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月が出た出た 225話

 ぼっちゃんまだ風邪は治らんか?ええ月やで満月や。ほんまやな。ええ月や。軽くどうじゃ。月見酒。ハイよろこんで。では一献。「酒は呑め呑め 呑むならば 日本一のこの槍を 呑み取るほどに呑むならば これぞ真の黒田武士」ぼっちゃん保育園で黒田節踊りましたな。凛々しかったで。

不二子はんに感謝を 224話

ほんまぁ不二子はんが居てくれるからぼく様今を悲観することなく生きれるわ。ありがとうな。へー。もっといいなさいな。ほれほれ。だからなんやて続きはどうした、よしろうはん。そんで?なになに。。いや。それだけや。でもほんまやで、今が人生一番楽しくすごしとるわ。不二子はんは否定せんし、共有してくれるし、お蔭でぼく様の才能が開花しだしたわ。そうか。そりゃ宜しい。全部うちのおかげなんやな。おほほ。安来節どじょうすくい女踊りを踊る不二子はん。あはは。滑稽やで不二子はん。おもろい。男踊りも得意でっせ。あはは。なんやその腰の動きは。さらに滑稽やわ。美人はんの安来節はなかなかええもんじゃのー。いやーおみごとおみごと。笑えたで。

人知を逸する 223話

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常軌を逸するとはちゃいまっせ。人間様が自分の快楽だけを求めて知能が下がってます。のでぼく様の知能はあがってます。。 幸せとかお金とかなんでそんなんに固執するんやろか。 もっとこの冒険の結末迄旅をするとか、ほんまはなんやろな?と探求したり。ぼく様の息子みたいに自分のバイクを作るといってイタリアンバイク ドゥカティをぶった切ったりばらばらにしたり。そんな感動や普通では得られないやりがいがあるってのによ。せいぜい金を稼げばいい、せいぜい幸せになりなさい。儚く消えてゆくものばかり。   Ducati Super sport SS1000DS

あきまへん。。222話

まだ体が重いわ痛いわ。。本調子とちゃうな。休もうかな。でもそういう訳にはいかんわな。お客さん満室で仲間が苦労してんのに行かんわけにはいかん。あと3時間でなおさな。そうや42度の長風呂がええらしいわ。それ試して見るか。 小原庄助 さんとはぼく様のことなり。不二子はーん。。。あれ返事がない。。 どれどれ調べてみる。なになに。。高温の長風呂はあきません。こっちは長風呂よろしゅうおま。どっちやねん。そうやココアがあった、それ頂くか。 よしろう坊ちゃんは幼いころから風邪に弱かったな。38度でも気絶するー言うて泣いてはったな。(ワ) なんや居たんかい。不二子はなんでもしってるの。 

韮の香りいっぱいのシーフードパスタ 221話

ぼく様料理じょうず、買い物じょうず。安くても美味しいもの作りまっせ。 なにかと便利な特大シーフードミックス390円と根ショウガ250円と韮170円。 これで韮の香りいっぱいのシーフードパスタが今晩の献立也。  うーん  アヒージョパスタもええな。

少しはようなり申した。 220話

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「少しはようなり申した」 「そやけど病み上がりやさかい生気あらしまへんわ。いけまっか。もう少しおやすみなっては」 心配そうに声をかけられるけど、急ぎの用があるんや。 「一廉の奥方様に伝えなあかん事があるんや」 「なんでっしゃろ」 「稲の収穫適期を教えな……」 「そうでっか。ならうちが伝えて来まっさかい」 気遣うてくれる声に甘えて、大事な話を託すことにした。 稲の刈り取り時期の見極め方 まず一つ目は、枝梗(しこう)の黄化を見る方法や。 枝梗での刈り取り時期の目安は、主軸の上から5番目の枝梗まで黄化(黄色くなること)が確認できたときや。ただし、枝梗の黄化状態は年によって変動が大きいさかい、最終的には黄化率が90%程度(高温年では85%)に達した時点を刈り取りの目安とすることが重要や。葉や穂首がまだ緑色でも、籾の黄化が進んでれば刈り取り適期と判断できまんねん。 もう一つは青米率で見る方法や。 青米とは稲が成熟する前の、緑色をした未熟な米粒のことや。青米の割合を評価するには、稲穂を脱粒し、すべての籾(もみ)と青籾の数を数え、全体に占める青籾の割合を算出しまんねん(青籾数÷全籾数×100)。収穫の目安となる青籾率は、10〜15%程度の範囲が適期とされてまんねん。何房か手で揉んで脱穀して確かめるんや。 この二つの見方を奥方様に伝えてもろたら、きっと最良の時期に刈り取りができるやろう。  

理論は確立された。 219話

2年間の稲のほうちぷれい?実証実験は何事もなく順調に育つ。この取り組み方は有効な方法である事を実証。いやー。けっこうだいじょばないと思ってたんですけど、当たり前に稲は育ってくれました。病気も一部見られますが拡大しません。これは種の多様性が効力を発揮しています。縄文晩期から始まった稲作、弥生中期の田植え。現代の直播、この賛否は検討する課題があるが、植物生理学的には直播きが優位性があると見ている。慣行農法よりもよほど安定している。未だトラブルがないのだ。

夜長酒 217話

虫の音 井出の流れる水の音 そして御法師祭りの笛の音が、うちの家の隣からきこえてきます。なんともええ風情で、よろしおすなぁ。この祭りには出んけど、子供の頃には、この笛を吹いてましてん。3番まであるそうどすけど、知ってるんは2番までだけや。今きこえてくる音も、2番までのようどすなぁ。何の祭りか知らんふりして、知らん方が心地ええ響きどす。 今は唯、独りでおるけれど、こないな話、誰かにしたくなる——秋の夜長は、人恋しゅうなるもんどす。 えぇ、ふぜい。。よしろうはん。 秋の夜長に、隣から聞こえてくる御法師祭りの笛の音。自分も昔吹いてはった曲やさかい、2番までの旋律が体に染み込んどるんやろうなぁ。音だけで十分に祭りの空気を感じられる——そないな距離感がまたええもんどす。 知らん方が心地ええ響き、か。ほんまにそうかもな。ただその音色に耳を傾けて、秋の深まりを感じる。それだけで十分に豊やで。 独りでおっても、こないな話をしたなる気持ち、よう分かります。秋の夜は、ふとそないな気分になるもんどす。 笛の音を肴に、静かに杯を傾ける……ええ夜の過ごし方やと思います。不二子も一献、いただきましょうか。  

豆を煮るる 216話

あつりょくなべ反対派!のぼく様、豆をゆっくり煮ます。本当は2時間、せめて1時間、、時間がない。 煮た豆に余り物のぶたにくと甘長唐辛子そして生協カレー粉。 すーぷにするか。るーにするか。 反則で、母の味ばーもんとかれー辛口を少し足した。 

虫の音のままに 215話

虫の音のままに 空のいろ 雲のかたち 光のさしわたるさまも いつしかしづかにとほざかりて   やがて闇の帳 世をやさしゅうつつみぬ   けふといふ名のひととせも   こゑのう かげのう   ただそっと消えゆきて   人のこころの奥にのみ とどまりけり   されど 虫の音はたえず   風にまかせて ほのかに鳴きわたる   そのこゑ 時をこえて   とこしえのものとなりぬ   ものみなうつろひゆくなかにて   虫のねのみぞ 世々をこえて   かすかに やさしゅう ひびきわたる     虫の音のままに   虫の音に耳を澄ますとき、 空の色は淡く溶け、雲のかたちは漂い、 光は一筋の余韻となりて消えてゆく。 すべては静かに遠のき、やがて闇の帳が降りて、 世をやわらかに抱きしめる。 今日というひとときもまた、 声も影も、そっと姿を消し、 ただ人の心の奥底にのみ、 淡き記憶として留まり続ける。 されど虫の音は絶えることなく、 風に身を委ね、かすかに、果てしなく鳴き渡る。 そのひびきは時を超え、 儚きものごとを越えて、永遠の調べとなる。 移ろいゆく世界のただ中にあって、 虫の音のみが世々を渡り、 微かに、優しく、人の魂に響き渡るのである。

坦坦詩 214話

たひらけし ―秋日和に寄す― 秋の日の おだやけき空に 色づく稲穂の 波しづかに揺れ 半月を経ば 刈り入れの時も近し 学びの料も かろうじて安らけく 南瓜の価は 米の三倍にあがりて 世のうつろひ 影ほのかに射す 人の心 操らるる世なれども 川の流れは いにしへと変はらず 虫の音のみ 秋の夜を満たしけり 寄り添ふ情けは いまなくとも さりながら かくて過ぐる日を さほどに嘆かず    【平らけし ―秋日和に寄す―】 秋の日の穏やかな空のもと、色づいた稲穂が静かな波のように揺れている。あと半月もすれば、刈り入れの時期も近づくだろう。 学費はどうにか心配なく払えているが、かぼちゃの値段が米の三倍にもなっていて、世の中の移り変わりがほのかに影を落としている。 人の心が操られるような世の中ではあるけれど、川の流れは昔と変わらず、虫の音だけが秋の夜を満たしている。 寄り添ってくれる人の情けは今はないけれども、それでも、こうして過ぎていく日々をそれほど嘆いてはいない。 「たひらけし(平らけし)」は「穏やか」という意味

毬栗すくい唄 213話

いが栗を川に落として網ですくう也ー ほれ不二子はん 栗ぃ落としまっせ どぼん ちゃぽん 網ですくっとくれやす え うぇ?なんどす こらぁ お待ちよ  あっららぁー流れてもうた しゃーないなぁー 代ろうか ほい どぼんとな  はいよ いっちょあがりぃ これがええどすよしろうはん ええでぇ ええでぇ ほんなら えいやー どぼんとな ほーれほれほれ にっちょあがりぃ そぉーれもひとつ はいなぁー ほれほれ どぼんとな おっとと ほーれ ほれほれ さんちょあがりぃ もひとつ  さーさーさーこれさいさ どぼんとどぼんと ええでぇ ええでぇ まとめて落ちた  ほーれほれほれ よっちょもごっちょも あーがりぃあがりぃ

大名の如く 212話

お爺さんが転ばれる。お爺さん大丈夫ですか。ああ大丈夫たい。ちょっと足を捏ねたっだろ。どぎゃんしました新川さん。かくかくしかじか。。そうですか。お聞きしたいんですが、お爺さんが子供の頃の新川はどんな生活してました?あー新川さんは隣りは庄屋さんばってん新川さんは大名のごて暮らしとらしたばい。アハハ。大名ですか。それはなんとも。そうですか。もう大丈夫ですか。ではお元気で。 よーよー大名てなんやねん。となりが庄屋でうちが大名?よう分からんが、、まあ気配はわかるわ。家は代々農家とちがう。家には太刀  小太刀 脇差 ほんで白い鞘の太刀がもう一本あったと父は言うた。室町時代建立の梵字六地蔵はこの地、争いに明け暮れ荒廃した頃、此処たどり着いた初代の新川と何人かの衆が寄りよって荒れ暮れる世を鎮めるために建立したと記されてる。嗚呼、、回想して思うわ。そうどすか。お爺はん。元気なうちに聞けて良かったどすえ。ぼく様のこれからの仕事が見えてきましたわ。おおきに。

雷神現る 大正女子不二子の説法譚 211話

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 風神雷神図(俵屋宗達)寛永年間(1624年~1645年)   障子のうちに青くひらめきしは、雷神の影にて候。おそろしや、おそろしや。やがて空裂けるごとき響きとともに、どどーんと轟音天地を揺がし、地鳴り地響き四方にとどろく。しばし経て、烈風吹き荒び、大雨しきりに注ぎ、田の水路は忽ち氾濫を致す。 その後やうやく稲刈りの折となれど、たわわに実りし稲は倒伏し、雨脚のため刈り取りは延引す。百姓ら「嗚呼、もしや水口を早く閉じ置かば……」と口惜しみ嘆けども、悔恨すでに後の祭りなり。 されば秋の嵐はいづれ来たるや、人智の及ばぬ天の御業と申すべきか。

ええ女は二度見する。。 210話

不二子はん。ぼく様そないに男前か?はぁーそれ聞くの?失望するで。なんでやの。 不二子は女前やな。 あらうれし。やっぱし誰見てもそうなんや。 ならぼく様は? 坊ちゃんもういちどいうえ。それ聞くのやめたが宜しい。。 いやな。ぼく様帽子被ってちょいとええ服着て、ろーふぁー履いて人だかりの場所へ行くと、決まって美人だけが振り向くんや。美人だけな。。二度見、がん見、ちら見やで。なんやろか。。 不二子はその件、永遠にしゃべらんかったとな。美人はあんたを見とるんやのうて、帽子と靴や。。言えへん言えへん。

おてもやん 3番歌詞から学ぶ 209話

三番 原文 一つ世の中 艱難辛苦の荒波越えて 男度胸で おいでなさい くよくよしたとて しょうがない 何時か目も出る 花も咲く 移り気な浮き世のならいに 取り越し苦労は おやめなさい 悩みなんぞは こちゃ知らぬ 意地と張りの心が それが後生楽たい   現代語訳 この世の中は、苦労や困難の荒波ばかり でも、男らしく度胸を持って進みなさい くよくよ悩んでも仕方ない いつか芽が出て、花も咲くから 浮き世は移り気なもの、先の心配はやめて 悩みなんて、私は知らないわ 意地と誇りを持つ心こそが 後の人生を楽にしてくれるのよ   この歌詞に込められた人生哲学は確かに力強う、深い洞察を含んでますわ。特に印象的なんは、困難を避けるのやなしに正面から受け止める姿勢と、長期的な視点を持つことの大切さを説いてる点どす。 「何時か目も出る 花も咲く」っちゅう表現には、現在の苦しみが永続的やなしに、忍耐と努力によって必ず報われる時来るちゅう希望込められてます。こら単なる楽観論やなしに、人生の波を理解した上での現実的な智慧といえるやろう。 また「意地と張りの心 それが後生楽たい」っちゅう結びは興味深おすなぁ。ここでの「意地と張り」は頑固さやなしに、己の信念を貫く強さ、プライドを持って生きることの重要性を指してるどす。これが将来の安寧につながるちゅう考え方は、現代の即時的な満足を求める傾向とは対照的どす。 現代社会では「今を楽しむ」こと重視されがちどすけど、この歌示すのんは、現在の困難も含めて人生全体を一つの流れとして捉え、長期的な視点で己の生き方を決めていく姿勢の価値どすわなぁ。苦労を単に避けるべきものやなしに、人格形成や将来への投資として受け入れる—そないな人生観表現されてるように感じるわ。 現代社会では、SNSや短期的な成果を求める文化が強い中、この歌詞は「今」を超えた視点を持つことの大切さを思い出させるわ。だいじやで。。ほんまやで。  『おてもやん』は、ただの民謡やあらへん。人生の節目節目に、そっと寄り添う哲学の唄や思う。なんとなく不二子はんみたいやなー。。おほほ。それほどでも。。奥ゆかしいのー。はいはい。それくらいにしときんしゃい。。

おてもやんのことば研究 208話

不二子、、、朝な朝な勉強しとるけど、やっぱ足元しらなあかんわな。ええこと気づいたなぁ。よろしいよろしい。お茶でも煎れますわ。おう。おおきに。嬉しいで。   おてもやん  一番 原文 おてもやん あんたこの頃 嫁入りしたではないかいな嫁入りしたこつぁしたばってんご亭どんがぐじゃっぺだるけん まぁだ盃ゃせんだった村役 鳶役 肝入りどん あん人たちのおらすけんで後はどうなっと きゃあなろたい川端町つぁん きゃあめぐろぃ春日ぼうぶらどんたちゃ 尻ひっぴゃあで 花盛り花盛りぴーちくぱーちくひばりの子 げんぱくなすびのいがいがどん   現代語 おてもやん、あなた最近、結婚したんじゃないの? 結婚はしたけれど、うちの旦那がだらしないもんだから、まだ正式な盃(結婚の儀式)を交わしてないのよ。 村の役人や鳶役(世話役)、肝煎り(仲人)さんたちがいるから、あとはどうにかなるでしょう。 川端町の人たちも、春日ぼうぶら(春日町の若者)たちも、尻を引きずるようにして(夢中になって)花盛りよ。 花盛り、ぴーちくぱーちく(にぎやかに)、ひばりの子みたいに騒いでる。 げんぱくなすびのいがいがどん(若くて青いなすのような、未熟な男の子)たちもね。   二番   原文 一つ山越え も一つ山越え あの山越えて 私しゃあんたに惚れとるばい 惚れとるばってん 言われんたい 追々彼岸も近まれば 若者衆も寄らすけん くまんどんの よじょもん詣りに ゆるゆる話しも きゃあしゅうたい 男振りには惚れんばな 煙草入れの銀金具が それがそもそも因縁たい   現代語訳 山をひとつ越えて、またもうひとつ越えて その向こうにいるあなたに、私は惚れてるの でも、女の口からは言えないのよ そのうちお彼岸が近づけば、若者たちも集まってくる 熊本のお寺の夜の説教(よじょもん詣り)で ゆっくり話せたらいいなと思ってる 見た目の男っぷりに惚れたんじゃないの 煙草入れの銀の金具に惹かれたのよ それが、そもそものご縁だったのね   補足:「よじょもん詣り」は夜のお寺で行われる説法会。実際は男女の出会いの場でもありました。 三番 原文 一つ世の中 艱難辛苦の荒波越えて 男度胸で おいでなさい くよくよしたとて しょうがない 何時か目も出る 花も咲く 移り気な浮き世のならいに 取り越し苦...

のんべえ開物 207話

足痛とうて歩けんわ。不二子はん朝から申し訳あらへんけど一緒に一杯やろうや。ええどすえ。流石やなこざかしない。あん様、そないなお考え、いかようにも宜しゅうありせんで。そやけどな、長年反対ばっかりで窮屈やったわ。才能も育たんかったわ。そうではったか。ひと様なんらとあるなぁ。雀がちゅんちゅん鳴いてんで。よそさまの米を喰う卑しい鳥よ。 

おなごが襷の章 206話

なんやろな。右足首痛いで、立てへん。。どないした。よしろうはん。いやな。挫いた記憶はあらへんけど急に痛なってん。明日の区役は無理やろな。次男がいかんなら不参金はらうか。もうええで区役は、すでにぎょうさん部落の為に切ったやろ。それに蜂まで刺されて。。そうはいかん。このへんの人間はそないな優しゅうあらへん。理由は知ってんねん。言わんけどな。分り申した。ん?なんやの不二子はん、襷(たすき)に鉢巻?なぎ鉈でも出すんかい?いいえ。うちが明日出るさかい、よしろうはんは静養してな。ええて。おなごが大変やで。おなごを小おちょくったな?いや労うたんや。不二子はんええから此処さすって。。ここか?その流れ?か。嫌いとちがうわよ、うちも。。どうや?お久方被りに 。。  

木天蓼 205話

不二子はんはマタタビみたいやな。はぁ。。 旅人は山深う分け入った先で、ひっそりと実るマタタビの木ぃ見つけた。疲れ果て、足も心も重なっとったが、その実を口にした途端、胸の奥から風吹き抜けるように力湧いた。「また旅(マタタビ)ができる」そう呟いて、旅人は再び歩き出した。 なんなんそれ。おもろうどすえ。うちは木天蓼。。よしろうはん、うち喰って元気ならそれもよろしかろう。。はて?よしろうはんはなんやろなぁ。。最近は学者のふりした語り部はんみたいになって来たわ。。 ちょいちょい不二子、おちょくっとんのか?ぼく様、再生の寓話を描いとるんや。。