第11章 アルマーその後 545話

不二子はんは、手紙を三度読んだ。

一度目は立ったまま。

二度目は縁側に腰を下ろして。

三度目は畳んで膝に置き、それからまた開いた。

マリアからやった。

細い字やった。

真っ直ぐな字やった。

長いこと祈りを書き続けてきた人の字やと思うた。

便りは短かった。

子は無事に生まれた。

女の子やった。

そこまではよかった。

けれど、その先があかんかった。

教会の上の者たちが動いた。

父親のことが知れた。

マリアには選ぶ余地がなかった。

子は引き取られた。

どこへ。

それは書かれていなかった。

書けなかったのか。

知らされなかったのか。

不二子はんには分からんかった。

最後の一行だけが、妙にはっきり残った。

名前だけは、アルマーのままでいてほしいと頼みました。

聞き届けられたかどうかは、わかりません。

不二子はんは手紙を畳んだ。

庭を見た。

梅雨前の光が草の上に広がっていた。

風はなく、

影だけが少しずつ場所を変えていた。

よしろうはんに見せるべきやろか。

考えた。

けれど答えはすぐ出た。

隠すことやない。

ただ、今日やない。

夕方。

よしろうはんが田んぼから戻ってきた。

靴についた泥を落とし洗って干していた。

いつものように縁側へ腰を下ろした。

「雑草を水没させて窒息死させるために田んぼの水を満水にした」

不二子はんは顔を上げた。

へー

「苗が見えるか見えへんかくらいやけどな」

へー

「お疲れさんどす」

不二子はんは茶を出した。

湯気が細う立った。

鳥の声がよう聞こえる。

やがて、

よしろうはんが湯飲みを見ながら言うた。

「アルマーは、元気やろか」

不二子はんは返事をする前に、

庭の向こうを見た。

見えへん場所を。

届かへん場所を。

「元気どすえ」

そう答えた。

嘘やとは思わんかった。

どこにおっても、

誰に抱かれていても、

アルマーはアルマーや。

そのことだけは、

まだ誰にも奪われてへん。

 

夜。

一人になってから、

不二子はんは手紙をもう一度広げた。

電球色の光の中で、あの一行だけが浮かび上がる。

名前だけは。

それがマリアに残された、

最後の祈りやった。

不二子はんは指先でその文字をなぞった。

母親のぬくもりが、紙の向こうにまだ残っている気がした。

枕元の明かりが、小さく音を立てた。

誰もいない夜やった。

けれどその夜は、

アルマーという名前だけが、

静かにそこにいた。

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