写真の深度

単に画素数やフィルムサイズの話ではない。
それらの条件は大切なファクター であることは間違いないがそれだけでは深度は得られない。
写し手の知識や経験と被写体の歴史性や魅力、価値が問われる。
プロジェクトや連続したシリーズの反復でも観念的な深度が更に深まる。
また主たる被写体の背景やそれ以外に何が写っていたか、いつ撮ったかの時間性も非常に大切でそれで歴史的な時間が記録される。
最も大切なことはそれらの要素を写す前からどれだけ写し手が読めているかが問われる。
いいなと思いシャッターを切ることが多いだろうが、いいなという思いはセンスで、センスはその人の経験と知識の中で得られる。
価値が分からなければ写真になることはない。
更には歴史の文化的な色彩や画質やエフェクトによって時代色や個人のセンスを加味し、情報量を少なくすることでも効果は得られる。

私の農のシリーズはいずれ生まれるだろう。
深度は相当深いものになる。

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