米は贅沢な食べ物である ――栄養学・歴史・農業実践からの考察――
米は贅沢な食べ物である
――栄養学・歴史・農業実践からの考察――
新川芳朗
京都芸術大学大学院 芸術研究科 芸術専攻 写真・映像領域
序論
「米を食べなくても生きられるか」という問いは、一見して栄養学的な問いに見える。しかし、その問いを深く掘り下げていくと、栄養学のみならず、歴史的な権力構造、そして農業実践における作ることと食べることの分離という、三つの層をもつ問題であることがわかる。
本稿では、これら三つの軸を統合した考察を行い、「米は贅沢な食べ物である」という命題を多角的に検証する。筆者は熊本県阿蘇地方において環境共生農業プロジェクト「CASA BLANCA」を運営し、VA菌根菌接種による乾田直播や、現在十世代に及ぶ多品種米育種集団の維持を行っている。この実践的立場から、米という食物をめぐる生物学的・文化的・農業的諸問題を論じる。
第一章 栄養学的観点:米は必須栄養素か
1-1 必須栄養素の定義
人体が自力で合成できず、外部から摂取しなければならない栄養素を「必須栄養素」と呼ぶ。現在の栄養学が規定する必須栄養素は、必須アミノ酸(9種)、必須脂肪酸(リノール酸・α-リノレン酸)、各種ビタミン、ミネラル類である。この定義に照らすと、炭水化物は必須栄養素のリストに含まれない。米の主成分であるデンプン(炭水化物)は、人体が絶対に外部から取り込まなければならないものではない。
1-2 糖新生とケトン体
その根拠は、肝臓が持つ「糖新生」(gluconeogenesis)の機能にある。タンパク質や脂質を原料として、肝臓はブドウ糖を自ら合成することができる。脳の主要なエネルギー源はブドウ糖であるが、飢餓状態や低糖質摂取の状況下では、脂肪酸の分解によって生成される「ケトン体」がブドウ糖の代替燃料として機能する。このメカニズムにより、原理的には炭水化物の摂取なしに人体の代謝は維持できる。現代の「ケトジェニック・ダイエット」はこの代謝経路を意図的に活用したものである。
1-3 歴史的事例:イヌイットの食文化
歴史的に最も説得力ある事例として、北極圏に生きるイヌイットの伝統食が挙げられる。彼らは農耕が不可能な環境において、海獣・魚・鳥などの動物性食品のみで数千年の歴史を持つ社会を維持してきた。ただし重要な点は、彼らが生の肝臓や内臓肉を摂取することでビタミンCをはじめとする必須ビタミン類を確保していた事実である。したがって「炭水化物なしで生きられる」は真であるが、「何でも食べずに生きられる」とは異なる命題である。
1-4 小括
栄養学的観点からは、米(炭水化物)は必須栄養素ではない。タンパク質・脂質・ビタミン・ミネラルが適切に確保されれば、米を摂取せずとも生命維持は可能である。この事実は、米を「なくてはならない食物」と位置づける日本の主食観念が、栄養学的根拠よりも文化的・歴史的要因に基づいていることを示唆している。
第二章 歴史的観点:米は誰のための食物か
2-1 「主食」という神話
現代日本において米は「主食」であり、日常食の中核として位置づけられている。しかしこの認識は、歴史的に見ると比較的新しいものである。江戸時代以前、白米を日常的に食べることができたのは都市部の武士階級や富裕な商人に限られていた。農村部においては、農民が丹精を込めて育てた米の大部分は年貢として収公され、生産者自身の食卓に戻ってくることは稀であった。農民の日常食は粟・稗・麦・芋・雑穀が主体であり、米は祭祀や特別な折にのみ口にできる非日常の食物だった。
2-2 江戸患い(脚気)が示すもの
興味深い逆説が、「江戸患い」として知られる脚気の流行に現れている。脚気はビタミンB1(チアミン)の欠乏によって引き起こされる疾患であり、江戸時代の都市部で広く蔓延した。この病は、精白した白米を大量に食べる余裕のある階層に多く見られた。玄米や雑穀を混食せざるを得なかった農民にはむしろ少なかった。「豊かな食」が病を生む、という逆説がここにある。
2-3 米と権力の構造
米の生産と消費の分離は、単に経済的な格差の問題ではなく、政治的権力の問題でもあった。石高制に象徴されるように、米は江戸幕府が国家を運営するための単位であり、経済の基軸であり、権力を可視化する指標でもあった。「米を食べること」は、すなわち支配層の側に立つことを意味した。農民は米を作り、武士は米を食べる。この構造は、米を贅沢品として明確に位置づけるものである。
2-4 近代以降の変容
明治以降、特に第二次世界大戦後の食料政策において、米は「国民食」として再定義された。食料管理法のもとで米の生産・流通・価格が国家によって管理され、「米=主食」という観念が社会全体に浸透した。しかしこれは、農業政策・食料安全保障・農村票という政治的文脈の中で再構築されたイデオロギーとも読める。米が「贅沢品」から「庶民の主食」へと転換した背後には、政治経済的な意図が伏在していた。
第三章 農業実践的観点:作ることと食べることの分離
3-1 CASA BLANCAにおける育種の実践
筆者が主宰するCASA BLANCAでは、VA菌根菌接種を用いた乾田直播農法を採用し、ジャンボタニシ(スクミリンゴガイ)を除草・施肥系に組み込んだ環境共生型の米作りを行っている。なかでも注目すべきは、現在十世代にわたって継続している多品種米育種集団の維持である。この育種集団は、単一の商業品種への収束を意図したものではない。多様な遺伝的形質を保持しながら、環境応答性・耐病性・食味・形態の多様性を維持することを目的としている。筆者はこの米を「育てる」ことに深く関わってきたが、それは「食べる」ことと必ずしも一致しない。
3-2 作ることと食べることの非同一性
歴史的に見れば、米を作る者と食べる者は別の存在であった。江戸時代の農民がその典型である。しかし現代においても、この分離は別の形で存在する。CASA BLANCAの場合、育種・保存・研究という行為としての米への関わりが、消費という行為を必ずしも必要としない。十世代の育種集団を維持することは、その米を食べることよりも、むしろ米というものの可能性を時間の中に保存することに近い。これは収奪による分離ではなく、研究的・哲学的な動機による分離である。
3-3 「贅沢」の再定義
こうした実践的立場から見ると、「米は贅沢な食べ物である」という命題は、単に価格や希少性の問題を超えて、より深い意味を持つ。食べるという行為は、作ったものを消費し、時間の中に消滅させることである。一方、育て・研究し・保存するという行為は、食べることによって失われてしまう潜在性を保ちつづけることである。この対比において、「米を食べる」という行為そのものが、ある種の贅沢――消費する余裕、破壊する余裕――を含んでいるとも言える。贅沢とはつねに消費によって定義されてきた。しかしそれとは逆に、消費しないこと・保存することも、また別種の贅沢でありうる。
結論
本稿では、「米は食べなくてもよい」あるいは「米は贅沢な食べ物である」という命題を、三つの異なる軸から検討した。
第一に、栄養学的観点からは、炭水化物としての米は人体の必須栄養素ではなく、糖新生とケトン代謝によって代替可能であることを確認した。第二に、歴史的観点からは、米を日常的に食べることは江戸時代まで支配階層の特権であり、「主食」という観念は近代以降に政治的・経済的に構築されたものであることを示した。第三に、農業実践的観点からは、作ることと食べることの分離が歴史的にも現代的にも存在し、消費しない形の米との関わりがもう一つの贅沢を構成しうることを論じた。
これら三軸を統合すると、米はその生物学的・文化的・農業的位相において、つねに何らかの意味での「贅沢」と結びついてきた食物であると言える。それは価格の問題ではなく、誰が作り、誰が食べ、誰が保存するかという権力と意志の問題である。
「米を食べなくても生きられるか」という問いへの最終的な答えは、生物学的にはイエスである。しかしその問い自体が明らかにするのは、米を食べることが単なる栄養摂取以上の意味をもって人間の社会・歴史・実践に埋め込まれてきたという事実である。米を食べないという選択もまた、米を食べるという選択と同様に、深く文化的な行為である。
参考文献
Stefansson, V. (1946). Not by Bread Alone. Macmillan.
Westman, E. C., Phinney, S. D., & Volek, J. S. (2011). The New Atkins for a New You. Fireside.
深谷克己(1993)『百姓成立』塙書房.
磯田道史(2003)『武士の家計簿』新潮新書.
原田信男(1993)『江戸の食文化』小学館.
佐藤洋一郎(2005)『稲の日本史』角川ソフィア文庫.
藤原辰史(2012)『稲の大東亜共栄圏』吉川弘文館.