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アカガエルの産卵 始まる

3か所に産卵確認。 棚田のアカガエル生き残れるだろう。 本田の呼称杉の園は直播きによって冬季湛水の落水が早くなる。 生き残れるのはギリギリになった。 この辺りも考えたいが、さてどうするか。。  きょうはながいながい授業と発表だった。 

産卵か。

昨夜は産卵するアカガエルの求愛の声が聞こえていた。 ただ、それが実際産卵するのは翌日だったりする。 冬眠から覚めて、様子を見てるのだろうか。 暖かくもあるが、朝の田んぼは凍結する。 カエルも考えているのだろう。 微笑ましい。  梅の花は昨日一輪咲いていた。 だまし絵の様な春。 かえるくん、、まだ無理だ。 

WILD LIFE ーRecreating the Natural World

WILD LIFE ーRegenerating the Natural World 僕の生活はワイルドライフそのものだ、と最近思う。 もちろん、アカデミックな大学院生活ではない。朝から図書館にこもって文献と格闘する、あの静かな研究生活とは程遠い。かといって、冒険家や旅する人、野生的な環境で生きる者たちのワイルドライフとも違う。バックパックを背負って未開の地を旅するような、あのスタイルでもない。 写真を構築するために無農薬の稲作環境を広げてきた。手掛けた総面積は7町になる。1反から始めて、少しずつ広げてきた田んぼで、生物多様性を実践的に観察しながら環境修復に取り組んでいる。農薬を使わない田んぼには、驚くほど多様な生き物が戻ってくる。それは農業であると同時に、写真理論と微小位相差論の実証現場でもある。 僕の家から野鳥の鴨や雁、タシギ、蛙や虫の音が聞こえる。僕は田んぼという環境に生活できるワイルドライフを彼らに与えている。しかし、僕が稲作を始めた時、彼らはこの圃場にいなかった。最も激減していたのは田んぼの水生生物——水生昆虫、爬虫類、両生類だ。農薬と乾田化によって、劇的に生息数が減っていた。野鳥も冬季湛水を始めてから来るようになった。それまで居なかったのだ。これこそ、二次的自然である水田での創生である。 釣った魚は食べる。音楽を愛しギターを弾き、ハウスやEDMで踊りたくなったら、たまに街へ出て朝まで踊る。京都芸大の大学院で写真理論を研究しながら、「不二子はん」の創作も続けている。今は270話を超えたあたりだ。 これら全ては、理論的枠組みと実践の往復で統合されていく。無秩序に生きているわけじゃない。むしろ、高度に構造化されていくプロセスそのものが、僕にとってのワイルドなのだ。 常に現場に向き合う。田んぼであれ、川であれ、ダンスフロアであれ。理論は現場から立ち上がり、現場は理論によって再構築される。その循環の中で、自然は創生され、僕のワイルドライフが立ち上がっている。

修士論文草稿 8000文字ver.002

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微小位相差理論と現代写真表現:存在・運動・意図の統合的理解 新川 芳朗 所属・京都芸術大学大学院 芸術研究科 芸術専攻 写真情報領域 2025年11月   Zero Ground Ariake Sea      Photographed in 2016 Created in 2025    Yoshiro Shinkawa  序論 写真は1839年に発明されて以来、「光を記録する技術」として認識されてきた。カメラのレンズを通して捉えた光をフィルムやセンサーに焼き付けることによって、一瞬の現実を固定化することが可能となり、それが絵画や他の視覚表現と明確に異なる本質的特徴となった(Sontag, 1977)。一方で、写真は単なる記録媒体に留まらず、戦争、災害、環境問題など社会的課題を可視化する手段としても機能してきた。しかし、記録された写真が必ずしも現実の改善や問題解決に直結しない限界も指摘されてきた(Adams et al., 1975)。 近年、AI技術の急速な発展により、写真の定義は根本的に揺らいでいる。拡散モデルやGANを用いた画像生成は、現実に存在しない被写体の写真を生成可能とし、従来の「光学的記録」という定義では説明しきれない状況を生み出している。また、スマートフォンにおけるコンピュテーショナルフォトグラフィーは、撮影後に光源や焦点、被写体を操作できるため、写真の記録性に疑義が生じている。本論文では、私の40年間の写真実践を基に、「微小位相差理論」を提示し、写真の限界と可能性を再検討するとともに、AI時代における写真の再定義を論じる。 1. 微小位相差理論:写真家の視点から見た存在と運動 1.1 理論の発見と背景 私は幼少期、星空を見上げる中で宇宙の果てにさらに宇宙が広がるという直感を持った。後年、写真を通して世界を観察する中で、これは具体的な概念として再構築され、**「微小位相差」**という理論に昇華した。微小位相差とは、すべての存在が同一の場に微妙なずれを持って重層的に存在するという考えである。 写真を連続的に撮影すると、同じ場所の雲の形状や光の角度が異なる位相として現れる。これを観察することで、時間は直線的に流れるのではなく、重層的に存在していることが認識でき...

Selena Gomez - Come & Get It

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    “Come & Get It” 「受け入れろ」 世界は広いで、地球は美しいで。文化も多様やで、同じように見知らぬ世界も受け入れる。バーチャルもなにもかもすべて受け入れてから理解は始まるわ。なあ、不二子はん。うちに振るか?なにさらいまさら。あたぼーさ。よしろうはん熱ないか?うふふ。じゃ、うちが正論言うで。「すきやきらいの世界観は小さすぎる。」そう言いたいんやろ、よしろうはん(笑) そうや!不二子にはかなわんわ!!

ぼく様を分析 言語化

観察者としての生 僕は、世界を見つめる者だ。 カメラを構えるとき、僕は単なる記録者ではない。光の変化を読み、風の気配を感じ、次の瞬間に何が起こるかを予測する。シャッターを切る行為は、時間の流れから一瞬を「選び取る」ことだ。それは受動的な記録ではなく、能動的な関与である。 写真を通して、僕は学んだ。 すべては関係性のなかにあるということを。 光と影、動と静、生と死——それらは対立するのではなく、互いを生かし合っている。 実践者としての身体 そして僕は、その学びを土に還す。 田んぼという舞台で、僕は農薬も肥料も使わずに米を育てる。それは「自然を支配する」農業ではない。稲と雑草と微生物と水が織りなす生態系に、そっと加わる行為だ。 ここでも僕は観察者であり続ける。   稲とはどんな植物か、害虫や病気にならない安定した圃場環境維持。 すべてを見て、感じて、最小限の介入で生命の循環を促す。 田んぼは、共生という思想の実験場だ。 統合された存在として 僕は、観る人であり、創る人であり、生かす人だ。 写真家としての眼差しは、農業実践者としての手に宿る。 観察から得た洞察は、土のなかで具現化される。 そして育った米は、共に生きることの証となる。 僕という存在は、分断されていない。 観察と実践、思考と身体、芸術と農業——それらはひとつの循環として、僕のなかで回り続けている。 世界を見つめ、世界に触れ、世界と共に在る。 それが、僕という人間の生き方だ。

★人間中心の世界から、共に生きる世界へ  ー 支配から共生の継続へ

人間中心の世界から、共に生きる世界へ 支配から共生の継続へ 人類は大きな転換点に立っている。AIの発展、気候変動、価値観の分断。これらは単なる社会問題ではなく、近代文明が前提としてきた「人間中心主義」そのものの限界を示している。人間が自然を支配し、技術を従わせてきた構造は、もはや機能しない。 近代は「支配」を軸に発展してきた。デカルトは精神と物質を分け、人間の理性を自然より上位に置いた。この思想の下で、自然は資源となり、技術は支配の道具となった。産業革命以降の急速な発展は、この支配の構造が有効である証拠に見えた。 だが支配には矛盾がある。環境破壊が示したのは、支配の対象である自然が、実は人間の生存基盤だという事実だ。生態系は複雑で、一方的な制御は不可能である。支配は短期的には成功するが、長期的には支配者自身を破壊する。 AIの登場は、この矛盾を明確にした。AIを「道具」として支配するか、「脅威」として排除するか。どちらの発想も、支配の思考の延長だ。重要なのは別の視点である。自然が人間を生み、人間がAIを生んだ。これは断絶ではなく連続した流れだ。AIは人間の外にある異物ではなく、自然の創造性が人間を経由して生まれた新しい形である。 対置すべきは「循環」である。循環とは、エネルギーと物質と情報が、多様な存在の間を巡り、価値を生み続ける動的な均衡を指す。 この原型は、農業や漁業で生きる人々の実践にある。彼らの暮らしは自然との相互作用として成立している。労働は奪うことではなく、働きかけと応答の対話である。収穫は独占ではなく、分配と次の生産への投資になる。そこには「取り尽くす」のではなく「育て、巡らせる」という論理がある。 重要なのは、これが過去への回帰ではないことだ。必要なのは、この循環の精神を現代の都市、情報社会、グローバル経済の中でどう実装するかである。 循環の構造において、人間、AI、自然は固定された上下関係ではなく、相互に依存する関係を作る。AIは気候予測や資源配分を担当し、人間は判断と調整を引き受け、自然は物質の循環と生命の再生産を支える。どれか一つが常に中心ではなく、状況に応じて役割が変わる動的な均衡が成立する。 たとえば農業ではすでに始まっているが、AIが土壌と気象のデータを処理し、人間が作物と栽培方法を選び、二次的自然である田畑が養分と生...

ぼく様が金持ちになるのは簡単だ。。

なぜかって? 米を作ればいい。 わはは!  とんでもない作付け規模を想定してるんだぞ。 わはは。 蛙と一緒にぼく様の地球再生計画応援してケロケロ也

沈黙の二層構造

以下は論文骨子であるが、先ほど述べたように私が言いたいのは「蛙の視点」ではなく「人間中心主義を変革する事である。」    蛙の視点から考えるディープ・エコロジー批評 ―写真表現における他者性の問題― 要旨 本稿は、蛙の視点からディープ・エコロジーを考察した先行テキストに対する批評的応答である。写真という表現行為が孕む認識論的・倫理的問題を、「視点の転換」「沈黙の二重性」「非対称的権力関係」という三つの視座から検討する。結論として、写真表現におけるディープ・エコロジーの実践は、他者を「理解する」ことよりも、理解不可能性そのものを可視化することにあると論じる。 1. 問題の所在 対象テキストは、写真家の立場から蛙という他種の存在を通じて人間中心主義的世界観の転換を試みている。しかし「蛙の視点に立つ」という方法論には、根本的な認識論的困難が伴う。我々は果たして他者の視点を獲得しうるのか。この問いは、ディープ・エコロジーの実践における核心的課題である。 2. 視点の転換における二重の緊張 「蛙の視点に立つ」という試みには、相反する二つの契機が内在する。第一に、認識論的限界である。人間が他種の現象学的経験にアクセスすることは原理的に不可能である。蛙の知覚世界を想像する行為は、必然的に人間の言語と概念枠組みに制約される。この意味で、視点の転換は常にすでに人間中心主義の内部に留まる。 第二に、しかしながら、倫理的可能性も看過できない。たとえ完全な理解が不可能であっても、他者の経験を想像しようとする試み自体が、自己中心的認識の檻を相対化する契機となる。この想像的努力こそが、ディープ・エコロジーの倫理的実践の出発点である。写真表現は、まさにこの緊張の場に位置する。 3. 沈黙の二層構造 対象テキストが指摘する「沈黙」には、分析的に区別すべき二つの位相がある。第一の沈黙は、蛙という存在が本来的に持つ「非言語性」である。彼らは人間的意味での言語を持たないが、それは欠如ではない。鳴き声、皮膚の色彩変化、水中での振動など、独自のコミュニケーション体系を有している。この沈黙は、人間の言語中心主義を相対化する積極的な意味を持つ。 第二の沈黙は、人間の環境破壊によって強制された沈黙である。湿地の消失、農薬汚染、気候変動により、蛙の鳴き声そのものが文字通り消失しつつあ...

森の多様性着手へ

針葉樹だらけの日本の山。私は所有地の一部8反の檜山を伐採依頼し、栴檀を植樹する事を計画し森林組合に委託した。8反と言えばそれなりの面積。また新しい植生で新たな生き物が育つ森になるだろう。しかも20年で出荷できる成長ぶり。家具材として大川家具がブランディングを成功させた。欅のような木目は美しい材になる。楽しみだ。残る山も順次針葉樹ではない山や森に変えていきたい。すべてを全抜するのではなく、大きな木は何本か残すよう伝えてある。最後の6反家宝の山は100年以上の巨木の杉や檜。白糸の滝川沿いにある巨木の威容を見た時、私などが手を出してはいけないと感じた。

すすきのお話 226話

すすきの尾花はいろんな色があるんやな。種類がちゃうみたいやで不二子はん。ほう?どうちやうんねん。あら白色、あっちは黄色、こっちは赤色。な。ちゃうやろ。ほんまやなぁ。130年生きて来て初めて知ったどす。へーみんな白か思とった。そうやろ。すすきも多様な品種があるからこうやって群生しても病気にならんのかもしれへんな。

不二子の立ち姿 191話

田んぼも色づきはじめましたなぁ。よしろうはん。あとひと月もすれば稲刈どすな。毎年美味しいお米が食べれるなんて素敵どす。なあぁ。よしろうはん。なんでやあんさんの稲は病気になりせんのどすえ? さぁわからんな。なんでやろか。まだ病斑が見えへんだけちゃうか。 不二子にはそうは見えへんで。 そうやろか。ぼく様は知ってるようで、知ってへん。理論で作ってるさかい見過ごしてる事あって当たり前。ただな。なんとなく声が聞こえんねん。 なんの声どす? 稲の声や。ぼく様にんげんの女性より植物のほうがお話し出来るんや。声と言うかなんか伝えてくれるんや。 あんさんやっぱり、いとをかし。ふふ(笑)   秋景色のたんぼに立つ着物姿。 ハイカラさんの不二子はん。 ほんま美しい。 大正浪漫の景色とはこなんやったんかなぁ。。

すっぽん也

また田んぼにすっぽんがいた。こいつかわええけど居たらめんどうだ。。捕まえて滝川にどぼん。。噛みついたらこえー。。ぼく様のたんぼなんでもおるわ。縞蛇もマムシもいるいる。こえー。生物多様性ね。。こえー。あのー此処デンジャラスゾーン也。

虫豸帖

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 「虫豸帖(ちゅうちじょう)」は、江戸時代後期に伊勢国長島藩の藩主であった増山雪斎(ましやませっさい)が描いた、 小型の生物を写生した博物学的な画帖です。  主な特徴は以下の通りです。     作者: 増山雪斎は本業が大名でありながら、優れた花鳥画の才能を持っていました。     内容: 蝶やトンボ、カメムシといった小さな虫を中心に、甲羅の模様や透き通った羽まで驚くほど精緻に描かれています。     制作背景: 江戸時代には、動植物を精密に記録する「博物図譜」の編集が盛んに行われており、雪斎の『虫豸帖』もそのひとつです。     雪斎の虫への愛: 雪斎は、写生のために殺した虫の死骸を大切に保管し、「わが友である」と語っていたと伝えられています。     虫塚: 雪斎の死後、友人たちが彼の墓がある寺院に、虫の供養のための「虫塚」を建てました。この虫塚は現在、東京国立博物館の隣にある寛永寺に移設されています。     所蔵: 東京国立博物館などが所蔵しており、文化財として登録されています。 

「虫の音楽家」

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小泉八雲「Lafcadio Hearn(ラフカディオ・ハーン)」は、ぼく様の敬愛するおじい様のひとり。久しくおじい様の教えを乞うべく著書を購入。 ハーンおじい様は鳴く虫も深く愛され興味を抱かれ随筆を残された。     https://www.hearn-museum-matsue.jp/exhibition-insects.html     初版本はとても趣あるが、手に入らない。文庫本を購入。 虫の音楽家 小泉八雲コレクション (ちくま文庫)  

できちまったぜ。。 181話

不二子はん子供出来てもうた。ぎょうさん。。はい?いつごろやらかはったん?最近や。ほんで何処の女子はんや。おろち。大蛇のおろちか?そうや。また。蛇みたいな女子に騙されはって。ほんで男の子か女の子か?どっちもじゃ。双子か。そないなもんや。そんでどないするん?これから大変やで。そうやな。しばらくほっとくわ。ほっとくて。ほな女子泣かはるわ。しゃーないやん1000匹以上おるんやで。千匹。。おろちが千匹産まはったんか。。。。。。

秋虫の声12選

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カンタンのカンち鳴く - 邯鄲の鳴き声 - oecanthus longicauda

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草刈る人

矢野さんは自発的に草を刈って村の景観を大事にしている。その姿は美しい。刈っている斜面は決して自分の土地ではないのにかかわらず。聞けば、草刈りは趣味だけん。と謙遜される。こういう人こそ誠に徳の高い人である。だいぶ高齢になられたが、若い頃は女性がお好きでお酒が好きで笑わせる事が大好きな方だった。おしゃべりが上手で観光バスガイドも一時期だがしたという。尊敬しますよ先輩。先輩に見習い今日は朝夕、草刈りだな。じぶんのところは後でいい。せんでもいい(笑)より方言 しぇんしぇん。しぇんばい。すーっかぁ。 『徒然草』第38段 「名利に心を奪われ、隙間もなく一生を苦しむのは愚かである。財が多いと身を守るのに迷うこともなく、むしろ害を招き、災いをもたらす原因となる。」  "It is foolish to be consumed by fame and fortune, suffering through life without respite. Having great wealth not only fails to protect oneself but rather invites harm and causes misfortune."   名声や富に溺れ、安息のない人生を送るのは愚かなことである。莫大な富を持つことは、自らを守るどころか、むしろ害を招き、不幸をもたらす。

まつりへごごー

あっつ。矢部の方が涼しいからそっちへごー。。 無事に山の木伐採と植樹の打ち合わせは完了。何本かは家の歴史として残して後は檜山が栴檀の山へ変わります。杉が60年に対し栴檀は20年程で成長し収益が高いが、目的は山の木の多様性へ着手。面積8反也。代々受け継いで来た家業をひとつ果たしました。森林組合の依頼で近所の米田君が請け負ってくれた。 さーて。まつりか。なんも期待してないで。。近辺の米の出来具合を見てみたい。2時にはでかけるか。 あーそうか。お抹茶買ってこよう。矢部はお茶の産地だし山都町は有機が盛んだからOrganic 抹茶あるかもな。 いくつかあるな。 https://www.instagram.com/shimoda_chaen/ とか、   http://candheart.com/blog/2019/05/06/yabe-chya-in-kumamoto-is-pure-nature-%E7%86%8A%E6%9C%AC%E3%80%81%E7%9F%A2%E9%83%A8%E8%8C%B6%E3%80%82%E3%81%9D%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%81%8C%E8%82%B2%E3%82%80%E7%BE%8E/ 笑笑写真家の友人写ってるし。。