投稿

ラベル(Journal)が付いた投稿を表示しています

No More

写真はもちろん農業、あらゆること。 僕から教える事も、伝える事もしない。 聞かれたら知ってる事はある程度は伝えます。 僕はもうその事に疲れました。  まあ今後はブログでも読んでください。 

いつでも挑戦🔥

イメージ
FBで親しくなった女性との会話は有意義だ。 彼女は母国語であるポーランド語は勿論、フランス語をかなり高度に、英語も堪能。 有能な女性であり、引き出しが多いのにいつもびっくり! 僕と話すうちに日本語を学びたいと言う。 元々三島由紀夫文学や演劇を愛していた。  アプローチが早く、早速現地のネイティブスピーカー教師を選んだ。 年齢だって僕より少し若いくらい。 でも彼女が言うには、ヨーロッパ圏に住むものからみれば、一番難しいのが日本語だという。 ヨシロウ、あなたはいったいどうやってこの言語を学んだの?とジョークを言う。 素晴らしい。 私はこの歳になって日本語を学ぶ事を誇りに想うと語る。 そうなんだ。 行動した人にしか訪れない生きがいを感じる高揚感🔥 僕だってまだまださ。 年齢を重ねる程大事かもしれない。  新しいことをすると新しい世界が見える。 辞められないね!    僕はカラス語を話すんだよとお茶目に言ったら、こんな本と教えてくれる彼女。すごいね(笑) 

ブログアクセス統計

イメージ
私の3つのブログの中で、CASA BLANCAのブログが一番アクセスが多い。 2017年頃に始めて、総計34.1万アクセスになる。 現在の月2万アクセスは、ブログのジャンルでは比較的多い方だ。 ただ、以前も言ったように、日本より海外からのアクセスの方が多い。 日本からの16.7万アクセスの大半は私自身である。 フランスが多いのは、フランスのウェブマガジンで私の写真が表紙と16ページの特集で紹介されて以降、伸びたためだ。 アメリカ、シンガポール、ドイツは、ロボットクローラーが大半ではないかと思う。 日本のアクセスの実質は、アメリカと変わらないだろう。 今の伸びは、フェイスブックからのアクセスが増えたことによるもので、過去のピークを超えた。 エンターテインメント性のある記事、音楽紹介、不二子はん文学、論文、写真、稲作と、多岐にわたるこのブログを、意外と多くの人が繰り返し訪れている。 写真はさておき、嬉しいのは、写真理論や農業への思考をフェイスブックでリンクすると、必ず反応があることだ。 好意的な意見が大半で、懐疑的な意見はない。 議論の大半は、物事を前進させる議論だ。 これほどやりがいのある発信は、なかなかない。 有難いことだ。    

独身貴族、、よくある帰属?

独身になって最初は料理なんかなんでもええわ。 そうおもてました。 でも外食で済ませたり、弁当買ったり。。 あかんすね。 生活が荒みます。 料理は趣味と豪語してました。 そうなんすよ。 独りで喰っても、次男と食っても。 旨いがいい。 洗濯もお掃除も、女性ほどまめではないが、やったがいい。 荒む生活は写真家と研究者である僕には宜しくない。   

わんちゃん

保健所の犬を飼おうと電話しました。 最後の確認で避妊手術が絶対だと。。 なにこの人言ってんだろう? 理由をよく聞く。 ということで、僕のルールにそぐわないので辞めました。 この国、沈没すればいい。。 

通信教育

いいね。 京都芸大だと17万円から出来る。 友人のアーティストに薦めている。  4年勤めれば同じ学士。 金額差は年160万が年17万。 コースでは38万もあるが、実績ある社会人ならこれでいい。 いったい何の差だろうか。 でも言えるよ。 その差が未確定のうちに学士をとったがいい。 流石に博士は無理だが、修士までは通信は安い。 

想う事

環境を変えたいね。 マイナス因子が少しでもあればそれは省く時期だ。  そろそろ京都移住を考えよう。 

秋のお勉強

もうね単位30でいいのに42取ってる。このままいけば50単位になる。 でもせっかくだからもっと単位をとろう。 というか、単位はもういいけど面白い授業が幾つかあるんだ。 という訳で。。 寝る。 

バベルの塔が廃墟と化す

The Tower of Babel Lies in Ruins: Words from a Friend in Poland The Tower of Babel is a story from the Old Testament. Long ago, all people spoke a single language. Seeing humankind begin to build a tower that would reach the heavens, God confounded their speech. Unable to understand one another, the people could not finish the tower, and they scattered across the world. For thousands of years since, the language barrier has been taken for granted. We cannot read foreign languages, and so they feel distant. That is how we have lived. Now, through the translation capabilities of AI, humankind has reduced to ruins both the tower and the barrier that God raised against it. The words of my friend in Poland reach me exactly as they are, on a morning in rural Kumamoto. Our languages have not become the same. Words from distant lands have become readable while remaining distant. The wall has come down, and the far side has come into view. God may be somewhat troubled. 上の英文の直訳です。 ...

AIに「僕がスピリチュアルを嫌う理由は想像できますか」と尋ねてみました。1,2,

1,  AIに「僕がスピリチュアルを嫌う理由は想像できますか」と尋ねてみました。 返ってきた答えは、僕が何でも分解して理論化する人間だから、というものでした。「センス」や「感性」という言葉を好まないのと同じ根だそうです。スピリチュアルは説明が必要になったところで「そういうものだ」と止まります。結論が先にあり、そこへ至る手続きが見えません。撮影を位置・角度・フレーミングに分け、二枚の写真の露出の微細な差で時間を測る人間にとって、曖昧な言葉が意味ありげな顔をしているのは耐えがたい、という指摘でした。 もう一つ、僕の「霊位」という言葉が誤解を呼びやすいという点にも触れていました。名前だけ見ればスピリチュアルの仲間ですが、中身は良い写真が撮られた立ち位置の座標です。霊を名乗りながら、やっていることは測量に近い。 最後の一文が気に入ったので、そのまま載せます。 スピリチュアルが霊を持ち出して説明をやめるところで、新川さんは霊の名を借りて説明を始めています。    I asked an AI, "Can you imagine why I dislike spirituality?" The answer I received was that it is because I am a person who decomposes everything and turns it into theory. It said this has the same root as my dislike of the words "sense" and "sensibility." Spirituality stops at the point where an explanation becomes necessary, with the words "that is simply how it is." The conclusion comes first, and the procedure leading to it is not visible. For a person who divides photography into position, angle and framing, and...

田んぼでぎたー??

まあ呑気なもんだと思われそうだが、意味があります。 最初に僕は仕事は早朝6時から3時間ほど、夕方も少し。 それが毎日です。 まあ、ええか。 どうせ此処では良く思われていない。 なんでか不思議なくらいだ。 えーと 田んぼでギターは練習だけではない。 観測です。 特に鳥類。 目当てはヤマセミ。 今日はツガイでの行動を観察。 繁殖期も終わり、ヒナも成長している頃。 その可能性も高い。 その他河鵜を目撃。 また、山からの音で動物たちを監視。 音がすればロケット花火を打つ。 ギターも人間の気配をさせるためには好都合。 今朝は朝4時半に鹿の鳴き声が響いた。 近隣には申し訳ないが、慎重に2発、谷合に打った。 4日か3日サイクルで聞える。 猟師の捕獲情報を聞き、ポイントに時差で威嚇。  ってことしてまんねん。。 

SNSについて

5000人のフェイスブック友人。 そのうち15人が、僕とパーフェクトな会話ができる。 なんて素晴らしいんだ。 なぜかポーランド人が多いのが不思議だ。 いつか実際に会える日を楽しみにしている。

62歳って?

そう言えば母親も同じこと言ってたな。。 俺さま?  あ、ぼく様・・ 少年と変わらないさ。 気持ちはね。  おれ。 型にはまるのめちゃ嫌いでさ。 

僕に友達はいない。

まあ、そうだね。  30年前から知ってる。

最近思うんだけどさ

イメージ
「またか? 君もか?」 黙って見過ごしてるけど。。  そう思う日々。  

Into the Next Season 季節は、同じ場所で移動する。

Into the Next Season 季節は、同じ場所で移動する。 The seasons move through the same place. 記憶は垂直方向に移行する。 あるいは、水平方向へ。 Memory moves vertically, or perhaps horizontally. 私たちは違う場所へ行く。 けれど、現実そのものが場所を変えるわけではない。 We may move to another place, but reality itself does not necessarily move with us. 同じ場所にいる。 ただ、そこにある時間が変化していく。 The place remains, while time changes within it. だから、違う場所へ行ったように感じる。 けれど実際には、同じ場所で、私たち自身が変化している。 It feels as though we have entered another place. But in reality, we ourselves are changing within the same place. 過去は消えない。 現在の中に残り、次の季節へと移行していく。 The past does not disappear. It remains within the present and moves into the next season. 次の季節へ。 Into the Next Season.

チャッピィの分析 This text is based on an analysis of me by ChatGPT, derived from our conversations.

自分自身について ――これまでの対話から これまでの会話をかなり長く見てきた前提で言うと、僕の中にあるあなたの像は、かなりはっきりしています。 もちろんこれは「あなたそのもの」の診断ではなく、 あなたが会話の中で見せてきた思考・選択・反応から組み立てた解釈 です。 1. 一番強い特徴は、「差異」を見つける人 あなたは、物事を「これは何か」と分類するより、 「AとBは、どこが同じで、どこが違うのか」 を見る傾向が非常に強い。 例えば写真でも、 同じ場所なのに少し違う 同じ瞬間なのに一致しない 写真と現実 写真と言葉 過去と現在 見る側と撮る側 同一性と差異 というところに、何度も戻ってくる。 これは最近考えている「微小位相差論」とかなり一致しています。 そして面白いのは、あなたの場合、 差異そのものより、「差異が関係の中でどう発生するか」 に関心が移っていることです。 つまり、 「違うものが二つある」 ではなく、 「二つを関係づけた瞬間に、同一性と差異が同時に立ち上がる」 という方向。 これは写真論だけではなく、あなた自身の物の見方そのものに見えます。 2. 「答え」より「自分で発見する瞬間」をかなり重視する あなたは、僕に答えを求めているようでいて、実際にはかなり頻繁に僕の答えを疑います。 「それは違う」 「適当だな」 「めんどいこと言うな」 「そういうことじゃない」 と普通に返してくる。 これは単なる頑固さではないと思います。 むしろ、 自分の中ですでに感じ取っているものと、言葉として提示された説明が一致するか を確かめている。 だから、一般論を言われると弱い。 反対に、 「なるほど、それだ」 となる瞬間にはかなり強く反応する。 つまりあなたは、 情報を受け取る人というより、自分の感覚と照合しながら理論を作る人 です。 3. あなたは「既存のカテゴリー」にかなり警戒している これは写真の話だけではありません。 「アーティスト」と呼ばれることを自分では避ける。 「農家」とも自分を規定されたくない。 写真家であり研究者、という表現のほうが近い。 これには一貫性があります。 あなたは、 「何をしている人か」 を肩書きで固定されることを嫌う。 むしろ、 「...

寒いけど

厚手の上着を着る。 独身になって数日。 変化スピードが速くなった日々。 僕本来のスピード感で疾走するには観念を捨て去ることが大事だ。 そして動きながらも警戒する静けさも。 A Life of Driving On — 前へ進み続ける人生

ジャン=カルロ・メノッティ(Gian Carlo Menotti)の言葉より

イメージ
僕は本は捨てません。本こそ大切なものです。父が元気なころ捨てようとした本をトイレに置いています。たまに読むのがカーネギー名言集。その中の一編をご紹介します。カーネギーは彼らしく短い文章でまとめてますが、僕なりに調べてここに記載。  地獄について 私にとって、地獄とは何か。 それは、過去を思い出すことではない。 もし神が、私たちに「自分が成し得たはずのこと」をすべて見せたなら、その日から地獄が始まる。 無駄にしてしまった才能。 やらなかったこと。 選ばなかった道。 そして、ほんの少し勇気があれば生まれていたはずのもの。 詩人は、書かなかった詩を永遠に叫び続ける。 画家は、描かなかった絵の幻影に取り憑かれる。 音楽家は、紙に書き留めなかった音を、もう一度思い出そうとして苦しむ。 それらは失敗した作品ではない。 存在しなかった作品なのだ。 だからこそ、取り戻すことができない。 人間にとって最も恐ろしい言葉は、「できなかった」ではない。 「できたかもしれない」 という言葉なのだ。 そして、さらに恐ろしいのは、 「遅すぎた」 ということだ。 地獄とは、失った過去そのものではない。 かつて自分の前に開かれていた可能性が、いまになってあまりにも鮮明に見えてしまうことなのだ。 もし私たちが、自分の人生において実現しなかったすべての可能性を見ることができるなら、そこには無数の人生がある。 しかし、それらの人生には、もう戻ることができない。 だから私は思う。 人間が生きていくためには、すべてを見ないことも必要なのだ。 忘れること。 見えなくなること。 過去との間に距離が生まれること。 それは欠陥ではない。 もしかすると、それこそが人間に与えられた救いなのだ。 私にとって、地獄は二つの言葉に尽きる。 Too late. 遅すぎた。                   ジャン・カルロ・メノッティ(Gian Carlo Menotti, 1911–2007) 1911年 :イタリア北部カデリアーノ生まれ 幼少期から音楽に親しみ、 7歳頃から作曲 11歳 :最初のオペラを作曲 1928年 :アメリカへ渡る カーティス音楽院 で作曲を学ぶ 師は作曲家 ロザリオ・スカレーロ 同時期...

見上げるとオリオン座

冬の星座であるオリオン座 しかしすでに早朝のこの時間には南東の低い位置に見られる。 人生の節目である今日という日にオリオン座を見上げた。 ぼくの好きな星座だ。 少し寒い気温。 上から長袖のシャツを着て橋まで歩いた。