二期作は昔から行われてきた。 冬期湛水では春に根っこが生きている事も確認した。 まだ実験はしていないが、他の情報ではそのまますると翌年芽が出て、稲穂がつき収穫まで出来るという。 適正な気温があるまで種子を残そうとする様であるし、年を越してまた実を実らせようとする。 この様な特性をもっと調べてみたい。 人間がコントロールする農業ではない在り方を見、行うのが私の仕事の様な思いが生まれる。

いもち

にこまるは低温でのいもちに弱い。 水口は中山間地域の川の水は15度と水温が低く圃場の水口で20度と、いもちにとって最適の温度になる。 その対策を考えなければ。 水口に多発するので品種を変えるか、水温を上げる対策が必要。 私は個人的な理由で掛け流しを実施しする。 今考えてる対策は水口のエリアを別の品種にすること。 米でもいいし、雑穀でもいい。 これはひとつのアイディアでまだ未定だ。 掛け流しで中干ししない理由は水生生物の生きる環境を長くしたいが為である。 だから私は農家ではないのだが、そのようなやり方があってもいい。 私の初期の農に対する見解はどんな方法でも作物は出来ることは出来る。 これは事実だ。 農家が聞いたら呆れられるだろうが、農業や農から離れればそれも事実だ。 ここにいろんなヒントがある。 国民がすべて農に従事していた時代には色々なやり方があっただろう。 さていもち。 私は面白いと思っている。 来年は違うアイディアで克服したい。

在来種の糯

面白い品種でよく見ると大きく3系統あるようだ。 この種を在来種としていいものかはわからない。 3系統とは、ひげなし 赤ひげ 白ひげとはっきりわかりやすい外観の違いをもっている。 一本髭と名付けた現象はどちらの色のヒゲにもある。 おそらくこれはいくつかの種が混じり合っている。 昔の習慣で種をもらってはまた何かを返すという中で混じり合ったのかもしれない。 でもこれもまた有りではなかろうか。 古い品種であることは間違いなく、今後交雑して在来種として固定するかもしれない。 数年付き合ってみよう。

ナスとトマトのカルトッチョ

イタリアン食堂の新メニュー ナスはイタリア在来種との交配品種の丸茄子。 今年私が作ったもの。 昨日初めて食べたが、相変わらずシェフの料理は旨い。 でもこのナスは後一回くらいの収穫で終わるのでメニューから消えるのは早いでしょう。 カルトッチョはイタリアで紙包みの意味。 ナスとトマトソースとチーズを紙で包んで焼き、ハーブとかぼすで食す。

ファッロの芽がでる

知らぬ間に10cmほどの芽が出ていた。 予定より一ヶ月早くの早期栽培の実験。 麦の早期栽培は最初は育成がいいが、収量が少ないとの報告があった。 私は自分でやらないと信じない。 多くの情報はやった事がないのに、何かの情報を元にやらないがいいという類が多い。 早期栽培で気になるのは雑草が多いという事。 11月頃寒くなれば畑の雑草も枯れていく。 ファッロの栽培で一番のネックは籾摺りだという。 普通のゴムローラーによる圧力での籾摺りでは何度もやる必要がある。 籾がらがとても厚いのだ。 ジェットファン方式なら綺麗にできる。 買う必要があるが。 現在ファッロはレストランの生パスタとパン用に考えているのでそう多くなくてもいい。 収益としてはまだ考えられないので、普通の小麦も植える予定。

来年は二期作

台風を考えながら思っていた。 二期作にしようと。 ひこばえ二期作ならこの地でも可能だろうと踏んでいる。 5反を二期作にするなら、ひこばえ稲も反3から5俵が可能という。 5反が7.5反となる。 1反は水稲糯にするので5反でこれまでのお客様に届けなければならないからこの方法がいいだろう。 同じ水系でも圃場が変わると米の味が変わるのはよく知られたこと。 父がこの田んぼを宝の田だと言っていたのがよくわかる。

障害者との一日

障害者の仕事の指導を頼まれる。 これはこれは、 責任があるので付け焼き刃で知的障害のやる気のなさについて調べた。 今回の仕事はこれである。 自分も障害者ではあるがパターンが違う。 まずは見ることから始める。 確かにやる気のないそぶりをする。 しかしそれはメッセージに見えた。 一通りの作業を無言で見ていた。 いろいろ問題はあるが作業自体は丁寧であった。 これは簡単かもしれない。 そう思った。 まず私は褒めることから始めた。 反応がすぐに変わる。 反抗的な態度は消え、丁寧さが増した。 ゴンゴン ガタガタと音を立てた行動もなくなる。 いいことを一つ一つありのままに褒める。 その後出来ていないことを上から目線ではなく伝えた。 コミュニケーションができる様になると、仕事の動機やなぜサボるのか、どこでサボるのかなど、心を打ち明けてくれる。 仕事は丁寧に進める。 順番は独特だが問題ない。 その日1日完璧な仕事をしてくれた。 なかなかない経験であったが、私の方が得たものが大きかった。

稲刈りの理論値の修正

やはり遅れて出た穂の成熟スピードは早い。 どの様にして早くしているかというと粒が小さいのだ。 なので熟れるまでの時間が短く、同時期とまでは言えないが青米までには追いつくし、しっかりと熟するものもある。 今年は積算温度1200度の5日遅れにしたが、2日遅れくらいで丁度いい。 来年から出穂期から44から45日で刈り取ることに変更。

刈り取りの時期

コンバインのa氏と稲を見ながら刈り取りの時期を考察。 実に経験豊かな方だった。 私の知ってる全ての問いに的確に答えるし、本人も実践している。 私は中干しなしも試して見たが、中干しした方がいいという一言が印象深かった。 まさかメダカがいるからなどとは言えなかったが。 糯も陸稲も麦もお願いできますかといったらいいよの一言。 頼もしい味方ができた。

後三年

あと3年もすれば自分の農の基本ができるだろう。 農業としての生業が成立するかはこの3年で決まる。 本当は米が早い。 儲からないと言っても利益は確実にある日本人の主食という作物だ。 要は面積。 最低でも3町ないと農業としては成立しない。 しかし借りるとなると色々気苦労がある。 私はそういう事が苦手だ。 今ある1.6町で収益を上げた方がいいかなと今は考えている。 基本は3本 田んぼでの米 畑の麦 後はトマトやバジルを中心に その季節の野菜 卸は一般とレストラン、無農薬専門買取店、ネット なんだろう 作物のつくり方はユニークだが、流通を含めて月並みだな。 農業として拡大しすぎないやり方もあるにはある。 レストラン展開も考えてはいる。 一つの財産は、私の田畑は無農薬の期間が非常に長いということ。 一部はこの地に来た500年前の先祖の頃から変わらない畑もある。 畔を歩くだけでわかる。 隣の除草剤を撒く畔にはない多様な植物が生えてくるのだ。 この財産は実はもっとも大切にしている。

変化

何となくテレビを見ていた。 フランスでは17世紀に食への変化が起きたという。 生きるために食べるから、食べるために生きる。 面白い。 実に面白い。 今日本は食べるためだけに生きてはいないが、食べる事はとても大事なことには変わりない。 贅沢な美食志向もあれば健康志向もあり、食については多岐にわたる。 その起源が17世紀から始まったのか。 なんだろうな、少しこのことについて考えてみよう。 なにか閃きそうだ。

台風か。

この地で台風は避けられない。 唯一の方法は早植えと品種の選択 。 早刈りをしようとライスセンターに相談に行くが、やはり今日の刈り取り予定は一杯であった。 こうなったら心配するのはよそう。 いつもの様に見るのみ。 ゆっくり観察するとする。 家の稲が倒れるか倒れないか実は見てみたい。 中干しなしで育てた分蘖数の多い稲の風への耐性を。 それともう一つ。 雨である。 実にタイミングかいい。 落水してからも土中の水分量はある程度は必要。 それを用水路から水を入れてしまうと入れる時間、引く時間が長すぎて土が軟らかくなりすぎる。 雨が一番いい。 台風の雨は過剰だが、植物の稲としては恵みの雨かもしれない。 台風名  台風第24号 (チャーミー) 9月30日九州接近

フローズンワイン

私はいつもビアンコ 凍らせたワインをシェイクして程いい氷の粒になったらワイングラスに注ぐ。 旨いな。

森のくまさん くまさんの力

食べた感想では味がある。 でも食感がボソボソとして、炊き上がりの艶がない。 おそらくタンパク質が多いのだろう。 にこまるはタンパク質が少なく、艶がある。 あっさりしいて、うまい。 ヒノヒカリを基準にこの地での適正を考えて選んだ。 この種を育て方や肥料ではなく、更にうまくしようと考えている。

ヒト ハ バラバラ

それがいい 私などメダカに餌をやることなど、しかも毎日なんて出来はしない。 忘れてるし、やらんとこか? などと考えてしまう。 それでも生きてるから、ほう、などという始末。 精密さとザッとしてるのが、私の中にはある。 全く褒められたものではない。 近くの去年大喧嘩した友人は、愛情を持ってメダカを育ててくれる。 だからなん匹かちょうだい、と言ってもくれるし、その前に生きてる。 人はもっと多様になるべきだ。 まあ、私が心配しなくてもそうなってるようだ。 人類は生き物だから、いずれ滅ぶ。 その終末論を覆して欲しいものではある。 それを認める事が皆が幸せになるという人間しかない 思い、 に繋がる。

ちょっと待って

え、台風。 進路が九州に変わる。

人類の多様性

人類が進歩する力を少し遅らせ、ゆっくり文化を熟成させる機会をつくれないだろうか。 寓話や魔法、そのようなファンタジーが子供達に信じられるような環境ができないだろうか。 そう、たまに考えたりする。 大人の環境と子供の環境が現代では同じになっている。 子供にしか見えない世界があるのに、モニターだけ見ている。 こう書くと批判めいたニュアンスに捉えられるが、そうでもない。 事実を書いている。 批判は私が疲れる。 大きな川の流れは止める事が出来ない事位知っている。 でも流れにまかせると居つくメダカがいないように、違う流れを作らなければ種は滅ぶ。

月の波動を浴びる

太陽の波動は大きなエネルギーだが月の波動は反射光なのでまたリズムが違う。 月の波動を浴びると安らかになる。 今宵は満月 暫し月を見る。 蟋蟀の音が響き、田んぼが見え、山の合間に月が浮いて居る。 電線を五線譜に例えるなら、ラからファへとゆっくり沈むまで。

稲は多年草

今年からの実験で一番興味があるのがこのテーマだ。 昨年の秋の稲刈りが終わると同時に耕起をせず水を入れ冬期湛水し、春の代掻きまで水を入れていた。 気になって稲株を掘り起こすと稲の根が白かった。 つまり生きていたのだ。 稲の原種は多年草だが、品種改良された今の米もその性質を持っているらしく、冬期湛水、不耕起の田んぼでは芽を出し、実をつけ、収穫まで出来ると言う。 http://shin-daikazoku.sakura.ne.jp/hatakekensyukai/?p=1130 種籾も苗作りも田植えもいらない。 どこで実施するかが問題だが、常時水が流れ、水を引く事ができる田んぼはこの辺りでは私の田んぼが最適だ。 5反は川上にあり、独立した田んぼで水を入れても他の田んぼに水が漏れるなどの心配が全くない。 私は最終的にはそれを行うだろう。 スクミリンゴガイによる除草と稲刈りを頼めば80歳の老人になった私でも出来よう。 まあ面白い。 そう考えると老後の不安はないか。 いろんな意味で面白いテーマ。 80迄あと26回の稲作実験ができる。

居た居た

めだかの追跡 流れの急ではない用水路に数匹いた。 これで良し。 数匹は一夏で数千になる。 意外と生き延びるものだな、と暫し見ていた。

なるほど

雑草と同じく手を焼いたものに害虫があります。浮塵子 (うんか) 、螟虫 (めいちゅう) 、二化螟虫 (にかめいちゅう) 、横這 (よこばい) など多くの種類があり、蝗 (いなむし) と総称されてきました。毎年夏には害虫退治の行事である虫追いをしました。 近世後期には油を使用した害虫退治の方法が発明されました。田んぼに鯨油や菜種油などを注ぎ、油が一面に広がるのを待ちます。その後、長い棒や笹で稲の葉を静かに払うと、虫は油に落ちて死にます。 http://www.tanbo-kubota.co.jp/foods/tools/09.html  

群落

もち米の選別をしている時にふと思いつく。 陸稲の密植栽培はどうか? 稲にもアレロパシーはあると最近の研究で報告される。 アレロパシーは特定の植物が他の植物の発芽を抑制する化学物質を出す事による発芽抑制効果をいい。 マメ科が知られる。 今年のばら撒きは10cm平方を目標に蒔いた。 結果は雑草優勢。 しかしこぼれ種による水稲栽培を見た時に非常に雑草が少ないことが気になっていた。 こぼれ種栽培は非常に密植。 除草剤かもしれないが可能性はある。 群落で育つ稲が本来の姿ではないか。 稲の原種とされるオリザ・ルフィポゴン(学名: Oryza rufipogon)はそうである。 来年の陸稲糯ひたちはたもちの種は確保できた。 5kgと少ないが慣行栽培の様式を真似る前に試して見たい。 除草しない陸稲の群落を夢見る。

解決

マイマイガの幼虫の大移動でどこに行くか追跡した。 半円状に広がるが、落ち着く先は稲ではないらしい。 次の餌場はカラムシだった。 そういえばこの草によくいる。 たまたま切り残していたカラムシの土手があった。 そこに集中している。 殺そうと思ったが、稲刈りまであと12日。 よくある光景でさほど大量でもない。 恐らく食い尽くすだろうが様子を見ることにした。 50匹位は踏み潰したが、気分良くない。 殺生はしないに限る。 そうすると相手が寄ってこない。 50匹の幼虫君、 私の寝床に来ないでくれ。

マイマイガの幼虫 大移動

近くに桜の木がある。 マイマイガの幼虫がいる。 気味の悪い毛虫。 こともあろうに私の田んぼへ大移動して稲の茎につかまっている。 この毛虫、稲の葉も食べるらしい。 私は毛虫は大の苦手。 これを駆除する必要があると私が判断したとき、どうすればいいのだろう。。

目標は5町だが

米だけで生活するなら5町は欲しい。 それでやっと年収500万から800万のラインに収まる。 しかし人を雇うならその倍は欲しくなる。 阿蘇で20町やっている会社があるがそれ位は会社単位では必要だろう。 現実的には大津や木山から益城にかけての田んぼを借りなければそのような面積はこの西原村にはない。 無農薬で単価を上げようと考えた時期があったがそれはやめた。 主食としての米を作りたい。 プレミアムとか興味がない。 来年は6反から1町にしたい。 候補の4反はあるにはあるが荒れ方がすごい。 いっそのこと白川水系の大津、菊陽あたりを見てみたい。 広い田んぼが計り知れなく効率がいい。 品種の適性をきっちり選べば熊本の平地でもうまい米が出来ない筈はない。 熊本県産のコシヒカリを取り寄せ食べている。 どれも驚くほどのうまさはない。 気候の変動は日本では高温化に向かっている。 品種の適性が一番理にかなう。 しかし在来種の糯で来年は苦心したい。 今年見ていて高温や干ばつに弱いと見た。 来年は水稲にして温度を下げ水を補給させる。 在来種の野稲とはいえ稲の原種はもともと水辺の植物または水を好む植物。 乾燥した畑で植えだしたのは人間の都合のように思える。 田んぼを作り出した縄文、弥生の人々は素晴らしい発明だが、よくその植物を観察していたのだろう。 話をもどす。 基本的には田んぼの作付け面積は可能な限り拡大したい。 無農薬 無化学肥料 無動物性肥料で水質と環境にいい耕作をしたい。 無論ひとりでは無理だがそのような仲間か組織を考えている。 だめならひとりでやれるだけやればいい。

矢車菊

その種子を植える。 思い出かな。

こりゃ 大丈夫ばいた

84歳の農夫が私の田んぼの畦を歩いていた。 地震で引っ越しされた男性だ。 私が声をかけた。 色々と話す。 なるほどねー、と74年前というこの辺りの情景を話してくれた。 このおじいちゃん結構好きだな。 稲に関して疑問に思うことをいくつか聞いた。 的確な答え。 まあ大丈夫。 窒素が多すぎたかな。 という。 無施肥でも窒素が多ければ窒素過多。 そうそう、そうだそうだ。 さすがだな。 年の功はすごい シャーシャーと話す。 さもありなむ。

臆病

私はかなりの臆病だ。 次男もそう。 でも次男に言ってやったことがある。 臆病だから見える世界がある。 というか臆病でないと見えない。 不安は無知からくる。 それがわかれば知ればいい事。 臆病だからこそ用意周到になる。 色々考えシュミレーションしたらいい。 と、いつか言ったな。

bianco

ワインといえば白 皆んなは赤というが私は白 写真にまつわる理由があってネット上ではとても言えない。 たらたら走る軽自動車がいた。 たら、たら、った。? 止まった。 何このおっさんと思い追い越すと、、寝てる。 なんか飲んでる、酒やないか。

わかりにくい

稲刈りのタイミング 出穂期がバラバラなのでいつにするかを理論値で考える 積算温度や出穂期からの日数、品種の特性 通常だと今年は晴天が続いたので積算温度1200度 42日でいい 出穂の日差はおおよそ1週間 にこまるの刈り遅れによる変質が6日後から リミットは計算上は48日 その時青米は41日 39日以下は青米が20%以上になる なので出穂期から48日で刈り取ると大まか全てがセーフ 次に観測値 稲の穂は出穂期が違っても遅れた穂は先に出た穂に合わせるように熟れていくようにみえる つまり遅れて出た稲穂は熟れるのが早い 次に経験値 昨年は天候の具合で出穂期から50日で刈り取る 大きな問題はなかったが、後半ウンカ被害に見舞われる 落水からの日数が長くなると稲体が弱り害虫被害が出やすい 理論値 観測値 経験値から50日より短く、40日がにこまるの積算温度で最短 安全値は47日前後あたりに思える 後は稲穂の黄化具合を見るしかないな 仮だが10月5日稲刈りに設定 コンバインが欲しいものだ

さもありなん

稲刈りをマツのみ。 心境的には次の作物に興味が移行している。 麦だ。 これまで麦といえばライ麦と燕麦の経歴がある。 至って簡単で蒔くだけで育つ。 ファッロはエンマー小麦とスペルト小麦の種子が混ざってる場合があります。 との表記 イタリア人らしいがそうなるだろうと個人的には了承。 産地化について仲間と話してきた。 万次郎かぼちゃより魅力的なものを作りたかった。 ファッロの種を無料であげた。 話し合いしたいねと言葉のタネを蒔いた。 実現しますように。

ビオトープ

田んぼではなく本当のビオトープが必要。 さて、何処にするか。 幸い地震以降作らないで放棄してある田んぼはあるにはある。 本人が了承してくれるか、 ほぼ期待できないであろう。 そうか、 数十年後私の田んぼをビオトープにすればいい。 その頃はもう田んぼを作る力もないだろう。 でも本来のこのエリアの生態系を子供達に見せる事はできるな。

元も子もない

大雨が降る 水かさが増す 河川の構造が護岸工事で単なる用水路となっているため、一気に水が流れてしまう。 浅瀬や淵、岩、葦、蛇行する川、土や岩の用水路など生物たちが避難する場所が昔はあったが、今はこの村にさえない。 めだかは何処に行ったのか、生きてるのか ただ濁流が轟々と唸りをあげる

ファッロの種が来る

7千年とか9千年前から変わらないスペルト小麦の一種で中粒の麦。 Farro ファッロはイタリアでの呼称。 ドイツではDinkel ディンケル、スイスではSpelz スペルツ FRANCHI社種子 100g 1000円と高い。 在庫が400gあったので全て購入する。 種場で作付けして大量の種を収穫する予定。 一部を粉にして生パスタやパン粉としてシェフに試してもらう。 原種や在来種には単なる農産物として以上の興味がある。 おそらく普及していない理由として日本の気候に合わないのかもしれないが、試す価値は十分にあるだろう。

一本髭

在来種の糯の成り立ちが面白い。 先端の穂先が実をつけたまま一本だけスーッと伸びる。 長さは5センチくらい。 ユニークな稲だな。 見たことがない。 在来種の呼称を考えていたが、形容を優先して 一本髭 にした。

なんかつかれる

訓戒めいたことを書くと疲れる。 訓戒じゃないけどねー やめた。 今日精神科に行った。 先生は頼りにならないのでいつも薬剤師と話をする。 なかなかユニークな薬剤師で気があう。 アスペルガーを薬剤師の立場から聞いていた。 アスペルガーには薬はない。 ただ落ち着かせるためのものを処方したりはされますね。 とか、 聞けば自分の子供も障害を持っていたり、自分もそうだという。 お互い、わははと笑う。 あーあ 黙っとこうと思っても黙っとけない。

若いこと

全てが魅力だ いいんだよ 我が道で こころから思う事は必ず達成する それでいいから 進め 失敗するだけ楽しむ事 その先は、君にしか見えない世界が待っている

なんでも楽しいのだが

いつでも人の観察をする。 癖だ。 でも私は他人に対して、それが悪いと言ったことは余りない。 そこには興味がない。 ただ聞いている。 人がキツイという言葉をよく耳にする。 朝からチオビタ飲んだという。 よくわからないが自分環境の設定が私とは違う、な、。と思う。 たぶん 人間は 環境や境遇や運命?や状況や、、 何だろうな それは自分自身で設定しているだけだと思う。 花が咲いていた。 米の花が、 深水の稲の種は太く大きく大家族で育ち 畔の零れ種は細く一本の実をつけた。 元は同じ種だ。 私は種なのか、それを蒔いた人なのか、それとも観察者なのか。 人は種じゃないけど高度な思考ができるから何にでもなれる。 そう思うと楽しくなります。

可能な作付け

 条件  無農薬 無化学肥料 無動物性肥料  露地栽培  
 4月   陸稲もち    ひたちはたもち              茄子               フィレンツェ 5月   水稲もち    在来種       水稲うるち   にこまる       かぼちゃ       万次郎かぼちゃ(保留)       バジル        スイートバジル                                      黒バジル             トマト            サンマルツァーノ                コストルート・フィオレンティーノ        紫蘇               在来種赤紫蘇             ...

所感

そうだな よく動いてる毎日 年内か来年までには収入の基礎を固めようと動いてるが なにぶんそれだけで動く性分でない 環境なんかに興味が行くのはもう性格だから仕方ない 写真の方もちらほら頭の中で浮かんできている とはいえ収穫はこれからだからさらに忙しくなる 平和といえば平和であり 幸福なんだろうと思う たまに障害を発しているが、大きく狂うこともない あんな時間もうごめんだ まあ必ずやってくるが でもあの時間を知ってるから今動いてるとも言える それくらい苦しいものだった 私は生物や植物に興味をもっていたほうがいい 他人に興味を持つことはやめたがいい 稲作文化圏と麦作文化圏では民族の文化 歴史が大きく違うという 稲作文化圏は忙しくて戦さをやる暇がなく、調和が大切なので平和的であり 麦作文化圏は基本的に撒いたら収穫まで手が入らず個人主義になり好戦的だと 連鎖性があるのだろう そうだな、 所感 私は今精神的には冷静のようで、ものの見方はまだ公平ではないのかもしれない。 主観性と客観性を垣間見るのが写真家の仕事なら、 一度白紙にするか、 違う 立つ位置 角度 切り取り から見る必要がある気がする。

まだ青い

稲刈り予定日まであと二週間と少し。 稲穂はまだ青い。 出穂期からの日数も積算時間もその辺りになるが、まだまだのような気がする。 昨年は天候の関係で出穂期から50日目で稲刈りであった。 約10日以上過ぎて収穫したが青米が多めであった。 やはり稲体が決めた分蘖数なので最初と最後の出穂日が違い、熟れるまでの時間差があるのは仕方ないことだ。 この辺りはベテラン農家は嫌う所だろう。 私のやり方はこれが嫌な人には普及しないと考えられる。 しかし結果は美味い。 青米が混ざらないと米は美味くないということを農家は知っている。 おそらく遅刈りは美味しくない事を言ってるのだろうが、実際青米が多少ある位で稲刈りした方が美味しいのだ。 この青さならやはり今年も出穂期から50日ではないだろうか。 そうすると10月10日前後となる。 経験の浅い私は観察と情報でクリアしていくしかない。

film

何千カットも撮れるデジカメより、36枚しか撮れない35mmや12枚しか撮れないブロニーや2枚しか撮れない4x5の方が生理的にはいい。 私は64GBを1日で撮れるまで撮る癖がある。 終わりがなく疲れるし、使うカットはフィルムと変わらない。 あと12カットで撮らなければならない緊張感がいい。 さてフィルムも富士フィルムはモノクロ関連を生産中止する。 東欧やイギリスのいいフィルムがあるので困りはしないが悲しいものだ。 特にアクロスは相反則不軌が少なく長時間露光の多い私には重宝したものだ。 いずれ早いうちに全てに近くなくなるのだろう。 人類の大きな損失とも言える。

もちの稲刈り終了

家族3人で古代式稲刈りで臨む。 2時間ぐらいで終わってしまった。 結果は笑える量で、来年の種籾4kgと1回分の餅つき位は確保。 まあいいや。 陸稲のもちの味が如何程なのかわかるだろう。 在来種のもちはまだ青々とした穂だ。 交雑させる前にそれだけで食べて見たい。 この種を水稲で育てる方が面白いかもしれないな。 なんだろうな。 私は稲や麦などの穀物に対して非常に興味があるようだ。

無農薬について

若い農家の人は今現在慣行農法をしていても興味があるらしい。 市場には無農薬でなくては売れない、売らないというマーケットがすでに出来上がっている今、無農薬であることはひとつの農法として確立し広まりつつある。 過半数を締め、それが当たり前だという環境になることが目的だ。 しかし全く相手にしない農家は高齢者の農家の人々だ。 聞けば変える気は無いという。 ある意味仕方ないが、どうしたら興味をもたせられるのか見ていた。 冬期湛水に興味はなくても環境保全事業から補助金が出たり、収量が増えるとなると、話は違うようだ。 水源近くの滝部落、小野部落では環境保全型農業直接支払交付金などを活用している。 私は全く申請もしてないが、私としてはどちらでもいいので、環境に良き方向に進めばそれでいい。 高齢者の方が殆どである今、高齢者が動くことがもっとも大切だと考える。 農薬の実態をつぶさに観察できる環境にあるので結果を報告するが、 やはり圧倒的に多いのは除草剤だ。 田んぼの中はもちろんだが、最近は畔の除草剤散布が年間数回行われている。 殺虫剤の使用は殆どなく、殺菌剤がこの谷の圃場面積の内、3割位で実施されている。 年1回位の散布が多い。 なので農薬は殆どが除草剤と考えていい。 この谷には下流域半分はスクミリンゴガイが居ついているので、本来は田んぼの中の除草剤は必要ない。 しかしこれも皆半信半疑だ。 私が実証していても試す気はないらしい。 どうしてだろうかとは私は思わない。 それはそういうことだと受け止める。 長年やってきた経験は農家一人一人の自信でもあるのだろう。 そう安安とは変えるまい。 畔切りについては労力の問題だから跡取りが継ぐかどうかだ。 跡取りである我々が経済的に結果を出せば魅力の一つになるだろう。 最近では一つ飛びして孫の代が継ぐ例もこの村で見るようになった。 あと法人や行政など組織的なことは、私は苦手なので他に任せるとする。 無農薬が当たり前の社会をこの村で実現させるためには色んなハードルがあるが、そう高くも無いと思う。 作物が農薬がないと出来ないなら大きなハードルだが、地理的条件が合えば意外と簡単に出来てしまう。 無農薬 無化学肥料 無動物性肥料でどこまで出来るか実証実験していくのみだ。