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門出橋で月を眺めながら

満月 川 葦 冷たい空気 冷たい風 僕はよくここにきては物思いに耽る。 結局ここは思考するにはいいんだ。 あらためて自分の故郷をいいと感じた。 五百年前に未開の地であった所へ大阪から定着した初代のご先祖様。 17代目になる僕はどのような方かいつも想像していた。 具体像はわからないが、梵字六地蔵を建立したことだけが今でも伝わる。 石碑には新川と幾人かの衆が騒乱の戦を静めるために建てたと記してある。  

プラン1 修士を京都芸大大学院で修めて、博士号をヨーロッパ圏でと考えている。お勧め大学院はあるか。

  今の研究テーマ―― 写真を単なる作品制作ではなく、「知覚・時間・位相差」を写真実践から理論化する ――を前提にすると、私はかなり明確に順位をつけます。 1位  Aalto University (フィンランド) 一番おすすめです。 Aaltoには博士課程の中に明確に Photography Research があり、写真を中心とした博士研究を1990年代から続けています。博士論文に、作品制作・展覧会・学術論文などを組み込むことも可能です。 さらに重要なのが、現在の研究分野に Harri Laakso教授 がいることです。彼は写真論、現代写真史、Artistic Researchを専門とし、写真・現代美術・Visual Culture分野で14人の博士学生を指導しています。 これは、あなたの 写真作品 + 微小位相差論 + 時間論 + 知覚論 + 写真そのものを研究方法にする という方向とかなり相性がいい。 第一候補として、修士修了後にAaltoへ出すことを考えた方がいいと思います。 2位  Zurich University of the Arts (スイス) こちらも非常に面白いです。 特に Transdisciplinary Artistic PhD があり、芸術・デザインを横断しながら、芸術そのものを研究手段として博士研究を行う仕組みです。 しかも「既存の学問分野に自分を合わせる」というより、 芸術実践から新しい知を作る という思想がかなり強い。 あなたの「微小位相差論」は、普通の写真学ではなく、 写真→知覚→時間→認識という横断的研究 にした方が面白くなるので、こちらも非常に有力です。 ただし、ZHdK自身には博士号授与権がなく、提携大学との共同方式になります。修士120 ECTS相当、成績、さらに芸術博士の場合は数年間の芸術実践と作品実績などが求められます。 3位 その他の欧州のArtistic Research系 ここからは、 オランダ ドイツ オーストリア イギリス 北欧 まで広げて探す価値があります。 ただ、 「有名大学だから」という理由で選ばない方がいい です。 あなたの場合は、 大学名 < 指導教員との研究テーマの一致 です。 私ならこうします 京都芸...

FB

フェースブックか。。 2018年に最初に始めた頃5000人を超えていたが、今回もまもなくそうなるだろう。 前回よりも速いペースだ。 ただ、内容がいい。 世の中には見事に僕の思うこと以上をコメントしてくる方がいる。 インターフェースデザインも向上していて面倒ではなくなっている。 ヨーロッパ圏を中心に今後の活動を見据えてるので、現地情報も聞けるようにしたい。 実際多くの情報を教えてもらった。 こういう使い方ならSNSも改めていいなと感じている。 日本では何の反応もない僕の写真だが、世界には通じる様だ。 この現象をAIに聞くと面白い回答が出てきた。 まあこういう事を書くと日本では嫌われるが、平気であるのが僕らしさだ。  僕の思考の根底には、だから何?という思想がある。  まあ、その件は後日。 

Step by Step

1が出来たら2が出来る。 そうなんだよ。 単純さ。 1000で到達なら1000日で出来る。 ひとつも出来ないなら前には進まない。 1000が難しくても1なら可能だ。  僕に才能があるとするなら、続ける力。諦めない態度。 それだけだ。 必須科目の終盤。 なぜ昨年とらなかったのかとは思わない。 用意された時間でいくつもの考えを実行している。 

私はいつも私です。

少ししたらおそらく僕はヨーロッパ圏を旅して周っているだろう。 空の下の博物館といわれるアルメニア。 スペインのイビザ島。 コペンハーゲンの世界一のレストランNOMA。 クロアチア・ドゥブロヴニク「アドリア海の真珠」と呼ばれる港町。 スコットランドアイラ島にあるスコッチ・ウイスキーのボウモア蒸留所。 イタリア各所。 フランス ルーブル。  ヘルシンキ。 バルト三国 十字架の丘。 ただ思うね。 普段の僕のままの生活が向こうにもある気がする。 そして思うね。 ここでの生活もまた向こうと変わらないよ。とね。  I Am Always Myself Soon, perhaps, I’ll be traveling around Europe. Armenia, known as a museum beneath the open sky. Ibiza in Spain. NOMA, the world-renowned restaurant in Copenhagen. Dubrovnik in Croatia, the port city known as the “Pearl of the Adriatic.” The Bowmore distillery on the Isle of Islay in Scotland. Various places in Italy. The Louvre in France. Helsinki. The Hill of Crosses in the Baltic region. And yet, I can’t help thinking: I have a feeling that my ordinary life, just as it is, will somehow be there too. And then I think: Perhaps the life I live here is, after all, no different from the life I will find there.      

なかったけどな

大概元気なぼく様ですけど。 夏バテ気味。。 6時間も休みなしで働くと後半、足元に力が入らない。 ? ナトリウム欠乏か。 塩と水分で元気にはなる。 でも朝しんどいなと起きる。 いままでそんな事はなかった。 目覚めるとすぐに行動も思考も出来ていた。 こうやって歳とるんだなあ。 事実は事実で受け止めて対処か変更しながら目標まで到達する方法を考えよう。 

日曜日の朝

今日は仕事。 被災地のボランティアさんが大勢宿泊される。 僕も休みを返上してお勤めします。 こんなことしか出来てないけど。 笑顔で受けました。 朝に涼しくなった僕の家でギターを弾いて身体のリズムを整えリラックスしている今。 

「記憶のRAWデータ — From Thumbnail to Motion」

Recently I noticed something about how my memory works. My memory seems to be structured like a RAW file with an attached thumbnail. It first appears as an image, then unfolds into a still, and when needed, becomes something I can edit like footage. I did not build this order intentionally; I only noticed it afterward. The reason is probably the long years spent managing photographs on a computer. The speed at which a Mac lets you browse a hundred thousand frames in a few minutes seems to have shaped the form my memory takes. The way a browser first lays out low-resolution thumbnails and only opens the full file when needed resembles how my memory works: fragments appear first as thumbnails, and only what is needed unfolds into a still, and sometimes into something closer to motion. Years of that kind of work may have quietly shaped the structure of perception before any theory was formed. Looking back, the photographic theory I am working on now may simply be a later attempt to ...

The Sleeping Princess(眠り姫)オリジナルコードの一部変更

このブログでは最近最多のアクセスであるが、弾いていくうちに変わってきました。 これは変わっていくのが普通かもしれないけど。 今弾いてるものがとても気に入ってる。 でもまだ弾いてる自分をアップするなんて恥ずかしい。 だからコードを記録として残すのはいいですね。 楽譜は自力では書けないので。 

Social Media as an Interface

フェースブックはすでにSNSが写真家とアーテイスト、研究者と研究者のインターフェースとしての機能を持ち始めた。こういう使い方がいい。  私は幸せ。私は凄い魅力でしょ?みたいな情報が多いので敬遠していたが、やっと僕の求める在り方が実現したね。 美味しい料理も、撮っているうちに冷めちゃうよ。ぼくはいつもそう思って眺めている。。

クエチアピンとコオロギとルネスタの悪夢

せんせーこのくすり、おとこやめちまったみたいだ。なんとかして。。 あー抗精神薬はみんなそうです。 そうですね。これにしましょうか。 ルネスタ。 その晩ぼくは悪夢にうなされた。 目覚めるとコオロギが鈴をかき鳴らすように鳴いている。 何て薬だ。 調べると悪夢を見る人もいるとか。。  

遺伝子組み換え作物を使っていないバーボン

最近バーボン飲むと頭痛い。 悪酔いする。 安いジムビームス白ラベル。 もうこれは飲めないな。   以下参照 New Riff Bourbon — コーン65%、ライ麦30%、モルト5%。原料穀物がnon-GMOと明記されています。 Frey Ranch Four-Grain Straight Bourbon — 自社農場で栽培した4種類の穀物を使用し、コーンはnon-GMO。 KOVAL Bourbon — 遺伝子組換えをしていない穀物を使用し、原料から樽までUSDAオーガニック規格。 Russell's Reserve — コーン、ライ麦、モルトの3穀物についてnon-GMOと明記。

のうぎょうか。稲作なんて簡単すぎる。

農業に専念した10年前、僕は1反あたりの収穫量は9俵半であった。 父も言っていた。10俵にするのは簡単だ、8俵にしてるんだよ。 同じ意見だ。 僕は農業は行っていない。 農法なんかもどうでもいい。 植物が人間に合わせてるだけだ。 僕は水生生物の保全環境を作っているだけだ。  収量を上げたければ慣行農法と無農薬のハイブリッドだろうね。 興味ない。 

夜行性へ

夕立さえない干ばつが続く。 滝川水系は水量は維持している。これは不思議だ。水系の直線距離は短く、上流は木がない原野も多いというのに。 木山川は水量が減っている。ここは水源がやはり原野なのでしかたない。 それでもこの天候でよく水があるなと思う。 日中の暑さはもうインド北西部や北アフリカかとさえ思う灼熱感だ。行ったことないけどw   行動は夜がいい。 とても涼しく心地いい。 日曜日は街へ出た。喧騒を眺め、飲み、食べ、踊った。 でも街は暑かった。   なんて涼しいこの村。 街の喧騒は僕にはもう必要ないようだ。

あさの3時から7時まで

目覚めると涼しい。  夏の日は夜もふけると過ごしやすい。 今日はコオロギが鳴いている。  睡眠薬としてクエチアピンを長期間飲んでいた。 「ああ、やっぱりか」 と思った。 どうやら男性機能を低下させることがあるらしい。 やめよう。 いや、まずは医師に相談しよう。 ちょっと門出橋まで涼みに行くか。 散歩は好きではないけれど、そこまでならいい。 深夜にギターを弾きたい。 ストリートミュージシャンは、まだ街にいるのだろうか。 昔、少しだけやったことがある。 なかなか楽しかった。 今回の曲を、どこかでお披露目したい。 The Sleeping Princess これはとてもいい曲に仕上がった。 アコースティックの持ち曲は、今のところ Hill of Carnation と合わせて二曲だけ。 ちょこっとライブには十分だ。 滝川の田んぼで毎朝弾いている。 昼も弾く。 夕方も弾く。 きっと目立つのだろう。 四季即贅喰さんのお客さんが立ち止まり、スマホで撮っていくことがよくある。 少し恥ずかしい。

ベクトルの次元が違う ── 世間の評価ではなく、意味のある人生へ

一秒一秒、僕たちは死へ向かっている。 ならば、ただ流されるのではなく、 自分にとって意味のある生き方をすればいい。 世間体だけを気にして、自分を抑えることに何の意味があるのだろう。 人は、意味を感じるからこそ「生きている」と実感できる。 それは若い時よりも、 歳を重ねるほど大切になる。 残された時間を、何に向けるのか。 人生のベクトルは、他人が決めるものではない。  

花のあと、人はどう生きるのか

植物には、栄養成長と生殖成長がある。 芽を出し、根を張り、葉を広げる時期。 そして花を咲かせ、種子を残す時期。 では、その後はどうなのか。 生命は、そこで役割を終えるのだろうか。 私はそうは思わない。 古い木には、若い木にはない時間がある。 長い年月を生きた幹には、若さとは違う存在感がある。 人間も同じではないだろうか。 若い頃は、自分を作る時代。 経験を積み、技術を磨き、社会の中で自分の場所を築いていく。 そして次の世代へ何かを渡していく。 しかし、その後の時間について、私たちはあまり考えてこなかった。 現代は、若さを維持することばかりが語られる。 若く見えること。 若い身体でいること。 若者と同じように動けること。 しかし、人間の価値は本当にそこだけなのだろうか。 昔、長老という存在がいた。 若者には未来があり、長老には時間の深さがあった。 そこには互いへの尊敬があった。 今は、身体が衰えると、その人が積み重ねてきた経験や感性まで、一緒に失われたように扱われることがある。 本当にそれでいいのだろうか。 人間には、若さの後に来る、まだ十分に発見されていない生命の段階があるのではないか。 子孫を残したあと。 社会的な役割を終えたあと。 それでも人は創造できる。 考えることができる。 誰かと深い場所で語り合うことができる。 男女が一緒にいることも、いつも恋愛だけではない。 同じ時間を過ごし、互いの世界に触れることもある。 人はいつの間にか、自分の年齢や立場によって、自分自身を小さくしてしまう。 もう若くないから。 もう遅いから。 そうやって、自分の可能性に蓋をしてしまう。 しかし生命は、本来そんなに単純なものではない。 木は古くなるほど根を深くする。 時間を重ねるほど、別の力を持つ。 人間もまた、年齢とともに失うだけの存在ではない。 経験も、記憶も、出会いも、すべてを抱えながら、まだ新しいものを生み出すことができる。 若さを取り戻す必要はない。 老いをただ受け入れるだけでもない。 生命が最後まで変化し続ける、その先の時間。 まだ名前のない第三の季節。 私は、その可能性について考えている。

統計で考えよう。

地震データを精査し、震度ランキングを構築した。 過去200年(1826年以降)で熊本を震源とする地震の規模トップ10は次の通りです。 1位、2016年4月16日、熊本地震本震、M7.3、益城町などで震度7。 2位、2026年7月28日、令和8年熊本地震、M7.1、宇城市と氷川町で震度7。僕が今まさに影響下にある地震です。 3位、1898年12月4日、熊本県東部の地震、M6.3ではなくM6.7。この時期にしては規模の大きい地震でした。 4位、2016年4月14日、熊本地震前震、M6.5、益城町で震度7。 5位、2016年4月15日、熊本地震の余震、M6.4。 6位、1889年7月28日、明治熊本地震、M6.3、熊本市付近を震源とし死者20名。 7位、1894年8月8日、熊本県東部の地震、M6.3。 8位、1895年8月27日、熊本県東部の地震、M6.3。 9位、1916年12月29日、熊本県南部の地震、M6.1。 10位、1975年1月23日、熊本県阿蘇地方の地震、M6.1。

怪しいな

まあ。 一応教育は受けてる発言ですが。 消防団では10年前の熊本地震の10年前から訓練を受けてきました。 のち、南西方向にストレスは発散されていない。 その通りですが。 間合いがきもいな。 眠り姫。 帰るのはゆっくりでいい。 

また地震かよ。

今朝から地震雲が多いと思ってた。 布田川断層南西域ですか。 とっとと終わりなさい。  友人が店をしている。 イオンモール熊本。 無事だと確認できた。