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満月とアオバズク

神社ではなく森の方からアオバズクは鳴く。 昔から2箇所に生息する。 今宵は満月かに見える。 門出橋で川風に当たる。 冷たい風。 昔はここにベンチがあった。 ギター弾ける。 タバコを吸い終える時間までよく此処に立っている。 やっぱり満月の日は眠れない。

あってはならない。あってはいけない。

それくらい僕だって分かってますよ。 悲しい下り。 でも。 それが永遠「不変の波動」のはじまりと思いましょう。 でもね。 僕だって伴侶が欲しいから。 つくりますよ。 曲だけ残して。 

ろうきゅうか

老朽化した水道管の工事。 近く村営化されるが、その前に老朽化して漏れる場所を修理しないと加入できないそうだ。 加入権は一件あたり11万だが。詳しく聞けばこれまでの貯蓄が1600万程あるので、おそらく3万程で済むという。 まあね。 それ位なら負担も少ない。 今日は田んぼへ行く道に水道管が埋まっていて漏水していた場所の工事。 せっかく休みなんだが。 ギターも弾けない。 あそこは川風が吹いて昼間でも涼しいんだけどな。。 

ふだんのぼく

エアコンもない軽トラを運転してると、こんな熱帯夜の夜でも平気でエアコンなしで寝てしまう。 昼間は川で涼み、ギターとか弾いてのん気に暮らしてる。 おばさん世界は明日から始まるが、仕事だけしてとっとと帰ってしまう。 もうひと月で解放だ。 なんにもやってないな。 あの子に会いたいなくらいしか考えていない。 こんな平和は久しぶりだ。 あーあ。 明日の朝も早朝から草取り。 なんてのん気で自然なことか。 亜希子の日記を読んでいた。 むかしの僕が今よりちゃんとしてんじゃん。 そろそろ 薬が効く頃。 寝る。

ギブソンレスポールさようなら

あー。 いらね。 エレキは必要ない。 フラメンコだけでいいや。 くろふぇんだーも息子にあげる。 愛しいアストリアス。 さいこうだ。 ぼくはいま自分をセットアップしている。 停滞はぼくにはよくない。

よいことばかりじゃないよ

なんかさー なにも起きてはいないが、決断が大事な時。 もう決めようかな。 そう思う。 お互いの為にも。   

Guitar Life

Asturias Flamenco Custom S に出会って以来 ギターを弾くことが嬉しい。 朝6時前に田んぼの川辺で2日ほど弾いてみた。 川風が涼しく清涼感が心地いい。 最近編曲しているオリジナルソングがある。 最初の恋人、保育園から知る幼馴染。 彼女がコロナで亡くなった時に生まれた曲。 Dsus2コードを加えて甘く切ないフレーズを挿入している。 今日は休みだ。 この曲を仕上げてみたい。

夏ですね

にいにい蝉の姿を玄関前で見かけました。 夜も鳴くんだよね。蝉って。 雨音の合間に鳴いています。 俺も今年は夏しよう。。

生漆かぶれ

ぐだぐだの5連休。 割れた皿を継ぐために金継ぎ?ただ漆と瞬間接着剤を混ぜて継いでいた。 生漆にはかぶれたことはなかったが、今回全身までひどくかぶれてしまった。 皮膚科で処置。 でも治るのは2週間とかいう。 何もできない5連休であった。 めちゃ痒。。 ちなみに金継ぎはついでで、シアノタイプの感光液に生漆をバインダーとして混入する実験だった。 ウルシオールは油性のため溶解しなかった。 ちゃんちゃん

なに。。

俺焦ってんのか。。もったいない。 いい仕事してんのにさ。 写真に取り組むのが一番いいし早い。 ただね。 俺でもさみしいさ。 

I've decided.

もう僕は伴侶を探す。 I've decided. It's time to find a life partner.

第12章 雨の形 583話

雨って、しずく型ではありません。 小雨は球体を保ち、 大きな雨粒は潰れてハンバーグ型になるそうです。 昔、あるイラストレーターが雨を見上げる構図で描いていました。 雨粒は真ん丸でした。 彼女はきっと、目で見たまま描いたのでしょう。 凄いよね。 大学生だった当時のぼくは感心しました。 いつの間にか、彼女はぼくのアパート内の向かいに引っ越してきました。 そういう訳で、お付き合いが三年ほどあったでしょうか。 当時から有名な漫画家さんでした。 「雨は下から見たら丸いんだよ」 もう四十年も昔のことを、よしろうはんは思い出していました。 彼も今空を見上げました。 丸いかもな。 そう思いました。 俯瞰で見るのではなく、見上げる。 僕の特徴であるローアングルから見る視点は、この辺りから生まれたような気がします。 結婚の約束をするも別れてしまった二人。 壮絶な別れ方でした。 ただ。 僕は、その頃と変わらないように思えます。 もっと小さい頃から、何も変わっていないようにも思えます。 適応しようとは考えない。 何なんだろうとばかり考えているんだ。

ひとつの決断

離婚はしない。 この方針へ変更。 理由はいろいろあるが、書くのは差し控える。 1年間もうすこし考える事で合意。  小さな見えない矛盾を感じる僕の心を躱した。 

こんなの良く食べれるよね。。

次男が暫くは夕食要らないというので、ひとり飯。 おれなんて、なんでもいいさとコンビニおかずを買う。 ひとりなら原価率はひくい。。 で、試食。 甘、あま、甘い。。 よく食えるよねこんなおかず。 いらんわ!    コンビニおかずの甘さについて考察した。 コンビニのおかずの甘さ、あれは独特ですよね。万人受けを狙うとああなるのでしょうが、食べ慣れていないと「これが食べ物か?」となる。 原価率が低いのに満足度も低いという最悪の結果でしたね。 次男さんが夕食不要なうちに、自炊で何か一品だけ作る方が断然いいと思います。米があれば玉子かけごはんでも、納豆でも、そちらのほうがよほど「食った」感がある。  

CAMARÓN PARÍS 1987 Completo HD

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明日は水俣から女性写真家が写真の古典技法を教わりたいらしく、僕の所へと。 歓迎だ。  今宵はこの曲を聞いて寝ようか。 

新しい平皿

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Marumitsu Poterie / Studio M' いまだ妻とBokettoへ arでの食事だったが予約でいっぱい。40分待ちとのこと。なのでドリンクだけ頂く。。彼女はザクロソーダ、僕はエールビールを飲んでいた。 clampで素敵な平皿に遭遇。僕は素敵なお皿だと思い最初に手に取ったもの。 2枚で7千円ほど。持った感じがしっかりしていて少し重い。いいなと即買い。 大事にしたい。これは20cmほどだから、パスタ用も入れといてと店主に伝える。    Marumitsu Poterie / Studio M' の概要をまとめると: 1950年創業の愛知県瀬戸市の陶磁器メーカー。1985年に創業者・加藤健二が岐阜の窯元を訪れた際、フランス輸出用の「カフェオレボウル」に出会い「食べたいものを食べさせてくれる器を作ろう」という着想を得て、オリジナルブランド Studio M' を立ち上げた。 Marumitsu コンセプトは「Meals are Delightful(食事は楽しい)」。 フランスと日本のスタイルを融合させたデザインで、エレガントでありながら日常使いしやすい食器を展開。 KONPOTO Audreyシリーズについては: アンティーク食器からインスパイアされた磁器のプレート・ベーキングモールドのシリーズ。クリーミーなベースカラーと淡いブルー・パープルのモチーフが織りなすヴィンテージ感が特徴。フラワーモチーフはトランスファー技法で手作業で施される。 Audrey 英国のアフタヌーンティー文化(スコーンやジンジャーブレッドケーキ)にインスパイアされ、お菓子作りをより楽しくするコンセプトで生まれたシリーズ。ラベンダーとインディゴの2色展開で、ラメキン・プレート(155mm、200mm)・ケーキパンの4アイテム構成。 Marumitsu 公式サイトは marumitsu.jp です。  

お勉強タイム

もう1時から起きてる。疲れてても3時には起きる。 ぼく様だけの集中タイム。  この作業をしないと整理整頓や創作が難しい。 朝までになんと7時間もある。 睡眠時間6時間以上キープ。 ベストな生活。  小学6年からこの生活。 30代と記憶のない40代はめちゃくちゃやったけど、50代からまたこの生活。 自分に合っています。 

ハードケース

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大事なアストリアちゃんに、ギグバッグではなく ハードケースを買いました。 結構、繊細なギター。 なぜかって? チューニングが狂わない。 これはどれだけ精密に作られているかの証。 塗装も薄く、ちょっとぶつけただけで剥がれる。 これも、鳴りの良さの証。 大事なギターだ。 軽トラで移動することが多いので、 やはりハードケースの方が安心。 さて。 GATOR ( ゲイター ) / GWE-CLASSIC   もうギターはいいでしょう。 これ以上買うなら、 プロにでもならないと元が取れません。 はい。 思いっきり弾いて、 スッキリした夕暮れ。

なんて美しい世界 Ver.9:39

この村は美しい。 世界に誇る阿蘇の外輪山は、野焼きのあとで黒く染まっている。 その景色を見るだけでも、僕はこの土地を世界に謳える。 この光。 シアンに染まる景色。 川。 すべてが美しい。 僕は、こんなにもいい世界に住んでいたのだ。 朝日を浴びて、ギターを弾く。 焚き火をする。 田んぼのクレソンを食べる。 川の音をメトロノームに。 ここは、世界に誇れる場所である。 ――ただし。 それは、 ここに住む者が そのことに気づいていれば、の話だけれど。 さて。。 此処は西暦何年のロジックなのか。 

妖精の住む田んぼ

あーあ。。 此処には妖精が住んでいた。 40年前まで。 あの砂防ダムを立案したのは父だ。 もう この話はやめよう。 ただ僕は、いつも田んぼではなく 3面張りコンクリートの生態系を観察している。 春ですね。 桜が満開の頃。 父を福祉タクシーに乗せて 彼が植えた桜を見せよう。    新川さん。 読みました。 「この話はやめよう」と言いながら、最後の行で父を桜の下へ連れていく。やめていない。やめられない。この矛盾が、このテキストの核心だと思います。 父は妖精を殺した人間であり、桜を植えた人間でもある。その両方が同一人物であることを、新川さんは「この話はやめよう」という一行で処理しようとして、処理できていない。それが正直さだと思います。 3面張りコンクリートを「観察している」という行は、静かに強い。妖精がいなくなった場所でも、観察をやめない。それは写真家の倫理でもあり、息子の倫理でもある。 桜が満開の頃、というのが効いている。春は再生の季節だが、何も元には戻らない。父が植えた桜の下で、父が壊した生態系を思う、その場所で何かが閉じられようとしている。 これは不二子はんのエピソードですか。それとも別の文脈のテキストですか。