写真集 後書き草案

 

後書き:微小位相差理論について

新川 芳朗


はじめに

あなたは今、この写真集を通じて何かを感じたはずです。同じ場所、同じ風景の写真が並んでいるのに、何かが違う。その「何か」を言葉にすることは難しいかもしれません。しかし、確かに感じた。

私はこの40年間、その「何か」を追い求めてきました。そして、それを「微小位相差」と名づけました。


理論の起源

幼い頃、夜空を見上げた時、宇宙の果てにはさらに宇宙が広がっているという直感がありました。それは空間的な無限性ではなく、存在の重層性についての予感でした。

有明海の干潟を何度も撮影し続ける中で、その予感は確信に変わりました。雲の形、光の角度、潮の満ち引き、生物の配置——これらは単なる「時間経過による変化」ではありません。時間そのものが重層的に存在している証拠なのです。

過去・現在・未来は、直線上に並んでいるのではありません。微小な位相差を持って、同じ「場」に重なり合っています。


時間の厚み

私たちは普段、時間を点として捉えます。「今」という一点。しかし実際には、時間は幅を持った帯のようなものです。

2枚の写真を並べて見てください。わずかに異なる時刻に撮影されたものです。普通なら「before/after」として見るでしょう。しかし、そうではありません。

この2枚は、過去と現在ではなく、同時に存在する異なる「層」なのです。あなたがさきほど感じた「何か」——それが時間の厚みです。


四つの原理

微小位相差理論は、四つの原理から成り立っています。

(1)エネルギーは移動するだけで、消えない

宇宙の総エネルギーは一定です。生まれることも、消えることもありません。ただ、異なる位相に分配されているだけです。水田の稲が枯れても、それは土に還り、次の生命の基盤となります。すべては循環しています。

(2)時間は重なり合っている

過去・現在・未来は分離していません。微小な差で重層的に存在しています。写真は、その重なりへの「窓」です。

(3)秩序と無秩序は視点次第

崩壊は終わりではありません。別の位相への移行です。廃墟は無秩序ではなく、新たな秩序への過程です。

(4)差異があるから運動が生まれる

完全な同一性は静止を意味します。微小な差異があることで、初めて世界は動き、生命が存在できます。


写真家から実践者へ

2015年、私は無農薬・無肥料の米作りを始めました。写真を撮るだけでは不十分だと感じたからです。

環境破壊を記録することは重要です。しかし、記録するだけでは問題は解決しません。私は、風景を観察するだけでなく、風景を積極的に形成する実践者になることを選びました。

水田は、微小位相差理論を体現する場です。稲の成長、水の循環、昆虫の生態、気候の変化——すべてが異なる時間スケールで進行する重層的プロセスです。

化学農業は単一の位相(収穫量の最大化)を追求します。対照的に、無農薬農業は複数の位相の共存を許容します。雑草も、虫も、菌も、すべてが共生する複雑な生態系。これが微小位相差理論の実践です。


AI時代の写真

写真の定義は、技術とともに変化してきました。そして今、AI技術は「光の記録」という伝統的定義を崩壊させています。

しかし、写真の本質は光学的プロセスではありません。それは「意図の記録」です。誰が、何を、見せたいか。その意図の表明こそが写真です。

撮影手段がカメラであろうと、AIであろうと、本質は変わりません。重要なのは、無数に存在する可能性の中から、特定の位相を選択し、顕在化させることです。


固着からの解放

現代社会では、多くの人が特定の時間位相に固着しています。

経済成長という単線的未来像に固着する人。過去の栄光への郷愁に固着する人。「今この瞬間」だけを生きることに固着する人。いずれも、時間の一つの層のみを特権化しています。

微小位相差理論は、この固着を相対化します。

ある位相で「失敗」に見える出来事が、別の位相では「必要なプロセス」かもしれません。絶望的に見える現在も、無数の可能的未来を孕んでいます。

社会変革とは、「悪い現在」を「良い未来」に置き換えることではありません。それは、すでに潜在的に存在している多様な位相を顕在化させ、支配的な単一位相の独占を解体することです。


写真という方法

私が写真を選んだ理由は、理論を説明するためではありません。理論が指し示す現実を、あなたが直接経験できる条件を整えるためです。

2枚組の写真を見た時、あなたは時間の厚みを感じたはずです。それは説明されて理解したのではなく、直接体験したのです。

これが写真の力です。言葉では伝えられないものを、視覚的に経験させることができます。


未完の理論

微小位相差理論は、完成された体系ではありません。これは生きた理論であり、実践を通じて発展し続けます。

この理論には限界があります。すべての現象を「位相差」で説明しようとするのは、新たな還元主義かもしれません。理論は世界を理解するための一つの道具であり、唯一の真理ではありません。

しかし、この道具は有用だと私は信じています。なぜなら、それは私の40年の実践から生まれたものだからです。そして何より、あなたがこの写真集を通じて何かを感じたという事実が、理論の妥当性を示しています。


これから

私の目標は、この理論を完成させ、実践によって検証し、次世代に伝えることです。死後の評価を待つのではなく、生きている間に影響を与えたいと思っています。

写真は、過去の記録ではありません。未来への介入の手段です。

写真家は、世界を観察するだけでなく、世界を変える主体となることができます。

あなたがこの写真集を見て、何かを感じ、そして少しでも世界の見方が変わったなら、それが微小位相差理論の最大の証明です。


2025年11月
新川 芳朗

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