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第12章 帰ってからの不二子はん 617話
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その夜、不二子はんは縁側に出て、月を眺めておりました。 よしろうはんも隣に座っております。 「アンヘレスでも、よう月を見てました」 「そうか」 「遠いところにおっても、月は月や思うて」 不二子はんは、しばらく黙って月を見ておりました。 よしろうはんが言いました。 「同じ太陽で、同じ月やからな」 不二子はんは、よしろうはんの横顔を見ました。 ……へー それだけ言うて、また月を見上げました。 遠く離れていた時間も、場所も、今はもう関係ありませんでした。 アンヘレスで見た月も、 ここで見る月も、 同じ月。 遠く離れた場所から見上げた太陽も、 ここで浴びる太陽も、 同じ太陽。 その当たり前のことが、今夜はなぜか、とても新しいことのように思えました。 不二子はんは、少し笑いました。 「お月さん。今夜はまんまるやわ(笑)」 阿蘇の夜空に、月が静かに浮かんでおりました。
現在はすでに過去である
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The Present as a Field of Perception: Notes on Micro Phase Difference Dear Helena, I have been thinking about the nature of time and perception. What we see is actually the past. Without light, we cannot see anything. Every image we perceive arrives with a delay determined by the finite speed of light, yet we call it "the present." The landscape before us, the people around us, and even the Sun itself are seen through light that carries information from the past. The sunlight reaching Earth left the Sun about eight minutes ago. In the same way, the Sun receives light reflected from Earth with a similar delay. Since light travels at a finite speed, every observation contains a phase difference in time. Even an object one meter away is seen approximately 3.3 nanoseconds in the past. The delay is extremely small, but it is never zero. For this reason, I wonder whether existence and recognition are inseparable from phase difference. Perhaps what we call "now...
Lucca Mae - The Real Thing (Official Video)
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歌詞の中心テーマは、 I need the real thing 「私は本物が必要なの」 というフレーズで、電話や思い出では埋められない、愛する人との「本当のつながり」を求める気持ちが歌われています。孤独や喪失感、そして誰かの存在そのものへの切実な憧れを表現したソウルフルな楽曲です。 「Lucca Mae」は、イギリス・ロンドンを拠点に活動するソウル、スカ、ジャズ系のシンガーソングライターです。力強く温かみのある歌声で知られ、近年イギリスのライブシーンで注目を集めています。Spotifyでは月間リスナーが10万人を超え、アルバム『The Truth Is』やシングル『The Real Thing』『Because of You』などを発表しています。 代表曲には次のようなものがあります。 「The Real Thing」 「Travel On」 「Is It Selfish」 「Because of You」 「The Truth Is」
「微小位相差論」Helenaとの会話
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過去・現在・未来が微妙に重なり合っているという考え方は、とても興味深く、そのような視点は私にはこれまで思いもつきませんでした。 過去・現在・未来をそれぞれ別々のものとして捉える古典的な考え方が、私の思考の中に深く刻まれています。そのため、この新しいアプローチを理解するには、自分の考え方を調整していく必要がありそうです。 写真は、その繊細で微妙な、そしてほとんど魔法のような時間的差異を観察するための本質的な素材なのですね。 私はあなたの「双構図(Paired Composition)」の考えを、さらに深く学んでみたいと思っています。 芳朗、先ほどは私が保存していたあなたのメッセージと、その翻訳文を誤って送ってしまいました。それは私自身が、あとで注意深くじっくり読むために保存していたものです。 Helena Helenaへ あなたの質問を受けて、これらの考えをどのように定義すべきなのか、改めて考えました。 「間(intervalo)」を時空間と呼ぶことができるのか、というあなたの質問についてですが、私はそれを単純に空間や時間として定義するのではなく、**空間と時間が重なり合う「位相差の場」**として考えています。 私の「微小位相差論」において重要なのは、絶対的な「今」ではなく、異なる状態のあいだに存在する微細な位相差です。 この意味で、あなたの「時空間」という表現は、私にとって非常に興味深いものです。ただし、私は通常の物理学における意味での時空間を指しているわけではありません。 むしろ、時間、知覚、情報、現実のあいだにある微細な差異が、意味を生み出す場として捉えています。 私が書いた「微小位相差論」は、この考えをより一般的な理論として定式化しようとするものです。それは物理現象だけでなく、位相差を通して、認知、情報、社会現象にもアプローチしようとしています。 一方、「双構図(Composição Pareada)」は、この考えを写真に適用する写真表現の実践です。 二枚の写真を関係づけて配置することで、それぞれの写真の内部だけでなく、二枚の写真のあいだにも微細な位相差が生まれます。 私は、観察者がこの位相差を知覚したとき、別の意味が立ち上がると考えています。それは、どちらか一方の写真だけには存在していないものです。 だからこそ、あなたが述べた**「観察者の重要...
ポルトガルの博士 Helena Passaporteさんとの有意義な会話
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会話全体の流れを日本語にすると、概ね次のような内容です。 Helena あなたの写真が持つ二重の分析的意味が好きです。美的な表現としての写真であると同時に、画像の科学的な関係性も感じます。まさに画像の多義性ですね。素晴らしいです。 あなた ありがとうございます。私の写真にある二重の意味を感じ取っていただけて嬉しいです。私の作品は、時間・知覚・現実のあいだに存在する微細な位相差を探求しています。私は、写真には一見しただけでは見えない複数の意味の層が含まれていると考えています。 Helena 画像の記号論的分析とは、鏡の向こう側を解体し、その写真が持つ豊かさを明らかにすることです。あなたの写真は、私の中に写真への情熱を呼び起こし、視覚的メッセージの背後にあるものや、時間・知覚・現実の相互関係を学びたいという気持ちを起こさせます。まさにあなたが言うように、一枚の写真には一見しただけでは分からない複数の意味の層があります。私は毎日何かを学んでいますが、あなたの写真は新しい発見を与えてくれました。 あなた 微小位相差論について説明してみます。 写真は、動いている現実を本当に停止させることのできる唯一のメディアです。絵画は時間をかけて作られ、ひとつの瞬間を止めたとは主張しません。映画や映像は現実を動かし続けます。しかし写真だけが、一瞬を切り取り停止させます。 私の理論は、その停止した瞬間を二つ並べることから始まります。同じ対象、同じ現実を、わずかに時間をずらして撮影した二枚の写真です。一見するとほぼ同じですが、完全に同じではありません。光や身体の位置、影、画面内の要素などに微細な差異があります。 その小さな差異こそが理論の核心です。一枚の写真は停止した事実を示します。しかし二枚を並べると、その間から写真が抑圧していた時間や運動が再び漏れ出します。鑑賞者は二枚を見比べながら、そこに動きや時間や因果関係を再構築します。意味は写真の中ではなく、その間隔から生まれるのです。 だから双構図は単なる形式ではなく知覚の装置なのです。微小位相差は物語の連続ではなく、現実そのものの微かな振動として現れます。 Helena 写真をめぐる言説は、絵画や彫刻や建築とは異なります。私たちは写真を見ながら言説を作ることはできず、後からしか語れません...
Helena Passaporteの言葉
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I love your photographs with their double analytical meaning, the aesthetic capture and the scientific relationship of the image. Polysemy of the image. Very good. ❤️🌻 Thank you very much. I am very happy that you feel the double meaning in my photographs. My work explores the small differences of phase between time, perception, and reality. I believe an image can contain multiple layers of meaning, beyond just what we see at first glance. 5:20 A semiotic analysis of images is like deconstructing what lies behind the mirror, revealing the richness each photograph possesses. Your photographs have the ability to awaken in me a passion for the captured image and a desire to learn what lies behind the visual message and the interconnections between the variables of time, perception, and reality itself. The wonder of each image is indeed what you so aptly and poetically refer to: that each image contains "multiple layers of meaning, beyond what we see at first glance." Every day ...
さてと
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草刈りを年3回以下の実験。 イネ科雑草がいよいよ穂を出した。 生殖成長の最終ですね。 種をつける前に切り込む。 まあ今日刈っても短い穂が出てくるけどね。、 後は稲刈り前にもう一度。 でもどうかな。 やっぱり4回はしないと景観的に問題はある。 個人的には草刈りを少なくすれば畔の表土流出がないのでいいとは思う。 畔からの病害虫は現時点では確認できない。 むしろ餌があるのでバッタ類が稲の葉を食べることが激減した。 現在では草刈りも大変なので多く農家が畔に除草剤を使う。 または勤勉な農家は草刈りを何回もする。 燃料の使用量が多くなるのは懸念材料ではあるが。 畔から病害虫が侵入する説も注視している。 僕の見解では 畔の草は病害虫源であるのではなく、 畔の草の存在は、害虫と天敵の双方に影響する生態系である。 僕は思うんだよね。 景観を考える風景。 環境を考える風景。 これは全く違うのだと。
無冠の帝王
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なにそれ? 「無冠の帝王」 ああ、昔、友人たちが写真家の僕をそう呼んで笑っていた。 写真はいいのに、なぜ発表しないのか。 それはずっと意図的にやってきたことだった。 若い頃から評価を人生の中心に置いていなかった、 結果を急ぐのではなく、まず 観測することを人生の中心に置いた 。 若くして有名になって挙句路頭に迷う写真家は少なくない。 作品はブログで発表する程度。そのアクセス数も限られていた。 以前、SNSの友人は当時上限の5000人を超えていた。そこには世界中の著名な学者や写真家、アーティスト、そしてアートを愛する人たちが集まっていた。 再開してわずか二か月で2500人。 気づけば、やはり無視できない数字になっていた。 何よりも彼らがすごく正確に理解して言葉に出来るコメントは優秀である。 僕はずっと観測していた。 日本の写真界はどう反応するのか。 熊本や日本の学芸員は見ているのか。 環境活動に焦点を絞った観測手法の確立。 実際の田んぼを使った環境再生の実践。 山林の植生の多様化。 「微小位相差論」という視点理論の構築。 「双構図」という表現方法の実験。 古典技法を応用した高耐久印画法の研究。 そして大学院での検証。 誰も知らないかもしれない。 だが、振り返れば多くのことを達成してきた。 写真家であり、研究者である。 本来の僕は、長い年月をかけてそこへたどり着いた。 ただ、それだけのことだった。 そして今、ようやく思う。 観測だけでは足りない。 伝わらなければ存在しないのと同じだ。 観測の時間は続くだろうが、伝えるための行動も始めるべきなのだろう。 発表することの意味が称賛ではなく構築した世界を知らせる事へ変わった。 もういいだろう。 動く。 決めた。
あさの3時から7時まで
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目覚めると涼しい。 夏の日は夜もふけると過ごしやすい。 今日はコオロギが鳴いている。 睡眠薬としてクエチアピンを長期間飲んでいた。 「ああ、やっぱりか」 と思った。 どうやら男性機能を低下させることがあるらしい。 やめよう。 いや、まずは医師に相談しよう。 ちょっと門出橋まで涼みに行くか。 散歩は好きではないけれど、そこまでならいい。 深夜にギターを弾きたい。 ストリートミュージシャンは、まだ街にいるのだろうか。 昔、少しだけやったことがある。 なかなか楽しかった。 今回の曲を、どこかでお披露目したい。 The Sleeping Princess これはとてもいい曲に仕上がった。 アコースティックの持ち曲は、今のところ Hill of Carnation と合わせて二曲だけ。 ちょこっとライブには十分だ。 滝川の田んぼで毎朝弾いている。 昼も弾く。 夕方も弾く。 きっと目立つのだろう。 四季即贅喰さんのお客さんが立ち止まり、スマホで撮っていくことがよくある。 少し恥ずかしい。
花のあと、人はどう生きるのか
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植物には、栄養成長と生殖成長がある。 芽を出し、根を張り、葉を広げる時期。 そして花を咲かせ、種子を残す時期。 では、その後はどうなのか。 生命は、そこで役割を終えるのだろうか。 私はそうは思わない。 古い木には、若い木にはない時間がある。 長い年月を生きた幹には、若さとは違う存在感がある。 人間も同じではないだろうか。 若い頃は、自分を作る時代。 経験を積み、技術を磨き、社会の中で自分の場所を築いていく。 そして次の世代へ何かを渡していく。 しかし、その後の時間について、私たちはあまり考えてこなかった。 現代は、若さを維持することばかりが語られる。 若く見えること。 若い身体でいること。 若者と同じように動けること。 しかし、人間の価値は本当にそこだけなのだろうか。 昔、長老という存在がいた。 若者には未来があり、長老には時間の深さがあった。 そこには互いへの尊敬があった。 今は、身体が衰えると、その人が積み重ねてきた経験や感性まで、一緒に失われたように扱われることがある。 本当にそれでいいのだろうか。 人間には、若さの後に来る、まだ十分に発見されていない生命の段階があるのではないか。 子孫を残したあと。 社会的な役割を終えたあと。 それでも人は創造できる。 考えることができる。 誰かと深い場所で語り合うことができる。 男女が一緒にいることも、いつも恋愛だけではない。 同じ時間を過ごし、互いの世界に触れることもある。 人はいつの間にか、自分の年齢や立場によって、自分自身を小さくしてしまう。 もう若くないから。 もう遅いから。 そうやって、自分の可能性に蓋をしてしまう。 しかし生命は、本来そんなに単純なものではない。 木は古くなるほど根を深くする。 時間を重ねるほど、別の力を持つ。 人間もまた、年齢とともに失うだけの存在ではない。 経験も、記憶も、出会いも、すべてを抱えながら、まだ新しいものを生み出すことができる。 若さを取り戻す必要はない。 老いをただ受け入れるだけでもない。 生命が最後まで変化し続ける、その先の時間。 まだ名前のない第三の季節。 私は、その可能性について考えている。
虫の音
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もう覚えてないが、草雲雀のような虫が鳴いている。近くではキリギリス。もっと遠くで魅力的な音を奏でる虫。 こんな時間にベンチに座って作曲中のThe Sleeping Princessをギターで弾いている。 指が覚えるまで弾きこまなければ僕は上手に弾けない。 なんて虫の音のコーラスは美しいんだろうか。 かれらから受けるインスピレーションを音にした。 The Chorus of Insects I can no longer remember its name, but an insect that sounds like a grass cricket is singing nearby. Closer to me, a katydid is calling. Farther away, another insect plays a captivating melody in the darkness. At this hour, I am sitting on a bench, playing my guitar and working on The Sleeping Princess , a piece I am composing. I have to play it over and over until my fingers remember it. That is the only way I can play it well. How beautiful the chorus of these insects is. The inspiration they give me has found its way into music.
統計で考えよう。
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地震データを精査し、震度ランキングを構築した。 過去200年(1826年以降)で熊本を震源とする地震の規模トップ10は次の通りです。 1位、2016年4月16日、熊本地震本震、M7.3、益城町などで震度7。 2位、2026年7月28日、令和8年熊本地震、M7.1、宇城市と氷川町で震度7。僕が今まさに影響下にある地震です。 3位、1898年12月4日、熊本県東部の地震、M6.3ではなくM6.7。この時期にしては規模の大きい地震でした。 4位、2016年4月14日、熊本地震前震、M6.5、益城町で震度7。 5位、2016年4月15日、熊本地震の余震、M6.4。 6位、1889年7月28日、明治熊本地震、M6.3、熊本市付近を震源とし死者20名。 7位、1894年8月8日、熊本県東部の地震、M6.3。 8位、1895年8月27日、熊本県東部の地震、M6.3。 9位、1916年12月29日、熊本県南部の地震、M6.1。 10位、1975年1月23日、熊本県阿蘇地方の地震、M6.1。
遺伝子組み換えでない可能性の高いオイル
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非GMOオイルの選択肢を分類し、回答を構成した。 遺伝子組み換え作物として商業栽培されている主な作物は、大豆、トウモロコシ、菜種、綿実、てん菜です。したがって、これらを原料とする油、つまり大豆油、コーン油、キャノーラ油(菜種油)、綿実油は、非遺伝子組み換え表示がない限り遺伝子組み換え由来である可能性が高いです。 一方、遺伝子組み換え品種が商業栽培されていない作物を原料とする油は、遺伝子組み換えでない可能性が高いです。具体的にはオリーブオイル、ごま油、ココナッツオイル、アボカドオイル、米油、落花生油、亜麻仁油などが挙げられます。ひまわり油も遺伝子組み換えひまわりはほぼ流通していないため、比較的安全と言えます。 より確実に確認したい場合は、パッケージに非遺伝子組み換え表示があるか、あるいは有機JAS認証がついているかを見ると良いです。有機認証を受けた作物は遺伝子組み換え技術の使用が禁止されているためです。
タンパク質
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炭水化物はもともと人には必要ない。 つまり米は食べなくても支障がない。 唯。 タンパク質の肉 魚 豆類。 野菜。 は必須だとか。 炭水化物が「不要」という主張は、生化学的にはおおむね正しいです。 必須栄養素の定義は、体内で合成できず、食事から摂取しなければならない物質を指します。この基準で見ると、グルコースは必須ではありません。肝臓と腎臓は糖新生という経路で、アミノ酸や脂肪分解で生じるグリセロール、乳酸などからグルコースを作り出せます。炭水化物を全く摂らなくても、血糖は維持されます。 脳や赤血球はグルコースを主なエネルギー源としますが、糖新生に加えて、脂肪酸からケトン体を作ることで脳のエネルギー需要の大半を代替できます。極端な低炭水化物状態でも生命維持は可能というのが、その根拠です。 一方でタンパク質は生化学的に必須です。9種類の必須アミノ酸、バリン、ロイシン、イソロイシン、リジン、メチオニン、フェニルアラニン、トレオニン、トリプトファン、ヒスチジンは体内で合成できず、食事からの摂取が絶対条件になります。脂質についても、リノール酸とα-リノレン酸という必須脂肪酸は体内で作れません。 野菜については、ビタミンやミネラルの多くが体内で合成不可能な必須微量栄養素です。ビタミンCなどがその典型です。 つまり構造として、炭水化物は代替経路を持つため任意栄養素、タンパク質中のアミノ酸と一部の脂肪酸、微量栄養素は代替経路を持たないため必須栄養素、という整理になります。ブログの記述は、この生化学的な区分に沿った正確な内容だと言えます。 別のAI 全体として生化学の説明は概ね正確ですが、 「炭水化物は人に必要ない」という表現は誤解を招きやすい ため、少し補足した方がよいでしょう。 例えば、ブログとしては次のようにするとより正確です。 炭水化物は生化学的には「必須栄養素」ではありません。 必須栄養素とは、体内で合成できず、食事から摂取しなければならない栄養素を指します。この基準では、炭水化物(糖質)は必須ではありません。 人の体は、糖新生という仕組みにより、アミノ酸やグリセロールなどからグルコースを作ることができます。また、糖質が少ない状態では、脂肪から作られるケトン体が脳のエネルギー源として利用されます。 一方、タンパク質に...
第12章 不二子の文 616話
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前略 よしろうはん。 うちも、そろそろこちらを暇乞い申そう思うております。 アンヘレスの空気にも、いつしか馴染んでしもうて、これ以上おりましても、見えるものは変わりまへん。 あの人の面影を探して歩きましたけれど、とうとう何ひとつ見つけることは叶いまへんどした。 されど、それでよろしゅうおました。 人は消えても、風は昔のまま。 空も、陽の匂いも、夕立の湿り気も、あの頃と少しも変わりまへん。 それらに包まれておりますと、ほんのひととき、あの人がすぐ傍らにおるような心持ちになれました。 それだけで、この旅は十分にございました。 留守のほど、お変わりなくお過ごしやしたやろか。 戻りましたなら、また何事もなかったようによしろうはんのおそばにおります。 その折には、旅の話でも、ゆるりと聞いておくれやす。 かしこ 不二子
第12章 涼しい夜 613話
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「なんと涼しい夜かしら」 「今宵みたいな夜は、人肌が恋しゅうなりますなぁ……」 ん? よしろうはんの胸が、ちょいと高鳴る。 これは……ちゃんすや 嗚呼―― 不二子はんは窓辺に立ち、川風に吹かれながら物思いにふけってはる。 「なぁ、案さん。こっちおいでや」 おっ! きたきた。 「もうお布団は敷いてますさかい、お先にお休みになってくださいな。不二子は、ぬるいお湯で背中流してきますさかい」 ほう これは決まったで。 「そうか、不二子はん。ゆっくりしておいでや」 へー 「ほな、お休みになってくださいな。」 おう よしろうはんは布団にもぐり込み、胸を弾ませながら天井を見上げる。 「……待ってるで」 そして朝になった。。