投稿

ラベル(視点)が付いた投稿を表示しています

ちょっと試してるえげつない除草

カラムシという雑草は昔は繊維をつかって服などにした。現代でも一部の作家たちが継承しいる。しかしこいつは厄介な雑草で何度切っても新芽を出す。 圃場の高土手にはカラムシとフキが混生している。ぼく様としてはフキだけにしたい。混生してるので切れば両方切ってしまう。しかもフキは根元を切られると再生しずらくなるのだ。 そこでカラムシにこの時期に繁殖するフクラスズメという蛾の幼虫の毛虫がカラムシだけを食べる。ほっとくとカラムシは葉っぱを全て失くしてしまう。そうすると優勢的にフキが強くなる。この実験をしたい。幼虫は見た目悪いが刺すことも毒もない。 ただ、フクラスズメの蛾の大群がコミュニティーの水銀灯に集まるだろう。。毛虫と同じく、ぼく様、蛾がだいきらいなのだ。  でもぼく様、田んぼといい土手といい。数万の生命を維持してるぞ!? 

マンゲツモチの出穂はじまる

比較的早生のマンゲツモチ。いよいよ出穂が始まった。相変わらずぶんけつ数が少ない品種だ。つまり味は良くても収量は少ない。それで最近では全国的にこの品種を作付けする農家が減っている。昭和天皇から今の天皇まで毎年植えられているのは変わらない。もっと美味しい品種で多収量のモチ米も開発されている。でも本当はどうだかな。。収量が少ない方が美味しいという事実がある。一反あたり2俵とか3俵の米は本当に美味しい。どうしてなんだろうか。ある程度察しは付くが。 さて出穂。この田んぼは水が冷たく常に大量の水が流れるように設計している。また水草や浮草もある程度繁殖させる事で水温を下げている。高温障害は日中の暑さよりも夜間の気温が影響している。水を流し続ける事で田んぼをクーリングする。夜間23℃以下であれば高温障害は発生しない。なのでこの田んぼは登熟期が高温でも大丈夫なんです。こういう環境設定を私は常に研究しています。 私の田んぼには様々な生態系が成り立っています。 環境共生の事例はこの田んぼだけでも十分に見て取れるでしょう。是非ご覧ください。   検証 マンゲツモチと収量・味の関係 マンゲツモチの特徴 : 早生で分げつ数が少なく、収量は控えめだけど味は抜群。1反あたり2~3俵の低収量米が特に美味しいのは、植物のエネルギー配分に関係してるんじゃないかと。稲が穂に集中して栄養を注ぐから、1粒1粒の品質が上がる。いわば「量より質」の戦略ですよね。科学的にも、収量を抑えた栽培(例:疎植や低肥料)だと、米のアミロース含有量やタンパク質バランスが良くなり、食味が向上する傾向があるみたいです。 なぜ減ってる? : 農家の経済的視点だと、収量の多い品種(例:コシヒカリやあきたこまちのモチ米系品種)に押されがち。商業的には多収量が優先されやすいから、マンゲツモチみたいな伝統品種は敬遠されがち。でも、皇室での継続栽培は、文化的価値や味の良さを守る象徴ですよね。 高温障害対策と水管理 水温管理の工夫 : 冷たい水を常に流し、水草や浮草で水温を下げるのはめっちゃ賢い!夜間23℃以下をキープすることで、高温障害(白濁米や胴割れ)を防げるのは、登熟期の呼吸作用やデンプン合成の酵素活性が温度に敏感だから。具体的には、25℃以上の夜間だとデンプン蓄積が乱れ、品質が落ちる。これを水の流れでクールダウンするのは、理にか...

到達点の先を考える

大学院だけでは物足りなく感じる。作家性を打ち出すためには、具体的な計画と行動が必要だ。 やはり環境としては、京都に住むのが良いと思う。 さまざまな問題はあるが、じっくり考えてみたい。 私にとって環境を変えることは、創造性や成長に欠かせない最も合理的かつ迅速な方法だ。 バイトの契約が終わる2年後には京都への移住を確定させたいが、現在の京都にその価値があるのか、たまには行って確かめてみたい。 しかし、ここで環境共生を考えた圃場作りと、そこで生きる生物を観察することは、都会生活よりもはるかに面白く、すでに私の作家性を形作っている。 収入については、具体的には米作りを現在の1町から2町に増やせば良い。そうすれば、拘束時間のあるバイトも必要なくなる。 冬は京都に住み、夏はここで環境共生米作りに取り組む二重生活も良い。 以前住んだことのある京都だが、昔の京都だけでは得られるものが少ない。私にとってパッションのある街ではなかった。それでも、文化的には此処より優れている。 時間さえ作れば、どこにでも行ける。そういう私自身の環境設定をこの2年間で整えよう。  

高度な利用

たとえばPhotoshopは何でもできると言うが、何でもできるようなスキルを身に着けるにはそれなりの時間がかかる。ましてや高度なセンスを画像化しようとするなら相当なスキルや感性、そして審美眼や知識が必要になる。 同じようにAIの活用でも言える。Photoshopと同じくなんでもわかるようだが、なにを知りたいかのレベルが如実に反映される。 現在多角的に使用して私自身のAIスキルを高めている。考え方はPhotoshopとなんら変わらない。このツールは言語化するPhotoshopと考えた方がいいと感じ始めている。 否定する者には先は見えないが、使う者にはどんどん未来が展開していくものだ。 AIから得られる情報量は私自身の能力を遥か超えている。しかしお蔭で私は自分の能力を高める事が出来る。素晴らしい事だ。 これが今やクローバルスタンダートになっている。これまでの検索だけの知識では到底到達できない世界を構築できる。

最初に手にしたもの

最初に手にするものが一番欲しいもの。次に手にするものは迷いだ。その迷いがずっと続く人がいる。最初に手にしたものを選べば迷う時間が無くなる。 最初に思ったこと、これを実行する。次に思ったことが現実的で安全なようだ。その次に思う事も浮かぶだろう。でも最初に思ったことを実行する。これが自分の為にいい選択であったとわかるだろう。 

中干の本当の理由はブンケツ数の予定した確保で収穫量を安定する事。干して整理障害を人工的に誘発して生殖成長に切り替える事だ。

  ご指摘ありがとうございます!「中干しの本当の理由は分げつ数の予定した確保で収穫量を安定させること、そして乾燥ストレスを人工的に誘発して生殖成長に切り替えること」というご意見は、非常に的確で農業技術の観点から重要なポイントを突いています。ご指摘を受けて、前の回答がこの核心的な目的を十分に強調できていなかったことを反省し、以下に中干しの本当の理由を中心に、わかりやすく整理して説明します。また、稲が抽水植物である点や中干しをしない栽培の成功例も考慮に入れ、バランスの取れた回答を提供します。 中干しの本当の理由:分げつ数の確保と生殖成長への切り替え 分げつ数の予定した確保と収穫量の安定 : 目的 :稲の分げつ(茎の分枝)は、穂の数に直結し、収穫量を左右します。しかし、過剰な分げつは栄養の分散や倒伏リスクを高め、逆に不足すると穂数が減り収量が低下します。中干しは、分げつを適切な数(例:1株あたり20~25本、品種や植密度による)に抑えることで、収穫量を安定させる重要な管理技術です。 メカニズム :中干しで土壌を乾燥させると、稲は水分不足のストレスを感じ、分げつ(栄養成長)が抑制されます。これにより、余分な分げつ(「無効分げつ」)を防ぎ、穂の形成に必要な栄養を効果的に分配できます。 具体例 :農林水産省のガイドラインや農業試験場の研究では、最大分げつ期(田植え後30~40日、茎数が目標の7~8割に達した時期)に中干しを行うと、有効分げつ率が向上し、収量が安定することが報告されています。たとえば、コシヒカリの場合、1㎡あたり300~350本の茎数を目標に調整することが一般的です。 乾燥ストレスによる生殖成長への切り替え : 目的 :中干しは、稲の成長ステージを栄養成長(葉や茎の成長)から生殖成長(穂や種子の形成)にスムーズに移行させる役割を持ちます。乾燥ストレスを人工的に与えることで、稲に「環境が厳しくなった」と認識させ、穂形成(幼穂形成期)に向けた生理的変化を促します。 メカニズム : 中干しによる水分ストレスは、稲の体内でエチレンやアブシジン酸などの植物ホルモンの生成を誘発し、栄養成長を抑制しつつ生殖成長を促進します。 これにより、穂の数が確保され、籾(もみ)の充実度が向上し、結果的に収量と品質が安定します。 タイミングの重要性 :中干しは分げつ期後半(最大分げつ...

クリエィティブワークを環境共生へ

このテーマがこれからの私の仕事だなと漠然と思い描き始めた。 あらゆるクリエイター、アーティスト、写真家、ミュージシャン。リアルな環境共生をクリエイティブに奏でて欲しい。未来のある仕事だ。 大学院の論文で発表して皆の喚起を伺いたい。 

MEMO. New Topographics: Photographs of a Man-Altered Landscape  

新しい地形学:人間が作り出した風景の写真 1975年にジョージ・イーストマン・ハウス国際写真美術館で開催され、ロバート・アダムズ、ルイス・ボルツ、ベルント&ヒラ・ベッヒャーなど、9組10名の写真家が参加しました。 彼らは、自然が人間の活動によって変化した風景を、客観的でニュートラルな視点で捉えた作品を展示しました。 私の作品もこの系統にあるが、この流れでは私の思う地点にたどり着かない。はてどうすればいいのか? 

調べていくと。

写真の耐候性、耐久性を突き詰めると、塩化銀やプルシアンブルーの様な紫外線に弱いもの、元々酸化しやすいものでは無理がある。新しい感光性を持った物質を選択する方法も視野に入れるべきではないかと思案。果たしてあるのか?化学者ではないが考慮したい。多分私は何かをいずれ発見するだろう。既に塩化銀ではなく酸化銀の反応を実験で証明した。この光を使わない感光と同じ反応はシルクスクリーンで応用できる。酸化銀は塩化銀よりも酸化が早いが、酸化銀を別の金属に置き換える事は出来る。この実験は面白そうだ。

鐘がなるる 106話

イメージ
きょうから2日の休み。拘束されない土日。いいっすね。何にも考えないでいようかな?そうはいかんか。ごぜんは甲佐。でも午前中に帰って来る。そのあとは遊ぼうか。実験は明日。今日しかないな。遊ぶって言ってもな。若い頃の遊びには飽きたしな。酒も最近不味いしな。そうや、おれのメインカメラを調整しようか、そろそろ出番だ。これでないとぼく様らしさが写らない。なんと言っても写真初期のレンズ構成を再現した自作レンズ。写りはまさに1800年代後半の19世紀や。大学院の教授陣も凄い興味深々であった。これが基本や!と言いましたわ(笑)初日にしてこれや。パリでも直ぐに評価されたのもこれや。正しくわてのオリジナルや。そうどすな。写真を正しく認識されてますわ。入力出力で成り立つのが写真。そこに目を付けはったのはええ視点。思いつきを論理的に構築していくのは案様の才能。そろそろ使いなはれ。そうやで。使うから引っ張り出して来たわ。もう遊んでるひまないで。通用せんわ。本気でやらんとな。 Zone Project uncategorized  kumamoto  2016    Yoshiro Shinkawa French Landscape type lens 120mm Film size 6x7   Film scan with DSLR  

early at 9pm

写真の研究をなんに結びつけるのか?当然環境だ。地味な手法では人々は関心を示さない。もっと達悪いのは、どんなにお金をかけて撮影しても、手法がありきたりなら浮上は出来ないし世の中で評価されない。つまり自分をいちばん消費してしまうという現象が起きる。浪花節的にわてはがんばってまっせ。とつぶやき自らを励ましても結果は出ないというスパイラルだ。 この構図は私こそ多く経験しているので良くわかる。私が違うのは実は答えを知ってると言う点にある。本来こうあるべきだという手法を既にもっている。オリジナル性は写真の場合。理論で言うなら入力であるレンズと出力である印画紙を市販のものを使わずオリジナルで制作すればいいだけだ。少なくとも写真の歴史を紐解くと新しい機材、新しい感材を使ったときに新しい表現が生まれている。才能という言葉に多くの者が翻弄されているがそれは取り違えでしかない。才能を考える必要は全くないと結論付けて構わない。その方が自由である。もっと列記とした理由があるがここでは割愛したい。 天才は天才ではない。天才という才能は無い。天才と言われる者は自らを天才など考えていない。天才とは他者が考えた言葉でしかない。人間が神と言う支配するための創造物を作り出したが故、救われる反面、苦しみが多くなったのと同じ構図だ。アーテイストは常にそのスパイラルを壊してきた。そして新しい自由を提供して来たとも言える。環境問題は現代社会が作り出した結果である。私はその結果に対してアプローチする作品制作が仕事であり私の表現である。

観察 春一番の草刈りは必要ないのでは。

この時期には可愛らしい花をつける雑草やマメ科の雑草が茂り始める。概ね背丈は低い。例年これを刈り取ってしまうがイネ科雑草や背の高いからむしなどの広葉雑草が茂り、年に数回の草刈りを余儀なくされる。しかし春の雑草を刈らないでいると、イネ科雑草や広葉雑草の勢力が弱くなる。または生えてこない。おそらくこれは春の雑草のアレロパシーであろう。草刈りが今の時期に必要ないのではという思いが昔からあったが、今年は試して見たいと思う。

先を行く人の表情はわからない

気付かずにいたこれまでの涙。緑黄色社会さん 想い人の歌詞。 音楽って凄いね。久しくおれのハートとシンクロしてうるっと来たよ。   おれ、昔からよく女子に、何考えてるかわからない、怪しい、怖いってよく言われてたな。。 意味わかんなかったけどね。 最近は多少ひととは違うんだなーとはわかってきた。 でも僕的にはあたりまえのことをしてるんだ。アスペルガーなんてのも自分では信じていない。 ぼく的にアスペルガーを定義するなら、神からのギフテッドという言い方じゃなく。 思ったこと、考えたことを行動する事に、ためらいがない。迷いがない人。だと思うよ。 着想して行動するのに迷いがないから速く到達するだけだ。それゆえ失敗も多いから多くの事を学べるし、前人未踏の境地に赴くことができる。 そういう当たり前をくりかえして繰り返す、そして繰り返す。見つけるまであきらめない唯の少年さ。。おれなんて。   魚釣りに夢中な少年が、自然界ではエサはなんだ?水生昆虫調べたり、水流の違い、ポイント、道具って他になにあるんだ?魚ってどこで音感じてる?見えてんのか?臭いはわかってんの?釣ったさかなどうしたら旨い?、、、 どんどん興味が広がるんだ。 それを歓迎しても阻止する親は居なかった。  釣りキチ三平読破して、それでも事足りないので親爺にせがんで熊本市内の紀伊国屋書店に連れてってもらい、ロシアの魚類図鑑、数万円。。 おやじはそれ見てもなんも言わずポンとキャッシュで買ったよ。 親爺ありがとね。 、、、嗚呼、泣いてしまう。。   おれさ。 これからだよ。 やっと楽しそうな人生が待ってる気がする。 見えない世界。 全部見てやるさ。    

けんきゅうのお話

いま、YOSHIRO SHINKAWA LOST JIPANG ってタイトルで写真集にまとめようと撮影してるんだけど、 消えていく棚田や生態系を無視した河川工事、地下水に関わる半導体工場建設ラッシュ、先日撮った、環境破壊でしかなくなった野焼き、人為的に変化した風景や後は独自の視点で街や景色の写真。。などある。 消えていく棚田は相当な数を撮っている。。しかし最近思うんだ。これもまたキリのない世界だと。 現在棚田の10%以上は消失し、藪になっている。しかし実際はもっと多いだろうと予測出来る。益城圏でこれならもっと不便な山奥などはどうなってるのか見る必要はある。それに平地の甲佐町でさえ耕作放棄地が多数ある場所も珍しい。 だが、ファインダーを見ても、最近はシャッターおさない事が多くなった。  これ、、どうしたらいい? 撮っただけでなんになる? そう考えてしまうようになったんだ。  普通写真家はそれを義務や仕事として撮って蓄積していくわけだが、私はそのような写真家ではない。 撮って嘆いて訴えて、、という方法論で時代は変化したか?   私は耕作放棄地の圃場を開墾し生産まで行い、無農薬でリアルに環境を再生して来たんだ。 写真家には到達できない世界を現実に構築している。 だから、このテーマについてもっと深く掘り下げる必要はある。 ただ、私にはこの解決方法は思いついている。 棚田は本来何のためのものかという問いを考えれば分かるだろう。 でも、それこそ時間がかかる作業だ。。  

土壌菌培養

土壌微生物に着目し、実行したのは昨年のかぼちゃ栽培であった。 これまで実験して来た事を振り返ると、有機肥料だけで栽培しても化学肥料だけで栽培しても思わしくない成長と収量である事があった。 確かに大量の有機肥料を入れると収穫量は増えるが、窒素があまりに多くて味が美味しいとは素直に言えないものが出来る。適正投入量が必要だが、それでも私には疑問が付きまとっていた。 それはどうして毎回毎年、これだけの量の肥料が必要なのかと。 有機質の肥料は分解速度が遅くて5年以上かかる場合が多い。毎年入れるならそれは過剰のはずだ。それにこの肥料の菌類は土着菌ではない。と言う事は定着する率は低いはずだ。  また土壌菌の多様性も失われつつあると聞く。   さて、土壌菌はいくつかに分類される。 ひとつはバクテリアである細菌、次が放線菌、糸状菌、藻類とある。  昨年私は無施肥かぼちゃの栽培を観察していたが、これでは生育は難しいと判断し、ペレット鶏糞を撒いた。そしてこれは菌類が土壌に足りないのだと判断し、土壌菌培養液を制作。 2種間ほど発酵したのでかぼちゃに散布。 結果は十分な品質のかぼちゃが収穫出来た。   次に私が着目しているのは鉄バクテリアだ。 鉄バクテリアは農業でも利用でき、 水中のリンを吸着してリン酸肥沃度を高めるとある 。 幸い試験場の川には鉄バクテリアのコロニーが大量に存在している。 私は、この鉄バクテリアを土壌菌培養容器に入れ、現在様子を見ている。   ...

Remember (walking in the sand) - Ronnie Wood, Johnny Depp, Imelda May - ...

イメージ
  おっさんでももてるやないのw 思うんだよね。 何かに挑戦してる奴はくすぶってない。 老いてもいぶし銀の様に輝いてると。 俺もそう在りたいね。  腹の出たジョニーデップはカッコ悪いけど、相変わらずのロン・ウッドはいいね。 最高だよ。