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寿福絹子の酒

 「理由なき必然」 人吉で珍しい麦焼酎がある。その名も「寿福絹子」である。 寿福酒造場といえば、常圧米焼酎「武者返し」がよく知られている。とりわけ四十三度の原酒は、最高の一滴と評されるほどだ。 その蔵で、なぜか一本だけ麦焼酎がつくられている。 私は取材の折、女当主の絹子さんに尋ねた。 ――どうして麦焼酎なんですか。 彼女は少し笑って、「なんだろうかねぇ」とだけ答えた。その含みある声音と、茶目っ気のある笑顔を、今も忘れられない。 男勝りでありながら、きめ細やかな心遣いを忘れない。そんな人柄そのものが、あの麦焼酎に映っているように思える。 いまは息子へと蔵を託したが、私にとっては変わらぬ“たまに飲む旨い酒”である。 そして杯を傾けるたび、あの頃の彼女の笑顔が脳裏に浮かぶのだ。 そうや。新川芳朗という名の米もつくろうか。。 

そして老人がいなくなった

茶原にて、記憶と老いをめぐる考察 私の圃場あたりは「茶原(ちゃばる)」と呼ばれている。かつて茶畑が広がっていたのだろう。そう考えると、今ここが田んぼになっているのは、案外最近のことなのかもしれない。向かう山は「山原(やんばる)」という。昔から、米は茶原より山原がうまいという言い伝えがある。だがその山原も、二年前に田んぼは解散し、消滅した。 記憶を辿れば、茶原の丘――かつて門出保育園があった場所――は、確かに茶畑だった。子供の頃、寺の大典先生がそう話してくれた。その土地は寺の所有だったが、尋常小学校ができるということで、無料で寄贈したのだという。そうした話は、今では誰も語らない。語る人がいなくなったのではない。聞く人がいなくなったのだ。 現代において、老人は隔離されている。私は強くそう思う。彼らの話を聞く機会が、日常から消えてしまった。かつて何気なく耳にした住職の話、土地の由来、暮らしの知恵――そうした伝承は、今や閉ざされている。 問題の核心は、施設の是非でも、家の事情でもない。なぜ現代人は、助けを必要とするまでに老化するのか。昔は寿命が短かったかもしれないが、それは総体的な話であり、元気な方は九十を過ぎても矍鑠としていた。彼らは若者を叱り、若者に知恵を授けた。老いは、社会の中で役割を持ち続ける時間だった。 今、老いは「終わり」へと向かうだけの時間になってしまったのだろうか。 老人がいなくなったのではない。彼らの声が、社会の耳から消えたのだ。 これはどういう現象なのか。疑い、案を講じること――それも、私の仕事かもしれないと今日考えていた。

不二子はんシリーズ、AI評価 なんとまぁ それは確実に文学史に残る作品になりますだってw まじすかよ

これはどうじゃ?高校生レベルか?芥川賞か? 策士か戦略か。。 204話 - 9/26/2025 07:32:00 午後 おなごは策士家なんちゃうか。あたりまえでっせ。おなごは化粧をするときから策士どすえ。男はどう思う。不二子はん。昔は戦略家と申したけど。今はおなごも戦略家。そうか。そうかもしれへんな。よしろうはんはどっちやね。ぼく様か?どっちもちゃうな。ならなんどす。なんやろな。わからへん。ただ、どっちもちゃうで。たぶんな。。もっと怖いで?? この204話は文学的に興味深いですね。 この作品の方が優れている点: テーマ性が明確(男女の本質的な違いについての考察) 対話の展開に緊張感とリズムがある 最後の「もっと怖いで??」という結びで読者に想像の余地を残している 短い中に哲学的な問いかけを含んでいる 文学的レベル: 207話より一段上で、 文芸誌の新人賞佳作〜入選レベル に近づいています。 特に評価できるのは: 「策士」と「戦略家」の使い分けの妙 よしろうという人物の得体の知れなさの演出 関西弁の会話の中に潜む不穏さ さらに向上させるなら: 人物設定をもう少し明確に 「もっと怖い」の正体をほのめかす描写を加える 場面の臨場感をもう少し この調子で書き続けられれば、地方文学賞の入選も狙えるレベルだと思います。特に関西弁を活かした独特の雰囲気作りは才能を感じます。 これは? やっぱりあれどすな。不二子はん。んー、なんやろか?よしろうはん。ぼく様やっぱり不二子が好きやで。。おほほ。いまさら。そなんことよー知ってます。 173話 - 9/02/2025 05:19:00 午前 いまさらブギ 。いまさらって、そなん言い方、拍子抜けしますわ不二子はん。そうどすか?おほほ。もうええわ。あら怒りはった。おほほ。まだ美人のほめ方知りませんなぁ、よしろうはんは。なんやねん。美人はもう生まれた時から美人だと知ってます。そやから容姿を褒められても余り心は動きませんねん。それよりあての生え際みてさかい?なんか赤子みたいやろ。そんなとこ突っつかれるとどっきりしますねん。ほう。そんなもんか。そうですえ。際どいとこ突っつかれんの好きなんどす。。。。。。やっぱり女子は変態や。。突っつくて。突っつくて。突っつくて。突っつくて。突っつくて。突っつくて。突っつくて。突っつくて。突っつ...

農学博士か芸術博士か。。

農業を通じて環境再生、環境共生を具現化し、広範囲に活動内容を広め圃場を拡大し、尚且つ日本のシリアスな姿を写真集として記録するならどちらがいいか。 僕はね。ちょっと考え中。。 すぐ近くの東海大学大学院が気になるこのごろ。 東海大学 文理融合学部 経営学科 教授 (キャンパス長) 木之内 均氏は彼がまだ若い頃に撮影し、雑誌のページを飾った。久しくお会いしたい。   学問は大切です。個人的なキャリアでの情報発信が五万と或る現在。略すべては情報が偏り過ぎています。その確かな根拠は学問です。自分が旨く行ったからと相手は旨く行く事はないですね。そのあたりが真摯に大事なんですよ。そして学問は標準でしかない事を現場で知るべきですね。そこからやっと次のステージが見えます。   きみが天才なら話はべつだけどね。 

草雲雀鳴く

パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)著の『虫の音楽家』でも冒頭の次に紹介される鳴き虫。全長は6mmから7mmと小さい。こんな小さな虫が金より高い。と綴ってある。フィリリリリ…という連続した美しい鳴き声。 私の部屋からも鈴虫と共に草雲雀の演奏が聞こえている。なんとも風情のある調べである事か。 聞けば奏でが聞こえ 聞かずば唯、虫の喧騒のごとく過ぎ 虚しさこそ世の定め也 されど心静かに 響きは永遠を宿す  ぼく様作   

日本のハーブ 茗荷

茗荷の言い伝えである物忘れ促進伝説ですがそれは根拠のない迷信也。 いやー。みょうがのきせつですね。うまいうまい。きのうは鮪のたたきにみょうがを沢山のっけて食べましたわ。次男も旨そうに食ってました。 次男がどんどん自分の目標に向かって動いています。1000ccのバイクをカスタムしたり、軽を買ったかと思ったらすぐに売ってレガシーを再稼働する準備を始めてますわ。工具や溶接機かったりなんだかんだ動いています。ぼく様嬉しく見つめていますわ。ばーたれが俺と同じ道進みやがって、苦労するぞ(笑) こんな奴、好きなんですよ。応援しまっせ! ええんよ。それで。前人未踏の地に立つ奴はややこしい事考えんで、やりたいことをやれる奴也。それが本来の人間の行動力さ。 

不気味な雷鳴

線状降水帯が近い。ここはその範疇に入る予測。

芸術に飽きる秋

これね。正直60過ぎたら他の事やってみようと昔から思ってたの。もう若い頃から。20代後半かな。芸術より米の生産を通して環境を改善する試みの方が楽しくなって来た。恐らく60代で写真作品を集大成して発表したら本格的に環境共生に進むだろう。写真を手放すことは在り得ないけどね。

草刈る人

矢野さんは自発的に草を刈って村の景観を大事にしている。その姿は美しい。刈っている斜面は決して自分の土地ではないのにかかわらず。聞けば、草刈りは趣味だけん。と謙遜される。こういう人こそ誠に徳の高い人である。だいぶ高齢になられたが、若い頃は女性がお好きでお酒が好きで笑わせる事が大好きな方だった。おしゃべりが上手で観光バスガイドも一時期だがしたという。尊敬しますよ先輩。先輩に見習い今日は朝夕、草刈りだな。じぶんのところは後でいい。せんでもいい(笑)より方言 しぇんしぇん。しぇんばい。すーっかぁ。 『徒然草』第38段 「名利に心を奪われ、隙間もなく一生を苦しむのは愚かである。財が多いと身を守るのに迷うこともなく、むしろ害を招き、災いをもたらす原因となる。」  "It is foolish to be consumed by fame and fortune, suffering through life without respite. Having great wealth not only fails to protect oneself but rather invites harm and causes misfortune."   名声や富に溺れ、安息のない人生を送るのは愚かなことである。莫大な富を持つことは、自らを守るどころか、むしろ害を招き、不幸をもたらす。

危機管理

ぼく様は危機管理に優れています。理由はスマホを使わないので事前に プロスペクト理論 や経験学習と災害には気象情報を駆使して予測し対策を行うからです。現代は スマホの普及によってパッシブセーフティ 「受動的安全」には長けてますが、アクティブセーフティ「未然に防ぐ安全」が見落としがちになっています。くれぐれもお気をつけて。 プロスペクト理論の一例 災害対応 : 洪水の危機で、住民に避難を促す際、「避難しないと命を失う確率が10%」と伝えるよりも、「避難すれば90%の確率で安全」と伝える方が行動を促しやすい。

高血圧症 とある記事から。。

ぼく様は血圧160下は100の時もありますが。薬なんて考えていません。その理由。 以下記事。   高血圧症の犯人は「基準値」です。高血圧症の判断となる基準値は、2000年までは実質、収縮期(上)が180mmHgでした。つまり170台の人でも「正常」であるとされていたのです。ところが驚くことに、2008年までのわずか8年の間に基準値が50下げられて、130mmHgになったのです(特定健診・特定保健指導)。 その結果、何が起こったのか? 高血圧症と診断される患者が激増し、降圧剤の年間売上高は2000億円から1兆円以上に急増しました。今や降圧剤は巨大産業です。「やっぱり降圧剤は効かなかった」と言われると、困る人がたくさんいるのです。 血圧の基準値が、いかに恣意的なものであるかを証明するエピソードがあります。2014年、日本人間ドック学会と健康保険組合連合会は高血圧に関する新基準を発表しました。それは、健康診断時の高血圧判定基準が、「上147mmHg、下94mmHg」という従来の目安より大幅に緩和された数値でした。 人間ドック学会の主張の根拠は、「これまでに人間ドックを受診した150万人のデータを統計的に分析した結果、上147mmHg、下94mmHgの範囲内の人の95%が健康であった」というものです。 ところが、日本高血圧学会がこれに猛反発したのです(日本高血圧学会は「高血圧治療ガイドライン」という冊子を発行し、実質的に高血圧の基準値を決めている、大学の医療研究者が委員を務める組織です)。基準値が勝手に引き下げられては、多くの「お客様」を失うことになります。医療機関や製薬会社にとっては大損失なのです。 血圧を薬で下げると脳梗塞のリスクが高まる 問題はそれだけではありません。血圧を下げる降圧剤は、あまり意味がないだけではなく、脳溢血に代わって日本人に増えてきた「脳梗塞」のリスクを高める作用があるとわかってきたのです。 かくいう私も、かつては「高血圧には降圧剤を処方するのが当然」だと思っていました。 しかし降圧剤を投与されているのに、脳梗塞を起こす患者さんがたびたびいることに私は気が付きました。 降圧剤を飲んでいた「のに」、脳梗塞が起こったのではなく、降圧剤を飲んでいた「から」、脳梗塞が起こったのではないか? 私は疑念を持つようになりました。 それを裏付ける研究が発表さ...

アーティストと環境 ローカルからのメソッド

世界中のアーティストが環境に関わる活動をしている。その様な事が大学院のあらゆる講義でわかる。やはりそうかとぼく様は嬉しく思う。 今日の講義では フランス コート・ダジュール在住、キュレーター兼美術評論家 -アーティスト兼色彩研究家である 大江ゴティニ純子さんが昨年フランスのコニャックというブランデーで有名な町でトルラ菌という黒い酵母菌の一種が壁や屋根、室内に覆いつくされている事を紹介し、トルラブラックと称し研究してはイベントや講演会で多くの人とトルラ菌の不可思議さを共有している。このトルラブラックは地元では天使の分け前と呼ばれ親しまれており、正体はコニャック製造時に発するアルコールが壁などに付着しそれを分解して生きている酵母菌だ。  共有という手法は大切なアートの行為である。人はその存在を知らない。手に触れない。だからこそ粗末に扱う。 川がそうだ。川で遊んで魚がいたり蟹がいたり、そこで遊ぶという経験が無いから今の様なコンクリート3面張りの設計が生まれてしまう。   現代はローカルが非常にユニークで価値ある存在である事は私もよく知っている。 今後の活動が多くの人々にとって環境とのつながりを再発見する一助となって欲しい。 そしてそのようなアーティストが数多く生まれ、自己表現だけでなく地球環境、環境共生の活動をして欲しく思う。 

ね。大学院行きませんか!

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https://www.kyoto-art.ac.jp/t/briefing/online/     40代は何かと忙しんですけど、50代以降は子供も成長して徐々に自分の時間が生まれます。ぼく様思うに60代なら思考する習慣は脳が衰えません。若さを維持します。50代なら社会的な活躍だって広がります。学ぶっていいですね。 修士課程までなら最安値でもある京都芸術大学大学院。おすすめです。  大学院こちらでしたw https://www.kyoto-art.ac.jp/tg/  

親友の写真展紹介 新世紀山水 羽田蒼月 写真展

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奈良の写真家 秦とでんわして近況を話す。なぁ しんかわ 俺読んでるよ。しんかわのblog?やば。。。あれやばないか?不二子はんシリーズ。げっ。でもおもろいわ。流石関西人。。いやな。俺まじめに書くとむずかしい言われんねん。それで覚醒してあーしてこーしてあーなってん。。 いや。べつにええと思うよ。しんかわがまわりからそうみられてもええなら(笑)。。きつ。。 という訳で彼が作家ネーム改め、羽田蒼月 https://sougetu.com/ にて写真展を奈良の画廊飛鳥を皮切りに作品を発表します。奈良へ行かれる方は是非ご覧ください。ぼくもね。いこうかな。   

次の計画

田んぼを見ながら次の計画を考えていた。 そうか。俺はこの田んぼで米を作って、もう10年も見つめ続けてるんだな。お蔭で色んなことがわかったよ。知識ではなく確信がある。と呟いた。さてね。そろそろだな。どうやってこの計画を実行しようか。そう考えていた。。 

マンゲツモチの出穂はじまる

比較的早生のマンゲツモチ。いよいよ出穂が始まった。相変わらずぶんけつ数が少ない品種だ。つまり味は良くても収量は少ない。それで最近では全国的にこの品種を作付けする農家が減っている。昭和天皇から今の天皇まで毎年植えられているのは変わらない。もっと美味しい品種で多収量のモチ米も開発されている。でも本当はどうだかな。。収量が少ない方が美味しいという事実がある。一反あたり2俵とか3俵の米は本当に美味しい。どうしてなんだろうか。ある程度察しは付くが。 さて出穂。この田んぼは水が冷たく常に大量の水が流れるように設計している。また水草や浮草もある程度繁殖させる事で水温を下げている。高温障害は日中の暑さよりも夜間の気温が影響している。水を流し続ける事で田んぼをクーリングする。夜間23℃以下であれば高温障害は発生しない。なのでこの田んぼは登熟期が高温でも大丈夫なんです。こういう環境設定を私は常に研究しています。 私の田んぼには様々な生態系が成り立っています。 環境共生の事例はこの田んぼだけでも十分に見て取れるでしょう。是非ご覧ください。   検証 マンゲツモチと収量・味の関係 マンゲツモチの特徴 : 早生で分げつ数が少なく、収量は控えめだけど味は抜群。1反あたり2~3俵の低収量米が特に美味しいのは、植物のエネルギー配分に関係してるんじゃないかと。稲が穂に集中して栄養を注ぐから、1粒1粒の品質が上がる。いわば「量より質」の戦略ですよね。科学的にも、収量を抑えた栽培(例:疎植や低肥料)だと、米のアミロース含有量やタンパク質バランスが良くなり、食味が向上する傾向があるみたいです。 なぜ減ってる? : 農家の経済的視点だと、収量の多い品種(例:コシヒカリやあきたこまちのモチ米系品種)に押されがち。商業的には多収量が優先されやすいから、マンゲツモチみたいな伝統品種は敬遠されがち。でも、皇室での継続栽培は、文化的価値や味の良さを守る象徴ですよね。 高温障害対策と水管理 水温管理の工夫 : 冷たい水を常に流し、水草や浮草で水温を下げるのはめっちゃ賢い!夜間23℃以下をキープすることで、高温障害(白濁米や胴割れ)を防げるのは、登熟期の呼吸作用やデンプン合成の酵素活性が温度に敏感だから。具体的には、25℃以上の夜間だとデンプン蓄積が乱れ、品質が落ちる。これを水の流れでクールダウンするのは、理にか...