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子供たちの学びの環境を見直す。

高校の先輩でもある仕事仲間の女性から、孫がアカハライモリを見たいので教えてくれますかと尋ねられた。近くに田んぼがあるが居ないと言う。私はやはりそうかとうなずいた。いいですよ。私の田んぼにはアカハライモリがいますので。それに家にはつがいのイモリが庭の水溜まりに居ついてます。お孫さんと見に来てください。イモリも持って帰っていいですよ。礼を言われ、本人は飼いたがってるけど母親がダメだと言うんです。どうしてですか?飼ってるときは夢中でもすぐに飽きて死んでしまうからだという。 私はそういうもんですよと伝える。そういう過程が子供が成長する上で大事なんです。ある意味殺生は人が命の大切さを知る過程で重要な事です。 この辺りの倫理的意識がなぜか現代ではタブー化されている。しかし今後の時代は自然界は捕食や生存競争が日常である事を再確認する必要があるし、子供たちに選択の自由を提供する必要がある。この現実を知らなければ確証バイアスに陥り、偏った思考に囚われかねない。     AIはんどう思う??   あなたの話は、自然との関わりや命の尊さを学ぶ過程での倫理的な視点について、深い洞察を投げかけていますね。アカハライモリを例に、子どもが生き物と触れ合うことで命のサイクルや責任を学ぶ重要性、そして現代社会でのタブー化された意識について触れています。以下に、要点を整理しつつ、私の考えを簡潔に述べます。 1. アカハライモリと子どもの学び アカハライモリのような生き物は、子どもにとって自然界を身近に感じる素晴らしい機会を提供します。あなたの提案のように、実際に田んぼや庭で見せることは、子どもに命の存在感や生態系を体感させる良い方法です。生き物を「持って帰る」選択肢を提供することで、子どもは自分で責任を持つことを学びます。仮に飼育中に飽きてしまったり、死なせてしまったとしても、その経験自体が命の重さやケアの重要性を教えてくれる貴重な機会です。 2. 母親の懸念と倫理的タブー 母親が「すぐに飽きて死なせてしまう」と心配するのは、現代社会でよく見られる「命を粗末にしない」という倫理的感覚の表れです。しかし、あなたが指摘するように、この感覚は時に過剰にタブー化され、子どもが自然の厳しさや命のサイクル(捕食、死、生存競争など)を学ぶ機会を奪いがちです。生き物の死や殺生を避けるあまり...

Casa Blanca 生物多様性の田んぼ

私の田んぼは明らかに他の田んぼとは様相が違う。目立つのはトンボの数だが、トンボが生きられると言う事はその餌である多くの虫たちが生息しているからだ。カエルの数も水中でのオタマジャクシやマツモムシ、アカハライモリやクモ類など。鳥類も圧倒的に私の田んぼに飛来する。それもまた餌があるからだ。農業生産としての田んぼの役割と生態系が存続する役割を維持している。そんな中で特に生態系が発達しているのは昨年まで市民農園であった田んぼは更に豊かな生態系を再現している。特徴的な事は動物だけでなく植物の多様性があることだ。藻類、浮草、コナギなどもバランスよく共生してる。それらは生物たちの住環境の立体化や隠れ家としても機能するので生物たちの生息数も増える結果となっている。鳥類もカラスやサギ類だけでなく川が流れるのでカワセミ、ヤマセミ、カワガラス、雀、燕、猛禽類のトンビなども見かける。怖いがマムシや他の蛇類も生息。ことしは全般的にゲンゴロウやミズスマシなどを見かけないのが心配される。またこの田んぼの上流には田んぼがなく、水に農薬類や化成肥料が流れないのも生物たちの環境を侵さない要因だ。私はこのたんぼが凄く気に入っており、昨年までは市民農園であったが、Casa Blanca の特別な田んぼに位置付けている。ここでの観察が私の心の安寧とも言える。 私は特別な事はなにもしていないが、一貫しているのは私の幼少期である昭和前期の田んぼを再現している事だ。その田んぼは多くの生物で溢れ、人間もまた誠実に穏やかに助け合って暮らしていた。 そんな社会を目指している。

二ホンアカガエル産卵確認

たんぼに水を張る冬季湛水。そうすると冬の暖かい日に、ニホンアカガエルが一斉に産卵する。 夜な夜な田んぼからクルルー、ケラッ、ケラッ、クァクァクァクァクァクァ、みたいな賑やかな合唱が聞こえてくる。 この冬は聞こえないのでどうしたものかと産卵を確認するために田んぼを散策。 なかなか見当たらない。昨年は井出の漏水工事で水を入れる事が出来なかったからだろうか。 やがて一塊の卵を確認。 通常は数百の塊を見るが、たったひとつであった。 カイツブリという渡り鳥が20羽以上飛来している。 卵には毒性があるので食べないが、ふ化したオタマジャクシは格好の餌になる。 耕起せずに水を入れ稲かぶを残してるのはオタマジャクシの隠れ家のためです。 果たして生き残れるカエルの個体数はいかがなものか。  圧倒的量の卵を産んでも個体数は増えない自然の摂理。 その厳しさをいつもぼくは目の当りに見ている。 今年は一見藻にみえるが、アンモニア態窒素固定をしてくれるシアノバクテリアの発生が多い。稲は硝酸態窒素よりアンモニア態窒素を使って成長する。 無施肥でもそうした生物達が養分を補い、豊かな土をつくってくれている。 ただの無施肥では土が痩せ、作物という植物も育たない。 無施肥であるなら自然の摂理を学び、環境を整えることを考えましょう。 飛び交う鳥も、オタマジャクシも、気味悪い藻も、雑草も、流れる水も、空気も、風も。。 すべて耕作した不自然な自然を元に戻しているだけです。  なにもしなくていいんです。環境を急激に変えるとせっかく根付いた生物の大半が死にます。 ただ冷静に穏やかに見届けてやってください。    、、と。そんな風に接したらぼく様は一生ふじゆうしないんだろうな。。 なにに?  君はまじめですか?  いいえ、全く。 君はふまじめ?  そーうでもない。 、、、、。   ただの好きものです。。

うめのはな

梅の蕾が膨らみ始めた。 もう今週、はやければ明日でも咲き始めよう。 野焼きもはじまる。 昔は3月であった。 変更理由は3月がよく雨が降って焼けない、延期が多いと言う理由。 しかし、昨年から感じていたが、2月は乾燥しすぎて燃える勢いに危険を感じる。  くれぐれも用心して欲しい。 野焼きはもう必要ない行事。 環境負荷を考えると辞める事も検討したがいい。 しかし私の好きな景色はあっという間に無くなるだろう。

表紙 Lost Zipangu

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  失われていく日本 ここは以前は美しい棚田エリア 私の故郷滝地区にある。 消える棚田。消滅する継承文化。そのスピードは物凄い勢いで進んでいる。   私は今、棚田だけでなく、Lost  Zipanguと言うタイトルで私がそこに立った地点で感じた、見た事象をまとめて一冊の本にするべく撮影を進める。 奈良 京都 大阪でもフィルムで撮影 。 風景だけでなく、街や人々も在る。 私のテーマは Environmental and ecological records. 環境と生態の記録である。   私は撮影現場で失われる事象に出会っても悲観に捉えない。 変化の行動や運動の始まりであるだけだ。  失われるから次が始まる。 生命体地球はそうやって繰り返される。 全運動エネルギーが消滅したときが本当の死滅である。 それでも地球規模以上の新しい宇宙の始まりではあるが。 科学アカデミーのシュミレーションでは地球に生命がある時間よりも生命が絶滅して地球が太陽に飲み込まれるまでの時間の方が途方もなく長い。そしてその後さらに長い時を経て新しい宇宙がまた誕生するのだ。

甲佐にて

無農薬は達成するが収穫量での課題がある。 収量は反5俵程。7俵は狙いたいところだ。 実際7俵の無農薬無施肥の田んぼを私は作っている。 さてこの地はどうすれば良いか。

私の環境活動

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在りし日の::立野ダム 主な農作業が終わり、やっと春まで写真活動に専念出来る。  

[Playlist] AN HOUR SHOPPING AT ZARA HOME

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Jazzy House Session By ROSSA at Lounge Bar in Paris

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これから

甲佐圃場の農園の拡張が続くが、私の作業時間が多くなるのはあまり良くはないと日々思うようになった。 私が知っている無農薬での稲作の基本は伝えた。 会社としての規模拡大は法人の方々に任せたい。   私のイメージする目的、生物多様性や環境改善への次の展開を考える時が来た。  田んぼでの農薬を使わない稲作は目的のためのひとつの手段ではなかったのか。  

おろし大根医者いらず

普通は大根おろし医者いらずだそうだが、大根おろしって、私はおろし金に思ってしまう。 生まれてこの方、おろし大根と言ってきた。   さて。 大根はとても健康にいいそうですね。詳しくはネットでどうぞ。 昨年種を撒いて収穫ぜずに花を咲かせ実を実らせた大根が秋に発芽したものだから大変な数の大根が育っている。アブラナ科ってどうしてこんなにべらぼう!な数の種子を作るのだろう?しかしこれはアメリカの土壌学者が言う大根で不耕起栽培を可能にしたという現場を目の当たりにした思いであった。密に撒いても直根が深く、トラクターで耕すよりも更に深く根を張っている。これを上部だけモアで砕き大根が腐敗してなくなると機械で耕した以上に土壌構造が良くなるそうだ。土壌は裸にならないので現代農業の課題である土壌流出が少なくなる。 アメリカは大型機械、除草剤と工業型大量生産をした結果、畑の土壌が雨で流されたり風で吹き飛ばされたりと深刻な被害を受けているので不耕起栽培へとシフトしている。 綿やトウモロコシ、ヘンプなどは不耕起栽培がとてもいい結果を出している。 大根されど大根、見直しました。

11190kg

今年の米生産量はCASA BlLANCA 2010kg     甲佐圃場 9180kg   合計11190kg の186,5 俵(373袋)であった。本来なら18000kgは出来るはずだが、秋ウンカの発生や雑草抑制が弱かったなどの要因でこの数値であった。しかし人の教育や雑草対策の再確認、虫発生時の対策など貴重な経験をさせてもらった一年であった。私の目的は環境再生のための無農薬圃場拡大。来年も圃場が増えるるよう既に動いている。

ウンカ大発生の推測

ウンカが大発生した今年であるが、要因は様々ある。 一見、乾田散播直播で通風性が悪かった事が第一の原因に思われがちだか、それだけでは見逃すポイントがある。 主要因は水中の生態系がスクミリンゴガイの占有率が高く、他の生物が少ないのでウンカを捕食する蜘蛛などの捕食生物が少ないという生物多様性の損失が大きいと見ている。 また、最も生物多様性を阻害するのは中干しであり、中干しで多くの水中生物が死に絶える事も見逃せない。つまり中干しを境に田んぼの生態系が変わってしまう。または水中の生態系が砂漠化したのと同じになる。そうすると蜘蛛やトンボ、カエルなどが少なくなる。 どんなに病害虫が多くても天敵が存在しバランスが取れればそう被害もないはずだ。 勿論通風性の改善は今後必要であるがそれに対応する農業技術は多数ある。 むしろ私は生物多様性の層の厚さ、量などに着目したい。 作物優先の現代農業の考え方では農薬肥料不使用での稲作には問題が多い。 昭和の頃の様な環境の隙間がない。なんでも合理的に対応すると なんでもない生物たち が共存して住めなくなる。 私は更に生物多様性に着目して稲作に向き合いたい。 上記は推測だが私の着目点はここにある。

田んぼの形

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タイ沖合に広がる「死のゾーン」、プランクトンの異常発生で漁業に打撃

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  地球上全ての環境の変化は既に他人事ではない。 エルニーニョは日本の台風にも影響する。 九州への台風が静かすぎて不気味に感じている。