Hikoma Ueno — The Founder of Japanese Photography
日本の写真の開祖・上野彦馬 日本の写真史を語るとき、避けて通ることのできない人物が上野彦馬(1838–1904)である。 彦馬は長崎に生まれ、オランダ医学・化学を学ぶなかで写真術に出会った。ポンペから化学を学び、さらに写真術を研究し、1859年頃には湿板写真の撮影に成功したとされる。1862年(文久2年)には長崎に「上野撮影局」を開業した。これは日本最初期の本格的な商業写真館である。 そこから日本の写真は、大きく動き始める。 坂本龍馬、高杉晋作、勝海舟、桂小五郎、後藤象二郎――幕末という激動の時代を生きた人物たちの肖像を、彦馬は写真として後世に残した。 しかし、上野彦馬の重要性は、単に「有名人を撮影した写真家」というところにはない。 彼は写真を、 西洋から伝わった珍しい機械技術から、日本で継続的に実践される職業と文化へと移行させた人物 だった。 しかも彦馬は写真家であると同時に化学者でもあった。 『舎密局必携』を著し、写真薬品の調製や撮影技術を研究し、多くの門人を育てた。その門人たちが各地で写真館を開き、日本全国へ写真術を広げていった。つまり彦馬個人の仕事だけでなく、 「写真を学び、写真を職業として次の世代へ伝える」という日本の写真文化の基礎を築いた のである。 さらに興味深いのは、彦馬の写真が肖像だけにとどまらないことだ。 長崎の街、港、外国人居留地、そこに暮らす人々――幕末から明治へと移り変わる日本の風景そのものが、写真として記録されている。 2026年には、1864~1867年頃に上野撮影局で撮影された写真187枚を収めた「上野撮影局写真帖」が国指定重要文化財となる方向が示された。そこには武士、民衆、外国人、長崎の風景などが記録されている。これは彦馬の仕事が、単なる「古い写真」ではなく、日本の写真史・科学技術史を考えるうえで重要な文化資料であることを改めて示している。 写真とは、単に「過去を写す」ものではない。 上野彦馬が残した写真を見ると、そこには日本が近代へ移行していく瞬間そのものが写っている。 一枚の写真の中に、人物だけではなく、時代、技術、社会、そして「見る」という行為の変化まで刻まれている。 日本写真の出発点を考えることは、写真とは何なのかを考えることでもある。 上野彦馬は、その問いを日本で最初に本格的に引き受けた写真家の一人だったのだと...