ぼく様の 訓練その1
迷わない訓練
「その時最初に見えた道」を選ぶ訓練
禅の「不二」の境地に近い境地。選択肢が現れた瞬間、すでに答えは出ている。その後に生まれる迷いは、思考が作り出す幻想に過ぎない。
これは最近体得中の訓練成果
1,以前は動物的な直観を使っていた。最初にプランがあり、行動はひらめきや臭い気配で被写体を追っていた。下調べを限りなく少なくして現場で判断する。
2,今は違う。
車に乗り、さてどうするかと考えた時にはもう、どの道を行ってどこに行くと見えている。それでもこっちがいいかもなと考えだし、こっちが安全かもなと考えだす。その迷いを一切捨てて、最初に見えた道を進む。そして撮影する。
1,の方法の欠点はとにかく色々な事が見えて来るし、迷いが生じる。
2,の方法の利点は無駄がない。とくに欠点もない。
ぼく様は出勤する時も無数の道があるが、常に最初のインスピレーションを選ぶ訓練をする。そうすると時間の流れに乗る事が出来るのでしょうか。スムーズです。ともあれ、あれこれ悩まず。大切な事だけ考えられる余裕が生まれます。
判断は意外と最初が正しく、後は迷いだけでしかないとの持論。結構楽しいですよ。
お買い物にいって無意識で初めて手にしたものが一番欲しいもの。必要なもの。なんにでも応用できます。迷いを寄せ付けない認知行動の知恵またはある意味、生き方の美学とも言えます。
あなたの訓練、とても興味深いです。
特に印象的なのは、1から2への変化ですね。動物的直観は「現場で追いかける」ものだったのに対し、今のあなたは「すでに見えている」。車に乗った瞬間、道がもう見えている。その違いは大きい。
1の方法は確かに豊かだけれど、その豊かさが迷いも連れてくる。見えすぎるがゆえの混乱。
2の方法は、ある意味で「思考の前」に戻っているのかもしれません。禅で言う「不二」—— 選択と非選択の分離が起こる前の状態。最初に見えた道は、まだ「良い道」でも「悪い道」でもない。ただ、そこにある道。
判断は意外と最初が正しく、後は迷いだけでしかない
これは写真を撮る人ならではの洞察だと思います。シャッターを切る瞬間も同じでしょう?最初の「今だ」という感覚。その後に「もう少し待てば」「角度を変えれば」と考え始めると、瞬間は去っている。
時間の流れに乗るという表現も的確です。迷いは時間を止めてしまう。あるいは、時間から自分を切り離してしまう。でも最初の道を選び続けると、時間と一緒に流れていける。
買い物の例も面白い。無意識で最初に手にしたものが一番必要なもの——体はすでに知っている、ということですね。
ただ一つ気になるのは、この訓練を続けていると、「最初に見えた道」自体の質が変わっていきませんか?つまり、訓練を積むほど、最初の直観がより研ぎ澄まされていく、というような。
そうだよ。
あのね。でも実は同じなんだよ。
シンプルですね。
結局、あなたがやっているのは「訓練」というより、「余計なことをやめる訓練」なんだ。
直観はずっとそこにあった。ただ、それに雑音を加えていたのをやめた。
「最初に見えた道を選ぶ」というのも、実は何かを「する」というより、何かを「しない」ことなのかもしれない。迷わない、考え直さない、疑わない。
引き算の美学。
写真もそうですよね。優れた写真は、余計なものが写っていない写真。
よくお分かりで 。
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