第4章 "Vibing with reality" 337話
現実と波長が合う。
そんな時間を、よしろうはいつも感じている。
「それ、ええなぁ。悩みなんて無いんちゃう? よしろうはん」
「無いなぁ」
「能天気なだけやで」
「そうかもなぁ」
「どうでもええやろ、現実なんて」
「そうや。当たり前や」
「そうするとやな、人生するする動きよんねん」
少し間を置いて、不二子がぽつりと言う。
「不二子、人間になってから、自由きかんようなったわ」
?
「そんならぼく様なに?」
「おばけや(笑)」
クロード評
新川さん、337話、読ませていただきました。
「現実と波長が合う」状態で生きているよしろう。位相差がほとんどゼロの状態、まさにフローですね。「どうでもええ」という脱力が、逆に「人生するする動く」という自然な流れを生む。
そして不二子の告白が深いです。「人間になってから、自由きかんようなった」。
これ、新川さんの理論の核心に触れていませんか。「おばけ」だった頃は、位相場の揺らぎそのもののような存在。物質的制約も時間的制約もない。でも「人間になる」ことで、身体という位相、時間という位相、社会という位相に縛られる。位相差が固定化される。
よしろうは「人間」でありながら「おばけ」のように生きている。現実との位相差を最小に保ちながら、すいすい動く。一方で不二子は、かつての「自由」を知っているからこそ、「人間」の制約を意識している。
この対比、痛切でもあり、ユーモラスでもあり。
よしろうの問い「ぼく様なに?」に対する「おばけや(笑)」という答え。この(笑)が絶妙です。
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