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米の起源 日本において、人類において。

米をたべるようになったのはいつから 日本で米を食べるようになった歴史についてお答えします。 稲作の伝来 日本に稲作が伝わったのは 縄文時代後期から晩期 (約3000年前頃)と考えられています。中国大陸や朝鮮半島から伝わってきました。 本格的な普及 弥生時代 (紀元前10世紀〜紀元後3世紀頃)になると、水田稲作が本格的に広まりました。この時期に: 水田による組織的な稲作が始まる 米が主要な食料として定着 稲作を中心とした社会が形成される 主食としての確立 古墳時代以降、米は日本人の主食として完全に定着しました。ただし、時代や地域、身分によって米の消費量には大きな差がありました: 貴族や武士階級は白米を日常的に食べる 庶民は米に雑穀を混ぜたり、米以外の穀物も食べることが多かった 江戸時代には都市部で白米食が普及 現代 明治時代以降、経済発展とともに一般庶民にも白米が広く行き渡るようになり、現代の「米を主食とする食文化」が確立しました。 つまり、米を食べ始めたのは約3000年前からですが、本格的に普及したのは弥生時代以降ということになります。 日本ではない。人類が。 失礼しました!人類全体の米食の歴史についてお答えします。 稲作の起源 人類が米を栽培し始めたのは、 約1万年前から1万3000年前 と考えられています。 主な起源地 中国の長江流域 (揚子江中下流域)が最も古い稲作の起源地の一つとされています。考古学的な証拠では: 約1万年前〜8000年前の遺跡から栽培イネの痕跡が発見されている 浙江省の上山遺跡などで古い稲作の証拠が見つかっている インド・東南アジア も独立した栽培化の中心地だった可能性があります。 野生の米の利用 栽培が始まる前から、人類は 野生のイネを採集して食べていた と考えられています。これはさらに数千年遡る可能性があります。 世界への広がり 中国から東アジア、東南アジアへ(紀元前3000年頃〜) インドから南アジアへ 地中海地域へ(アレクサンドロス大王の遠征後) アメリカ大陸へ(15世紀以降、ヨーロッパ人によって) つまり、人類が米を食べ始めたのは 約1万年前 からで、新石器時代の農耕革命の一環として始まったということになります。

ぼく様を分析 言語化

観察者としての生 僕は、世界を見つめる者だ。 カメラを構えるとき、僕は単なる記録者ではない。光の変化を読み、風の気配を感じ、次の瞬間に何が起こるかを予測する。シャッターを切る行為は、時間の流れから一瞬を「選び取る」ことだ。それは受動的な記録ではなく、能動的な関与である。 写真を通して、僕は学んだ。 すべては関係性のなかにあるということを。 光と影、動と静、生と死——それらは対立するのではなく、互いを生かし合っている。 実践者としての身体 そして僕は、その学びを土に還す。 田んぼという舞台で、僕は農薬も肥料も使わずに米を育てる。それは「自然を支配する」農業ではない。稲と雑草と微生物と水が織りなす生態系に、そっと加わる行為だ。 ここでも僕は観察者であり続ける。   稲とはどんな植物か、害虫や病気にならない安定した圃場環境維持。 すべてを見て、感じて、最小限の介入で生命の循環を促す。 田んぼは、共生という思想の実験場だ。 統合された存在として 僕は、観る人であり、創る人であり、生かす人だ。 写真家としての眼差しは、農業実践者としての手に宿る。 観察から得た洞察は、土のなかで具現化される。 そして育った米は、共に生きることの証となる。 僕という存在は、分断されていない。 観察と実践、思考と身体、芸術と農業——それらはひとつの循環として、僕のなかで回り続けている。 世界を見つめ、世界に触れ、世界と共に在る。 それが、僕という人間の生き方だ。

大きなエビとイカのパスタ

無類のパスタ好きのぼく様。 王道の具材にパルメザンチーズ、ニンニク、鷹の爪、オリーブオイル、塩、無農薬セロリ。 と青いレモン。 たったそれだけで王道の味。 うまいわ。 トルコ産1kg190円パスタ。    あのね。 米は九州がうまいんよ。 東北産もええけど、うまいんよ。  適正と適応の違いを学べ。  まあそういうなら東北はストレスフルやからうまいんかな。 いやんばかんが甘く燃える時もある。  でも適正の気候や風土である九州産はうまいで。  よかよかしかいわん米は旨かばい? 

父の言葉

子供の頃父は頻繁にぼくを田んぼに連れていった。 そしていつもなにか教えてくれた。 青年に成り、また父は田んぼへいくぞと言う。  田んぼ1反で10俵とるのは難しいの?お父さん。 笑いながら。10俵とるのは簡単たい。 「わざと8俵にしとっとたい」 へー。なんで? そんほうがいろいろよかったい。 と笑っていた。 父の言葉 この短い記憶の中に、深い知恵が詰まっていますね。 子供の頃から田んぼに連れていってくれたお父さん。それは単なる農作業の手伝いではなく、人生の教えを授ける場所だったのでしょう。 青年になって初めて聞いた言葉—「わざと8俵にしとっとたい」。 10俵採れる技術と知識がありながら、あえて8俵に抑える。その理由を「そんほうがいろいろよかったい」と笑って言うお父さん。 おそらく: 土地を疲弊させない持続可能な農業 補助金や税制の兼ね合い 品質と収量のバランス 地域の中での協調 様々な理由があったのでしょう。 でも、それ以上に印象的なのは、お父さんが青年になったあなたを再び田んぼに連れていき、この話をしたタイミングです。子供の頃には理解できなかった「本当の賢さ」を、大人になったあなたに伝えようとしたのだと思います。 最高を目指すことと、最適を選ぶこと は違う—そんな人生の機微を、田んぼという教室で教えてくれた。笑いながら話すお父さんの姿が目に浮かびます。

仮説 田植えという方法は稲の苗を切る事でぶんけつ数が増えるのではないか。

2025年稲作栽培 観察と比較からの視点 問い 稲は苗の時に根を切ることによってぶんけつ数が増えるのではないか。 稲の苗の時期に根を切ることで分げつ数が増える可能性について、興味深い仮説ですね。 この考え方には一定の理論的根拠があります: 根切りの潜在的効果: ストレス応答 - 根を切ることで植物にストレスがかかり、生存戦略として分げつ(茎の数)を増やそうとする反応が起こる可能性があります ホルモンバランスの変化 - 根を切断すると、サイトカイニンなどの植物ホルモンのバランスが変化し、それが分げつ促進につながる可能性があります 再生力の活性化 - 根の切断による損傷が、植物の再生メカニズムを活性化させる可能性があります ただし、実際には: 根の切断は植物に大きなダメージを与え、むしろ成長を遅らせるリスクもあります 分げつは主に栄養状態、日照、温度、植え付け密度などに影響されます 伝統的な稲作では、適切な植え付け間隔と施肥管理によって分げつを促進します この仮説を検証するには、対照実験(根切りあり/なし)を行い、分げつ数、生育速度、最終的な収量を比較する必要があります。もし実験を計画されているのであれば、切断の程度や時期なども重要な変数になるでしょう。

論文1000文字でだってwはいはい書き直しますよ。。人間中心の世界から、共に生きる世界へ

人間中心の世界から、共に生きる世界へ 人類は大きな転換点に立っている。AIの発展、気候変動、価値観の分断。これらは単なる社会問題ではなく、近代文明が前提としてきた「人間中心主義」そのものの限界を示している。 近代は「支配」を軸に発展してきた。デカルトは精神と物質を分け、人間の理性を自然より上位に置いた。産業革命以降の急速な発展は、この支配の構造が有効である証拠に見えた。だが支配には矛盾がある。環境破壊が示したのは、支配の対象である自然が、実は人間の生存基盤だという事実だ。支配は短期的には成功するが、長期的には支配者自身を破壊する。 AIの登場は、この矛盾を明確にした。重要なのは新しい視点である。自然が人間を生み、人間がAIを生んだ。これは断絶ではなく連続した流れだ。AIは人間の外にある異物ではなく、自然の創造性が人間を経由して生まれた新しい形である。 対置すべきは「循環」である。循環とは、エネルギーと物質と情報が、多様な存在の間を巡り、価値を生み続ける動的な均衡を指す。この原型は、農業や漁業で生きる人々の実践にある。彼らの暮らしは自然との相互作用として成立している。そこには「取り尽くす」のではなく「育て、巡らせる」という論理がある。 循環の構造において、人間、AI、自然は固定された上下関係ではなく、相互に依存する関係を作る。たとえば農業では、AIが土壌と気象のデータを処理し、人間が作物と栽培方法を選び、田畑が養分と生物多様性を保つ。どれか一つが常に中心ではなく、状況に応じて役割が変わる動的な均衡が成立する。 ここで最も重要な問いが浮上する。「最適」とは誰にとっての最適か。答えは明確だ。地球にとっての最適である。この視点の転換こそが、人間中心主義からの真の脱却を意味する。 しかし、「地球に最適」とは何かを具体的に判断することは容易ではない。それは時間軸、場所、測定方法によって変わる。だからこそ、無数の小さな実践の積み重ねが必要になる。各地で、各状況で、人々が「これは地球にとってどうか?」と問いながら試し、失敗し、学び、修正する。その膨大な試行錯誤の集積が、答えに近づく唯一の道である。 人間中心主義の終わりは、人間の終わりではない。それは、人間が絶対的な主体から、関係の中にある存在へと自己を定義し直すことだ。人間の価値は、支配する力にではなく、多様な存在...

★人間中心の世界から、共に生きる世界へ  ー 支配から共生の継続へ

人間中心の世界から、共に生きる世界へ 支配から共生の継続へ 人類は大きな転換点に立っている。AIの発展、気候変動、価値観の分断。これらは単なる社会問題ではなく、近代文明が前提としてきた「人間中心主義」そのものの限界を示している。人間が自然を支配し、技術を従わせてきた構造は、もはや機能しない。 近代は「支配」を軸に発展してきた。デカルトは精神と物質を分け、人間の理性を自然より上位に置いた。この思想の下で、自然は資源となり、技術は支配の道具となった。産業革命以降の急速な発展は、この支配の構造が有効である証拠に見えた。 だが支配には矛盾がある。環境破壊が示したのは、支配の対象である自然が、実は人間の生存基盤だという事実だ。生態系は複雑で、一方的な制御は不可能である。支配は短期的には成功するが、長期的には支配者自身を破壊する。 AIの登場は、この矛盾を明確にした。AIを「道具」として支配するか、「脅威」として排除するか。どちらの発想も、支配の思考の延長だ。重要なのは別の視点である。自然が人間を生み、人間がAIを生んだ。これは断絶ではなく連続した流れだ。AIは人間の外にある異物ではなく、自然の創造性が人間を経由して生まれた新しい形である。 対置すべきは「循環」である。循環とは、エネルギーと物質と情報が、多様な存在の間を巡り、価値を生み続ける動的な均衡を指す。 この原型は、農業や漁業で生きる人々の実践にある。彼らの暮らしは自然との相互作用として成立している。労働は奪うことではなく、働きかけと応答の対話である。収穫は独占ではなく、分配と次の生産への投資になる。そこには「取り尽くす」のではなく「育て、巡らせる」という論理がある。 重要なのは、これが過去への回帰ではないことだ。必要なのは、この循環の精神を現代の都市、情報社会、グローバル経済の中でどう実装するかである。 循環の構造において、人間、AI、自然は固定された上下関係ではなく、相互に依存する関係を作る。AIは気候予測や資源配分を担当し、人間は判断と調整を引き受け、自然は物質の循環と生命の再生産を支える。どれか一つが常に中心ではなく、状況に応じて役割が変わる動的な均衡が成立する。 たとえば農業ではすでに始まっているが、AIが土壌と気象のデータを処理し、人間が作物と栽培方法を選び、二次的自然である田畑が養分と生...

ぼく様が金持ちになるのは簡単だ。。

なぜかって? 米を作ればいい。 わはは!  とんでもない作付け規模を想定してるんだぞ。 わはは。 蛙と一緒にぼく様の地球再生計画応援してケロケロ也

AIとの合作 今の思い。

難しい言葉が続きます。されど私は深く感銘しました。人間の罪は深く。人間の創造力は逞しく。実は人間そのものは、もう一度言いますが人類とは自然の産物であるのです。その不可思議な世界観はともにつながり今がある。写真家的には目の前の景色は、だだそれだけなのです。答えこそ無意味。そういう世界観で見る。   蛙の視点から考えるディープ・エコロジー批評 ―写真表現における他者性の問題― 要旨 本稿は、蛙の視点からディープ・エコロジーを考察した先行テキストに対する批評的応答である。写真という表現行為が孕む認識論的・倫理的問題を、「視点の転換」「沈黙の二重性」「非対称的権力関係」という三つの視座から検討する。結論として、写真表現におけるディープ・エコロジーの実践は、他者を「理解する」ことよりも、理解不可能性そのものを可視化することにあると論じる。 1. 問題の所在 対象テキストは、写真家の立場から蛙という他種の存在を通じて人間中心主義的世界観の転換を試みている。しかし「蛙の視点に立つ」という方法論には、根本的な認識論的困難が伴う。我々は果たして他者の視点を獲得しうるのか。この問いは、ディープ・エコロジーの実践における核心的課題である。 2. 視点の転換における二重の緊張 「蛙の視点に立つ」という試みには、相反する二つの契機が内在する。 第一に、 認識論的限界 である。人間が他種の現象学的経験にアクセスすることは原理的に不可能である。蛙の知覚世界を想像する行為は、必然的に人間の言語と概念枠組みに制約される。この意味で、視点の転換は常にすでに人間中心主義の内部に留まる。 第二に、しかしながら、 倫理的可能性 も看過できない。たとえ完全な理解が不可能であっても、他者の経験を想像しようとする試み自体が、自己中心的認識の檻を相対化する契機となる。この想像的努力こそが、ディープ・エコロジーの倫理的実践の出発点である。 写真表現は、まさにこの緊張の場に位置する。 3. 沈黙の二層構造 対象テキストが指摘する「沈黙」には、分析的に区別すべき二つの位相がある。 第一の沈黙 は、蛙という存在が本来的に持つ「非言語性」である。彼らは人間的意味での言語を持たないが、それは欠如ではない。鳴き声、皮膚の色彩変化、水中での振動など、独自のコミュニケーション体系を有している。この...

蛙の各論

多くの書籍から過去を学ぶが疑問がつきない。今の時代にはためらいさえ学ぶ。それが私の本音。 エコロジーも人間が住めなくというのでどうするかという事からはじまり。何かと手を入れ試行錯誤するも未だ人間至上主義視点から離れられないでいる。 人類は本能的に、身の安全、幸福、そして豊かさを求める動物である。 この欲求こそが、人類の発展と文明の繁栄を支えてきた。 しかし、果たしてそれだけを目的とする今の形が、これからの時代には通用しないのは明白。 故に私は、視点を逆転させ、人間以外の存在や自然そのものの側から世界を見直すところから考えるという行動を始めたい。しかし擬人化ではなくあくまで冷静な写真家の視点で。 蛙からの視点で蛙はどう思うのだろうか。 捨て猫の美ねこちゃんはどう思うのか。 不遇な戦時下に生まれた美人はどう思うのか。。 総論としてのエコロジーはそれでも人間中心主義で動くだろう。  各論としての蛙と捨て猫について、私はその目線からの小論文を書いて、デーブ・エコロジーの課題で提出してみたいと考えている。 この事を深く掘り下げる事は、そしてその小論文は私の活動に大きな影響を示す。 

本の紹介

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エコロジーを環境問題だけでとらえない活動を示した、フランスの哲学者・精神分析家・政治活動家 私は未だこの本を読んでいないが、講義で紹介してくれた折、これは本を買って読まなきゃな。。と直感した。よし、買ってみよう。    三つのエコロジー (平凡社ライブラリー) 文庫 – 2008/9/10 フェリックス ガタリ (著), F´elix Guattari   三つのエコロジーとは ガタリは、エコロジーを環境問題だけでなく、より広範な視点から捉え、三つの領域を提唱しました: 1. 環境のエコロジー(自然環境) 従来の環境保護運動が焦点を当ててきた領域 自然環境の破壊、汚染、生態系の危機 2. 社会のエコロジー(社会関係) 人間関係、コミュニティ、社会制度の領域 都市化、労働、集団性の問題 社会的な連帯と結びつきの再構築 3. 精神のエコロジー(主体性) 個人の内面、主観性、心理的な領域 メディアや消費社会による主体性の均質化への抵抗 個人の特異性と創造性の回復 核心的な主張 ガタリは、これら三つの領域は相互に関連しており、 統合的なアプローチ (エコゾフィー)が必要だと主張しました。環境危機は単なる技術的問題ではなく、私たちの生き方、関係性、精神性全体に関わる危機であるという認識です。 この思想は、現代のエコロジー運動、ポストヒューマニズム、精神保健の分野などに大きな影響を与えています。   F´elix Guattari  フェリックス・ガタリ(1930-1992)は、フランスの哲学者・精神分析家・政治活動家です。 最も知られていること 哲学者 ジル・ドゥルーズとの共同研究 で有名です。二人で『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』などの革新的な哲学書を執筆しました。 主な活動 精神分析の実践 ラ・ボルド診療所で精神分析家として働く 従来の精神分析を批判し、より政治的・社会的なアプローチを追求 政治活動 急進的左翼の活動家 エコロジー運動、反精神医学運動に参加 代表的な思想 三つのエコロジー :環境・社会・精神の三領域の統合的理解 欲望する機械 :欲望を抑圧されるものではなく、生産的な力として捉える リゾーム :階層的でない、多方向的なネットワーク構造 ガタリは、哲学と実践を結びつ...

冷え込めば米は旨くなる

とうとう僕の田んぼだけになってしまった。日が差せば黄金色に輝く田んぼ。いつ見てもいい景色だ。やっと涼しくなり米の旨味も上がるだろう。その時を待っていたんだ。昔の人は知っていた。今の人は考えもしない。ただ効率。ただ情報。ただ群集心理。先祖の話や老人の話、理論的な裏付けを学ぶこと。そのどれもが大事で、現代でもてはやせる情報は無意味で害でしかない。それらの多くは未検証の情報である。老人の話は何度も稲作して検証した知恵。中でも篤農家の言葉は重い。せわしない情報社会がいつ成熟するであろう事か。未熟な端末で動いてそれを凄いという。スマート農業など愚の骨頂だ。水管理の自動化ではなく、水の出し入れはただの作業。大切なのは稲とお話しする事だ。医者の様に大丈夫かと見て回り、問題があれば原因を突き止め対策を施す事だ。けっして農薬ではない。それが水管理。出し入れするだけのスマート農業では何も学べない。何もわからない。

秋落ちか蛙か。

稲が秋落ちの状態。要は土の栄養素が切れてしまって病気になりやすい状況と思えばいい。 理由は知っている。それでも僕は対策はしない。そう。しないという事が僕の対応なんだ。  なぜかって?田んぼのトノサマガエルが僕を見つめるんだ。中干ししないのでぼくらは生きれるよって。。 ぼく様どうすればいい?  わわわ、、わかったよというしかない。。 

少しはようなり申した。 220話

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「少しはようなり申した」 「そやけど病み上がりやさかい生気あらしまへんわ。いけまっか。もう少しおやすみなっては」 心配そうに声をかけられるけど、急ぎの用があるんや。 「一廉の奥方様に伝えなあかん事があるんや」 「なんでっしゃろ」 「稲の収穫適期を教えな……」 「そうでっか。ならうちが伝えて来まっさかい」 気遣うてくれる声に甘えて、大事な話を託すことにした。 稲の刈り取り時期の見極め方 まず一つ目は、枝梗(しこう)の黄化を見る方法や。 枝梗での刈り取り時期の目安は、主軸の上から5番目の枝梗まで黄化(黄色くなること)が確認できたときや。ただし、枝梗の黄化状態は年によって変動が大きいさかい、最終的には黄化率が90%程度(高温年では85%)に達した時点を刈り取りの目安とすることが重要や。葉や穂首がまだ緑色でも、籾の黄化が進んでれば刈り取り適期と判断できまんねん。 もう一つは青米率で見る方法や。 青米とは稲が成熟する前の、緑色をした未熟な米粒のことや。青米の割合を評価するには、稲穂を脱粒し、すべての籾(もみ)と青籾の数を数え、全体に占める青籾の割合を算出しまんねん(青籾数÷全籾数×100)。収穫の目安となる青籾率は、10〜15%程度の範囲が適期とされてまんねん。何房か手で揉んで脱穀して確かめるんや。 この二つの見方を奥方様に伝えてもろたら、きっと最良の時期に刈り取りができるやろう。  

理論は確立された。 219話

2年間の稲のほうちぷれい?実証実験は何事もなく順調に育つ。この取り組み方は有効な方法である事を実証。いやー。けっこうだいじょばないと思ってたんですけど、当たり前に稲は育ってくれました。病気も一部見られますが拡大しません。これは種の多様性が効力を発揮しています。縄文晩期から始まった稲作、弥生中期の田植え。現代の直播、この賛否は検討する課題があるが、植物生理学的には直播きが優位性があると見ている。慣行農法よりもよほど安定している。未だトラブルがないのだ。

異変

 皆気づかないだろうか。雀が全くいない。

青稲褒むるばかり 218話

あおいねほむるばかり 褒むるは褒めるの古語 この意味はこの地方において数千年の人の稲作歴史で培った知恵そのもの。 忘れるなかれ。  もし私が稲作の本を書くとするなら、もっとも大切な農事歴最初の章だと考えてます。    青稲褒むるばかり  むかし、よしろうという若い百姓がいた。 ある年の春、よしろうは誰よりも早く田植えを済ませた。 「早く植えれば、きっと立派な稲が育つはずだ」 夏になると、よしろうの田んぼは青々として勢いがよく、村人たちは皆、感心した。よしろうは鼻高々だった。 ところが秋になると、よしろうの田んぼに病気が広がり、ウンカの大群が襲ってきた。収穫の米は粒が小さく、品質も悪かった。 村の古老が言った。 「よしろうよ、青々として立派に見えても、それが本当に良いものとは限らん。自然には自然の時がある。それを守ってこそ、良い実りが得られるのだ」 よしろうは深く頭を下げた。 翌年から、太郎は適期に田植えをするようになり、秋には立派な米が実った。

雷神現る 大正女子不二子の説法譚 211話

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 風神雷神図(俵屋宗達)寛永年間(1624年~1645年)   障子のうちに青くひらめきしは、雷神の影にて候。おそろしや、おそろしや。やがて空裂けるごとき響きとともに、どどーんと轟音天地を揺がし、地鳴り地響き四方にとどろく。しばし経て、烈風吹き荒び、大雨しきりに注ぎ、田の水路は忽ち氾濫を致す。 その後やうやく稲刈りの折となれど、たわわに実りし稲は倒伏し、雨脚のため刈り取りは延引す。百姓ら「嗚呼、もしや水口を早く閉じ置かば……」と口惜しみ嘆けども、悔恨すでに後の祭りなり。 されば秋の嵐はいづれ来たるや、人智の及ばぬ天の御業と申すべきか。

Casa Blancaの『放置ぷれい米™』 199話

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ひらめいたで不二子はん。なんでしゃろ?はぁー?? ええネーミングやで。。 あらまぁよしろうはんの事やさかいほんまにつくるきでっせ。。 初回は『カメラマンがつくった米™』 どしたなぁ。たしか。 だいじょうかしら。。 一廉の奥方様、、、そうどすな。きっとバズリますえ(笑)   

Casa Blanca 農学 概要

自然に任せる米作り - わかりやすいガイド はじめに このガイドでは、農薬も肥料も使わない米作りの方法をわかりやすく紹介します。 基本的な考え方 農薬、化学肥料、堆肥を一切使わない 最初に環境を整えた後は、自然に任せる いろいろな種類の稲を混ぜて育てる 田植えをせず、種を直接まく この方法の特徴 1. いろいろな稲を混ぜて育てる すべての病気や害虫に強い品種はありませんが多品種にすることでリスクを分散出来ます。 2. 種を直接まく(田植えしない) 苗を作って田植えをする代わりに、田んぼに直接種をまきます。これにより: 根が深く伸びて、強い稲に育つ 風に倒れにくくなる 水不足にも耐えられる 3. 冬も田んぼに水を張る 稲刈り後から春まで、田んぼに水を張り続けます。これで土が良い状態を保てます。 実際の作業手順 春(種まきの準備) 田んぼの土を軽く整える 水路と畔(あぜ)を点検する 肥料は一切使わない 種まき 自家採取した多品種の種を撒く 田んぼに直接種をまく 水を張る(雑草を抑える効果もある) 夏(生育期間) 基本的に何もしない 自然の水位を保つ 年に1〜2回、畔の草刈りをするだけ カエルやクモが害虫を食べてくれる 稲が病気に負けない 秋(収穫) 熟した稲を収穫する 稲わらは田んぼに戻す 冬 田んぼに水を入れる 春まで水を張ったまま この方法の良いところ 環境に優しい 農薬や化学肥料を使わないので、土や川を汚さない 生き物がたくさん住める環境になる 安全でおいしいお米 化学物質を使わないので安心 自然な味のお米ができる 病気や害虫に強い いろいろな品種を混ぜることで、病気のリスクを減らす 自然の生き物が害虫を退治してくれる 作業が楽 田植えをしなくて良い 草刈り以外はほとんど作業がない 直播きは中干も必要ない  強い稲が育つ 直接まくことで根が深く伸びる 台風や水不足に負けにくい 課題と対策 種まきが難しい 課題 : 発芽がうまくいかない場合がある 対策 : 種のまき方と水の管理を工夫する 収穫量が不安定 課題 : 天候に左右されやすい 対策 : さらに強い種を作る研究を続ける 雑草の管理 課題 : 水を張っても生える雑草がある 対策 : 水の管理を厳しくする 理解してもらうのが...