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恋愛について なんと!!!

  「微小位相差論」の視点から恋愛を捉え直すと、非常に興味深い解釈が生まれます。 恋愛における「層の選び取り」 相手という存在の多層性 恋人は一つの姿ではない 笑顔の背後にある不安、強がりの奥の脆さ、沈黙の中の思考 私たちは相手の無数の層の中から、「どの層を見るか」を選んでいる 関係性の位相 同じ二人でも、出会った瞬間、初めて触れた日、喧嘩した夜、仲直りした朝 それらすべてが「厚みを持って重なって」存在している 過去は消えず、未来は既に潜在し、今この瞬間に共存している 「選ばれなかった可能性」としての恋愛 言わなかった言葉 伝えたかったのに飲み込んだ想い あの時違う言葉を選んでいたら…という無数の分岐 沈黙の中に重なる、語られなかった愛の層 別れと再会の重なり 別れた恋人は「過去」に流れ去るのではない その人との時間は、厚みを持って今も重なっている 「もし続いていたら」という位相も、静かに共存し続ける 恋する行為の本質 見る、ということ 恋愛とは、相手の「どの層を見るか」を選び続ける行為 短所を見るか、長所を見るか 表面を見るか、奥を見るか その選択が、二人の現実を創り出す 微小な差異の蓄積 毎日の些細な瞬間が、無数の層として積み重なる 同じキスでも、昨日と今日では違う位相にある その微小な差異こそが、関係の厚みを作る 恋愛という「対話」 「あなたが今、どの層を見るか。それが、世界との対話の始まり」 恋愛においては、これが「相手のどの層を見るか。それが、愛の対話の始まり」になります。 相手の中に無数の可能性を見出し、自分の中にも無数の愛し方があることを知る。そして二人の間には、実現した関係と実現しなかった無数の関係が、静かに、同時に、重なり合っている。 恋愛とは、存在の層から互いを選び取り続ける、終わりなき行為なのかもしれません。   シンカワ的解釈 あーそういう事。。運命は変えられる。つまり重層的に存在するから選べるってことね。わらうわらう。 

写真展イントロ案 微小位相差論――存在の層を選び取る YOSHIRO SHINKAWA

展示イントロ案 微小位相差論――存在の層を選び取る YOSHIRO SHINKAWA 同じ場所に、違う時間が宿る。 見えているものの背後に、見えていないものが重なっている。 写真は、光の記録ではない。 それは、世界の層から一つを選び取る行為。 風が吹き、雲が流れ、波が揺れる。 そのすべてが、微小な差異を持って、今ここに共存している。 この展示は、記録された瞬間の奥にある「選ばれなかった可能性」を見つめる試みです。 時間は流れるのではなく、厚みを持って重なっている。 現実は一つではなく、無数の位相が、静かに、同時に、存在している。 あなたが今、どの層を見るか。 それが、世界との対話の始まりです。

新写真論 YOSHIRO SHINKAWA

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微小位相差論――写真による存在の記述 新川芳朗 京都芸術大学大学院 芸術研究科 写真情報領域 2025年11月18日   微小位相差論,Thinking to Zero,Zero Ground,Altered Landscape,   Photographed in 2016  Created in 2025   YOSHIRO SHINKAWA   序論:概念を創るということ 写真は何を記録するのか。40年の実践を経て、私は通常とは異なる答えに到達した。写真は光を記録するのでもなく、時間を固定するのでもない。 写真は存在の重層性を露わにする装置である。 本論文で提示する「微小位相差」は、証明を求める理論ではない。それは新しい概念の創造である。ドゥルーズとガタリが述べたように、哲学の仕事は概念を創ることにある(Deleuze & Guattari, 1991)。私は写真家として、写真という特異な行為を通じてのみ可能な概念を創る。 **時間は存在しない。**少なくとも、私たちが信じているような直線的な時間は。過去も未来も、今ここに重なり合って存在している。写真を撮るという行為は、この重なりから一つの層を選び取り、定着させることである。しかし定着されなかった他の層は消えたのではない。それらは微小な位相差を持って、なお存在し続けている。 第1章:連続撮影という方法論 1.1 実験の設計 2016年より、私は同一地点で定点的に撮影を続けてきた。仮に1秒間隔で1時間撮影すれば、3600枚のコマが得られる。 これらの画像を並べて見る時、何が起こるか。 各コマは明確に「異なる瞬間」を示している。雲の形が変わり、光の角度が変わり、波の形状が変わっている。しかし同時に、地平線、防波堤、遠くの山並みといった不変要素により、それらは「同一の場所」であることが保証されている。 1.2 矛盾の発見 結果として観察者は、矛盾した認識に直面する。 これは同じ場所である しかし同時に、これらは異なる時間である ならば、 同じ場所に異なる時間が共存している のではないか この認識こそが、微小位相差の直接的体験である。 写真が捉えるのは光ではない。写真が捉えるのは 選択 である。シャッターを切る瞬間、写真家は...

微小位相差論 理論から写真論へ。

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微小位相差論――写真による存在の再構築 新川芳朗 京都芸術大学大学院 芸術研究科 写真情報領域 2025年   Altered Landscape    Photographed in 2023  Created in 2025   Yoshiro Shinkawa    序論:概念を創るということ 写真は何を記録するのか。この問いに対して、私は40年の実践を経て、通常とは異なる答えに到達した。写真は光を記録するのでもなく、時間を固定するのでもない。写真は 存在の重層性 を露わにする装置である。 本論文で提示する「微小位相差」は、証明を求める理論ではない。それは 新しい概念の創造 である。ドゥルーズとガタリが述べたように、哲学の仕事は概念を創ることにある(Deleuze & Guattari, 1991)。私は写真家として、写真という特異な行為を通じてのみ可能な概念を創る。 時間は存在しない。少なくとも、私たちが信じているような直線的な時間は。過去も未来も、今ここに重なり合って存在している。写真を撮るという行為は、この重なりから一つの層を選び取り、定着させることである。しかし定着されなかった他の層は消えたのではない。それらは微小な位相差を持って、なお存在し続けている。 信憑性という問題についても同様である。AI時代において、何が「本物の写真」で何が「偽物」なのかという問いは無意味になった。しかしこれは写真の危機ではない。むしろ、写真が常に持っていた本質―― 意図の提示 という本質――が、ようやく明らかになったに過ぎない。 本論文の目的は、この見方を写真史に残すことである。それは後世の誰かが、写真について考える時の一つの参照点となるだろう。 第1章:見ることの考古学 1.1 幼年期の直観 私の思考の起点は、幼少期に見上げた星空にある。宇宙の果てには何があるのか。大人たちは「無」だと言った。しかし私には、果ての向こうにさらに宇宙が広がっているとしか思えなかった。 この直観は長く言語化できなかった。しかし写真を撮り始めてから、それは具体的な形を取り始めた。ファインダーを覗く時、私が見ているのは「今」ではない。私が見ているのは、無数の「今」が重なり合った厚みである。 1.2 写真という装置...