スパイス種子の香り成分と人間の嗅覚選好 ——植物の化学戦略と感覚系の共進化——

スパイス種子の香り成分と人間の嗅覚選好

京都芸術大学大学院 芸術研究科 芸術専攻 写真・映像領域

スパイスとして利用される植物の種子には、揮発性の香り成分(精油・テルペン類・フェノール系化合物)が高濃度で蓄積している。植物側の機能と、人間がそれを「好む」という現象の起源は、別個の問いとして検討する必要がある。

種子は植物の次世代を担う器官であり、防御の優先度が最も高い。精油成分の多くは強い抗菌・抗真菌活性を持ち、昆虫に対しても忌避効果を果たす。同時に、同一の化学物質が散布者の選別機構としても機能する。唐辛子のカプサイシンは哺乳類のTRPV1受容体を強く刺激するが、鳥類はこの受容体を持たない。哺乳類を排除しつつ鳥類のみに遠距離散布させる、化学的な選別設計である。加えて、一部の精油成分は種子自身の代謝を抑制し、外部への揮発によって濃度が低下すると発芽シグナルになると考えられている。防御・散布者選別・発芽制御という複数の目的が、同一の化学物質に重層的に割り当てられている。

人間の嗅覚選好については、まず解剖学的な特性を確認する必要がある。嗅神経は嗅球を経由して扁桃体・海馬などの辺縁系と直接接続し、視覚・聴覚と異なり、論理的評価に先立って情動・記憶系に届く。Sherman & Billing(1999)は、高温多湿で食中毒リスクの高い地域ほどスパイス使用量が多いことを示し、スパイス嗜好が食品安全性の嗅覚評価能力と共進化した可能性を論じた。一方、コリアンダーに強い嫌悪を示す人が一定割合で存在し、OR6A2嗅覚受容体遺伝子の多型が関与することが同定されている(Eriksson et al., 2012)。「好む」は統計的傾向であって生物学的普遍ではない。さらに生得的傾向の上に、経験・感情・社会的文脈が香りの評価を書き換える。嗅覚と情動記憶の解剖学的近接性がこの可塑性を可能にする。

まとめると、植物が化学防御として蓄積した揮発性物質が動物の嗅覚受容体に偶然フィットし、散布者選別として共進化し、人間はそれを食品安全評価の指標として利用しながら文化的学習と記憶系に結合させた。スパイス文化は、植物が意図せず設計した化学的仕掛けを人間が再解釈した共進化の副産物である。

参考文献

Sherman, P. W., & Billing, J. (1999). Darwinian gastronomy: Why we use spices. BioScience, 49(6), 453-463.

Eriksson, N., et al. (2012). A genetic variant near olfactory receptor genes influences cilantro preference. Flavour, 1(22).

Bakkali, F., et al. (2008). Biological effects of essential oils – A review. Food and Chemical Toxicology, 46(2), 446-475.

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