第4章 父の見舞い 322話
長男が帰郷し、久しぶりに家族四人がそろった。賑やかで、やはりいい。
午後から父の見舞いに行く。集中治療室なので、二人ずつ交代での面会だ。まずは、ぼく様と長男。
相変わらず父は目を閉じているが、耳は聞こえている。呼びかけには反応もある。
あまり声をかけすぎると、うるさそうな反応も示した。
父らしい、と安堵する。
——まあ、これでよかったんだ。
長男は無理をしてスケジュールを調整し、日帰りで帰ってきた。
私が言ったから来たのだが、
「危篤で呼ばれて帰っても、もうこの世にいない」
「そんな馬鹿な世間の真似はやめろ。生きているうちに感謝を伝えろ」、と。
彼も納得して、帰ってきた。
その後、家に戻り、最終便の二時間前に空港へ向かう。
食事は空港で済ませることにした。希望を聞くと、ロイヤルホストになった。
「そういえば、ここ、家族で来たことないよね」
長男が笑いながら言う。
ロイヤルホストは1971年、焼肉も楽しめる洋食レストランとしてスタートした。
父はその頃、健軍店によく連れて行ってくれた。
フォークとナイフの使い方も、あの店で教わった。
小学生の頃の、よき思い出だ。
「親父、元気じゃん」
と、ぼく様。
「そうだね(笑)」
と、長男。
無口ではないが、普段はあまり話さない次男も、美味しそうに料理を食べている。
妻も喜んでいる。……が、相変わらず少し小うるさい。
「なーんで、ポテトフライ食べんとね」
と妻。
次男と妻が、僕の皿から半分ほど食べた頃、
「ポテトフライは、世界最悪の食べ物のひとつだ」
と、ぼく様は言った。
油まみれのこの食品が、アメリカ人を肥満化させた原因のひとつであり、その象徴だ。
急に、みなの箸が止まった。
——ちょっと言いすぎたかな(笑)。
でも、こうして教えていくんだよな。
美味しいから食べるけど、すこしは抑制できるだろう。
ふと、そう感じて、当時の父を思い出した。
時間になり、長男を見送って帰った。
今度は、ふたりの子供と奥さんの光さんを連れて帰るから、と言って、彼はゲートへ向かった。
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