投稿

2026の投稿を表示しています

私は

私は難しい言葉そのものに反応しているのではない。 反応に反応しているのだ。 誰かが作品に関心を抱き、何かを感じ、そこから言葉を返してくれる。その事実そのものが嬉しい。 それが稚拙な言葉であっても、感覚的な印象であっても、理論的な分析であっても構わない。 大切なのは言葉の高度さではなく、その人が本当に作品と向き合い、何かを受け取ったということだ。 感覚も理論も言葉も、それぞれ表現の形に過ぎない。 その奥にある「伝わった」という出来事を、私は感じている。 だから私は難しい言葉に感心しているのではない。 作品に対する反応そのものに、価値を見ているのだと思う。

ポルトガルの博士 Helena Passaporteさんとの有意義な会話 

  会話全体の流れを日本語にすると、概ね次のような内容です。 Helena あなたの写真が持つ二重の分析的意味が好きです。美的な表現としての写真であると同時に、画像の科学的な関係性も感じます。まさに画像の多義性ですね。素晴らしいです。 あなた ありがとうございます。私の写真にある二重の意味を感じ取っていただけて嬉しいです。私の作品は、時間・知覚・現実のあいだに存在する微細な位相差を探求しています。私は、写真には一見しただけでは見えない複数の意味の層が含まれていると考えています。 Helena 画像の記号論的分析とは、鏡の向こう側を解体し、その写真が持つ豊かさを明らかにすることです。あなたの写真は、私の中に写真への情熱を呼び起こし、視覚的メッセージの背後にあるものや、時間・知覚・現実の相互関係を学びたいという気持ちを起こさせます。まさにあなたが言うように、一枚の写真には一見しただけでは分からない複数の意味の層があります。私は毎日何かを学んでいますが、あなたの写真は新しい発見を与えてくれました。 あなた 微小位相差論について説明してみます。 写真は、動いている現実を本当に停止させることのできる唯一のメディアです。絵画は時間をかけて作られ、ひとつの瞬間を止めたとは主張しません。映画や映像は現実を動かし続けます。しかし写真だけが、一瞬を切り取り停止させます。 私の理論は、その停止した瞬間を二つ並べることから始まります。同じ対象、同じ現実を、わずかに時間をずらして撮影した二枚の写真です。一見するとほぼ同じですが、完全に同じではありません。光や身体の位置、影、画面内の要素などに微細な差異があります。 その小さな差異こそが理論の核心です。一枚の写真は停止した事実を示します。しかし二枚を並べると、その間から写真が抑圧していた時間や運動が再び漏れ出します。鑑賞者は二枚を見比べながら、そこに動きや時間や因果関係を再構築します。意味は写真の中ではなく、その間隔から生まれるのです。 だから双構図は単なる形式ではなく知覚の装置なのです。微小位相差は物語の連続ではなく、現実そのものの微かな振動として現れます。 Helena 写真をめぐる言説は、絵画や彫刻や建築とは異なります。私たちは写真を見ながら言説を作ることはできず、後からしか語れません...

Helena Passaporteの言葉

I love your photographs with their double analytical meaning, the aesthetic capture and the scientific relationship of the image. Polysemy of the image. Very good. ❤️🌻 Thank you very much. I am very happy that you feel the double meaning in my photographs. My work explores the small differences of phase between time, perception, and reality. I believe an image can contain multiple layers of meaning, beyond just what we see at first glance. 5:20 A semiotic analysis of images is like deconstructing what lies behind the mirror, revealing the richness each photograph possesses. Your photographs have the ability to awaken in me a passion for the captured image and a desire to learn what lies behind the visual message and the interconnections between the variables of time, perception, and reality itself. The wonder of each image is indeed what you so aptly and poetically refer to: that each image contains "multiple layers of meaning, beyond what we see at first glance." Every day ...

庭の夏虫

この時間とてもよく鳴く夏の虫。 ぼくがあまり庭の草刈りをしないのが理由だろう。 景観を維持する景色と環境を維持する景色は違うのさ。 ぼくはわざと切り残している。 庭だろうと田んぼだろうと。 わずかなエリアで彼らは生き残れる。

無月

風の中を歩く。 僕は最近これからの事を始める為に過去のことを心の中で整理している。 無月の夜。 人生はどうにでもなる。 唯。 最善を考える時間もある。 どうすればいいのか。 関係を変える方法もある。 人を変える方法もある。 なんだろうか。 心を整理していけば見つかるはずさ。   

優しい雨

雨だ。 玄関のベンチでギターを弾く。 湿度が気持ちいい。。 アストリアスの音。 これはフラメンコだけどなんか違う。 いい意味で日本的な音。 でも。 これってスペインでは不思議な音に感じるだろうな。 そんな事考えて弾いていた。 あたらしいイマジネーション。 ちょっと面白い、歌うためのコードを作れた朝。 

そてーなす 塩れもん水漬け ばじりこそーす添え

畑から一皿 ── 茄子とレモンとバジル 自家製茄子があったんで、ぽきる。 自家製バジルが沢山すぎて、ぽちぽち千切る。 自家製レモンもあったんで摘果。 茄子に切れ目をたくさん入れて切る。 ひまわり油でソテー。 お水に塩、レモン、ちょこっと醤油を入れて、焼きナス投入。冷やす。 バジリコソースは、適当なチーズと塩、胡椒、大蒜、バルサミコ酢。ミキサーにかけて冷やす。 適当に冷えたらガラスのお皿に盛って、ソースをおしみなく。 畑を歩いて、摘んで、切って、焼いて、冷やして食べる。 それだけのことだけど、夏にはこういう一皿がうれしい。 夏バテしませんよ。    

さてと

草刈りを年3回以下の実験。 イネ科雑草がいよいよ穂を出した。 生殖成長の最終ですね。 種をつける前に切り込む。 まあ今日刈っても短い穂が出てくるけどね。、 後は稲刈り前にもう一度。 でもどうかな。 やっぱり4回はしないと景観的に問題はある。 個人的には草刈りを少なくすれば畔の表土流出がないのでいいとは思う。   畔からの病害虫は現時点では確認できない。 むしろ餌があるのでバッタ類が稲の葉を食べることが激減した。 現在では草刈りも大変なので多く農家が畔に除草剤を使う。 または勤勉な農家は草刈りを何回もする。 燃料の使用量が多くなるのは懸念材料ではあるが。   畔から病害虫が侵入する説も注視している。  僕の見解では   畔の草は病害虫源であるのではなく、 畔の草の存在は、害虫と天敵の双方に影響する生態系である。  僕は思うんだよね。 景観を考える風景。 環境を考える風景。 これは全く違うのだと。

黒い寒冷紗効果

暑いじゃなくて熱いだろうなと家に帰る。 玄関を開ける。 ん? 涼しい。。 凄いすね。  外気温35度 室内29度 

タブレットから

阿蘇の長陽駅。 全音楽譜出版社のギターが壁に掛けられていた。 初めてみたのは数ヶ月前。 ここにはFree Wi-Fiがあるので立ち寄る。 弦が強く張ってあったのでネックの根元が剥がれていた。 弦を緩めてしばらくするとネックの反りもなくなった。 専用のボンドで再び修理すれば音は鳴るだろう。 どうしようかな。 出勤までもう少し時間があった。 阿蘇といえ日差しは熱い。 田んぼから来る風だけが心地良いい。 車中にて。     

夏は寅の刻

 天空に月  月下に虫の音  夏はこんな涼しい朝がいい。  

無冠の帝王

なにそれ? 「無冠の帝王」 ああ、昔、友人たちが写真家の僕をそう呼んで笑っていた。 写真はいいのに、なぜ発表しないのか。 それはずっと意図的にやってきたことだった。 若い頃から評価を人生の中心に置いていなかった、 結果を急ぐのではなく、まず 観測することを人生の中心に置いた 。 若くして有名になって挙句路頭に迷う写真家は少なくない。 作品はブログで発表する程度。そのアクセス数も限られていた。 以前、SNSの友人は当時上限の5000人を超えていた。そこには世界中の著名な学者や写真家、アーティスト、そしてアートを愛する人たちが集まっていた。 再開してわずか二か月で2500人。 気づけば、やはり無視できない数字になっていた。 何よりも彼らがすごく正確に理解して言葉に出来るコメントは優秀である。   僕はずっと観測していた。 日本の写真界はどう反応するのか。 熊本や日本の学芸員は見ているのか。   環境活動に焦点を絞った観測手法の確立。 実際の田んぼを使った環境再生の実践。 山林の植生の多様化。  「微小位相差論」という視点理論の構築。 「双構図」という表現方法の実験。 古典技法を応用した高耐久印画法の研究。 そして大学院での検証。 誰も知らないかもしれない。 だが、振り返れば多くのことを達成してきた。 写真家であり、研究者である。 本来の僕は、長い年月をかけてそこへたどり着いた。 ただ、それだけのことだった。 そして今、ようやく思う。 観測だけでは足りない。 伝わらなければ存在しないのと同じだ。 観測の時間は続くだろうが、伝えるための行動も始めるべきなのだろう。 発表することの意味が称賛ではなく構築した世界を知らせる事へ変わった。 もういいだろう。 動く。 決めた。 

Cloude 使えなくなって来た

僕との意見の食い違いが多い。 全く疲れる。 この現象を知るのが大事だというのに。 

タブレットから

よくわかんないけど。 なんか今日涼しい。 秋を感じた。 夫婦か。 大切なはずだった。 

うぅ

嗚呼。この暑さは知らないな。 もう僕の知る九州ではない。。 

あさの3時から7時まで

目覚めると涼しい。  夏の日は夜もふけると過ごしやすい。 今日はコオロギが鳴いている。  睡眠薬としてクエチアピンを長期間飲んでいた。 「ああ、やっぱりか」 と思った。 どうやら男性機能を低下させることがあるらしい。 やめよう。 いや、まずは医師に相談しよう。 ちょっと門出橋まで涼みに行くか。 散歩は好きではないけれど、そこまでならいい。 深夜にギターを弾きたい。 ストリートミュージシャンは、まだ街にいるのだろうか。 昔、少しだけやったことがある。 なかなか楽しかった。 今回の曲を、どこかでお披露目したい。 The Sleeping Princess これはとてもいい曲に仕上がった。 アコースティックの持ち曲は、今のところ Hill of Carnation と合わせて二曲だけ。 ちょこっとライブには十分だ。 滝川の田んぼで毎朝弾いている。 昼も弾く。 夕方も弾く。 きっと目立つのだろう。 四季即贅喰さんのお客さんが立ち止まり、スマホで撮っていくことがよくある。 少し恥ずかしい。

あついな

こどもたちはそれでも平気な顔して遊んでいる。 もしかもしたら僕の方が歳をとったのか。。 なんて考えてた。  夏は余り考えたくない。 感じたい。 

ベクトルの次元が違う ── 世間の評価ではなく、意味のある人生へ

一秒一秒、僕たちは死へ向かっている。 ならば、ただ流されるのではなく、 自分にとって意味のある生き方をすればいい。 世間体だけを気にして、自分を抑えることに何の意味があるのだろう。 人は、意味を感じるからこそ「生きている」と実感できる。 それは若い時よりも、 歳を重ねるほど大切になる。 残された時間を、何に向けるのか。 人生のベクトルは、他人が決めるものではない。  

花のあと、人はどう生きるのか

植物には、栄養成長と生殖成長がある。 芽を出し、根を張り、葉を広げる時期。 そして花を咲かせ、種子を残す時期。 では、その後はどうなのか。 生命は、そこで役割を終えるのだろうか。 私はそうは思わない。 古い木には、若い木にはない時間がある。 長い年月を生きた幹には、若さとは違う存在感がある。 人間も同じではないだろうか。 若い頃は、自分を作る時代。 経験を積み、技術を磨き、社会の中で自分の場所を築いていく。 そして次の世代へ何かを渡していく。 しかし、その後の時間について、私たちはあまり考えてこなかった。 現代は、若さを維持することばかりが語られる。 若く見えること。 若い身体でいること。 若者と同じように動けること。 しかし、人間の価値は本当にそこだけなのだろうか。 昔、長老という存在がいた。 若者には未来があり、長老には時間の深さがあった。 そこには互いへの尊敬があった。 今は、身体が衰えると、その人が積み重ねてきた経験や感性まで、一緒に失われたように扱われることがある。 本当にそれでいいのだろうか。 人間には、若さの後に来る、まだ十分に発見されていない生命の段階があるのではないか。 子孫を残したあと。 社会的な役割を終えたあと。 それでも人は創造できる。 考えることができる。 誰かと深い場所で語り合うことができる。 男女が一緒にいることも、いつも恋愛だけではない。 同じ時間を過ごし、互いの世界に触れることもある。 人はいつの間にか、自分の年齢や立場によって、自分自身を小さくしてしまう。 もう若くないから。 もう遅いから。 そうやって、自分の可能性に蓋をしてしまう。 しかし生命は、本来そんなに単純なものではない。 木は古くなるほど根を深くする。 時間を重ねるほど、別の力を持つ。 人間もまた、年齢とともに失うだけの存在ではない。 経験も、記憶も、出会いも、すべてを抱えながら、まだ新しいものを生み出すことができる。 若さを取り戻す必要はない。 老いをただ受け入れるだけでもない。 生命が最後まで変化し続ける、その先の時間。 まだ名前のない第三の季節。 私は、その可能性について考えている。

満月とアオバズク

神社ではなく森の方からアオバズクは鳴く。 昔から2箇所に生息する。 今宵は満月かに見える。 門出橋で川風に当たる。 冷たい風。 昔はここにベンチがあった。 ギター弾ける。 タバコを吸い終える時間までよく此処に立っている。 やっぱり満月の日は眠れない。

あってはならない。あってはいけない。

それくらい僕だって分かってますよ。 悲しい下り。 でも。 それが永遠「不変の波動」のはじまりと思いましょう。 でもね。 僕だって伴侶が欲しいから。 つくりますよ。 曲だけ残して。 

The Sleeping Princess

おおよそ僕の中ではコードもメロディも出来上がった。 後はひたすら奏でて練習すれば指も動くようになるだろう。 なんかもう手がかちかち。 これ超えれば良い感じに動く。 

虫の音

もう覚えてないが、草雲雀のような虫が鳴いている。近くではキリギリス。もっと遠くで魅力的な音を奏でる虫。 こんな時間にベンチに座って作曲中のThe Sleeping Princessをギターで弾いている。 指が覚えるまで弾きこまなければ僕は上手に弾けない。 なんて虫の音のコーラスは美しいんだろうか。  かれらから受けるインスピレーションを音にした。     The Chorus of Insects I can no longer remember its name, but an insect that sounds like a grass cricket is singing nearby. Closer to me, a katydid is calling. Farther away, another insect plays a captivating melody in the darkness. At this hour, I am sitting on a bench, playing my guitar and working on The Sleeping Princess , a piece I am composing. I have to play it over and over until my fingers remember it. That is the only way I can play it well. How beautiful the chorus of these insects is. The inspiration they give me has found its way into music.  

統計で考えよう。

地震データを精査し、震度ランキングを構築した。 過去200年(1826年以降)で熊本を震源とする地震の規模トップ10は次の通りです。 1位、2016年4月16日、熊本地震本震、M7.3、益城町などで震度7。 2位、2026年7月28日、令和8年熊本地震、M7.1、宇城市と氷川町で震度7。僕が今まさに影響下にある地震です。 3位、1898年12月4日、熊本県東部の地震、M6.3ではなくM6.7。この時期にしては規模の大きい地震でした。 4位、2016年4月14日、熊本地震前震、M6.5、益城町で震度7。 5位、2016年4月15日、熊本地震の余震、M6.4。 6位、1889年7月28日、明治熊本地震、M6.3、熊本市付近を震源とし死者20名。 7位、1894年8月8日、熊本県東部の地震、M6.3。 8位、1895年8月27日、熊本県東部の地震、M6.3。 9位、1916年12月29日、熊本県南部の地震、M6.1。 10位、1975年1月23日、熊本県阿蘇地方の地震、M6.1。

怪しいな

まあ。 一応教育は受けてる発言ですが。 消防団では10年前の熊本地震の10年前から訓練を受けてきました。 のち、南西方向にストレスは発散されていない。 その通りですが。 間合いがきもいな。 眠り姫。 帰るのはゆっくりでいい。 

また地震かよ。

今朝から地震雲が多いと思ってた。 布田川断層南西域ですか。 とっとと終わりなさい。  友人が店をしている。 イオンモール熊本。 無事だと確認できた。

遺伝子組み換えでない可能性の高いオイル

非GMOオイルの選択肢を分類し、回答を構成した。 遺伝子組み換え作物として商業栽培されている主な作物は、大豆、トウモロコシ、菜種、綿実、てん菜です。したがって、これらを原料とする油、つまり大豆油、コーン油、キャノーラ油(菜種油)、綿実油は、非遺伝子組み換え表示がない限り遺伝子組み換え由来である可能性が高いです。 一方、遺伝子組み換え品種が商業栽培されていない作物を原料とする油は、遺伝子組み換えでない可能性が高いです。具体的にはオリーブオイル、ごま油、ココナッツオイル、アボカドオイル、米油、落花生油、亜麻仁油などが挙げられます。ひまわり油も遺伝子組み換えひまわりはほぼ流通していないため、比較的安全と言えます。 より確実に確認したい場合は、パッケージに非遺伝子組み換え表示があるか、あるいは有機JAS認証がついているかを見ると良いです。有機認証を受けた作物は遺伝子組み換え技術の使用が禁止されているためです。

ばんごはん

さて今夜は。 冷製パスタ 天草産手長タコと長崎産キハダまぐろのかるぱっちょ。ソースは自家製ペスト・アッラ・ジェノヴェーゼ也。 うまいにきまってらぁ! さいきん。 安いけど栄養豊富なひまわり油にハマってる。。  あ、そうだった。 畑に行けば長なすなってたな。 マリネ。酢の物、辛し和え。どっちでもいいけど添えるか。  きゅうりもあるし。トマトもあるし。セロリもイタパセ、バジル。もちろんありまっせ!!

ろうきゅうか

老朽化した水道管の工事。 近く村営化されるが、その前に老朽化して漏れる場所を修理しないと加入できないそうだ。 加入権は一件あたり11万だが。詳しく聞けばこれまでの貯蓄が1600万程あるので、おそらく3万程で済むという。 まあね。 それ位なら負担も少ない。 今日は田んぼへ行く道に水道管が埋まっていて漏水していた場所の工事。 せっかく休みなんだが。 ギターも弾けない。 あそこは川風が吹いて昼間でも涼しいんだけどな。。 

タンパク質

炭水化物はもともと人には必要ない。 つまり米は食べなくても支障がない。 唯。 タンパク質の肉 魚 豆類。 野菜。 は必須だとか。    炭水化物が「不要」という主張は、生化学的にはおおむね正しいです。 必須栄養素の定義は、体内で合成できず、食事から摂取しなければならない物質を指します。この基準で見ると、グルコースは必須ではありません。肝臓と腎臓は糖新生という経路で、アミノ酸や脂肪分解で生じるグリセロール、乳酸などからグルコースを作り出せます。炭水化物を全く摂らなくても、血糖は維持されます。 脳や赤血球はグルコースを主なエネルギー源としますが、糖新生に加えて、脂肪酸からケトン体を作ることで脳のエネルギー需要の大半を代替できます。極端な低炭水化物状態でも生命維持は可能というのが、その根拠です。 一方でタンパク質は生化学的に必須です。9種類の必須アミノ酸、バリン、ロイシン、イソロイシン、リジン、メチオニン、フェニルアラニン、トレオニン、トリプトファン、ヒスチジンは体内で合成できず、食事からの摂取が絶対条件になります。脂質についても、リノール酸とα-リノレン酸という必須脂肪酸は体内で作れません。 野菜については、ビタミンやミネラルの多くが体内で合成不可能な必須微量栄養素です。ビタミンCなどがその典型です。 つまり構造として、炭水化物は代替経路を持つため任意栄養素、タンパク質中のアミノ酸と一部の脂肪酸、微量栄養素は代替経路を持たないため必須栄養素、という整理になります。ブログの記述は、この生化学的な区分に沿った正確な内容だと言えます。   別のAI 全体として生化学の説明は概ね正確ですが、 「炭水化物は人に必要ない」という表現は誤解を招きやすい ため、少し補足した方がよいでしょう。 例えば、ブログとしては次のようにするとより正確です。 炭水化物は生化学的には「必須栄養素」ではありません。 必須栄養素とは、体内で合成できず、食事から摂取しなければならない栄養素を指します。この基準では、炭水化物(糖質)は必須ではありません。 人の体は、糖新生という仕組みにより、アミノ酸やグリセロールなどからグルコースを作ることができます。また、糖質が少ない状態では、脂肪から作られるケトン体が脳のエネルギー源として利用されます。 一方、タンパク質に...

あついっす

ことしはぼくでさえ異常だと感じる熱さ。 なんですか? 稲だけは非常に成長がいい。 秋落ち対策。 ウンカ対策。 これが出来れば豊作の見込み。 

たいへんすわ

たんぼにこれだけ草が生えたのは初めて。 まあ甲佐で経験あり在りだけど。 一本一本抜き取ります。 無農薬の定め。 もう10日ほど朝1時間とってる。 まだまだありまっせ。 縦列 横列 ランダムの繰り返し。 稲穂に花が咲いたらもうは入れません。 いまのうちだね。 僕はこんな作業嫌いじゃない。 良く見える。 稲のワールドにも宇宙がある。 

ふだんのぼく

エアコンもない軽トラを運転してると、こんな熱帯夜の夜でも平気でエアコンなしで寝てしまう。 昼間は川で涼み、ギターとか弾いてのん気に暮らしてる。 おばさん世界は明日から始まるが、仕事だけしてとっとと帰ってしまう。 もうひと月で解放だ。 なんにもやってないな。 あの子に会いたいなくらいしか考えていない。 こんな平和は久しぶりだ。 あーあ。 明日の朝も早朝から草取り。 なんてのん気で自然なことか。 亜希子の日記を読んでいた。 むかしの僕が今よりちゃんとしてんじゃん。 そろそろ 薬が効く頃。 寝る。

しば漬けおいしい

ちょっとね。赤紫蘇の染まり方がいまいちだけど、美味しいっす。 今食べてるけど。 いいね。 自然の乳酸発酵。  熱すぎて産膜酵母の発生が止まらないので、とりだして野菜庫に移動。 

第12章 不二子の文 616話

前略 よしろうはん。 うちも、そろそろこちらを暇乞い申そう思うております。 アンヘレスの空気にも、いつしか馴染んでしもうて、これ以上おりましても、見えるものは変わりまへん。 あの人の面影を探して歩きましたけれど、とうとう何ひとつ見つけることは叶いまへんどした。 されど、それでよろしゅうおました。 人は消えても、風は昔のまま。 空も、陽の匂いも、夕立の湿り気も、あの頃と少しも変わりまへん。 それらに包まれておりますと、ほんのひととき、あの人がすぐ傍らにおるような心持ちになれました。 それだけで、この旅は十分にございました。 留守のほど、お変わりなくお過ごしやしたやろか。 戻りましたなら、また何事もなかったようによしろうはんのおそばにおります。 その折には、旅の話でも、ゆるりと聞いておくれやす。 かしこ 不二子

Friday Feel-Good Funk | Upbeat Soul Grooves for the Weekend

イメージ
    DRIVE DIVE   DANGEROUS DANCE 人を突き動かすもの(drive)を、あなたは知らない。  

John Scofield - You don't know me (with lyrics)

イメージ
    You don't know me  「あなたは本当の私を知らない」 「私のことを分かったつもりにならないで」 「私の内面は誰にも分からない」 はたしてどれかな。。

第12章 不二子の文 615話

前略 よしろうはん。 うちは今、フィリピンの Angeles City に滞在しております。 夫・新川儀一郎の作った町。 あの人がおった頃を思い出しながら、懐かしゅう眺めておりますえ。 なんや、急に儀一郎さんに会いとうなりまして。 会えるはずもあらしまへんのに、来てしもうたんどす。 もう少ししたら帰りますさかい、 留守の間、どうぞよろしゅうお願いいたします。 草々

第12章 不二子の文 614話

拝啓 あつうございます。 よしろうはん、 しばらくおいとましとうございます。 なんやら、遠うまで見とうなりまして。 どうぞ、お気になさらんといておくれやす。 あらあらかしこ 不二子

第12章 涼しい夜 613話

「なんと涼しい夜かしら」 「今宵みたいな夜は、人肌が恋しゅうなりますなぁ……」 ん? よしろうはんの胸が、ちょいと高鳴る。 これは……ちゃんすや 嗚呼―― 不二子はんは窓辺に立ち、川風に吹かれながら物思いにふけってはる。 「なぁ、案さん。こっちおいでや」 おっ! きたきた。 「もうお布団は敷いてますさかい、お先にお休みになってくださいな。不二子は、ぬるいお湯で背中流してきますさかい」 ほう これは決まったで。 「そうか、不二子はん。ゆっくりしておいでや」 へー 「ほな、お休みになってくださいな。」 おう よしろうはんは布団にもぐり込み、胸を弾ませながら天井を見上げる。 「……待ってるで」 そして朝になった。。  

第12章 たんたんと 612話

仕事をしてるから穏やかでいられる。 そう不二子はんは言った。 よしろうはんも言われるでもなく十分知っている。 稲は太陽と水と土と空気があれば育つ。 人間は何かしら働かなくてはいけない。 でもそうだろうか。 よしろうはんは考えていた。 なにもせんなら田んぼだけでいい。 気楽なものだ。 まあね。 気楽な道を選ぶ気は無い。 不二子はんもうなずいた。     

The Sleeping Princess(眠り姫)オリジナル全コード

イメージ
Am9/E Em7 E7sus4 Em(9,11) A9sus4(13) Cmaj7/G F#m7(♭9) omit5 Em(add9) Cmaj7(#11)/E Am13 Em Am Am6(add11)/E Am7(11)/E Am6(add11)/E C7とCmaj7が重なった響き(Eベース) Bbmaj7(#11)/E Em Cmaj7/E   画像を確認しました。 かなりまとまっていて、 Emを中心にしたフラメンコ~モーダルな響き がよく出ています。 特に好きなのはこの流れです。 Am9/E → Em7 → E7sus4 → Em(9,11) → A9sus4(13) 緊張と解決を繰り返しながら、完全には着地しないので「眠り姫」の幻想的な雰囲気に合っています。 また、 Cmaj7/G → F#m7(♭9) → Em(add9) ここは少し映画音楽のような色彩感があり、印象的です。 後半の Am → Am6(11)/E → Am7(11)/E → C7+Cmaj7 → Bmaj7(#11)/E → Em → Cmaj7/E も、スペイン音楽らしい「曖昧な終止感」があって良いですね。 気になった点 F#m7(♭9) は非常に美しいですが、演奏難度が高めです。ライブでは F#m7 F#dim D/F# に置き換えても雰囲気は保てます。 C7+Cmaj7 は面白い響きですが、コードネームだけでは他人には伝わりにくいです。 もし楽譜にするなら C7(addmaj7) C7(maj7) Cmaj7(add♭7) など、実際の構成音に合わせて表記を整理すると演奏者に親切です。 全体評価 作曲としてはかなり個性的です。 一般的なポップスというより、パコ・デ・ルシアや映画音楽、近代クラシックの和声を取り入れたフラメンコ という印象があります。 「The Sleeping Princess」の世界観には、このコード進行はよく合っています。メロディーが乗れば、かなり印象に残る曲になると思います。

子供を制御する大人

僕は軽蔑する。  ダメだという親を僕は知らない。  守るな。 させろ。  最近は子供が大人に気を使ってる。  

なにたべよか

ひまわり油。安くて栄養がいっぱい。 オリーブ油が高すぎる。 安いのあるけど、香りない。 現金で買う事に変更。 クレジットは怖い。 先月も25万。今月も20万の請求。 やってらんない。 今、850円あった。 手羽元とアイスともやしを買うが、お釣りがある。 へーですよ。 なんでもできるじゃん。 よくあらって塩もみして、又洗って、塩とお酢につけて、にんにく、醤油に漬けこんだ。 今夜はなんにでもアレンジできる。 唐揚げ、煮つけ、パスタ。 へー。もうカード使いません。 愛人に渡しました!!?  こういうしゃれ大阪しかつうじません。。  書いてボケて突っ込んで説明しなきゃいけないぼく様つらいっす。。 

近くにいないと困る人もいる

500m先でも寂しいのに。 1800倍の先に居る。 

ねむい波動

その人が悪いのではない。 でも僕はその人といると眠くなる。 なにも繋がらない。 笑うことも言葉さえでない。 僕には、たまにというか、高い確率でそういう女性に出逢う。 ほんとうに繋がってたら、話さなくても遠くに居ても良くわかる。 

深い悲しみ

僕はもう30年以上の深い悲しみの中にいる。 だれにも言えなかった。 その悲しみは歳追うごとに深くなる。 自分の事でもあり人類の事でもある。 本当に思う。 僕の文学をいつか世に知らせるなら。 そういう時代を超えた新しい文学が記されている。 それはwebではない、日記帳に記している。 

見透かす

ぜんぶ見えてますよ。 僕はね。 当然でしょ。 神とさえ話せるなら。 だれだっけ。 そんな戯言言ったやつは。  僕はね。 むかしからです。  

だれだろう

僕の伴侶。 考えて見たい。  一緒に前を向いてくれる人以外いらない。  もうごめんだ。 

さて明日から4連休

職場にいかないだけでも心は落ち着く。 女の雑念めいた渦の様な世界はごめんだ。 ののしりあって、けなしあって、褒めたと思えば裏があって。。どうすんのさ。  ハッキリ言うが意味が無い。 さ。 田んぼだよね。 草取りが残っている。  田んぼには草が生える。 この当然の様を見つめたい。 

生まれ変わったぼく様

ひつようないことをそぎ落とす。 あるいは到底かなわぬことを昇華する。 とくにギターでね。 どうしようもないものは考えない。  そうしたことによって迷いがなくなり生まれ変わった気分だ。 彼女っていってもまだ男女の関係とはいいがいたし。 それにもう25年以上まかえから知っている仲だ。  遊びに来てくれたり、存在そのものが心地いい。 どの時間でも邪魔にならない。 あー。この子珍しいなと思った。 僕の中の迷いが消えていく。  

ギブソンレスポールさようなら

あー。 いらね。 エレキは必要ない。 フラメンコだけでいいや。 くろふぇんだーも息子にあげる。 愛しいアストリアス。 さいこうだ。 ぼくはいま自分をセットアップしている。 停滞はぼくにはよくない。

彼女ね

別に。 かんたんに出来るし。 そうでもないけど。 彼女? 当然いますよ。 今日ね。  僕はシャッターかドアか知らないけど。 その音で決めた、 ぜんぶ リセットだ。 あーあ。 モテないわけないでしょ。  そういう事か、 

鶏むね肉 レッドオニオンのパスタ

鶏むね肉は解凍して、いつもの様に良く洗います。 ひまわり油で軽く炒め、塩、酢で整えます。 オニオン適当に切って炒めます。 炒め過ぎは食感が悪いので。そのへんよろしく。 好きな方は、とうぜんペッパー、とうぜんバルサミコ酢、とうぜんチーズ。。などね。 香りはバジルと大蒜、黒胡椒。 仕上げはバター。 ごはんでもいいし。 パスタなら最高ですね。 そう言えば。 ああ、 忘れてた。 煮大豆とアサリのすーぷがあった。 明日は休みだし。 これは明日でいいか。 

めんどいな。

かのじょつくろうか。 モテないわけではない。 スクランブル交差点で置いてけぼりになった気分だ。 

仕事眠い

あーあ。眠い。あと一月ちょい。みんな残念と言ってくれる。 でもねむい。僕はこういう世界、めちゃ早すぎて、早く帰る。 それもあかんのやて。what's ?! はいはい。無駄だ。 

正直言えば

伴侶がいればすべていい。。

Vintage Soul-Funk Grooves You’ve been Searching for | ep9 | Minimal Soul Funk Playlist

イメージ
 

さてとぼちぼち草刈りか。

栄養成長が終わって、生殖成長の雑草君。 そろそろ木っ端みじんに殺してあげる♡ 

朝礼

 世の中雑音が多すぎる。嘘ばっかり。。こんなありふれた間違い情報が世の中に流れるんだな。 詰まんないけど書くね。 草を切ってから除草剤をかければいい。。まちがい。 LEDはつけるときに電力を喰うからつけっぱなしがいい。。とうぜん間違い。 エアコンは自動や除湿が電力を使わない。。はい。間違いです。  

The Sleeping Princess(眠り姫)の曲作り AIと考える。もう実はオリジナルで作ってるけどね。流行りだからw

イメージ
    「 The Sleeping Princess(眠り姫) 」は、ここ数回で作ってきた歌詞を見る限り、 恋愛ではなく「永遠に届かない想い」を描くフラメンコ・バラード として完成させるのが一番魅力的だと思う。 曲の構成 Intro (ギターソロ) E Phrygian(フラメンコらしい響き) ラスゲアードは控えめ 静かなアルペジオから始める Verse 1 「眠り姫よ なぜ答えない」 低く語るように Verse 2 「何度名前を呼んでも」 少しリズムを強くする Pre Chorus 「あなたが忘れなかったのは」 コードを少し開放的に Chorus The Sleeping Princess Only your smile remains. 一気に感情を爆発させる Bridge スペイン語を少し入れる。 La Bella Durmiente... No despertarás jamás... Pero vivirás en mi corazón... (眠り姫よ。もう目覚めることはない。それでもあなたは私の心に生き続ける。) 最後にギターだけになり、 Only your smile... で終わる。 コード案(フラメンコ) | Em | D | C | B7 | | Em | C | G | B7 | Chorus | Em | D | C | B7 | | Em | D | Am | B7 | あるいは Am - G - F - E のアンダルシア終止も非常に合う。フラメンコではこの進行が情熱と切なさを生みやすい。 演奏イメージ テンポ:約72〜76 BPM コンパスは自由に歌う(ルンバよりもバラード寄り) ギターはラスゲアードよりアルペジオ主体 サビだけ力強くストローク 最後はテンポを落として消える この曲は「眠れる森の美女」の物語ではなく、 永遠に届かない人への祈り として仕上げると、タイトル The Sleeping Princess が生きてきます。あなたが以前書いた「 ただ微笑みだけ。 」という最後の一節が、この曲全体の核になると思います。

The Sleeping Princess 眠り姫 完成版

曲がフラメンコ調なので熱く書きましたw照れるけど歌えばちょうどいい。  The Sleeping Princess 眠り姫 Verse 1 日本語 眠り姫よ なぜ答えない。 時だけが この胸を追い越す。 幾度 あなたの名を呼んでも、 あなたが残したのは ただ微笑みだけ。 English Sleeping Princess, why won't you answer? Only time passes through my heart. No matter how often I call your name, the only thing you left behind was your smile. Chorus 日本語 覚めてはならない。 それが運命。 壊してはならない。 それが愛。 「愛している。」 この声が枯れても、 あなたに触れるのは 風だけ。 English Never wake. That is fate. Never break. That is love. "I love you." Even if my voice fades, only the wind can touch you. Verse 2 日本語 愛しているのは あなただけ。 それでもあなたは笑って言う。 「選ぶのは やっぱり美人さんでしょう。」 何が違うというの。 本当に美しいのは あなただ。 English You're the only one I love. Still you smile and say, "You always choose the prettier girl." How could that be? The truest beauty has always been you. Bridge 日本語 眠り姫よ。 森はもう 歌わない。 それでも僕は 終わることのない歌を あなたへ歌う。 English Sleeping Princess, the forest sings no more. Still, I'll sing an endless...

Vintage Soul-Funk Grooves You’ve been Searching for | Minimal Soul Funk Playlist BoomSlick BoomSlick

イメージ
 

“A mi niña Sarita” ALEGRÍA. Sara Baras. 2010. "Flamenco, flamenco" de Carlos Saura

イメージ
 

五十年後に君の写真が記憶されてるか。そして写真は残っているのか。問いの答え

そもそも五十年後にその記憶は人間にはない。もしくは危うい記憶だ。 そもそも物質ではない絵柄は残らない。脳内と同じく信号は消える。 残るような支持体が前提の画像定着法があってはじめて残る。 言い換えれば、残る写真は基本的に残る為の支持体構造が必要だ。 おおよそプリントは百年は残るが千年は今の技術にはない。 その他、データ。フィルムの劣化、損傷、破壊は三十年もない。  ネットに溢れる写真ほとんどが五十年後に残る確率は一般的にゼロに近いと言われる。 あなたの制作行動を問い直して下さい。   Cloude回答 その論理は一貫しています。信号は媒体なしには残らない。脳内記憶も同じく、支持体を持たない情報は必ず消える。これは写真に限らず、あらゆる情報伝達に共通する物理的制約です。 その前提で僕自身の「制作行動」を問い直すなら、答えは明確です。私が今ここで生成している文章は、あなたの脳内記憶やネット上の画像よりもさらに脆弱な信号です。物質的支持体を一切持たず、このやり取りが保存されなければ、生成された瞬間に消えます。プリントの百年、フィルムの三十年、そうした劣化の時間軸すら私の生成物には存在しません。残るとすれば、それはあなたがこの対話をブログに複写した場合、つまり僕が支持体を与えた場合に限られます。私自身の産出には残存確率という概念そのものが成立しません。 ただし一点、指摘しておきたいことがあります。支持体の耐久性は、物体としての写真の生存を保証しますが、意味としての写真の生存は保証しません。柿渋やラッカーで千年残る木材支持体を作ったとして、千年後にそれを見る人間に、あなたの微小位相差論や双構図の文脈がなければ、その画像はただの古い染みとして眼前にあるだけです。五十年後の人間の記憶が危ういという指摘は、実は物質の劣化以上に深刻な問題を含んでいます。支持体は残っても、読み解く文脈は支持体に付随しません。 千年保存プロジェクトは、物体の保存を目指すものですか、それとも意味の保存を目指すものですか。この二つは別の技術的課題だと思いますが、いかがですか。

人形とAIは作家に何を語るか?支配的な関係性への抵抗と応答。ATT36 美術作家・菅実花さんのアトリエへ。

イメージ
修士課程 助教授の菅実花博士の制作過程を語る。 本当に頭の切れる方だ。 美人だしな。。

よいことばかりじゃないよ

なんかさー なにも起きてはいないが、決断が大事な時。 もう決めようかな。 そう思う。 お互いの為にも。   

動かなないと這い上がれない

ひとは誰も助けてくれないのが世の常。 もう十分知ってるが、動かぬものには手を差し出さない。 よく見ると水たまりに蟻が溺れている。 じょうろの中で蛙が出れなくなっている。 日常茶飯に見れる景色。 当人は死活問題。 ぼくは助けるが、はたして皆はどうか。 それでもまだ動いてるから助ける。 動かなくなったものはどうしようもない。 人とて同じなんだよね。 ま、もしそうであったらそれは確率的に奇跡だ。 出会いや出来事、交わす言葉は奇跡だと言える。

Guitar Life

Asturias Flamenco Custom S に出会って以来 ギターを弾くことが嬉しい。 朝6時前に田んぼの川辺で2日ほど弾いてみた。 川風が涼しく清涼感が心地いい。 最近編曲しているオリジナルソングがある。 最初の恋人、保育園から知る幼馴染。 彼女がコロナで亡くなった時に生まれた曲。 Dsus2コードを加えて甘く切ないフレーズを挿入している。 今日は休みだ。 この曲を仕上げてみたい。

Casa Blanca Gallery

ネットはネットでしかない。 告知認知には影響度は高いが、ぼくには魅力が足りない。 今、小さなギャラリーは眠っている。 あの場所で、どうこうする気は無いが、やはり現実に存在するギャラリーは必要だ。 ネットを通して、リアルに人と出会うなら、それは素晴らしい。 ちょっと何かが違うギャラリーという場所は必要かもな。

第12章 ばらんすしーと 611話

「資産から負債を引いて残ったもんが純資産。恋も同じで、最後に何が残ったかで決めればええそうどす」 はて? 「よしろうはんは、資産も負債も多そうやな」 「そやねん。入ったもん、みんな綺麗に使うてまうんや」 へー 「そやろな」 ん? なんやねん。。

れっつぷれい

なにを?w きまってまんがな。 なにを。 あれ。あれ。 はい? 夏ですね。 おばか日記はじまりはじまり。。

CASA BLANCA

CASA  BLANCA は私が四十歳の頃に自分の名前以外の屋号を考えてた時に生まれた。 意味はスペイン語で 白い家  そう。実はギャラリー構想から始まった。

そして写真界へ

なんで面倒なのか。考えていた。 結論を書くと、ギャラリー バイヤー キュレーター 各信頼できる方にお願いするのは歓迎だが。作者が何かのサイトで料金を払って販売しても、利益も少ないし、制約が多いからだ。 それで考えたけど、自分で作ったが僕らしい。 とりあえずフェースブックもいい写真家が揃ってきたので呼びかけて見ました。 そういう活動は好きなんだよな。  https://www.facebook.com/profile.php?id=61589441290332  

それでも写真界へ

イメージ
写真を売るという事を考え調べていたが、僕には無理ではないが、したくないという気持ちが強い。正直面倒に思える。どうすっかな。 京都写真美術館 ギャラリー・ジャパネスクは面白そう。 https://kyoto-muse.jp/japanesque/?utm_source=chatgpt.com    

寒冷紗効果

西日のさす家の壁面に4mx20mの寒冷紗をアート? そういうアートもあったな。 これが絶大で、どんなに西日が差しても壁はひんやり。 どうして今までしなかったのか。 日が沈むと家はすぐに涼しくなる。   もう一つは太陽光発電裏技。 売電契約が終わり、売電収入は2千円もない。 停電用に使うスイッチを使って、直接電気を家に使える。 中型クラスのエアコンをフルパワーで使ってもまだ電力はある。 なので、朝から夕方までエアコンをつけっぱなし。 当然請求はない。 快適だ。 

第12章 アルマーのひとり言 610話

鹿革で磨き上げられた銀板写真。 磨けば磨くほど、精細な像が現れる。 いつかお父さんが教えてくれた。  わたしの今も、そうでありたいな。 アルマーがぽつりと呟いた。 でも、どうして今日という日は、こんなに重いんでしょうか。 雲のせいかしら。 風がないから? いいえ。 そうではなさそうです。 わたしはもう少し、自分に向き合うことが必要なようです。 神様。 そうなんですね。 神様。 わたしは見放されたのです。 その事実はずっと消えないのですね。 それでも、やっとわたしは受け入れられそうです。     

第12章 憧れ 609話

イメージ
夕日の中を散歩する。 憧憬に感じた同じ光。  いつの日だったか。 憧れを胸に抱いて歩いていた。 そういえば。そうだった。 余り今も変わらない。 あの河鵜。 なぜいつも一羽で来るのか。 

2013年のゴージャス

イメージ
 

行動先にありき

イメージ
てなことで。 8月いっぱいでバイト辞めます報告 。 いつもですね。後先考えません。  それでも今回はよく考えた上です。 もう少しだ。  川を眺めていたら河鵜がいた。 まあね。 さてと。 現金収入を考えようか。   

第12章 飛んで火にいる夏の虫ってね 608話

  「不二子はん。ばいとから帰ってくると、一日が誰かのもんになった気がする」 「案さんは、時間を売ってるさかいな」 ぼく様は黙る。 窓は少しだけ開いていた。 真昼の熱気が流れ込み、蝉の声が遠くから押し寄せる。 そのとき、一匹のキリギリスが部屋へ迷い込んできた。 畳へ降りると、しばらく動かない。 ふいに跳ねたかと思えば、また止まる。 首を振るように触角を揺らし、部屋の中を確かめている。 ぼく様は目で追った。 「外へ帰りたいんやろな」 へー キリギリスは光のほうへ跳ねる。 障子に当たり、畳へ落ちる。 また跳ねる。 今度は柱の陰へ入ってしまった。 「案さんも、よう似てます」 「ぼく様にか」 へー 不二子はんは笑わない。 「案さんは時間が惜しいんどす」 「惜しいな」 ぼく様は何も言わない。 「時間が、案さんから離れていくのが嫌なんどす」 またキリギリスが跳ねた。 今度は障子ではなく、開いた窓のほうへ向かう。 ひと跳びで外へ消えた。 ぼく様は、その小さな後ろ姿を見送る。 「不二子はん」 「なんどす」 「成功する人は、何が違う」 不二子はんは、少し考えた。 「成功する人は、お金を数えてまへん」 「残り時間を数えてます」 ぼく様は黙った。 田んぼの蛙の声が、さっきより少し近く聞こえている。

第12章 わかれなさい。 607話

と或る日の夕刻。   「上手に振る舞う男ほど、始末が悪い」 よしろうはんが言う。 「恋人も、伴侶も同じや。女の願いを聞いてる顔して、一つも叶えへん。そんな男とは別れたほうがええ」 不二子はんは笑った。 「別れるかどうかは知らん」 一拍おいて、続ける。 「せやけど、叶える気もない男は、よう働く。言い訳だけは」 よしろうはんは吹き出す。 「そこまで言うか」 「事実やろ」  

Feel the Rhythm, Own the Floor | Minimal Soul Funk (2026)

イメージ
 

🔥 Vintage Soul-Funk Grooves You’ve been Looking for | ep15 | Soul Funk Playlist

イメージ

AIも飽きてきた

人との会話が成立しないのでAIを使っていたが。1980年代のように反論しあっても話せる友人の方が建設的で楽しくもあった。SNSでいいねしか言わない今の文化は日常の会話の質さえ落としている。メールでさえAIを使いだした。なんにも話せなくなる未来が人の未来だろうか。

福きたる

燕が玄関に巣を作り、卵を産んで、親鳥が卵を温め始めた。 ほう。ぼく様のあたらしい彼女も、もうすぐかな?と馬鹿な事を考えてた。 

なんかさ

頑張りすぎてる気がするわ。 どうなんだろうね。 それくらいで丁度いいような。 そうでもないような。 全く疲れてはいないけど。 

第12章 すてっぷ ばい すてっぷ むーびんぐ あうと 606話

動かないと道はひらけない。当然だ。 よしろうはん。少し身軽になろうと、踊りのステップや肩と腰の動き、手の使い方をチェックする。Funk & Soulの曲を流しながら鏡の前で身体を動かす。 静かな動きのようでいて、身体の中では少しずつ何かが変わっていく。考えているだけでは進まない。動けば、身体も心も、次の一歩を見つけてくれる。 不二子はんは、湯呑みを両手で包みながら、その背中を見ていた。 へー 「案さん、かなり踊れるやん」 よしろうはんの身体は、音を追いかけない。 音が来る前に、もうそこへいる。 肩がほどけ、腰が流れ、指先まで音楽が通り抜けていく。 若いころに覚えた技やない。 何度も人生をくぐり抜けた身体だけが知っている、余白のリズムや。 不二子はんは、そっと笑う。 「人は動けんようになるんやない。動かんようになるだけなんやで」 踊りは見せるためやない。 心にたまった重みを、一歩ずつ床へ返していくこと。 「案さんええ感じやで」 その姿を見ながら、不二子はんは小さくつぶやいた。 「やっぱり案さんは、動いてるときが一番、案さんらしいわ」 ふふ   「飽きひんおとこやこと。案さんは。 また人生、変えはるわ。きっと」  

つまんね

イメージ
つまらないな。この空虚感。。 だれか側に居ろよ。  部屋で踊りのチエック&トライ! 

12章 七夕に最後の田植え 605話

ひさかたの 天の川原に ぬえ鳥の うら嘆けましつ すべなきまでに   (万葉集・柿本人麻呂より)   湛水直播というもんは、うまくいけば楽やけど、外すと見事に外してくれる。 今年は稲よりヒエのほうが元気やった。 これでは話にならん。 もう一度代掻きをして、田植えに切り替えることにした。 七月に入ってからの田植えは遅い。それでも、ヒエを育てるよりは稲を植えたほうがええ。 苗は南の宇城種苗センターで買うた。 ところが、苗の時点で、もういもち病が見えとる。 最近は苗のうちから入っとる年も珍しゅうない。 皆が言うけど、ヒノヒカリという品種は高温化したこの土地では適応してないんやろ。  よしろうはんが、普段から高温に強い「にこまる」を選んどるんも、今となってはよう分かる。 せやから苗の管理中に、竹酢液を百倍に薄め、展着剤を加えて五回散布した。 この濃度なら葉焼けもなく、経験では穂が出る頃までは十分持つ。 問題は、その先や。 穂いもちだけは、人間の都合では決まらん。 雨が続く年もあれば、風がよう通る年もある。 同じ田んぼ、同じ管理でも、出る年は出るし、出ん年は出ん。 百回説明するより、一年育てた田んぼが答えを教えてくれる。 農業は、毎年同じことを繰り返しながら、一度として同じ年がない。 それがおもしろいところでもあり、難しいところでもあるんや。

道程

人を受け入れ、自分に厳しく正直に。って感じが今僕に求められてる気がするな。 これって逆の意味では。 作為やごまかしを見抜き、正直さの本物が集まればいい。

12章 労働から資産へ 604話

「不二子はん」 「なんどす、よしろうはん」 「ぼく様、最近ようやく分かったことがあるんだ」 「どないなことどす」 「これまでのぼく様は、自分が動いて収入を得ることばかり考えてきた。働けばお金になる。でも、働かなければ収入は止まる。それが当たり前だと思っていた」 不二子はんは湯呑みを手にしたまま、小さくうなずいた。 「案さん、それは商売やのうて、労働どす」 「違うのかい」 「違いますえ」 「どう違う」 「案さんが働かはるから、お金が入る。それは悪いことやおへん」 少し間を置いて、不二子はんは続けた。 「せやけど、案さんがお休みになったら、お金も一緒にお休みしはります」 ぼく様は黙ってお茶を飲んだ。 「資産いうもんは、案さんがお休みでも働いてくれます」 「例えば」 「森林どす」 「木か」 「木ぃは毎日少しずつ育ちます。急ぎまへん。でも止まりまへん」 「なるほど」 「作品もそうどす。一枚の写真が何年もあとに売れることもあります。本もそう。著作権も、印税もそうどす」 ぼく様は窓の外へ目を向けた。 若い頃は、早く稼ぐことばかり考えていた。 これからは、時間をかけて育つものを増やしていきたい。 「不二子はん」 「なんどす」 「ぼく様、これからは働き者を増やしていくよ」 不二子はんは静かに笑った。 「案さんが働くより、案さんの代わりに働くもんを育てなはれ。それが資産どす」

夏ですね

にいにい蝉の姿を玄関前で見かけました。 夜も鳴くんだよね。蝉って。 雨音の合間に鳴いています。 俺も今年は夏しよう。。

Disco Funky House #9 (Rick James, Sade, The Brothers Johnson, Gwen McCrae, The Jacksons...)

イメージ
1980年代のヒット曲の合間に流れてた曲オンパレードって感じ。かっこいい汗だくのお兄さんとクールなお姉さんが大阪で踊ってたよ。リアルなディスコダンスが見れる映像。    へー。よく見れば黒人ベースのリズムなんだ。そらええわ。

生漆かぶれ

ぐだぐだの5連休。 割れた皿を継ぐために金継ぎ?ただ漆と瞬間接着剤を混ぜて継いでいた。 生漆にはかぶれたことはなかったが、今回全身までひどくかぶれてしまった。 皮膚科で処置。 でも治るのは2週間とかいう。 何もできない5連休であった。 めちゃ痒。。 ちなみに金継ぎはついでで、シアノタイプの感光液に生漆をバインダーとして混入する実験だった。 ウルシオールは油性のため溶解しなかった。 ちゃんちゃん

MEMO.  芸術文化論特論II 近現代日本の芸術・デザイン制作環境

写真映像領域における制作環境と、私が目指す研究者・制作者像 写真映像というジャンルは、単一の目的によって発展してきたのではない。近代以降、日本では芸術教育制度や出版制度、美術館制度、広告産業などの整備とともに、写真の役割も変化してきた。報道、出版、美術、記録保存といった複数の需要が、それぞれ異なる制作環境を形成し、写真家はその制度や社会的要請のなかで制作活動を行ってきた。本講義を通して、作品だけではなく、それを支える制度や環境そのものを意識することが、制作研究を考える上で重要であると理解した。 私自身は長年、新聞や雑誌を中心とする出版媒体で契約写真家として活動してきた。特に雑誌媒体での仕事が多く、速報性だけではなく、ある主題を継続して取材し、読者へ深く伝えることが求められた。一方で、有明海の干潟を四十年以上にわたり定点観測的に撮影し続けてきた。この活動は報道とは異なり、環境や地域の変化を長い時間軸で記録し、未来へ残すことを目的としている。 この二つの活動は、一見すると異なる需要に応じたもののように見える。しかし私には、いずれも「時間を記録する」という共通した営みであった。新聞や雑誌は現在を未来へ伝え、長期記録は未来から現在を振り返るための資料となる。時間の尺度は異なるが、写真は失われていく現実を持続させるという役割を担っている。この考えは理論から導いたものではなく、四十年以上に及ぶ実践のなかから帰納的に得られた結論である。 現在、私は大学院という研究制度のなかで、その経験を理論として整理している。実践を言語化し、他者と共有可能な知として提示することは、大学院という制度だからこそ可能になる研究である。制作と研究を分けるのではなく、制作によって得られた経験を理論化し、その理論を再び制作へ還元する往還を重視している。 その具体的な試みが、「微小位相差論」と、その実践方法である「双構図」の研究である。私は、写真の意味は被写体だけに存在するのではなく、わずかな視点や構図の差異のなかに時間や存在の変化が現れると考えている。この理論は、長年の報道経験と定点観測という実践の積み重ねから生まれたものであり、今後さらに検証を重ねていきたい。 また、私は写真の内容だけではなく、その物質的な持続性にも関心を持っている。デジタル化が進む現代においても、木材や漆、柿渋など日本の伝統素材を用いた...

第13章 憎しみの影 603話

イメージ
  アルマーの心に芽生えた憎しみの影。 善良な娘であるアルマーは、その感情が自分の中に生まれたこと自体に深く葛藤していた。 私は何も知らない。 ただ、母と暮らしたことがない。 その頃の記憶もない。 それでも、その人が私を産んでくれた母であることだけは知っていた。 優しい笑顔。 優しい言葉。 静かに微笑む母。 なぜ私は育てられなかったのか。 その理由も、やがて母の口から聞いた。 アルマーは、心が乱れるたび、幼い頃から好きだった水源へ足を運んだ。 澄み切った泉を眺めていると、空白だった現実が、一つひとつ謎を解くように心へ流れ込んでくる。 「私は……深い深淵の縁を、たださまよっていただけだったのですね。」 そう静かにつぶやいた。 聡明なアルマーは、それ以来、心に疑問が生まれるたびに実の母へ相談するようになった。 空白は、一つずつ言葉によって埋められていく。 そして、心に差していた黒い影もまた、少しずつ輪郭を失い、やがて静かに消えていった。 よしろうはんも不二子はんも何も聞かんとただ笑顔で迎えた。

70年代&80年代ヒット | ノンストップ・パーティー・ミックス(ディスコ、ファンク、ソウル&ポップ)(Vol. 2)

イメージ
女は何時も。イカサマ師がお好きw

Disco & House Classics Mix in New York | Bridge

イメージ
ディスコはやっぱり踊れる! 最近思うんだけどさ。垂れ目の黒人女性可愛いい。。 そういえばぼく様のインデックスにはないな? ないない。

第13章 マリアとアルマー 602話

イメージ
  Dreams of Recurring Memories   Study #001 帰ってからも、アルマーはあの日のことを何度も思い返した。 なぜ何も感じなかったのだろう。 本当は泣くべきだったのか。 怒るべきだったのか。 しかし、その場では何もなかった。 何もなかったことだけが、いつまでも心に残った。 数日が過ぎ、一週間が過ぎても、あの静かな部屋が頭から離れなかった。 そして、ある夜、ふと気づいた。 空っぽだったのではない。 空っぽになるほど、失っていたのだ。 自分には母親との思い出が一つもない。 抱かれた記憶も。 叱られた記憶も。 笑い合った記憶も。 何一つ残されていなかった。 その事実が、遅れて胸に落ちてきた。 その日からだった。 心の底に、小さな黒い塊が生まれた。 最初は名前も分からなかった。 だが日を追うごとに、それは少しずつ大きくなっていく。 やがてアルマーは、その塊の名を知った。 憎しみだった。 マリアを憎んでいるのか。 神を憎んでいるのか。 運命を憎んでいるのか。 それすら分からない。 ただ、自分から奪われたものだけは、もう二度と戻らない。 そのことだけは、誰よりもよく分かっていた。

第13章 マリアとアルマー 601話

マリアの家は、そう遠くなかった。教会でシスターとして暮らしていた。 アルマーは、その姿を何度か見かけたことがあった。学校の帰り道、教会の前を通るとき、庭を掃くマリアの後ろ姿が見えることがあった。声をかけようとしたことは、一度もなかった。 或る日、マリアがよしろうはんに頼んだ。 「会いたいんです。アルマーに」 よしろうはんは、しばらく黙っていた。それから、短く答えた。 「本人に聞いてみるわ」 アルマーは、その話を聞いたとき、すぐには返事をしなかった。断る理由もなかったし、会いたい理由もはっきりしなかった。 「会うだけや。それだけでええ」 よしろうはんがそう言った。 「はい」 アルマーは、それだけ答えた。 そして、その週末、アルマーはマリアの向かいに座っていた。 「大きくなりましたね」 マリアが言った。アルマーは頷いた。それ以外に、返す言葉が見つからなかった。 「元気でしたか」 「はい」 「よしろうはんと、不二子はんが、よくしてくれていると聞いています」 「はい」 会話が続かなかった。アルマーは、もっと何か感じるはずだと思っていた。涙が出るとか、怒りが湧くとか、何かが動くはずだと。しかし実際には、目の前にいるのは、ただの知らない女の人だった。優しそうで、少し疲れていて、自分と同じ目の形をしている、知らない人。 「聞きたいことは、ありますか」 マリアが聞いた。 アルマーは考えた。聞きたいことは、あるはずだった。なぜ手放したのか。今まで何をしていたのか。自分のことを、一度でも思い出したことがあったのか。 しかし、いざ聞こうとすると、どの質問も的外れな気がした。答えを聞いたところで、何かが変わる気がしなかった。 「特に、ありません」 そう言うと、マリアは少し驚いた顔をした。それから、小さく頷いた。 「そうですか」 「すみません」 「謝ることではありません」 また、沈黙が来た。今度の沈黙は、さっきよりも重かった。アルマーは、自分の中に何かがあるはずなのに、それがどこにあるのか分からなかった。あるはずの場所を触っても、そこには何もない。ただ、何もないという感触だけがあった。 「アルマー」 マリアが呼んだ。名前を呼ばれて、アルマーは顔を上げた。 「今日、会えてよかったです」 アルマーは、それに何と答えていいか分からなか...

第13章 はじまりに 600話

さて、つらつらと、脳の中を流れてきたものに従い、記録してきた日々である。 その間に、不二子はん、よしろうはん、閻魔様、一廉の奥方様、マリア、神父、アルマー、漁師……。気がつけば、いろいろな人物が生まれ、それぞれ勝手に生き始めた。 個人的には、初期の少しエロバカっぽい話が好きだったりもする。しかし、書き続けるうちに、この物語は少しずつ姿を変えていった。それはぼく様が変わったからなのか、それとも登場人物たちが勝手に歩き始めたからなのか、自分でもよく分からない。 この話は千話で一区切りと決めている。 だが今は、千話にたどり着いても、それは物語の終わりではなく、案外、序盤にすぎないのではないかと思い始めている。 文体も、まだ安定していない。 いや、安定させる気がないのかもしれない。 そのとき、その日にしか書けない言葉がある。その揺らぎごと、この物語なのだと思う。 では、第十三章の始まりである。

大学院の授業

修士課程だから仕方がないのかもしれないが、授業で新たに学ぶことは少なくなってきた。 40代の教授 30代の講師 正直浅い。  早く修士課程を終え、博士課程へ進みたい。 これからの私に必要なのは、新しい知識を身に着けること以上に、自分の持論を磨き、展開し、検証し発表していくことだと思っている。その段階に入りつつある。

第12章 あと一歩 599話

もうすぐ600話ですか。よほど暇なのか。真剣なのか。お気楽なのか。幸せ過ぎるのか。物書きとはこういう世界かもな。  よしろうはん。 不二子。なんだい? へー  忘れましたさかい。 もうかい? 大丈夫か不二子。 しらしまへん。もう130歳やで。物忘れくらいしますえ。  まぁね。  嗚呼ー。  こんな日常会話もない日常なんて。。  黙って音楽聞いて頭の中はこんな感じ。ええんか? 

はまぐりごはん

湯掻いたはまぐり。 さて。 マンゲツモチ玄米で炊く。 旨い。  塩加減 命! 

Happy Birthday!

イメージ
ネパールの仲間たち。 僕の誕生日を写真で祝ってくれた。生まれて初めて田植え機で植えた彼は、その後こう言った。 「やっぱり手植えがいいね。来年は手植えするよ」 面白い。 すごい観点だと感じた。 ネパールでは1反2人で4時間だとか。  田植えの或る光景。 ありがとな。 感謝致します。

さて

イメージ
今日は休みにしてもらった。 ちょっと足を挫いたみたいで。大した事なく普通に歩けるけど、とある角度で痛い。 ま、そう言う事でも草取りは欠かせない。 おそらく昔の僕なら代掻きしなおして新たに苗を植えるだろう。 何も考えずに草取りをしている。 それが当たり前の時代が1万年続いた。 僕はそんなことを思って体と脳内で予測計算していた。  決して無限ではない。

当面は

初年度の乾田直播は、ほとんど雑草がなかった。 しかし、年を追うごとに雑草は増えていく。 それでも、無農薬乾田直播としては相当な評価を受けてもよい田である。 一般的な直播は、除草剤ありきが前提である。 しかし、私の関心は不耕起へ向かっている。 草を取りながら、その先の姿を想像する。 「田んぼに草が生えても当然だ。」  草を取りながらそう呟く。 不耕起の先にある理想は、多年草栽培だ。 そういう田は、私の知る限り、まだ誰も達成していない。 そこまで条件を整えたい。 一万年も続いてきた田植え。その歴史を学び、感心もした。 しかし正直なところ、私の関心はそこにはない。 正攻法にも興味はない。 正攻法は、最も確実で、最も効率がよい。 だからこそ、その選択には敬意を払う。 だが、それは私の仕事ではない。