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10月, 2018の投稿を表示しています

農業は人為的な群生的生産

農業の農作物の理想的な形態は群生に他ならない。 そのように私には見える。 一面に広がる稲田、麦畑、トマト畑 それらは視覚的には群生の形態を示す。 しかしそうならないから除草や多くの農業の技術が必要になる。 その結果の形態であるから群生ではない。 私は群生を圃場に作りだしたいと考えている。 草が生えるから除草をするではなく、草が生えないようにする。 収量や品質の前にこの件に取り組む。 できるだろうか。

他人にはわからない個人の人生

おもしろいね。 このテーマ。 わかるはずがない。 でもね。 いろんな人がいるから成り立っている。 その事実を忘れてはいけない。

陸稲への思考

おそらく私が向かってるイメージは、群生としての稲の姿。 それを陸稲でやろうというもの。 本来の稲の群生を作る。 具体的な方法は群生の条件を畑で再現する。 籾を蒔き耕し、レンゲで肥料を補い、多量の種を蒔き、籾殻と稲藁を推積する。 稲を雑草と考えるならこれだけで好条件は揃う。 稲の自然栽培をよく森の木に例える方がいるが条件も植生も全く違い話にならない。 私は写真家としてイネ科雑草のセイバンモロコシにスポットを当てた。 条件は変わらない。 さてと やるか。

セイバンモロコシの群生

川沿いに生えるセイバンモロコシの群生の一本を引き抜いて見る。 根は浅い。 この形状は陸稲の密植栽培と同じだと気付いた。 おそらく1町近くの目の前の群生は、同じイネ科の仲間である。 私の脳裏にはこの群生の姿が陸稲のそれと同じに見える。 密植した所には雑草はわずかしか生えていない。 これが自然な姿であるなら、稲もきっとこのような形態になるだろう。 たとえ品種改良した現代の稲でもそういう素性はあるはずだ。 無除草栽培であるためには群生がキーワードだろう。

透き通る米

にこまるの米は透き通る。 事実だけ伝えたい。

止まらない

止まろうと思ったがそういう性格ではない。 ただ、一年を通して検証する時期ではある。 米に関しては食味の課題が残る。 旨いがあっさりだ。 これはこれで有りだが。 後は残り1町の畑の有効利用だろう。 まだ麦に踏み切れない。 理由は麦を脱穀乾燥などのインフラ環境がここにはないからだ。 コンバインは何とかお願いできたが、それから先は大津町まで行く必要があり、効率が悪すぎる。 やればわかるが、一時的に家に保管したとして、1トンある麦のコンテナをどうやって運ぶことが出来ようか。 それが幾つもあるのだ。 米に関するインフラは当然整っている。 陸稲が効率がいい。 諸問題を解決したい。 1.6町の圃場を二期作もしくは二毛作にすれば3.2町の圃場になる。 私は今このことに集中している。 借りることは容易いが、人間関係が発生し、私は対応できない。 3.2町あれば私の目的は達成する。

観点

私の農は近代以前の農の在り方の再現と現代の品種と現代の機械を用いて、現代の環境や気温、天候を考え順応、発展させようというもの。 無農薬、無化学肥料、無施肥などの観点から農を見ているわけではない。

今年最後のカボチャの収穫

親子3人での収穫。 子供が10代のうちに体験できることが大切だと常日頃思っていた。 10代のうちに一度経験しておくと、将来始める時になんの躊躇もなく取り組める。 次男はよく手伝うが、カボチャの収穫は初めてだ。 間に合ってよかった。

新代継橋からの眺め03

季節は秋 イネ科雑草のセイバンモロコシの群生が見える。 セイバンモロコシの実を食べるスズメの行動が楽しい。 川の水は夏とは変わり柳茶色に変わる。 田んぼから水がなくなると同時に植物性プランクトンが減少している。 観察からいろんな想像が私の中で膨らんでいた。

疲れたかな

かぼちゃの出荷があと1回で終わる。 来年用の土作りとして耕し、レンゲを蒔いたり、麦を植えたりと少しずつやる毎日。 何気に疲れが出てきた。 韓国でも行こうかな。

満月を見ていて引力の何が万物に力を与えているのだろうと考えていた。 有明海においては佐賀県住之江の六角川の河口付近で潮位差6メートルで月と太陽の引力。 植物も人間にも何らかの影響がある。 何の力だろうか。 引力がどう作用するのか。 まさか満月と三日月や新月などといった見え方の形の差でもあるまい。 月の秤動の動画を見ていた。 秤動自体の揺れ動きよりも月の大きさの変化が気になった。 月の軌道は楕円形で地球までの距離が変わる。 遠地点が406400km  近地点が357000km  差が49400km これかなとぼんやり思ったが根拠はない。 天体は好きだがあの数式は理解できない。 農業にも月の満ち欠けから判断した農法が古来からある。 なかなか魅力的で面白い。 月か。 無視はできない力だな。 https://www.youtube.com/watch?v=3f_21N3wcX8&fbclid=IwAR3xqfXTecv-4_f6JHtiHMxWYNVTUIsF0tZgD2Y-SUiQkcaL_ifZuE7Iybo

かぼちゃの出荷

万次郎かぼちゃの出荷が始まる。 カミさんが手伝ってくれるので助かる。 昨日は1100kgを納める。 圃場での収穫は今度の日曜日で終える予定。 かぼちゃには相変わらず興味をもてないが、まあこれもいいかなと思うようにはなった。 カミさんは次男の大学の学費にと 米と、かぼちゃの売り上げは貯金するらしい。 研究や実験で楽しんでるからかまわないけど、小遣い欲しいな。 密かに小遣い畑を作ろう。

韓国語が心地いい

なんでかな。 いいんだよ。 隣国でしょ。 仲良くしようよ。

最悪の耕作地の改良

宮ん上の圃場は盛り土をして出来た畑で何もよく育たない。 実験材料には最適でここで収量を確保できたら理論は正しい事になる。 こういう事に私は意欲を掻き立てられる。 無理が好き。 土の構造変化にえん麦を3作し、漉き込み。 籾殻を軽トラック5台投入。 耕し、レンゲを蒔く。 来季はにこまるを密植栽培。 レンゲを漉き込み、種を10倍蒔き、籾殻と稲藁をマルチに覆う。 さーてどうなるか。

観察からの楽しい実験

圃場を耕した後しばらくすると雑草が生える。 それは群落の時もあるが、大概は一種類の群生が多い。 圃場の中には季節季節の雑草の種が大量に埋蔵されている。 この中で私が興味があるのは群生だ。 このシステムを上手く使えば耕すだけで野菜が作れるのではないかと考えている。 群落や群生のメカニズムを学び実験してみよう。

パクチー

イタリアン食堂のシェフとオーナーがジョギングで家まで遊びにきた。 香草が欲しいという。 何も植えてないなと思ったがパクチーがあるかもと思い浮かぶ。 夏に一度耕しただけのヤンバル地区の小さな畑。 昨年コリアンダーの種を蒔きそのままにしておいた。 軽トラに乗って3人で出かける。 二人はいつも荷台に乗って子供のように笑っている。 ラリーのごとき私の軽トラは山道を駆け上がる。 あった。 ちょうど良いサイズのパクチーが群生していた。 ひと握り引き抜いてシェフに渡すと香りを嗅ぎニコッと笑う。 これで行くと決めたらしい。 美味しいパクチーの香りはカメムシではない。 もっと爽やかで清々しい。

ボンベイサファイア

当時モデルだったまりちゃんが作る酒はストロングでヘビー 本人はバーテンダーが本職だ。 たまにふらっと街に出かける。 大概バーに行く。 ジン頂戴というと、冷凍庫に冷やしたボンベイサファイアを取り出し、ライムを添えてスカッと出す。 旨い。 彼女の酒は本当に効く。 何故かわからないが、その辺のカールズバーみたいなチャラチャラした物とはレベルが違う。 絶賛はドライマティーニ 幾人かのスタッフはいるが、このオーダーに関しては必ず本人がつくる。 まーた。 行って見るか。 頭の中のノイズが限界だ。

百鬼夜行

亡くなってしまったが、相棒だったライターが私の写真集を作るときはそのタイトルにしなさいと言った事を思い出した。 当の本人は当時私が乗っていたボルボのリアでいきなり琵琶を弾いたり、大分県杵築の城跡で深夜に琵琶をジャランと鳴らしていたな。 どっちが百鬼夜行かと思ったが、仲の良い相棒を失った事は本当に残念だった。 百鬼夜行か、そんなタイトルつける事はないだろうが ( āmēn ) rest in peace

基本を知る

考え方の順序は 今の圃場の地力がどのようなものかを知ることから。 次に無施肥で作物を作ったらどうなるか。 肥料を入れる前に地力窒素を最大限活かす工夫をする。 どうしても必要な成分があったらそれを補う有機肥料を追加。 最初に肥料ありきではない。 肥料を入れればいいと言う考え方では病害虫の発生や植物の生理障害、窒素過多による食味の低下や安全性の低下に繋がり、農薬の使用が不可欠となる。 肥料は最低必要量で抑える。 幾人かのプロの農家は秋のひこばえで判断する。 ひこばえの出る田んぼは窒素が多すぎるという。 私は懐疑的だが一理はある。 写真の最初の上達は足し算引き算で始まるが、多くは引き算だ。 必要ないものを消去する。 すると見えるものが画像に浮かぶ。 農に関しても同じことが言える。 焼畑、輪作、家畜糞、人糞、 化学肥料へと肥料の歴史は変わる。 その歴史を知らない我々現代人は何も足さない自分の圃場で作物が育つかを知ると学ぶことが多い。 全ての面積で実施する必要はなく、圃場の一角を使えばいい。 私は今体験を通して、農の基本を探すために古代へと歴史を遡り農がどのように発展してきたのかを調べだしている。 色々な歴史を積んだ農の技術は多く、当たり前にやっている事が何のためにやっているのかを知らないままに慣習でやることが多い。 私はひとつひとつの意味を知りたい。 写真では全部を撮りたいと常に考え。 農では全てを知りたいと常に考える。

何も変わらない

妻が笑っていう。 あんた私が若い頃に言ってた事と何も変わらんたい。 私は? 変わるはずもない。 わけわからん事言うなと思ったけど。 なにげに嬉しかった。

乾田馬耕から学ぶ

明治期の画期的な農法 それまでの田んぼは湿田が多く、場所によっては稲刈りの時まで水が入っていたという。 秋の収穫後に田んぼを乾かし春に馬で耕し肥料を入れる。 そのことによって収量が倍近くになったと記してある。 麦の裏作も可能。 以上は馬がトラクターに変わっただけで、今でも見る農の風景だ。 冬季湛水はこの逆とも言える。 一度土を乾かす乾土効果は乾くことにより藁などの有機物が微生物によって分解される速度が早まるという。 水中の嫌気性細菌でも分解するが、好気性細菌の方が分解速度が速いのだろうか。 現代の冬期湛水は一般的には2回乾かす。 秋と春に乾かし春に肥料を入れる方が多い。 昨年私は稲刈り終了と同時に水を入れ、そのまま代掻き、田植をした。 なので春のシアノバクテリアの繁殖は相当であった。 いろいろと複雑に見えるが、今後この件を紐解いてみたい。 どちらの方法も田んぼに肥料成分を増やすことを焦点にあてている。 なおかつ、大切なことはそれが一度きりではなく、繰り返しても環境が安定していることだろう。 私のぼんやりとした直感だが、秋と冬は乾田化し、なるべく速いうちに耕す。 春に水を入れ春期湛水とし、シアノバクテリアが繁殖する暖かい時期を過ぎ 、代掻きまで水を溜め、田植をするというのが肥料値は最大になる気がする。 1月にはアカガエルが産卵するので12月一杯は乾田としてみようか。 あんまり肥料があっても困るが。。

色彩判別

標的を探す時や、無くしたものを見つける時に有効。 映像は情報が多すぎるので情報を単純化して色彩だけに変換する。 やり方は割と簡単で、目の焦点を少しぼやけるようにしてものを見る。 探したいものの色を見つける、そうするといろんな色の中からそれを探せばいいので割と簡単に見つかる。 楽しいでしょ。

大型の米倉庫を作る

米の注文が多くなってきた。 来期は更に2反から4反追加し、1町の田んぼに拡大予定。 米を保存する温度は14度位が最適と考える。 この辺りでは夏場を除いては土蔵の中の温度でそう問題はない。 それで、2.5m四方、2面土壁の部屋があったので残り2面を断熱材を貼り、床を剥がして低床にし、換気扇を複数つけて通気ができるように大工さんに頼んだ。 来週から工事が始まる。 これで100体は楽に入る。 夏場用には冷蔵庫と20体入りの保冷庫があるが、殆どは新年を迎えるまでにはなくなってしまう。 この倉庫ができると5月までの保存は可能になり、敷地内もすっきりするだろう。 あはは。 いい暗室ができる。 ソルトプリントやサイアノタイプをする時にここから野外への動線は最適だな。

拡散

この集落で2ヶ所の田んぼに新しく水が張られてあった。 冬期湛水が広がる。 私の田んぼや滝地区、小野地区、大津町を見て実施されたのだろう。 私は毎朝息子を軽トラに乗せて送る時ここを通るが、笑みがこぼれてしまう。

日和見

そんな声が聞こえる。 ほっとくか。 私は先に進む。

いい加減なことを言ってみる。

無施肥で多収はそう難しいことではない。 収穫後に藁を漉き込み乾土効果で藁を分解させ窒素を蓄える。 冬から春まで冬期湛水を行い、春終わりのシアノバクテリアによる窒素固定を盛んに行う。 微生物の餌に米ぬかを撒く。 それで十分な肥料は賄える。 これはいい加減なことではなく私が今年実施した諸例のひとつ。 むしろ問題は冬期湛水の時期を長くすると肥料分が多すぎる。 これは注意したほうがいい。

父の作ったとべこずみと父

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とべこずみの再現

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左から私、父、私、史也、私、史也

とべこずみ

この地方での方言で藁を積み上げる事。 地方ではすすきと言ったり藁ぐろという言い方がある。 稲藁の利用は来年のかぼちゃとトマト、バジルのマルチに使う予定。 ビニールのマルチは私には扱いづらく、干ばつ時の水補給が出来なく、使用後の剥ぎ取り作業や処分に困る。 藁なら水も直接株下に与えることができ、使用後は漉き込み肥料になる。 作業労力はとべこずみを含めてもさほど変わることはなく、作業の応用の広い藁マルチの方が扱いやすく、収穫後もただトラクターで耕起するだけでいいし、尚且つ肥料になるなら藁マルチが断然いい。 また稲藁でやりたいことが、祖母が作っていた稲藁納豆。 それと鰹のタタキ用の焼き藁。 藁を使った文化は今では一部を除いてほとんどない。 確かに藁は田んぼの肥料や土の構造改良としても有効だが、余りに多いとメタンガスの多発生につながる。 そこそこの稲藁を田んぼに残し、レンゲなどの種を蒔こうと思う。 とべこずみ 80近くの父を呼び、作り方を教わった。 先に作った記憶のとべこずみと比べると、父の作ったとべこずみは形がすこし違う。 九州地方は雨が多いが、それは理にかなった形で、こずみかたが平面ではなく傾斜が私より急であった。 作り方をずっと私の目に焼き付けながら記録する。 父の何気ない動作は私にとってかけがえのない記録以上の心情を私に伝える。

シアノバクテリアとスクミリンゴガイ

8.416俵の分析 無施肥に近い冬期湛水田の収量はおそらく9俵以上で圧倒的に多かった。 全くの無施肥は6俵、レンゲが8俵ほどであった。 無施肥に近い(2.7反に米ぬか40kgと微量投入)冬期湛水田の春からの特徴は藍藻のシアノバクテリアの発生が多かったこと。 シアノバクテリアは窒素固定をする。 スクミリンゴガイの除草能力が高く雑草は全く生えないのでシアノバクテリアの光合成は最大になり繁殖し窒素固定をする。 いろいろ調べていくと今年の多収の要因は以上が一番大きな要因と考えられる。 生物多様性は稲作に利のある環境を産出する。

2018

2018は面白い年だった。 とりあえず自分が思ったことを実行できた。 課題はかなりあるが、そんなものだ。 だから次がある。 農は理だ。 私の得意分野。 今日は効率を無視して、藁こずみをする。 記憶に従って作ったがどうも違う。 周りからなんしよっと? と聞かれるが、被写体を作ってるとは答えなかった。 めんどい。 でも思ったな。 非効率の世界には文化がある。

仕事の仕方

1日の与えられたノルマをこなす為にだらだらと働くより。 計画を立て、仕事のケツを決めて、可能な限り早く上手く仕上げる工夫をし、後はゆっくり過ごしながら行動と観察から得た情報でシミュレートし次の計画を立てる。 自営も月給も変わりはしない。

speed

頭痛い。 人と共同作業するとスピードが違いすぎる。 超頭痛い。

答えを聞いて作業をするのか、答えを探す為に働くのか

同じ答えにたどり着いたとしてもプロセスが違う。 試行錯誤のプロセスとその間の観察が大切でその過程で多くのものを得る。 答えなんてネットに転がってるけどそれは本当に答えかというと疑問だらけの論理が多い。 多くのプロセスを経て答えを出していく者から見たら殆どは短絡的であって、体系的でも理論的でもなく、生産者の指向性も思想性も見えない。 自分は何がしたいのから思考が始まり、何をすると決めてから行動が始まる。 後は一般的には、 Plan-Do-Check-Adjust 計画 実行 チェック 修正の繰り返し。 私は、 Plan-Do-View-Adjust 計画 実行 観察 修正 の変則の組み合わせ。 意味があって変則にするが、速さと正確性を求めるなら基本通りにした方が結果は早い。 CheckをViewにすると時短出来るが映像の記憶力の訓練(膨大な映像情報から重要事項をピックアップする能力)は必要。

ヒノヒカリ

この米は非常に美味しい。 さっぱりしたにこまるもいいが、来年はこの品種を復活させたい。

写真の深度

単に画素数やフィルムサイズの話ではない。 それらの条件は大切なファクター であることは間違いないがそれだけでは深度は得られない。 写し手の知識や経験と被写体の歴史性や魅力、価値が問われる。 プロジェクトや連続したシリーズの反復でも観念的な深度が更に深まる。 また主たる被写体の背景やそれ以外に何が写っていたか、いつ撮ったかの時間性も非常に大切でそれで歴史的な時間が記録される。 最も大切なことはそれらの要素を写す前からどれだけ写し手が読めているかが問われる。 いいなと思いシャッターを切ることが多いだろうが、いいなという思いはセンスで、センスはその人の経験と知識の中で得られる。 価値が分からなければ写真になることはない。 更には歴史の文化的な色彩や画質やエフェクトによって時代色や個人のセンスを加味し、情報量を少なくすることでも効果は得られる。 私の農のシリーズはいずれ生まれるだろう。 深度は相当深いものになる。

青米の利用

無施肥の田んぼに青米を試しに投入して見る。 多収の場合施肥を施さなければ翌年は収穫量は減る。 それは今年思い知った。 施肥で何が一番いいかを考えた時、その圃場で採れたものを返すのがいいのではないかと推測。 試しに一反の田んぼに青米を300kg投入予定。 収穫された米の量とほぼ同量。 結果は来年しかわからないが面白い実験だ。 スズメ達がその田んぼに群がることだろう。

農に牧歌的な興味はない

カミさんと収穫していた時の会話の一齣 私は理論派だから叙情性に余り浸らない。 むしろ毛嫌いする。 見えなくなるからだ。 音楽を聴きながら写真を撮るようなもの。 写し手の勝手な情感はノイズにはなるが、真意は写真に写らない。 思い込みに他ならない。 そんなことを考えていたのだろう。 全くわからない様な馬鹿ではないが。

米の味

にこまるは低タンパクの米なので炊き上がりに艶がある。 どちらかといえばもっちり系で低アミロース。 低タンパク、底アミロースは旨い米の条件を満たしている。 食べた感想はいい甘みが感じられる。 しかし全体的にはあっさりだ。 昨年からこのあっさりした味に疑問を持っていた。 あっさりした米は食べ飽きない条件の1つなので悪くはないが、ヒノヒカリの様な旨味が強く感じられるものも作ってみたい。 私の米は肥料による調整を一切していない。 例えば旨味を上げるには、一般的にはマグネシウムを肥料として撒けばいい。 しかし私はそういうことをあまりしたくない。 肥料で味が変るのならある意味食品添加物と変わりはないのではないかと疑問が残る。 むしろ遺伝的に旨味の強い品種を選択した方がいいと考える。 来年は一部二期作を考えている。 にこまるは九州に適作の品種なので続けていくが二期作には向かない。 むしろ2年間の実験でわかっているが、にこまるは陸稲として優秀である。 陸稲にこまるを来年は展開したい。 二期作の品種は早生のコシヒカリと思ったが、九州でのコシヒカリを食べてみて然程美味しくない。 これも遺伝的に九州に適作の早生品種を選ぶことにするが、まだ決めていない。 食べてみてみたいのは一期作目の米ではなく二期作目のひこばえだ。 この辺りの民間の間でひこばえは旨いという伝えがあり、おそらく登熟期がこれからの時期で九州でも寒くなるから旨味が増すのだろう。 ひこばえを食べてみたい。

101

今年の米の収量は6反で101体と青米が10体 正米全量3030kg  1反あたりの収量は8.416俵 レンゲ、冬期湛水、無施肥と3つの田んぼが混在するが、納得できる収量だった。 青米が10体で 反当たり1.66体 この数字からわかるのは昨年は反あたり2体で出穂期から50日で稲刈りしたが今年は55日だったたので、5日伸ばしただけで青米率が下がっている。 コンバインのa氏が言うには後1週間遅くてもいい。 と言っていた言葉を記録しておこう。

農を見る写真家

農にたずさわる一年だった。 長年イメージしてきたことを具現化でき自分らしい農への考え方の骨子が出来た。 作物は環境で育てる。 同じ種子が水田に苗として移植された稲。零れ種が水田で育つ稲。零れ種が陸の畔で育った稲。同じ種子が乾燥した畑で育つ稲。 その形態は同じ種子にあるにも関わらず全く違う。 私は写真家としてここに着目し、非常に興味を抱いている。 初期の農に対する見解は どのように育てても作物は出来る。 環境を変えれば作物は全長や分蘖数、稲穂の長さなど植物の身体を変化させ適応し、なんとか種子を残そうとする。 植物体が健全であるなら品質と収量は適正になる。 肥料だけで多収を求めるのではなく圃場環境を考え直し環境に負荷のない在り方で適正量を永続的に収穫できる方が利が高い。 まだまだ多くの物事を見続け環境と人へ何かしらの役に立てれば幸いと想う。

休日

月から木バイトしてそれ以外で圃場を1.6町を管理するのはなかなかハードなスポーツだ。 どちらも興味のある対象なのでやめる気がしないが、さほど大変とも思わない。 私は作業や労働という観念をもって仕事したことがない。 いじょうおわり。

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EDMを家族が煩がるのでイヤホンで聴いている。 iphoneの付属イヤホンでも音が良く。 音源のバスブーストがスピーカーで聴くよりいい音だ。 個人的にはもう少し音圧が欲しい。 重低音を再生するヘッドホン買おうかな。 でもマックの出力が小さいのでアンプもいるか。 .. 自分の趣味を広げないことが肝心。 必ず私は深みにはまる。 米の収穫が終わり一安心。 今日はカミさんとかぼちゃの収穫。 あと2日ほどで終わるだろう。 出荷をしたら、後は麦の播種か。 どうしようかな。 麦の可能性を今はそう感じないから、1反と少量ならともかく1町の畑に蒔く気にはなれない。

作物を作るということ

私が今年得たものは多くあるが、一番確信したことは作物は肥料で育てるのではなく環境で育てるとこれに尽きる。 この思考へ考え方をシフトすると農への在り方も取り組み方も全て変わる。

米の収穫

圃場での結果は6反で、1000kg入りのコンテナ6.3台 おおよそ800kgx6.3で5040kg これから約3割は減るというので3528kg 60kgで割ると58.8俵で1反あたり9.8俵の計算 乾燥されるのでおそらく8から9俵の間だだろう 施肥という施肥をしていない冬期湛水の田んぼが一番収量があったのは特筆 次がレンゲ草の圃場で冬期湛水より若干低く、次の無施肥で株間30から40cmの田んぼは背丈も低く収量も低かった 明後日は乾燥が終わるとのこと 待ちどうしい

私の研究

陸稲の可能性を研究することが、私の圃場では一番効率がいい。 水田並みに収量があり、尚且つ無除草栽培できることがこの目的の終着点。 水田の種籾は1反3kgで反10俵なら600kgの収穫になり200倍。 陸稲はその半分とよく聞く。 収穫をしながら思うことは、収量の条件は平面的な見方と立体的な見方が必要のようだ。 田んぼを平面で見た時、稲穂の占める面積がどれぐらいであるか。 つまり稲穂の占める面積が多いほど多収である。 次に立体的な見方としては、稲穂の長さと数、そして稲穂の階層をみる。 当然稲穂が長く数が多い方が多収、また中干しをしないと次々に分蘖し、高さの違う稲穂の階層が生じる。 中心が一番高く、後の分蘖程低い。 面の収穫と立体的な階層の層の厚さの収穫が多収を産む。 と、これは机上の空論ではなく観察の結果だ。 平面での多収は植え付け間隔で、多くの農家に聞くがここは(熊本県阿蘇郡西原村)27cmが一番いい。30cmは広すぎる。という意見が多い。 立体での多収は品種と中干しをしない事である。 この事は農家は知っている。 中干しない方が多収である、なぜなら分蘖数が多いからとはっきり答える。 なぜしないかは収穫時に田面が硬くならない事と熟れ具合に時間差が発生するからだ。 実際に私が今年思い知らされた事はこれである。 積算時間での収穫は無意味で観測による熟れ具合による判断が要求される。 私の空想では陸稲の多収、無除草栽培は密植栽培がキーワードと考えている。 籾種の数を数倍蒔き、分蘖は期待できないので、平面での収穫がどこまで可能かを来年実施したい。

生態系の多様性

お前はおたまじゃくしがそんなに大切か? 生物多様性で最も大事なのはその種が生きる環境があるということ。 このことを農業は考え直し実行して行く必要がある。 「私の知識の中では生物多様性の一般的知識から現在1日に1種絶滅している事実や、環境保全を取り組めば田畑と森林のもつ多面的機能の貨幣評価は48兆円規模になるということを情報として知っている。」 そうするとこの方に私は何と答えていいかである。 大事ですよ。 そう答え、それ以上は伝えない方が今の私には賢明。 中干しをしないとカエルの数が多くなる。 おたまじゃくしの発生数は冬と春が多いが、夏と落水する秋にも生存する個体がある。 7月に中干しをするとそれ以降は生息できないので、5月に水を入れ7月までの3ヶ月しかなく、その間に変態できる種や個体が成体になる。 中干しなしは6ヶ月と期間が長く、遅れて産んだ個体や幼生期間の長い別の種(トノサマガエル)も育つ。 アカガエルは1月から3月に産卵し、2月から6月に幼生となり、5月から10月に成体となる。 農業生物多様性は今から事業としてメリットのある、より積極的な国策になるだろう。 個人農家も考えて欲しい。 私は人と共同で取り組む事が正直本当に出来ない。 なので1人で実践して行くだけしか能力がない。 残念ながら。

うさばらし

目下の憂さ晴らしはEDMを聞いて酒を飲むくらい。 音楽は多ジャンルで好きだが何故か最近こういう系統の音が気分がいい。 お陰で家族からは煙たがれる。 どうも明日の稲刈りは延期のようだ。 なるようになれ。 稲は最後の水を得て全てが熟れる事だろう。 私はあえて崩すが完璧主義の父の血をやはり受け継いでいる。 個人的には完璧主義では創造する事は限界があると考える。 失敗の中に次の創造はある。 失敗のない仕事は面白くない。 在り来たりをこなしていても芸術の世界や創造の世界では全く通用しない。 うさばらし 憂さを晴らして頭の中のシナプスを一度引き離し、意のままに組み替えたい。

non title

深夜に雨の音で目が醒める。 大きな雨音。 ことしの稲刈りはどうなるやら。 うとうとしながら20分位でやがて起きた。 薬の成分がまだ半減期を迎えてないので多少ふらつくが、パソコンのある母屋まで来る。 考えようにも思考がまとまらない。 ラジオクロックの時計がぐるぐる回る。 やっぱりダメだわ。 もう一度寝よう。 どうやら雨は止んだようだ。

陸稲観察01

a, 籾殻を捨てていた。 中には立派な米粒も混ざっている。 暫くすると捨てた籾殻の中から陸稲の芽が多数出ている。 a, の観察から陸稲を密植に蒔き、上から籾殻を被せるとマルチになり雑草の発芽が遅れるか発芽しなくなる。 稲は発芽に光は必要ないから発芽する。 b, 収穫後耕起した畑を見ると零れ種の発芽が見られる。 かなりの密植状態だが、雑草も多数見られる。 b, から、雑草は耕起した後に生き残った雑草で、発芽した陸稲とは時間差がある。 経験では陸稲を播種して暫くは雑草は発生しない。 しかし今回期待する稲のアレロパシーが雑草抑制に効果がないなら、2018年と同じ結果になる。

陸稲の可能性

暫くは陸稲について研究したい。 初期テーマは無除草栽培 a, 除草をしなくても収穫できる栽培法 稲の根にはアレロパシー物質モミラクトンが分泌される。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/rootres/25/1/25_5/_article/-char/ja/ b, アレロパシーが稲にあるなら密植栽培をすれば無除草が可能ではないかと推測 今期2018は10cm平方に2粒程のばら撒きだが、結果は雑草優勢。 手での除草は不可能。 生き残った稲の根を調べると5cm平方の根っこしか出ていない。 多くはばら撒きした時に密度が高かった場所。 分蘖株はなく1本、多くて2本。 草丈も60cm程。 しかし米は実るということに着目。 50cm幅の筋蒔き播種では通常の草丈 分蘖共に良好。 だが、この慣行のやり方では水田の半分の収穫量しかない。 除草作業も相当労力が必要。

今日も雨ですか

量と時間 積算降水量は? 金曜日が稲刈りだというのにどうなるかな。

環境破壊の農業

そろそろ日本でも問題になるというテーマ。 世界的に農業のあり方、農地の拡大が問題になっている。 水 淡水のパーセンテージは地球上で0.5%と言われている。 砂漠や農耕地に適さない地での農地を開発するが、その水の量は相当なものだという。 大河が渇水する量。 農地拡大削減の意が問われている。 メタンガス 地球上で水田から発生するメタンガスは30%に登る。 温暖化の直接的な一員。 硝酸態窒素 過度の肥料がもたらす環境破壊と人体への影響。 バルト海において海の魚が死滅するほど恐ろしい硝酸態窒素。 人において農薬以上の致死量を硝酸態窒素の多い植物は持っている。 遺伝子操作 短絡的な行為。 その後の遺伝子環境破壊は未知数。 以上数限りない。

もみがら

一枚の畑を土壌改良する必要がある。 元は道路より低い畑だったが父が業者に盛り土をさせ道路より50cm以上高くした。 何を植えてもよく育たない畑になってしまった。 硬い土で根が伸びない。 鉱物が多く有機物が少ない。 昨年からエン麦を3作緑肥にしたがまだまだ硬い。 今年からもみがらを入れることにした。 毎年軽トラック5台分を数年。 もみがらは殆どガラス質の珪素からできている。 なかなか分解しないので土の鉱物の間に入り柔らかくなる。 隙間ができると根が伸びやすくなる。 いわゆる団粒構造を、もみがらは手っ取り早く作ってくれる。

50代

男にとっては人生で一番楽しい時期かもしれない。 プラトンは60代だという。 先が楽しみな年代に来た。 一般的にはおっさんがじじいいを迎える時期。 笑ってしまうが現代ではそうであるらしい。 ネットの小僧め。 私の頭の中の構想は有限だが無限に近く拡大している。 若い頃と違うのは、他人の力を必要としないこと。 一人でやる。 それだけの思いの違いだろう。 50を過ぎれば全てが関係ない。 少なくとも良きことをしたい。 良きこととは環境に他ならない。 あとは人間だから知らない。 まあ、なんだろうな。 ワードでは、 ざっくばらんとか、なるように成らせる?とか。 事実や現象や成り立ちを農や写真的視点から学び、惑わされることはないが、そう生きたい。

万次郎を食す

成熟した今年の万次郎かぼちゃを妻がチーズ焼きにして食卓へ出してくれた。 加熱して食卓に並んだ万次郎を食べると甘さが乗って美味いのだ。 万次郎はこんなに美味しかったのか? 熟れ具合を確かめるために収穫して3日ほどのもの。 その時はスライスして生で食べたが、こんなものだろうの印象。 糖度でいうならポアロという同じ圃場に植えている品種が甘い。 しかしシェフはいつも万次郎を選ぶ。 ポアロは果実がしっかりしていて硬い。カボチャスープ向きだ。 万次郎も甘いが、果実が柔らかく少し細胞間の隙間があるのか、味が染み込みやすい。 おそらくその理由でシェフは万次郎を選ぶのだろう。 今年の万次郎は甘いだけでなく、癖もなく、エグ味もない。 無農薬有機栽培で肥料を指定の半分以下でつくり、爆発的な実のなり方を抑え、一般的なかぼちゃのように育てた。 万次郎は熊本県では我々の責任だろうが一般的な評価は不味いとなっている。 なぜそうなるかは簡単な仕組みで、買取業者が重さで金額を決めているからだ。 そうすると農家は大きな果実を作る方へシフトする。 考えられないくらい大量の肥料を入れ、窒素過多のまるまるとしたかぼちゃを作る。 その方が収益が高いのはもちろんだが、そのような野菜は万次郎だけでなく何であろうと不味い。 肥料を適正にすれば万次郎は不味いかぼちゃではなく、美味しい作物になる。 そう確信した。 収量はとても少なくなるので単価を上げないと利益は出ない。 販売先を開拓する必要がありそうだ。

百姓色

自分のオーラがカメラマンから百姓になっている。 まあいいけど。 いいのかな? トラクターに乗ってる自分が一番似合うようになった。 あーも。 麦植えたらカメラマンに戻る。 撮りたい構想は山ほどある。 でも面白いんだよ百姓は。

生野菜は食べないのがいいのでは

最近サラダを食べない。 ドレッシグをかける必要があるのがどうも。 調べると色々出て来る。 サラダは食べなくていいかも。 漬物や温野菜を食べたい。 私の理由は味を好みに変えられるから。 特に漬物。 祖母の漬物がおいしかった。 父が今では高菜漬けと母が梅干しは作るが、それ以外は何もない。 さーて私が作ろう。 ぬか漬け、味噌漬け、浅漬け、柴漬け、朝鮮漬け。 とりあえず白菜を植えてみようか。

SNSよりブログが便利

過去の出来事を見て比較するときなど、ブログが圧倒的に早くて便利。 カテゴリーで分類できるしアーカイブですぐに過去に遡れる。 SNSはそのような目的で作られていないから不便極まり無い。 集客をSNSにしてブログメインが私の目的は達する。 このShinkawa Agriculture Noteは月間4000アクセス程だが殆どはFACEBOOKとG+からのアクセス。 アクセスにあまり興味はない。 自分が動き考えてきたことを記録したい。

結構楽しいかぼちゃの収穫

父と収穫しているときはキツいイメージだった。 昔の人は労働の感覚が強く、休みなしに黙々と続けるので、軟弱な私世代はついていけない。 それにやり方も理解に苦しむ収穫方法だった。 昨年は一人で3反を収穫した。 出来るものであって収穫方法も合理的にした。 作業効率は父のやり方と比べると何倍も高くなる。 工程を変え物理的移動距離を短くする。 熟れてから随時収穫する方法をやめ、ある程度全体が熟れるのを待ち、例えば北から南へ面で収穫していく。 なんども同じ圃場に足を踏まななくていい。 持ち帰って清掃する作業は実に過酷だった。 4000kgのかぼちゃを収穫した後にまたひとつひとつ清掃するのはゾッとする。 今は収穫してタオルで拭きコンテナに詰めたら後は清掃せず出荷。 全く問題なく、収穫したてのかぼちゃはちょっと拭くだけで綺麗なものだ。 収穫後清掃せずにまとめてトラックに乗せごっちゃにするから汚れが広がる。 畑に今は屋根のない(笑)かぼちゃの倉庫を建てた。 家まで持ち帰る必要がないのでこれでも時間短縮。 まだやれることは多くはあるだろうが3反位の圃場ならこれでいい。 自分で考えながらやるとなんでも楽しくなるものだ。

今日は晴れ?

私の予定は引き続き来週350kg出荷分のかぼちゃの収穫。 あと半分もあればいいので今日中に終わる。 10・11月と週1での出荷計画。 次男は電気工事士の資格取得の試験。 早朝から大津駅まで妻が送る。 内燃機関の車から最近はモーターの車に興味を持ちだした。 送り向かいで話していた時の興味深い話、次男が言うには最近は、エンジン車は皆んなが音がうるさいというと言ってた。 時代の変化はもう着々と進んでいるようだ。 心配なのは稲刈りくらいだろうか。 実りの秋

韓国語

30年前に韓国に1ヶ月滞在していた。 同校の韓国人留学生が誘うので日本人の仲間と行く。 ソウルを中心におおよそ全ての韓国の地方を回る。 私の印象では言葉のイントネーションがタイトで何かしら喧嘩でもしてるかの印象を憶えてる。 その後オリンピックがありもう一度ソウルに訪れる。 街は新しくなり、裏路地は綺麗になったがそう変わりはなかった。 最近の韓国の音楽を聴くと、とても優しいイントネーションで昔聞いた現地の感じとは違う。 今の言葉の印象は刹那的で柔らかく聴きごごちがいい。 韓国語が非常に美しいものだと感じる。 本来はそうなのかもしれない。 言葉の文法が同じであることを始め、日本と韓国の人種的な差はそう変わらないと思う。 文化と歴史が違っているのは事実だが。 私はとても韓国が好きだ。 しかし現実には韓国をさげずむ様な気風がないではない。 まあそういうものは無視しよう。 言及しても何も得られない。 近くて遠い国ではなく、地理的に近い国であり、遠いは現代人の無知だけだ。 稲作が韓国から日本へ伝来とか実は日本から韓国へとか騒がれている。 事実がわかったとして歴史は変わるだろうが、無知ならば何を得る事ができる。 魅惑的な能力に関しては日本以上でエンターティメント性も遥かに上手。 また行って今の韓国を見て見たい。 家族を連れて釜山に行こうか。

美人

あるコンビニにまだ高校生だが完璧な美人がいる。 しかも仕事ぶりから賢さが伺える。 以前ならスカウトしていたが、今はしていない。 この方を含めて10代の完璧な美人は2人知っている。 おそらく即女優でも申し分ないだろう。 どちらにしろどの様な人生を歩まれるのだろうか。 美人は多くの人を魅了し幸せにする力を持っている。 ぜひ開眼して人生を切り開いて欲しい。

台風のなかで

大風が畑を吹き抜ける。 カボチャの収穫にはちょうどいい。 午前中2時間で3a程を収穫してみた。 収量や品質も見ながらの収穫だが、それよりこの品種を今後植えるのかを考えていた。 経営は理想ばかり言っても成り立たず、このような契約栽培は安定した収入源であり、不安定な時は確保しといたほうがいい。これだけ大量のかぼちゃを全て買い、一括で払うのはそうはない。 基本的に無農薬で育ち、化学肥料の投入なしでも収量は少し減るが品質にも影響がないことを確認。鶏糞をつかったが効果が一時的な気がした。 無動物性肥料は高知あたりではやっているような情報は知っているが、実際のことはわからない。 籾と米ヌカボカシだけという。 もし来年作るならレンゲの緑肥と籾と米ヌカだけで作りたいと思う。 などなど 食事をしながらブログを書く。 さてさて昼からも収穫とする。

アーティスト

社会的影響力を考えた時に今の時代を左右させる力は古今東西、金や権力だが現代の多ジャンルのアーティストという人々のセンスによる力も無視できないものがあると改めて思っている。 過去の神話や宗教、寓話や童話。 現代のアートというジャンルは同じ様な影響力をもつ。 写真について考える。 写真は人への伝達速度が非常に早く、例えば雑誌の写真なら1秒、目を止まらせる事ができたらそれは極めて長く成功だと考えていた。 作品展では30秒見入ってくれたら非常に嬉しく、写真を飾ってくれる人がいたら何日飾ってくれるのかを見ていた。 先ほども言った様に伝達速度が速いが故に反復して見るという事は音と比べたら一般的には少ない。 写真は記憶する事が出来、音の様に再生装置はいらない。 訓練すれば10万カットは記憶できるという。 写真は心理的に余り重たくなく、よって忘れ去られるのも早い。 その様な特性がある。 以上のことはこれまで体験して考えて来たことだが、特性は特性としてそれでも古典の中から新しい表現を試していきたい。 ある意味私の写真は影響力を持っている。 尚かつ深度がある。

今日はよくわからない

たまに田んぼに出かけ、水を抜いては家に帰り、音楽を聴いて、酒をのみ。 その繰り返し。 近所の人からなんで自分で刈らないかと聞かれたが、シュミレーション済みで、採算が合わないからと答えた。 500万の機械を買って30年持つはずもない。 中古はよく壊れる。 メンテが必要で全く採算意合わないことはこの地区の人は知っている。 老いた新規就農者だった。 余り深くは話もせずに去った。 なんとなく上から目線だったので無視した。 私は農家と話しても楽しくない。 自慢話ばかりで理論を聞いても知らんで終わる。 何人かの優秀な農家としか話さない。 彼らは私が考えたことくらい経験済みだ。 さあ。 そんなことはどうでもいいのだ。 写真的な達成感がない。 でも農にはリアルな現実感がある。 私は強欲な人間だから両方欲しい。 稲刈りが終わり、かぼちゃを収穫して、麦を植えたら暫く農から離れよう。 徹底的に離れようと思う。 何故なら自分を見失えば全ての方向性が狂うから。 私がブログを書く理由はそれだけの為にある。

時間

シオカラトンボの交尾を見る。 メスが下でオスが上。 しかし向かう方向が逆さまだ。 それで飛行する。 まさにアクロバティック。 しばらくすると辞め。 産卵をする。 オスは円形にメスを周り、次の機会を伺う。 いつの間にか、違うオスのテリトリーへ。 オス同士が戦う。 時間が長い。 まるで人間の歴史のようだ。

希望

無農薬という農のパイオニアたちが頑張っている。 いつかは皆が後を追い、皆が無農薬になればいい。 化学だけでなく生物農薬、遺伝子操作も。 有り得ない。 どうするか。 どうするか、 答えはないが、自分がしない。 まずはそこから。 それしかないんだろうなぁ、 楽しいんだけどね。 54か。 長いな 私の周辺くらい5年で片付けてやる

除草剤は諸悪の根源

外来種などの特定の植物を殺すなどの目的がなければ気軽に使うものではない。 もっと言うなら絶対使ってはならないと言ってもいい。 自然のサイクルの1つでも断てばバランスが狂い、除草剤で例えば田んぼなら稲だけが生きて、他の生物は生きれないか、繁殖が難しい環境になる。 安い除草剤があちこちで売っている。 私の畑の圃場の隣でそれを撒いた人がいる。 何も生えなくなって根まで枯らすと自慢していた。 それを聞いた村人はそれが 良え とか言って、買うと言う。 そうやって広がっていく。 これだけ量販店で売っていたら地球上でどれだけの薬品が撒かれていることだろうか。 撒くなと言っても人は撒く。 私から言えることは 少し立ち止まって足元を見て欲しい。 雑草と言われる草の花は本当に美しい。 私は来年もこの花を見たいと思う。 こんな話は嘲笑されるか無視だろうくらい知ってるが、こういうことに女性が気づけば男は女に弱い。 嫌いと言われれば男はなんとかするだろう(笑)

念願の

タイコウチを確認 これで田んぼにいた全ての水生生物を私の田んぼで見ることができた。 種があれば後は繁殖。 私が生きてる限りここに化学薬品化学肥料は入れないのできっと繁殖してくれるだろう。

ひまでおんがくかんしょう

T-ARAにまたハマる 音よりヒョミン 娯楽というか楽しみは酒を飲む以外ないという、なんともな生活。 暇がない。 大体遊び人なのでこれくらいでいいのかな。 人と話す。 好きだが苦手だ。 本当に苦手な人の時はアスペルガーと言ってさっさと抜け出す。 美人が好き。 見ているだけで楽しくなる。 美人しか付き合ったことないけど今はさらさら縁がない。 仕事が大好き。 あくせく働くことはいい。 汗流して働くのはいい。 頭を使って情報駆使して観察して。 作るのが好き。 これに尽きる。 ではでは。

地震でまだ修復していない仏間をやっと終える。 土壁の土を少し頂いた。 匂えば線香の匂い。 藁が混じっている。 ご先祖様の作った稲だろう。 土塊を水に浸し一時間くらい待つとやっと柔らかくなってきた。 この家は180年経つという。 いつの時代のものか判らないが、江戸時代のご先祖様の土と稲かもしれない。 粘土と思ったが、砂利や石が多い。 田んぼの土ではないかと推測。 田んぼに行き、土を確かめた。 構成が似てる。 でも色が違う。 田んぼの土はそれより黒い、この土は赤い。 もちろん土壁には赤土を使うことは知ってるが、昔は近くにある土を使ったという手記を読んだ覚えがある。 近くとは田んぼだ。 これから先は目測と推測だが。 もしかしたら、田んぼの土の色が変わったのではないかと浮かんだ。 長年の除草剤や農薬と化学肥料で何かしら土の変化があったのではないか。 肥毒 それもあろうが、もう少し検証したい。 冬期湛水の田んぼを見る。 少し赤い。 穴の前の田んぼを見る。 もっと赤い。 穴の前の田んぼが無農薬3年目で長い。 昔は田んぼの土はもっと赤かった。 その様な思いが浮かぶ。 サンプルとして今の田んぼの土を丸め保存する。

スクミリンゴガイの除草能力

全く大したもので、除草剤以上の働きをしてくれる。 田んぼの際までツルッとした土が見える。 居ついたものを外来種だからと劇薬を使って駆除するより、この貝を私は飼いならす。 1反の除草でも大変な苦労がある。 私が1人で6反を平気で出来るのはこの貝のおかげだ。 莫大な量の除草剤がスクミリンゴガイのいる平地で撒く必要がないなら、この貝は環境を大きく改善してくれる必要な生物と考えてもいい。

どうとらえる

雨だ 明日の稲刈りが延びる どうととらえるか。 刈り遅れは米がまずくなる。 それは本当か? 基準は? 植物的にはどうか? 今年は今年 全ては翌年へのデータになる。 私はそう考える。 自然を相手にしてるのだから今は待つしかない。 この状況で考えられる来年への対応は、多品種と植え付け時期を分散させることであろうか。 この辺りも経験と実績を積まないと将来の大規模な圃場での栽培で一番大切な判断基準になるだろう。 写真と変わらない。 一期一会 大事なことは一期一会ではなく。 その時に私がどう捉えることが出来たかだ。 気分を変えよう(笑)

立ち姿

見返り美人を思い出すが、稲の立ち姿も品種によって違う。 私はヒノヒカリの立ち姿がいつも美しいなと思っている。 止葉が長くて背の高いにこまるは、稲穂が熟れてもまだ青い茎葉が残る。 ヒノヒカリは止葉が低く、稲穂が揃って見え、全体が同じ色でうす緑から黄色く枯れていく。 いかにも頼りないコシヒカリのような茎ではなく、太くはないがそれでも背筋を伸ばす。 遠目に見ても美しく、金糸雀色の平坦な景色が日本的。 それが当たり前の様に思っていたが、にこまるの力強い圃場と比べると再認識してしまう。 父の田んぼはこうであった。

常識の真逆にある真実

陸稲糯の密植栽培を思いつき、アイディアの裏付けを調べていた。 農研機構の北海道農業研究成果情報を読む。 http://www.naro.affrc.go.jp/org/harc/seika/h20/09.06/003/main.htm 水稲の成苗・密植栽培により、N1kg/10aの減肥条件でも、減収を伴わず産米の低タンパク・高整粒率化が可能である。株間密植が実用可能で、歯車の交換で株間を10cmにして実施する。 面白い。 写真において常識の真逆に実にユニークな被写体があることを私は知っている。 私の初期の農に対する見解はどんな方法でも作物は出来ることは出来るであったが、今後は意味を見出し、方向性を作り、目的を設定し、作付けし、結果を出し、問題点を見つけ、情報を集め、改良する、という作業が必要になる。 密植栽培だから風通りが悪く病気になり易いというのも案外そうでもない。 稲は必要なスペースがあったら必要な分だけ分蘖する。 密植では多くは分蘖しない。 本当に風通しを良くするなら、今年私が実施した、8m間隔で1mの何も植えないスペースを作る方が一番いい。 この方法は台風倒伏のドミノ倒し防止にも有効であった。 私の今の考えは、本来稲は密植状態の群落で育ち、多年草である植物という大きなイメージを描いている。

頭の中で音楽が連続再生

時折よくある。 今回は10日と長すぎる。 t-araの ヒョミンのシングルを聞いて再生が止まる。 相変わらずの美貌とスタイル。 音は? 安室奈美恵とdoubleが吹っ飛んだ。 今日は稲刈り最適な熟れ具合。 出来なかったので5日が稲刈りになってるが 雨の様。

なんかつかれたな

今日は稲刈りの日だっが、まだ土の水分が多いので出来ない。 どっと疲れが出た感じ。

イタリア系レストラン専用圃場

この秋から田中ん上という3反の畑を専用圃場にする。 基本の作付けはファッロ、サンマルツァーノ、バジル その他の作付けは注文によって作る。 麦とトマトとバジルはイタリア料理では必須のもの。 今2件のレストランと取引させていただいてるが、味の評価がプロの料理人からダイレクトに伝えられ、美味しい料理に変身するのが私としては非常に楽しい。 この圃場はイタリア系としたが、まだまだ活かしきれていない畑は沢山あるので、違う要望があれば同じ様な仕組みで対応する予定。 例えば焼き和菓子用の陸稲糯もそうだ。 私の未熟さで今年は収穫が少なかったが来年はできる様にしたい。

溝を掘ると

田んぼの水溜り 溝を掘る まだいたか。 めだかがこっちに向かってくる。

溝切り

memo 田んぼに溝を切る。 おそらく5日の稲刈りは雨で出来ないだろう。 それでも準備のために今日は溝切り作業。 どうしても溜まるところがある。 昔の農具の鋤で行う。 次の台風が過ぎ去るのがおそらく8日。 風よりも雨が降る。 それから5日後がリミット。 10月12日で出穂期から54日で11日遅れ。 昨年が10日遅れで問題はなかった。

携帯電話以降

携帯電話のマイクロ波障害はどうなったのか。 wifiのマイクロ波は? ハイブリッドのマイクロ波は? やはりファンタジーかな。 童話を描くしかない様な気になる。 人は批判したら聞かないか反発するが、何かに置き換えるなら聞こうとする。

今後の品種

今後出てくる新品種は遺伝子組換えとか遺伝子導入とか、 その様なものが多いみたいですねー 詳しくは少し調べればネットにあります。 もうこのことについては 呆れる ので述べません。 理系の君は理を知らない。

次の台風

台風第25号 (コンレイ)の進路が怪しい。 米軍や西欧など他国の予測より、やはり日本の気象庁の方がレベルが違う正確さを持つ。 今週末後半の動きに気をつけよう。