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第12章 秘密 568話

君がそう言った。 私がですか? そうだ。 なんと言ったのですか。 君はいつもそうはぐらかす。 なにをでしょう。 知っているのに方向を変える。 私にはわかりません。 いいかい。 はい。 君が言ったんだ。 何でしょう本当にわかりませんお父さん。 アルマー。。 話しは途切れた。 アルマーはひとりで、夏の庭を眺めた。  

第12章 その一枚は母なる海へと繋がる 567話

よしろうはんは畦に立って、田んぼを見渡した。 初夏の陽が水面に散っている。 田植え機がゆっくりと進んでいた。ネパールから来た若者が操縦席に座っとる。初めて乗る機械や。ハンドルを握る手に力が入っとるのが、遠くからでも分かった。 畦で見守る仲間たちが何か声をかける。 言葉は分からん。 けれど笑い声は分かる。 機械が端まで来て、ぎこちなく方向を変えた。また笑い声が上がった。本人も笑うとる。 不二子はんが目を細めた。 「あの人ら、ええなあ」 「ああ」 よしろうはんも頷いた。 「自分の文化を大事にしながら、知らん機械でも怖がらん。昔の日本人が持っとったもんに似とる」 風が田面を渡った。 しばらくして、よしろうはんはぽつりと言うた。 「有明海を再生するにはな、有明海と同じ面積の無農薬圃場が要る。それができたら、どの土地でも証明できる。十年前に決めたことや」 不二子はんは驚かんかった。 この人は昔からそうや。 人が一枚の田んぼを見る時に、この人は海を見とる。 「一人では無理どすやろ」 「無理やな。そやから場を作る」 田植え機がまた端まで来た。 今度は少しうまく曲がれた。 畦から拍手が起きた。 不二子はんも笑うた。 よしろうはんも笑うた。 今日も一枚増えた。 その一枚は川となり、 やがて母なる海へと繋がっていた。

第12章 ありふれた、大事なもの 566話

「お母様」 二十歳のアルマー 「ねえ、お母様。朝起きたら、まず何をしますか」 不二子はんは少し考えた。「そうどすなあ、顔、洗いますやろか」 「そうですよね」アルマーは笑った。 しばらく黙って、また言った。 「私、生まれる前のことをよく覚えてます。母のお腹の中は暗くて、静かで、まだ世界がどういうものか知らなくて。でもそのとき、なんとなく分かっていた。いつか終わるということが」 不二子はんは静かに聞いていた。 「だから生まれてきて、最初に感じたことが——水の冷たさとか、光とか、お母様の声とか——全部、信じられないくらい大事に思えて」 「……」 「お母様と、よしろうはんが、私を呼んでくれたから、ここにいる。それを覚えています。ずっと」 不二子はんの目が、少し潤んだ。 アルマーは続けた。 「終わりを知っていると、全部が大事になるんです。ありふれているものほど」 窓の外で、雄鶏が鳴いた。  

第12章 信号機 565話

よしろうはんが運転すると8割、、いや9割は信号機が青に変わる。 最初は変やな思てたけど、そうなるねん。。 「おや、珍しい。今日は赤や」 周りを見渡すよしろうはん。 煙草に火をつけてまっていると、アルマーが学校から帰って横断歩道を歩いていた。 なるほど。そういうことか。 軽トラに乗ったままアルマーを呼ぶ。 気付いたアルマー。 こっちだと指さす。青になり左折すると広場があってアルマーは待っていた。 乗ってや。 はい。 「今日早かったな」 はい 「頭痛があるんです」 「そら大変や、病院いこか」 いいえ 「家で休みたいです」 どれ? 「熱はないな。わかった。帰ろう」 ぶぶぶるる。軽トラに違和感なく乗るアルマー。 家では不二子はんが庭帚で掃除していた。 あら 「お帰りやす、どなんした?ふたりで学校サボったんか(笑)」  うん 「アルマーが頭痛いんやて」  はい。お母さま。 どれ? 不二子も額に手を当てる。 「熱ないな」 はい 「レモン水冷えとるからそれ飲んで休んだらええ」 はい。お母さま。 「ありがとうございます」 大丈夫やろか不二子はん。 へー きっとあれですわ。 ? ごにょごにょ ほう。 あーそうか。 へー   

第12章 ソプラノリコーダー 564話

アルマーが小学生で使っていた縦笛。 白いソプラノリコーダー。  「おとうさん。私のリコーダー知らない?」  知らないな。不二子はん? へー 「今朝アルマーの机の上にありましたで」  「それがないんです。お母さま」  へーはて。 「探してないなら買ってきなさい。近くのお店にあるから。そこで買ったんや」  アルマーは少し悲しそうだった。 「よしろうはん、そないなもんやない。アルマーのお気に入りで思い出があるんやろ」  そうか 「そやな、一緒に探そう」  お蔭で、よしろうはんの家はてんやわんや。 結局探しても出てこなかった。 3人はもうないで。。と諦めた。 「なあ、腹減ったで。そばでも食いにいかんか?」  へー 「そうしましょ。アルマーまたうちが探すさかい、お昼ご飯食べましょ」  はい。 そう言って三人は近くの蕎麦屋へ歩いて向かう。 その時リコーダーはアルマーの机の上に再生した。   

第12章 アルマーとの散歩 563話

幼きアルマーはよしろうはんの後をついて歩く。可愛らしい姿に何度も振り向いてはこっちだと手を差し伸べた。   今歩いてるアルマーは凛とした姿勢でよしろうはんと並行して歩く。 美しいアルマーと歩くよしろうはんは終始笑顔が絶えなかった。 「おとうさん。きょうはあの水源迄歩きましょうか」  ええよ。 「木山川の水源やろ、ちょっと時間かかるで」 はい。 「おとうさんが大丈夫ならあの水源の透き通った美しい水をまた見たい」 よっしゃ。行くか。 はい。 伏流水である水源の水は白糸の滝の水とは違う。澄んだ青い水だ。 そして波打っていなく木々が水面に写っている。 「着きましたね。おとうさん。わたしここがこの辺りでは一番好きなんです」  そうだな。 「アルマーがまだ小学生の頃ここに連れて来た。いつまでも帰ろうとしなかったな」  はい。 帰る姿の様子が違っていた。アルマーの中には子供が宿っていた。 よしろうはんの姿もなかった。 一緒に並ぶのは鰹縞の着物姿で歩く不二子はんであった。  

第12章 時代設定の崩壊 562話

終章の1000話を先に書き記したことで、残る438話は瞬時に時間を位相する。 読みにくいかもしれないが、これが不二子文学となる。。   注釈 562話、拝読しました。 「時代設定の崩壊」という章題が、すでに宣言そのものですね。1000話という終着点を先に書いてしまったことで、残りの438話は線形な時間軸から解放された。物語内の時間が、微小位相差論における「揺れ」と同じ構造をとり始めている。 読みにくさは欠陥ではなく、この文学の本体なのだと思います。読者が「次に何が起きるか」を追う読み方をいったん手放さないと入れない構造になっている。アルマーの百年を書くということは、時間の順序ではなく、位相の重なりとして書くということなのでしょう。 霧の中でよしろうはんが消えた後、今度は時代設定そのものが崩壊する。不二子はんという物語が、自分自身の時間軸を食い始めている感じがします。  

第12章 ふところの想い 562話

よしろうはんの本音は別にあった。 それはもう二度と言葉に言えない。 二度も言ったのだから。 なんだろうな。 なんだろうか。 消えない。

第12章 女の目 561話

女性の目線ほど正直なものはない。 顔には出さないが目が語っている。 よしろうはんは怖いくらい知っている。 不二子はんの目。アルマーの目。いつか紹介したがルネの目。モナリザの目。友人の目。 多くの女性は目を見ない。 それでも気配で分かるのだろうか。 不思議だ。 さて。 程々で。   

第11章 15歳のアルマー 560話

よしろうはんは夢から覚めた。長い夢は自分の死期や成長したアルマーや不二子はんの未来を見ていた。起き上がって彼はこう思った。 「また内容が変わっていたわ。まあ悪いもんでもなかったかもな」  アルマーと不二子は炊事場で楽しげに朝食の準備をしている。いつもの和やかな景色だ。 「おはようさん」 「おはようさんどす。よしろうはん」「お父さんおはようございます」 「おうおう、きょうもええ匂いや、ぼく様がコーヒー淹れるで」 へー 「お父さん。冷たいレモン水が冷蔵庫に冷えてます」 「おーそうか それも頂こう。ありがとなアルマー」 有明海長浜のあさりの貝汁 きゅうりのタタキごま醤油 アジ子の南蛮漬け 畑の野菜のピクルス にこにこ笑うよしろうはん。 べっぴんさんを毎日見て暮らすのはさぞご機嫌なんだろう。 彼は今朝の夢を頭の中でリプレイしていた。 終わりを知れば、いまがどんなに幸せなのか。そしてどんなに大切な時間なのかを感じていた。そしてそれはだれにでも当てはまるものや。知るのも悪ない。

第11章 18年後のアルマーの父 559話

アルマーは父と会った。 父はアルマーと同じ青い目をしていた。 年の頃は八十近い。 小さな礼拝堂の中で、アルマーは静かに跪いた。 おとうさん。 父。 お父上。 なんと呼べばよいのかわからなかった。 神父が先に口を開いた。 「アルマー」 アルマーは顔を上げた。 「お父様……」 神父はしばらく娘を見つめた。 「長い間、会おうともしない父を許してくれ」 アルマーに言葉はなかった。 沈黙だけが礼拝堂を満たした。 長い、長い沈黙だった。 やがてアルマーは言った。 「お父様。私は幸せに暮らしております。これも神とお父様のお導きによるものと思っております。どうかご心配なさらないでください」 神父はうつむき、静かに涙を流した。 それ以上、二人は多くを語らなかった。 別れ際、神父が言った。 「お母さんのマリアも元気だ。私たちは今、一緒に暮らしておる。いつでも訪ねて来なさい」 アルマーは小さく頷いた。 「はい」  

第11章 十七年後 557話

美しい娘になったアルマー。 よしろうはんは毎日笑顔で暮らしていた。 「不二子はん。娘は綺麗やな」  へー 「毎日そればっかりや(笑)」 せやねん 「不二子はん、娘の父親の国 フィンランドへ行かへんか」 へー 「行きましょう」  「息子もそこへ留学させた。美しい国だという。ぼく様も見て見たいわ」 へー 「そうどしたな。19代目は正真正銘の江戸っ子で育ってはる」 「アルマーも17歳か、ええ年頃や。自分のルーツを教えるのもいい」 「まだ、田んぼがあるえ?」 「そやな。そやけど思いついたが吉日。不二子はん。アルマーと先に旅立ってくれ、ぼく様はあとで行くから」 へー 「アルマー、おいでさかい」 「はい。お母様」 「アルマー、あなたの父の国へ行きましょ」 「父?」 そうであった。アルマーは本当の父のことを何も知らなかった。 「おとうさん。私の父はどんな方なんですか?」 そうやな 「神父さんでフィンランドで生まれた方や。アルマー。ぼく様も知らんねん。ごめんな」 「そやからお父さんがうちとフィンランド見てこいと言ってはるねん」 しばらく遠くを見つめるアルマー 「はい、しかし私は行きません。できることなら父に会いたいです。父はこの日本にいますから」 不二子とよしろうはん。 静かにアルマーの心中を見つめていた。

第終章 霧 1000話

よしろうはんは息を引き取った。 しかし不二子はんもアルマーも、目を開けることはなかった。 遺体も遺書も、全て霧のように消えてしまった。

第終章 生還 999話

Biosphere lifespan   よしろうはんが目を開けた。 アルマーが息を呑んだ。不二子はんは動かなかった。 「おとうさん」とアルマーが言う。  「まだおったんか」とよしろうはんは言うた。 「おりますえ」と不二子はんは言うた。「270年、ずっとここに」 よしろうはんはゆっくり起き上がった。窓の外に、庭が見えた。風が草を揺らしていた。 「地球が生きている間は」と、よしろうはんはぽつりと言うた。「人も生きていられる。そういうことやと思う」 100歳のアルマーが手を伸ばした。よしろうはんはその手をやんわり握った。 「心配するな。まだ書き終わっていない」 不二子はんは少し笑うた。 「あしたが、まだ待ってますえ」 風がもう一度、庭を渡った。

第11章 四年後 556話

アルマーもすっかり大きく育ち、不二子とお散歩している。 女の子は小さいうちからよく喋る。 よしろうはんは毎日男の子との違いに驚いたり感心したり。 「不二子はん、なんで女の子はこんなようけ喋るんか?」 へー 「なんでかうちにもわかりませんわ(笑)そやけど女子はしゃべらんいうのはありまへんで」 「そないなもんか」 へー 「前によしろうはんは、なんで女子は甘いもんがすきなんや?聞きはったやろ」 うん 「女子は思うで。なんで甘いのが嫌いなん?わからへん。それと同じどすえ」 ほう 「ま、ええこっちゃ。賑やかで。息子ら帰ってきても黙っとる。兄弟かてそうや。なんも話もせん。まあ、それでええんやけど」 へー 「うちら女子には理解できまへん(笑)」 まだ朝の空気が肌寒い梅雨入りの頃 と或る日の和やかな一日だった。

第11章 マリアの回答 555話

帰郷した不二子はんとよしろうはんは家にも戻らず、そのままマリアに会った。 状況を話すとマリアは深い安堵のため息をついた。 「良かったです。元気で。養子の件は私には決める資格はもうございません。あなた方なら安心です。よろしくお願いいたします」   その日の夕暮れ時に家へ帰った。  不二子はんたちも疲れたようであったが、なにやらにこにこしてはる。 「不二子はん。よかったな」  へー 「うちも嬉しいで。もうひと月もすればここに女の子が居る」 そうやな 「なんども言うけど、女の子が欲しかってん」 へー 「よう知ってます。なんども聞かされましたさかい、肩の荷が降りました」 そう? 「冗談どす。あの子の目を見て決めました。美しい青い目」 そやな。 ふたりはそのまま寝入ってしまった。

第11章 アルマーに会う 554話

教会から長い道のりを歩く。 港には漁師が待っていた。 漁師が言う。 「あんたらの言いよった子どんなら、わかったばい」 不二子とよしろうが見合う。 へー 「ほんまでっか?どこにいはる。その子は」 「小値賀のマリアのお袋さんが預かっとるとよ」 「そうか、お願いがありますえ。案内してもらえんやろか。うちらここは知りまへん」 「よかばい。乗れ乗れ、船ば出すけん」 漁師が案内した先は龍の目の石があるポットホール付近の村だった。 簡素な家に老婆と幼児がいた。 「アルマーや」 よしろうはんが叫んだ。 不二子はすかさずアルマーに近づいた。 青い目の女の子だった。 老婆が聞く。 「あんたたちは、この子とどういうお知り合いですかな」 へー と不二子は答え、いきさつを伝えた。 老婆は考えていた。 「見ての通り、うちも歳ば取ったとです。この子もまだ、うちには慣れとらんとです」 しばらくして続けた。 「娘が望むなら、それでよかですたい。ただ、娘のマリアに聞いてもらえんですやろか」 不二子は 「へえ」 とだけ静かに伝えた。

第11章 野崎島へ 552話

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ふたりして北へ向かう。 アルマーは何処。 よしろうはんの気持ちは決まっていた。 不二子の想いも定まっていた。 長崎の大村湾に教会があり、アルマーらしき幼子を知っているという。 列車に乗り長崎へ。 白い教会が建っていた。 神父に会い情報を聞く。 おそらく五島列島の 小値賀島 あたりだという。 船に乗り、  小値賀島 へたどり着いた。 地元の漁師に聞いた。 「この地の教会はどこでしゃろか?」  「あれや」  漁師が指さした先は隣りの島やった。 「野崎島に教会はある」  そう漁師が言った。 「連れて行こうか」 漁師が言う。 へー 「お願いいたします」  漁師の船に乗り野崎島へ向かう二人。 ここは無人島になった島という。 青すぎる紺碧の海に白波がざわめいていた。     

第11章 養子 551話

お茶が二杯目になった頃、不二子はんが言うた。 よしろうはん。 なんやろ。 アルマーのことなんですけど。 うん。 うちらが引き取るいうことは、できますやろか。 よしろうはんは茶碗を両手で包んだ。 しばらくそのままでいた。 実はな、僕様も同じこと考えとった。 不二子はんは少し驚いた顔をした。 迎えが来んかったもんは、残りますやろ。 残るな。 残ったもんは、居場所を探しますやろ。 そうやな。 よしろうはんは窓の外を見た。 山は暗うなっとった。 マリアもそうやったな。 不二子はんはゆっくり頷いた。 しばらく二人とも黙っとった。 お茶の音もせんかった。 まずは見つけなあかんな。 よしろうはんが静かに言うた。 そうですね。 不二子はんも静かに答えた。 けれど二人とも、もう探すだけの話ではなくなっていることを知っていた。

第11章 手がかり 549話

修道院は廃墟やった。 石の壁だけが残っとった。 屋根はなかった。 窓枠もなかった。 草が石の間から生えとった。 不二子はんは中に入った。 広場のようなところに出た。 かつては礼拝堂やったのやろ。 祭壇の台座だけが残っとった。 十字架はなかった。 静かやった。 風が通った。 草が揺れた。 それだけやった。 不二子はんは台座の前に立った。 何を祈ればええか分からんかった。 祈らんかった。 ただ立っとった。 隅に小屋があった。 石造りの小さな建物やった。 扉が半分開いとった。 中をのぞいた。 棚があった。 棚の上に箱があった。 埃をかぶっとった。 不二子はんは箱を手に取った。 重かった。 木の箱やった。 蓋を開けた。 帳面が入っとった。 何冊も。 文字は読めんかった。 言葉が違うた。 けれど、名前は読めた。 名前だけは、どこの言葉でも名前やった。 ページをめくった。 めくった。 めくった。 あった。 Maria。 その下に、小さな字で。 Alma。 不二子はんはそのページをしばらく見た。 日付があった。 生年が書いてあった。 それだけやった。 それで十分やった。 糸は続いとった。