投稿

ラベル(Journal)が付いた投稿を表示しています

あさの3時から7時まで

目覚めると涼しい。  夏の日は夜もふけると過ごしやすい。 今日はコオロギが鳴いている。  睡眠薬としてクエチアピンを長期間飲んでいた。 「ああ、やっぱりか」 と思った。 どうやら男性機能を低下させることがあるらしい。 やめよう。 いや、まずは医師に相談しよう。 ちょっと門出橋まで涼みに行くか。 散歩は好きではないけれど、そこまでならいい。 深夜にギターを弾きたい。 ストリートミュージシャンは、まだ街にいるのだろうか。 昔、少しだけやったことがある。 なかなか楽しかった。 今回の曲を、どこかでお披露目したい。 The Sleeping Princess これはとてもいい曲に仕上がった。 アコースティックの持ち曲は、今のところ Hill of Carnation と合わせて二曲だけ。 ちょこっとライブには十分だ。 滝川の田んぼで毎朝弾いている。 昼も弾く。 夕方も弾く。 きっと目立つのだろう。 四季即贅喰さんのお客さんが立ち止まり、スマホで撮っていくことがよくある。 少し恥ずかしい。

ベクトルの次元が違う ── 世間の評価ではなく、意味のある人生へ

一秒一秒、僕たちは死へ向かっている。 ならば、ただ流されるのではなく、 自分にとって意味のある生き方をすればいい。 世間体だけを気にして、自分を抑えることに何の意味があるのだろう。 人は、意味を感じるからこそ「生きている」と実感できる。 それは若い時よりも、 歳を重ねるほど大切になる。 残された時間を、何に向けるのか。 人生のベクトルは、他人が決めるものではない。  

花のあと、人はどう生きるのか

植物には、栄養成長と生殖成長がある。 芽を出し、根を張り、葉を広げる時期。 そして花を咲かせ、種子を残す時期。 では、その後はどうなのか。 生命は、そこで役割を終えるのだろうか。 私はそうは思わない。 古い木には、若い木にはない時間がある。 長い年月を生きた幹には、若さとは違う存在感がある。 人間も同じではないだろうか。 若い頃は、自分を作る時代。 経験を積み、技術を磨き、社会の中で自分の場所を築いていく。 そして次の世代へ何かを渡していく。 しかし、その後の時間について、私たちはあまり考えてこなかった。 現代は、若さを維持することばかりが語られる。 若く見えること。 若い身体でいること。 若者と同じように動けること。 しかし、人間の価値は本当にそこだけなのだろうか。 昔、長老という存在がいた。 若者には未来があり、長老には時間の深さがあった。 そこには互いへの尊敬があった。 今は、身体が衰えると、その人が積み重ねてきた経験や感性まで、一緒に失われたように扱われることがある。 本当にそれでいいのだろうか。 人間には、若さの後に来る、まだ十分に発見されていない生命の段階があるのではないか。 子孫を残したあと。 社会的な役割を終えたあと。 それでも人は創造できる。 考えることができる。 誰かと深い場所で語り合うことができる。 男女が一緒にいることも、いつも恋愛だけではない。 同じ時間を過ごし、互いの世界に触れることもある。 人はいつの間にか、自分の年齢や立場によって、自分自身を小さくしてしまう。 もう若くないから。 もう遅いから。 そうやって、自分の可能性に蓋をしてしまう。 しかし生命は、本来そんなに単純なものではない。 木は古くなるほど根を深くする。 時間を重ねるほど、別の力を持つ。 人間もまた、年齢とともに失うだけの存在ではない。 経験も、記憶も、出会いも、すべてを抱えながら、まだ新しいものを生み出すことができる。 若さを取り戻す必要はない。 老いをただ受け入れるだけでもない。 生命が最後まで変化し続ける、その先の時間。 まだ名前のない第三の季節。 私は、その可能性について考えている。

統計で考えよう。

地震データを精査し、震度ランキングを構築した。 過去200年(1826年以降)で熊本を震源とする地震の規模トップ10は次の通りです。 1位、2016年4月16日、熊本地震本震、M7.3、益城町などで震度7。 2位、2026年7月28日、令和8年熊本地震、M7.1、宇城市と氷川町で震度7。僕が今まさに影響下にある地震です。 3位、1898年12月4日、熊本県東部の地震、M6.3ではなくM6.7。この時期にしては規模の大きい地震でした。 4位、2016年4月14日、熊本地震前震、M6.5、益城町で震度7。 5位、2016年4月15日、熊本地震の余震、M6.4。 6位、1889年7月28日、明治熊本地震、M6.3、熊本市付近を震源とし死者20名。 7位、1894年8月8日、熊本県東部の地震、M6.3。 8位、1895年8月27日、熊本県東部の地震、M6.3。 9位、1916年12月29日、熊本県南部の地震、M6.1。 10位、1975年1月23日、熊本県阿蘇地方の地震、M6.1。

怪しいな

まあ。 一応教育は受けてる発言ですが。 消防団では10年前の熊本地震の10年前から訓練を受けてきました。 のち、南西方向にストレスは発散されていない。 その通りですが。 間合いがきもいな。 眠り姫。 帰るのはゆっくりでいい。 

また地震かよ。

今朝から地震雲が多いと思ってた。 布田川断層南西域ですか。 とっとと終わりなさい。  友人が店をしている。 イオンモール熊本。 無事だと確認できた。

生まれ変わったぼく様

ひつようないことをそぎ落とす。 あるいは到底かなわぬことを昇華する。 とくにギターでね。 どうしようもないものは考えない。  そうしたことによって迷いがなくなり生まれ変わった気分だ。 彼女っていってもまだ男女の関係とはいいがいたし。 それにもう25年以上まかえから知っている仲だ。  遊びに来てくれたり、存在そのものが心地いい。 どの時間でも邪魔にならない。 あー。この子珍しいなと思った。 僕の中の迷いが消えていく。  

動かなないと這い上がれない

ひとは誰も助けてくれないのが世の常。 もう十分知ってるが、動かぬものには手を差し出さない。 よく見ると水たまりに蟻が溺れている。 じょうろの中で蛙が出れなくなっている。 日常茶飯に見れる景色。 当人は死活問題。 ぼくは助けるが、はたして皆はどうか。 それでもまだ動いてるから助ける。 動かなくなったものはどうしようもない。 人とて同じなんだよね。 ま、もしそうであったらそれは確率的に奇跡だ。 出会いや出来事、交わす言葉は奇跡だと言える。

寒冷紗効果

西日のさす家の壁面に4mx20mの寒冷紗をアート? そういうアートもあったな。 これが絶大で、どんなに西日が差しても壁はひんやり。 どうして今までしなかったのか。 日が沈むと家はすぐに涼しくなる。   もう一つは太陽光発電裏技。 売電契約が終わり、売電収入は2千円もない。 停電用に使うスイッチを使って、直接電気を家に使える。 中型クラスのエアコンをフルパワーで使ってもまだ電力はある。 なので、朝から夕方までエアコンをつけっぱなし。 当然請求はない。 快適だ。 

道程

人を受け入れ、自分に厳しく正直に。って感じが今僕に求められてる気がするな。 これって逆の意味では。 作為やごまかしを見抜き、正直さの本物が集まればいい。

大学院の授業

修士課程だから仕方がないのかもしれないが、授業で新たに学ぶことは少なくなってきた。 40代の教授 30代の講師 正直浅い。  早く修士課程を終え、博士課程へ進みたい。 これからの私に必要なのは、新しい知識を身に着けること以上に、自分の持論を磨き、展開し、検証し発表していくことだと思っている。その段階に入りつつある。

Happy Birthday!

イメージ
ネパールの仲間たち。 僕の誕生日を写真で祝ってくれた。生まれて初めて田植え機で植えた彼は、その後こう言った。 「やっぱり手植えがいいね。来年は手植えするよ」 面白い。 すごい観点だと感じた。 ネパールでは1反2人で4時間だとか。  田植えの或る光景。 ありがとな。 感謝致します。

Artist Statement — Yoshiro Shinkawa

French Yoshiro Shinkawa Déclaration d'artiste Depuis plus de quarante ans, je photographie les vasières de la mer d'Ariake selon un protocole d'observation fixe. Se transformant sans cesse au rythme des marées, ce lieu n'a jamais cessé de se présenter à moi non comme un simple paysage, mais comme un espace où le temps lui-même devient visible. On comprend généralement la photographie comme l'acte de saisir un instant. Ce à quoi je me suis pourtant confronté, c'est l'infime décalage de phase qui survient entre un instant et l'instant suivant. Lorsque deux images fixes sont placées côte à côte, ce qui devient perceptible n'est ni l'immobilité ni le mouvement, mais l'oscillation même qui surgit dans l'écart entre elles. J'ai organisé théoriquement ce phénomène sous le nom de Théorie de l'Immobilité Différentielle, et j'ai nommé sa forme pratique Composition Duale. Cette théorie s'enracine dans la phénoménologie husserlien...

思うに

早起きできない人は人生の慈しみ8割を無駄にしている。 

きびなごのアンチョビパスタ

あさめし。 塩漬けきびなごも発酵しだした。アンチョビとはいいがたいがそれなりに。 カプサイシンは脂溶性。オリーブオイルにたっぷり入れる。 きびなご投入しばし炒める。 パスタを茹でて、湯汁で味を調整出来上がり。 ぼく様の日常が今日も始まった。 今朝のパスタのように、まだまだ塩っ辛い。 

さて。一日の始まり

朝方、明るくなり始めたら1時間ほどの草取り。 今年は水が少なく、田んぼに水が行きわたらない。 当然草が生える。 あーあ、 取るしかない。 そんな今年の朝方はしばらく続く。 

hey..

テクノロジーを駆使しようとする人は唯の奴隷でしかない。 

人間らしい

楽しい日であった。 田植えで人が寄り添う。歌う。笑う。 なんて 素敵な いい時間。 

さてね。

いつまで生きるか。では今どうするか。 死に急ぐようなことをしている。生きてる目的は死なないようにするのではない。  変化を受け入れる。変化を先のばすために努力する。 

冒険

なんか環境を変えたくなった。 写真を撮り、米を育て、木を植え、ギターを弾き、小説を書き、研究をする。 傍から見れば十分すぎるほど多様な日々だと思う。 それでも最近、少し違う感覚がある。 飽きたわけではない。 慣れたのだと思う。 いや、慣れたというより、体が全部知ってしまった。 田んぼの匂いも、季節の移り変わりも、いつもの光も、人との距離感も。 知り尽くした場所には安心がある。 けれど驚きは少ない。 昔からずっと、どこか別の土地で暮らしてみたいと思っていた。 最近になって、その考えが妙に現実味を帯びてきた。 旅ではなく、住む。 しばらくそこで生活する。 写真を撮り、畑を見て、木を植え、小説を書き、研究を続ける。 やることは変わらない。 ただ土地が変わる。 そうすると見えるものも変わる気がする。 イタリアでもいい。 大事なのは国ではなく、自分がまだ知らない風景の中に身を置くことなのかもしれない。 新しいことを始めたいのではない。 同じ自分を、まだ知らない土地に移してみたい。 そんなことを考えている。