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前へ進め

此処が素敵でなければ無言に歩めばいい。そう思うだけ。そう生きてきた。自分からノイズを発するのはやめたがいいね。反省しよう。

全てを過去へ

そういう所あるよ。ぼく様の性格。ある日突然訪れるんだ。両極端な思考が双極性と誤診される所以だが、これ訓練してたんだよな、30代。当時真理を求めるなら白か黒を極めてモノを見るスケールのレンジを広げようとしていた。レンジが広い程焦点を定める精度が高くなるんよ。常識超えてその先には何があるんだろうか。と無茶ばかりしていたな。面白いものが見えるんだけどね。でもリセットする事を知らないと自分が崩壊する。最終的には極めようとして自分が崩壊したんだけど、全てを過去にするという事を何回も繰り返して廃人になりかけたんだ。いまはこうして復帰してるけど、まあいろいろありました。でも諦めないでしょ?ぼく様。だからむちゃぶりの30代よりも60代のぼく様の方がレンジは圧倒的に広いです。でもね。不良かもしれないけど無知だった頃に無茶する事も有る意味大事ですよ。ぼく様後悔してないよ。関わった人に迷惑をかけたのは申し訳ないが、それでも生かされてるならなんらかのギフテッドを残してあの世に行きたいものです。 

神からの提案

良い事を教えてあげましょう。悩んでる諸君! 君の目の前にある難題は思い悩むものでない。神からの提案と考えてごらん。神からのなぞなぞと言うゲームでもいい。悩みは精神的混乱でしかないと思いなさい。つまり君の立つ位置があやふやになってるだけだ。事実は君以外とても静かです。   本当に大事な事は、君の難題はそれをクリアする事よりも、とても人生において重要であるワードが隠されている。そのワードを見つけることがゲームの勝者だ。   楽しんで生きれると思いませんか? 

新しい価値観を創出する。

60代の恋愛観でも述べましたが、固定観念に対して違和感を感じるなら、従う必要はありません。時代の流れは変革期にあり、これまでの概念では問題を解決出来ず、健康を害する事態であることに気づき始めています。これは違うな、合わないなと個人のレベルで思うなら、あたしい価値観を宣言し行動すれば良いかと思います。 アーティストはこの概念を崩す方法論を多用します。多くはまだ見たこともない世界や音、画像を生み出し共感されれば新しい認識が生まれるでしょう。また、共感されなくとも時代を超えて再認識されることも多々あります。つまり常識や慣習は絶対ではない事を歴史が証明しています。 病気や老いの原因は、しばしばストレスに起因します。慢性的なストレスは免疫力を下げ、心身を蝕みます。しかし、ストレスフリーの生活は難しそうでいて、実はそうでもありません。感受性や素直な気持ちに気づき、少しの勇気を持って行動すれば、変革は可能です。例えば、散歩や瞑想、好きな絵画や音楽に触れる時間を増やすだけで、心が軽くなります。より積極的な恋愛は更に効果的でしょう。思い悩むことをやめましょう。それが心の若さの秘訣です。最後を迎えるまで健康的な精神性を保つことで、老後はより楽しく、充実した時間を家族や友人と共有できるでしょう。年齢を言い訳にせず、自分らしい一歩を踏み出し、心から笑える毎日を築いてください。   私思うに現代の老後生活は史上類を見ない悲惨な状況であると見ています。体のいい姥捨て山と変わらない。このテーマは何れ取り上げる事になるだろう。   

60代の恋愛観

「60歳になってもまだ恋愛ですか?」という問いかけは、すでに時代遅れです。60代での恋愛は決して恥ずかしいものではありません。かつては否定的な価値観が根強くありましたが、現代をそれだけで語ることはできません。身体は年齢とともに衰えるかもしれませんが、心は10代の頃のような若さを保ち続けるとも言えます。現代人は固定観念や束縛からの解放を強く望んでいます。結婚制度も長年、時代に合わないと指摘されてきました。一定のルールは必要ですが、自由になれば自由でいられるのが現代の常識です。 60代で恋愛することは自然そのものです。むしろ、自分を若々しく保つ最良の方法です。容姿は変わっても、心の若さは失われません。さまざまな考え方があるでしょうが、選択するのは自分自身です。友人の助言は参考になっても、他人の意見は無責任なことが多いものです。恋愛に限らず、欲求を認め、行動することは人間の本質です。知識を得て、判断し、行動し、達成を目指す――人はこのステップを自然に踏みます。これを抑え込むと、老化が加速すると私は考えます。すべてを我慢すれば、何もできなくなるのは当然です。 かつては我慢が美徳とされた時代もあり、今もその考えが残るかもしれません。しかし、そうした人々は若い頃に多くの経験を積んでいる場合が多いものです。経験がなければ、望む世界や価値観を追い求める機会は失われます。死を目前にするならともかく、60代にはあと20年、30年、40年と生きる可能性があります。60代は可能性に満ちた年齢であり、20代、30代、40代よりも深い思考や洞察力を発揮できる時期です。 それなのに、「老後は養老院や病院で過ごす」というイメージが一般的です。60代でさえ養老院を選ぶ人もいます。しかし、考え方を変え、自由に生き、納税しながら自立した生活を築く60代こそ、日本社会に求められています。保障に頼りすぎると、国の借金や若者の負担が増すばかりです。 人間もまた動物です。恋愛は生きている証であり、活力の源です。それがなければ、老いて衰えるだけでしょう。獲物をとれない老いた猿はわずかな食料でしのぎ、やがて力尽きます。人間の行く末は時にそれ以上に厳しいかもしれません。   いつまでも若くある必要はありません。しかし、その年齢にふさわしい生き方をためらわず楽しみ、実践することは、社会的な活動にも大きな影響を与...

環境問題を可視化する写真から具現化へ 133話

環境と写真をもう少し結び付けたいんだよね。。どうしたら農業の様に直接的に環境と取り組めるんやろか?それずっと考えてるんやけど、答えわからへんわ、不二子はん。 写真は反射した光の画像やから、ダイレクトに作用はでけへんわな。環境系ならたとえばシロナガスクジラ保護活動とか、その広報や記録などのオブザーバーなら皆ようやってはるわ。そこまでやろ。わてにも思いつかんわ。でもよしろはんは諦め悪いから、なんか探すんやろうな、、きっとな。

農業からの一時開放そして今後

このまま進めていけば圃場開拓に明け暮れていたであろう。その行動に神がストップをかけた。と仮説。 なんでもそうだが、今回の大学院の選択でさえ自分で探して希望したものではない。奈良に行って写真家の友人と話しているうちにそういう選択もあるのだと教えてくれたのが始まりだ。決断は自分でするものだが、情報がなければ決断できるものではない。 私は日々、小さな出来事や小さな変化、そして気になる言葉をキャッチして記憶している。それがその時結びつかなくてもいずれ大事な変化の始まりである事を知っているからだ。ありふれた日常など実は実在しない。全ては自分に与えるメッセージである。ありふれてると感じてるのは自らの心が変化や感受性の受け入れを閉ざしているではからないかと考える。 10年目を迎えた農業。様々な実験をして環境負荷の少ない稲作の基本を作り上げたと思う。7町程の面積だが大規模無農薬栽培をする技術を確立したと自負している。農業会社の立ち上げに始まり稲作の無農薬栽培の立案は私であり、その後指導者として活動し普及させて来た。思う事は、写真しか知らない写真家でさえ、己の心に忠実に信念をもてば法人クラスの稲作圃場が出来たという事だ。当初は我々無農薬稲作に対する慣行栽培農家からの偏見や嫌がらせ、暴言が凄まじく大変な思いも幾度となくあった。  さて、農業の研究は一旦打ち切りとして違うアプローチを試みたい。農業について今思う事は基本的な技術は確立しているので、精神的に楽な農業をやってみたいと考えている。これには面白い言葉があるが、要は適当という言葉だ。実は適当と言うものは知ってるから適当に出来ることだ。知らないものが適当にやったら成立しない。 人はなにか目標を見失ったら生きる事さえ辛くなります。放棄する事は楽なようで実はそうでもありません。年齢も関係ありません。むしろ年齢を重ねる程、色々な事に挑戦していいかと思います。私の知る人、全ての方が有意義な人生を過ごされますように。 世界は自由です。そしてクリエイティブです。そのエネルギーの集合体が生命です。ポイントは否定しない事。やってみる事です。失敗して本当の情報と価値を知る事が出来ます。   Dear readers around the world, When people lose sight of their goals, eve...

Zero Ground/Ariake Sea から

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Zero Ground/Ariake Sea    Zero Ground Ariake Sea   Uto   2016  Yoshiro Shinkawa  Self made French Landscape type lens 120mm Film size 4×5   Film scan with DSLR   海抜0メートル付近から見る有明海シリーズを2016年に撮影。 写真歴史の黎明期である1839年に生まれたダゲレオタイプ撮影時に使われたレンズ構成を研究し、当時フレンチランドスケープレンズと呼ばれた2枚構成のダブレットレンズを現代の既存のレンズから探し分解した。その後新しい鏡胴に組み込んだシャッター付きレンズを作成する。 周辺が暗いのはイメージサークルが狭いのではなく、絞りのケラレになる。初期の写真はレンズの前に絞りを設定したのでこの様なケラレが発生する。 さて、入力であるレンズ、出力である印画紙をオリジナルで制作するのは、オリジナル性を極めた手法である。当時この実験を行っていた。レンズは2本開発。 残りは出力である印画紙であるが、紙である支持体からセラミックを支持体にした印画媒体でサイアノタイプの研究を行う。 この様なアプローチが私の手法である。すべてを1から考え構築し作り上げる。とてつもない時間はかかるが、まぎれもなく誰も真似できないオリジナル技法。そしてこれが私が選んだセンスである。 作品は1975年、 New Topographics: Photographs of a Man-Altered Landscape 人の力で変化した風景、新しい地形学から脈々と現代にも続く写真表現であるが、私もその系統にある。しかし即物的な手法は飽きを生じるのも事実。写真表現の審美性を加味した作品。                             きゅ 

写真家だからね。これでも。

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大学院でも評価の高い私の作品。当然かと思う。キャリアが違う。問題意識が違う。深さが違う。研究レベルが違う。 私が制作したレンズがマウントされたこのカメラの登場は、私が本気で撮る時に選ぶカメラ。動きましょうか。焦点はとうに定まっています。

弥生時代の田んぼの遺跡に関する考察

弥生時代の田んぼの遺跡に関する考察  ― 京都盆地の先史・古代の田んぼ遺跡と現代の田んぼの共通項  私は写真家として風景をはじめ、人々を40年間撮影して来た。私の写真テーマは私が立った位置から見える生態と環境を視点に展開している。講義の中で弥生時代の田んぼの遺跡の写真があり、その田んぼの形やサイズそして遺跡として保存された事に興味を抱く。  現代の棚田事情  ある写真家の言葉を思い出す。彼が言うには、最近棚田の風景を撮りに行くが、撮れなくなった。もう作っていない田んぼが多くて絵にならない。と。私はそれまで棚田を写真に撮ることはなかったので近くの棚田を視察に行った。確かに田んぼは耕作放棄地が多くあり、風景写真を撮るには難しくなってきているのだと実感した。  弥生時代の田んぼ  さてここで3、1講時「モノからみる先史・古代の京都」3.弥生時代の京都盆地の講義をみて、とても興味のあった弥生時代の田んぼを見る事が出来た。 一畝ほどの田んぼが数多くあるのは現代とは違うが、山間奥深くの田んぼには時折見る事の出来る形だ。しかし人力だけで耕す時代であるということはこういう形になるのかと思わせた。現代において何反、何町もある大きな圃場は機械で行えるからという見方もあるが、実は産業であり出荷用であるからだ。逆に昔からある小さな田んぼや、山間部のより小さな田んぼの棚田などは、自家用で食べる為の田んぼである。1反の田んぼで家族5人を1年間食べる米を生産できる。農業技術がない時代、例えば平安時代の収量は現代の半分という。田んぼは出荷してお金を得る流通がなければ、家族が食べるお米を作るのが目的になる。 そう考えると、講義で見た極小面積の田んぼの写真はまさしく各々が食べる分の田んぼの形だ。一人あたり3畝程で一年分を賄えたと考えられる。黎明期の弥生時代の田んぼの形は人丈サイズの理にかなった形態だと思わせまる。  古代の田の遺跡が何故残るのか。  また、遺跡として発掘されたことも興味深い。現代は大きな圃場に変える時は重機で現存する田んぼを跡形もなく平地にして再度形成する。なので遺跡として残る事は出来ない。 弥生時代の田んぼがどのようにして遺跡として埋没したか。放棄され草木が茂り埋没したのか。 現代でも棚田などで石...

私の感覚は正常だった。

大学院の専門的な講義で発言を繰り返すが、思う事は普段私が考えている事や発言はアカデミックな世界では至極正常な事であると分かった。もちろん思考の大胆さに驚かれることがあるが、論理的に話せば理解できる範囲内だ。 あーあと思う。ここでは通用しない。 知るはずもない。生きてて、他人をけなすのは、決して自分の為にならないことを伝えても。分からない人には分かるはずもない。か。 あーあだ。大した話、普段してませんよ。

瓜実顔の吉田松陰

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夢なき者に理想なし 理想なき者に計画なし 計画なき者に実行なし 実行なき者に成功なし 故に、夢なき者に成功なし   国立国会図書館より引用   吉田 松陰は、江戸時代後期の日本の武士、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。明治維新の精神的指導者・理論者。「松下村塾」で明治維新で活躍した志士に大きな影響を与えた。Wikiより引用    

Grokはんの良い所

Grokはんは難問に対して他のAIと違い、NOを言わない。常に可能性を提案し続ける。しかし結論に問題があり、趣旨を理解してない時がある。これはチャンスでもある。つまりBig Dataに前例がないと言う事だ。ただ、一般人の私にとって化学的知識が多少あったとしても専門家レベルには達していない。他ジャンルならなおさらだ。私は写真しか知らない。多少農業や植物は知ってる程度だ。これは使いようである。量子コンピューターが登場すればこれまでの大発明クラスは次々と発表されると言う。そこで無いものは発案だ。今まで無かったものには途中まで論理的に科学的にAIは答えてくれるが、創造的な結論には至らない事が現段階ではわかった。しかしこれは使える手段だ。積極的に使えば次の新しい展開へと論理的に検証して進める。より積極的に活用すればいいと今の私は感じている。黎明期のAIはすべての現状を見るチャンスとも言える。

したくないという直感。

これ大事だと思うんだよね。

必要ないものをどこまでもそぎ落とす。

耕作放棄地の開墾を多数経験してる私にとって、草刈りの慣例などどうでもいい事だ。

絵画の基本 支持体を学ぼう

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全てでは広範囲だから耐久性が数千年というフレスコ画から研究したい。 最古のフレスコ画は紀元前2000年前のクノッソス宮殿や、ローマのカタコンベ(地下の共同墓所)の壁画が現存する。実に4000年も色褪せることなく、画像も残っているのは驚嘆である。さらに古代の2万年前はフランス ラスコー壁画が有名だ。材料は赤土・木炭を獣脂・血・樹液で溶かして混ぜ、黒・赤・黄・茶・褐色の顔料を使ったという。その後フレスコ画へと展開する基本とも考えられた。  クノッソス宮殿の壁画  紀元前16世紀頃から紀元前1450年頃 クレタ島ミノア文明   写真でフレスコである漆喰を支持体に選択したときに問題は強アルカリの性質だ。原料は消石灰と砂。消石灰のアルカリが化学物質の写真感光材料に影響して画像形成が難しくなる。難しいとは画像が僅かは残ると言う事だ。前回の実験で一番不可思議な現象は、光の影響が少ない暗室にて、フレスコボードに硝酸銀を塗った時の事だった。2%塩水を吸収させたフレスコ紙に硝酸銀を塗布すると光が無いのに露光した時と同じ様、暗褐色に変化した。この現象は何なのかを調べる必要はある。光の作用では無く、感光した(化学変化した)と捉えられるなら非常に面白い現象であった。

情報インフラ?

スマホを使わない事は現代でも通用する。SNSを使わないのも問題は無い。当然LINEしかり。逆にLINEで業務報告をやりとりする事を強要するのはハラスメントとしての認識が決定した。無いなら皆が諦めるという構図はまだ成り立つ。発生するのは他者からの連絡が来ないという構図。これは本人には都合がいい事が実は多い。後は簡単で、ある意味常識だが誰も知らないアカウントを持てばいい。現代はアップロードしたら知られていると考えるのが妥当だ。公開してる情報は筒抜けだ。それは公開している者の責任。残りの通話、チャット系は、持ってても持たなくてもさほど重要では無い事がわかる。そう思いますが?

実験は続く

殆んどのアイディアは失敗であった。膠もフレスコも画像形成が十分ではない。そして消失する。200年の歴史とは言え、私の思いつきなど過去の偉人は試したであろう。サイアノタイプはコットンキャンバス、フレスコ両支持体とも完全な失敗。ソルトプリントに関しては表現で使えない事もないアイディアをフレスコにて発見出来た。とにかく前例のないレシピを開発している段階なので失敗は当然である。しかし、これはお金も時間もかかる研究を選んだものだ。古典レシピでの作品制作と新しいレシピ開発を並行しないと修士課程2年間では到底間に合わないだろう。博士課程は写真だけでなく総合的な芸術博士のようだ。ためらいを感じているのが今の本音だろうか。その当時になればより詳しい情報が分かるだろう。それから考える事にする。

Grubb Aplanat type lens 195mm f3.9 

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トーマス クラブ氏が設計した1857年初期のアプラナートレンズタイプのセルフメイドレンズを作成。Grubb Aplanat type lens 195mm f3.9    このレンズの良さを改めて感じる。開放値がf3.9と比較的明るいので高速シャッターが可能で人物撮影にも対応できる。この写真は開放絞りだが、画像は破城しておらずハレーションも多いがボケ感は優秀だ。もちろん絞れば通常のレンズの様にシャープになる。 久しく人物を撮っていないが歴史の風俗を捉えるには人物撮影が不可欠。近く撮る事になるだろうがその時はこのレンズを使いたい。 Collezioni    Self-made lens   Grubb Aplanat type lens 195mm /open Film size 4×5  

鐘がなるる 106話

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きょうから2日の休み。拘束されない土日。いいっすね。何にも考えないでいようかな?そうはいかんか。ごぜんは甲佐。でも午前中に帰って来る。そのあとは遊ぼうか。実験は明日。今日しかないな。遊ぶって言ってもな。若い頃の遊びには飽きたしな。酒も最近不味いしな。そうや、おれのメインカメラを調整しようか、そろそろ出番だ。これでないとぼく様らしさが写らない。なんと言っても写真初期のレンズ構成を再現した自作レンズ。写りはまさに1800年代後半の19世紀や。大学院の教授陣も凄い興味深々であった。これが基本や!と言いましたわ(笑)初日にしてこれや。パリでも直ぐに評価されたのもこれや。正しくわてのオリジナルや。そうどすな。写真を正しく認識されてますわ。入力出力で成り立つのが写真。そこに目を付けはったのはええ視点。思いつきを論理的に構築していくのは案様の才能。そろそろ使いなはれ。そうやで。使うから引っ張り出して来たわ。もう遊んでるひまないで。通用せんわ。本気でやらんとな。 Zone Project uncategorized  kumamoto  2016    Yoshiro Shinkawa French Landscape type lens 120mm Film size 6x7   Film scan with DSLR