第11章 マリアと赤い花 538話
マリアは修道院の裏に、小さな空き地があるのを知っていた。 誰も来ない場所だった。 石塀の角に、蔓の花が絡んでいた。誰が植えたのか知らなかった。勝手に生えたようにも見えた。花は赤かった。 名前は知らなかった。 修道女は花の名前を覚えなくていい、と教えられていた。理由は教わらなかった。 腹は、あの夜よりずっと重かった。 マリアはゆっくりしゃがみこんだ。膝のあいだから腹がせり出した。 花を見た。花は黙っていた。 指先で蔓に触れた。細く、乾いていた。 そのとき、草履の音がした。 振り返ると、小柄な女が石畳を渡ってきていた。着物の裾を少し摘み、足元を見ながら歩いていた。 目が合った。 どちらも驚かなかった。 「ええ花どすな」 女はそう言った。 「不二子はん」 マリアが言うと、女の足が少し止まった。 「どこで、その名を」 「村の人が」 不二子はんは小さく頷いた。 隠れごとは、長く隠れんものやと思った。 隣にしゃがんだ。 腹のほうは見なかった。 花だけを見ていた。 「名前、ご存知ですか」 マリアは訊いた。 不二子はんは赤い花を眺めたまま、 「さあ」 と言った。 「知らんほうがええ花も、おます」 風が吹いた。 蔓が揺れた。 花が揺れた。 腹の中でアルマーが動いた。 三つが、同じように揺れた。 不二子はんはそれを見ていた。 見て、何も言わなかった。 しばらくして、 「また、今夜だけなら」 と、不二子はんは言った。 マリアは少し笑った。 声にはならなかった。 風が止んでも、 花だけは赤いままだった。 夏がざわめき始めた。