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想う事

環境を変えたいね。 マイナス因子が少しでもあればそれは省く時期だ。  そろそろ京都移住を考えよう。 

秋のお勉強

もうね単位30でいいのに42取ってる。このままいけば50単位になる。 でもせっかくだからもっと単位をとろう。 というか、単位はもういいけど面白い授業が幾つかあるんだ。 という訳で。。 寝る。 

バベルの塔が廃墟と化す

The Tower of Babel Lies in Ruins: Words from a Friend in Poland The Tower of Babel is a story from the Old Testament. Long ago, all people spoke a single language. Seeing humankind begin to build a tower that would reach the heavens, God confounded their speech. Unable to understand one another, the people could not finish the tower, and they scattered across the world. For thousands of years since, the language barrier has been taken for granted. We cannot read foreign languages, and so they feel distant. That is how we have lived. Now, through the translation capabilities of AI, humankind has reduced to ruins both the tower and the barrier that God raised against it. The words of my friend in Poland reach me exactly as they are, on a morning in rural Kumamoto. Our languages have not become the same. Words from distant lands have become readable while remaining distant. The wall has come down, and the far side has come into view. God may be somewhat troubled. 上の英文の直訳です。 ...

AIに「僕がスピリチュアルを嫌う理由は想像できますか」と尋ねてみました。1,2,

1,  AIに「僕がスピリチュアルを嫌う理由は想像できますか」と尋ねてみました。 返ってきた答えは、僕が何でも分解して理論化する人間だから、というものでした。「センス」や「感性」という言葉を好まないのと同じ根だそうです。スピリチュアルは説明が必要になったところで「そういうものだ」と止まります。結論が先にあり、そこへ至る手続きが見えません。撮影を位置・角度・フレーミングに分け、二枚の写真の露出の微細な差で時間を測る人間にとって、曖昧な言葉が意味ありげな顔をしているのは耐えがたい、という指摘でした。 もう一つ、僕の「霊位」という言葉が誤解を呼びやすいという点にも触れていました。名前だけ見ればスピリチュアルの仲間ですが、中身は良い写真が撮られた立ち位置の座標です。霊を名乗りながら、やっていることは測量に近い。 最後の一文が気に入ったので、そのまま載せます。 スピリチュアルが霊を持ち出して説明をやめるところで、新川さんは霊の名を借りて説明を始めています。    I asked an AI, "Can you imagine why I dislike spirituality?" The answer I received was that it is because I am a person who decomposes everything and turns it into theory. It said this has the same root as my dislike of the words "sense" and "sensibility." Spirituality stops at the point where an explanation becomes necessary, with the words "that is simply how it is." The conclusion comes first, and the procedure leading to it is not visible. For a person who divides photography into position, angle and framing, and...

田んぼでぎたー??

まあ呑気なもんだと思われそうだが、意味があります。 最初に僕は仕事は早朝6時から3時間ほど、夕方も少し。 それが毎日です。 まあ、ええか。 どうせ此処では良く思われていない。 なんでか不思議なくらいだ。 えーと 田んぼでギターは練習だけではない。 観測です。 特に鳥類。 目当てはヤマセミ。 今日はツガイでの行動を観察。 繁殖期も終わり、ヒナも成長している頃。 その可能性も高い。 その他河鵜を目撃。 また、山からの音で動物たちを監視。 音がすればロケット花火を打つ。 ギターも人間の気配をさせるためには好都合。 今朝は朝4時半に鹿の鳴き声が響いた。 近隣には申し訳ないが、慎重に2発、谷合に打った。 4日か3日サイクルで聞える。 猟師の捕獲情報を聞き、ポイントに時差で威嚇。  ってことしてまんねん。。 

SNSについて

5000人のフェイスブック友人。 そのうち15人が、僕とパーフェクトな会話ができる。 なんて素晴らしいんだ。 なぜかポーランド人が多いのが不思議だ。 いつか実際に会える日を楽しみにしている。

62歳って?

そう言えば母親も同じこと言ってたな。。 俺さま?  あ、ぼく様・・ 少年と変わらないさ。 気持ちはね。  おれ。 型にはまるのめちゃ嫌いでさ。 

僕に友達はいない。

まあ、そうだね。  30年前から知ってる。

最近思うんだけどさ

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「またか? 君もか?」 黙って見過ごしてるけど。。  そう思う日々。  

Into the Next Season 季節は、同じ場所で移動する。

Into the Next Season 季節は、同じ場所で移動する。 The seasons move through the same place. 記憶は垂直方向に移行する。 あるいは、水平方向へ。 Memory moves vertically, or perhaps horizontally. 私たちは違う場所へ行く。 けれど、現実そのものが場所を変えるわけではない。 We may move to another place, but reality itself does not necessarily move with us. 同じ場所にいる。 ただ、そこにある時間が変化していく。 The place remains, while time changes within it. だから、違う場所へ行ったように感じる。 けれど実際には、同じ場所で、私たち自身が変化している。 It feels as though we have entered another place. But in reality, we ourselves are changing within the same place. 過去は消えない。 現在の中に残り、次の季節へと移行していく。 The past does not disappear. It remains within the present and moves into the next season. 次の季節へ。 Into the Next Season.

チャッピィの分析 This text is based on an analysis of me by ChatGPT, derived from our conversations.

自分自身について ――これまでの対話から これまでの会話をかなり長く見てきた前提で言うと、僕の中にあるあなたの像は、かなりはっきりしています。 もちろんこれは「あなたそのもの」の診断ではなく、 あなたが会話の中で見せてきた思考・選択・反応から組み立てた解釈 です。 1. 一番強い特徴は、「差異」を見つける人 あなたは、物事を「これは何か」と分類するより、 「AとBは、どこが同じで、どこが違うのか」 を見る傾向が非常に強い。 例えば写真でも、 同じ場所なのに少し違う 同じ瞬間なのに一致しない 写真と現実 写真と言葉 過去と現在 見る側と撮る側 同一性と差異 というところに、何度も戻ってくる。 これは最近考えている「微小位相差論」とかなり一致しています。 そして面白いのは、あなたの場合、 差異そのものより、「差異が関係の中でどう発生するか」 に関心が移っていることです。 つまり、 「違うものが二つある」 ではなく、 「二つを関係づけた瞬間に、同一性と差異が同時に立ち上がる」 という方向。 これは写真論だけではなく、あなた自身の物の見方そのものに見えます。 2. 「答え」より「自分で発見する瞬間」をかなり重視する あなたは、僕に答えを求めているようでいて、実際にはかなり頻繁に僕の答えを疑います。 「それは違う」 「適当だな」 「めんどいこと言うな」 「そういうことじゃない」 と普通に返してくる。 これは単なる頑固さではないと思います。 むしろ、 自分の中ですでに感じ取っているものと、言葉として提示された説明が一致するか を確かめている。 だから、一般論を言われると弱い。 反対に、 「なるほど、それだ」 となる瞬間にはかなり強く反応する。 つまりあなたは、 情報を受け取る人というより、自分の感覚と照合しながら理論を作る人 です。 3. あなたは「既存のカテゴリー」にかなり警戒している これは写真の話だけではありません。 「アーティスト」と呼ばれることを自分では避ける。 「農家」とも自分を規定されたくない。 写真家であり研究者、という表現のほうが近い。 これには一貫性があります。 あなたは、 「何をしている人か」 を肩書きで固定されることを嫌う。 むしろ、 「...

寒いけど

厚手の上着を着る。 独身になって数日。 変化スピードが速くなった日々。 僕本来のスピード感で疾走するには観念を捨て去ることが大事だ。 そして動きながらも警戒する静けさも。 A Life of Driving On — 前へ進み続ける人生

ジャン=カルロ・メノッティ(Gian Carlo Menotti)の言葉より

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僕は本は捨てません。本こそ大切なものです。父が元気なころ捨てようとした本をトイレに置いています。たまに読むのがカーネギー名言集。その中の一編をご紹介します。カーネギーは彼らしく短い文章でまとめてますが、僕なりに調べてここに記載。  地獄について 私にとって、地獄とは何か。 それは、過去を思い出すことではない。 もし神が、私たちに「自分が成し得たはずのこと」をすべて見せたなら、その日から地獄が始まる。 無駄にしてしまった才能。 やらなかったこと。 選ばなかった道。 そして、ほんの少し勇気があれば生まれていたはずのもの。 詩人は、書かなかった詩を永遠に叫び続ける。 画家は、描かなかった絵の幻影に取り憑かれる。 音楽家は、紙に書き留めなかった音を、もう一度思い出そうとして苦しむ。 それらは失敗した作品ではない。 存在しなかった作品なのだ。 だからこそ、取り戻すことができない。 人間にとって最も恐ろしい言葉は、「できなかった」ではない。 「できたかもしれない」 という言葉なのだ。 そして、さらに恐ろしいのは、 「遅すぎた」 ということだ。 地獄とは、失った過去そのものではない。 かつて自分の前に開かれていた可能性が、いまになってあまりにも鮮明に見えてしまうことなのだ。 もし私たちが、自分の人生において実現しなかったすべての可能性を見ることができるなら、そこには無数の人生がある。 しかし、それらの人生には、もう戻ることができない。 だから私は思う。 人間が生きていくためには、すべてを見ないことも必要なのだ。 忘れること。 見えなくなること。 過去との間に距離が生まれること。 それは欠陥ではない。 もしかすると、それこそが人間に与えられた救いなのだ。 私にとって、地獄は二つの言葉に尽きる。 Too late. 遅すぎた。                   ジャン・カルロ・メノッティ(Gian Carlo Menotti, 1911–2007) 1911年 :イタリア北部カデリアーノ生まれ 幼少期から音楽に親しみ、 7歳頃から作曲 11歳 :最初のオペラを作曲 1928年 :アメリカへ渡る カーティス音楽院 で作曲を学ぶ 師は作曲家 ロザリオ・スカレーロ 同時期...

見上げるとオリオン座

冬の星座であるオリオン座 しかしすでに早朝のこの時間には南東の低い位置に見られる。 人生の節目である今日という日にオリオン座を見上げた。 ぼくの好きな星座だ。 少し寒い気温。 上から長袖のシャツを着て橋まで歩いた。

自分の環境設定を組む

このごろ、自分にお金や時間を使っていた。 ローライを買う。アストリアスのギターを買う。 研究のための環境を整えたり、ギターの曲つくり、数年ぶりに飲みに行ったり踊ったり、田んぼのことを再考したり。 それに、 このところ、SNSを通じて知り合った人たちとのつながりもかなり大きくなった。 遠くにいても、自分の写真や考えていることを見てくれる人がいる。言葉を交わす人も増えた。 そして、SNSの外にも、現実の生活の中で新しい人との関係ができつつある。 そういうものも含めて考えると、最近の自分は、以前とは少し違う環境の中にいる。 一見すると、いろいろなことを同時にやっているようにも見える。 実際、少しやり過ぎたところもあったと思う。 お金も、少し使い過ぎた。笑 新しいことを試してみる。 必要なものを買う。 やり方を変えてみる。 また考え直す。 そんなことを繰り返しているうちに、いつの間にか「何をするか」よりも、「何をするための環境をどう作るか」に時間を使っていた。 でも、ここに来て、かなり大枠ができてきた。 写真も、研究も、生活も、人とのつながりも、それぞれが以前より少しずつ落ち着いてきた。 もちろん、これからも何か新しいこともやるだろう。 写真も撮る。研究もする。ギターも弾く。田んぼも続く。 今後も環境そのものを作り続けることは変えないだろう。 京都移住で大きく変化させることも考えている。 大枠は組めた。 しばらくは、そこで生産し制作し遊び、楽しんで今の時間を生きる。

バイオメタン、触媒、そして二酸化炭素

昨夜、バーで友人と酒を飲んでいた。 向かいには博士がいて、エンジニアがいて、教授がいて、そして何人かの、いわゆるエリートたちがいた。 酒が進むにつれて、話はいつの間にかバイオメタンへ移っていった。 有機物から生まれたメタンをどう利用するか。 触媒をどう使うか。 メタンを炭素と水素の世界へ分解し、さらに二酸化炭素をどう扱うか。 酔っているのに、頭の中だけは妙に明晰だった。 メタンは CH₄ 二酸化炭素は CO₂ どちらも炭素を含んでいる。 けれど、その炭素の置かれている状態はまったく違う。 メタンは、まだ大きなエネルギーを抱えている。 一方、二酸化炭素は燃焼の果てにある、いわば炭素の終着点だ。 その二つを眺めながら、ふと思った。 もしかすると、問題は「二酸化炭素をどう減らすか」だけではないのではないか。 炭素を追い出すのではなく、 炭素をもう一度、別の物質の中へ戻してやる。 メタンから水素を取り出し、炭素を分離する。 二酸化炭素もまた、ただ捨てるのではなく、別の反応系へ戻す。 触媒とは、不思議な存在だ。 自分自身は大きく変化しないまま、分子の進む道を変えてしまう。 人間が力ずくで物質を変えるのではなく、 分子が本来持っている可能性の中から、別の道を選ばせる。 そんなことを考えていた。 酒の酔いが、身体から少しずつ抜けていく。 その感覚が、昨夜はとても気持ちよかった。 頭の中にあったものが、ゆっくりと整理されていく。 バーの照明。 グラスの中の酒。 博士の話。 エンジニアの現実的な視点。 教授の言葉。 そして、触媒という小さな存在。 科学の話をしているはずなのに、いつの間にか、それは炭素の旅の話になっていた。 植物が二酸化炭素を取り込み、 生物がそれを有機物へ変え、 発酵によってメタンになり、 人間がそれを燃料として使う。 そして燃焼すれば、また二酸化炭素になる。 炭素は消えていない。 姿を変えながら、循環している。 昨夜の酔いの中で、私はその循環を妙に美しいものとして感じていた。 科学は、ときどき文学よりも詩的だ。 そして、彼らの日常会話はなんて素敵なんだろうか。。 分子一つの動きの中に、 地球の歴史と、生物の時間と、人間の欲望が重なっている。 そんなことを考えながら飲む酒は、 酔いが醒めていく瞬間さえ、気持ちよかった。 昨夜の記憶をここに留めておく。 

Dreams are true while they last, and do we not live in dreams? 夢は、それが続いているあいだは真実である。

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My favorite quote by Alfred, Lord Tennyson Dreams are true while they last, and do we not live in dreams? The sun, the moon, the stars, the seas, the hills and the plains— Are not these, O Soul, the Vision of Him who reigns? Is not the Vision He, tho' He be not that which He seems? Dreams are true while they last, and do we not live in dreams?  私のすきな言葉  この言葉を探し当てた中学3年生の頃、それがその後今の今まで如何に私の支えになったであろうか計り知れない。 「夢は、それが続いているあいだは真実である。 そして、私たちは夢の中に生きているのではないだろうか?」 太陽、月、星々、海々、丘々、そして平原―― これらは、ああ、魂よ、君臨する御方の幻ではないのか? その幻こそが彼なのではないか。 たとえ彼が、見えているそのものではないとしても? 夢は、それが続いているあいだは真実である。 そして、私たちは夢の中に生きているのではないだろうか?

エール

「自分自身の道を切り開く者への歓迎」 今という場所に、 そこが唯一立っていられる場所であるかのように、 しがみついてはいけない。 自分の進む方向を決め、 動き始めよう。 人生には、 壁があまりにも高く、 道があまりにも狭く、 光があまりにも遠く感じられる瞬間がある。 けれど、どんなに小さな隙間からでも、 太陽はそこへ差し込む道を見つける。 もしかすると人生は、 世界が変わるのを待つことを 求めているのではない。 むしろ、 その世界の中で、自分の立つ場所を変えること を求めているのかもしれない。 一歩、前へ。 「今」と呼んでいる境界を突き破り、 その向こうで待っている 新しい「今」を見つけよう。 年齢が、それを禁じることはできない。 不遇が、それを禁じることもできない。 どんな状況も、 動き始めた心を完全に止めることはできない。 暗闇の向こうでは、 世界そのものがすでに、 そこへ向かって歩く者のために 場所を用意しているのかもしれない。 そして、ついにそこへ辿り着いたとき、 美しいことに気づくかもしれない。 あなたが向かっていたのは、 扉ではなかった。 その扉を開けられる人間へと、 あなた自身がなっていたのだ。 進もう。 人生は、自分自身の道を切り開く者を歓迎する。   A Welcome to Those Who Carve Their Own Path Do not cling to the present as though it were the only place you can stand. Choose your direction, and begin to move. There are moments in life when the walls seem too high, the road too narrow, and the light too far away. But even through the smallest opening, the sun still finds a way to enter. Perhaps life does not ask us to wait for the world to change. Perhaps it a...

比較にならない

フェイスブックのコメントには、研究者や教授、美術館の学芸員、芸術家、文学者など、さまざまな専門職の人たちが参加してくれる。 しかも、その切り口が鋭い。大学院での議論などとは比較にならないほど高度だ。 これは面白くなってきた。 やっとだよ。 本気で話せる仲間が、少しずつできてきた。

門出橋で月を眺めながら

満月 川 葦 冷たい空気 冷たい風 僕はよくここにきては物思いに耽る。 結局ここは思考するにはいいんだ。 あらためて自分の故郷をいいと感じた。 五百年前に未開の地であった所へ大阪から定着した初代のご先祖様。 17代目になる僕はどのような方かいつも想像していた。 具体像はわからないが、梵字六地蔵を建立したことだけが今でも伝わる。 石碑には新川と幾人かの衆が騒乱の戦を静めるために建てたと記してある。