重要2、「多層的引用の体系」から「非引用的記録」への移行
これぼく様の「新見識」。。のひとつ
title「多層的引用の体系」から「非引用的記録」への移行
第6章:アルテミジア・ジェンティレスキ《ホロフェルネスの首を斬るユディト》、第14章:シャルル・マルヴィル《解体する庁舎》
本稿では、アルテミジア・ジェンティレスキ《ホロフェルネスの首を斬るユディト》と、シャルル・マルヴィル《解体する庁舎》を比較し、17世紀初頭から19世紀にかけての美術における表象の変化、すなわち造形的深度から光の表層性への移行について考察する。
アルテミジアの《ホロフェルネスの首を斬るユディト》は、カラヴァッジョの影響を強く受けた作品として知られている。画面は強い明暗対比によって構成され、人物の身体は闇の中から量感をもって浮かび上がる。ここで光は単なる照明効果ではなく、行為の決定的瞬間と精神的緊張を可視化する役割を担っている。首を斬るという暴力的行為は、劇的な光によって彫塑され、観る者に強い心理的圧力を与える。宗教的主題を扱いながらも、神的奇跡より人間の身体と行為そのものが前景化されている点に、バロック美術における表象の深度、そして絵画史における多層的引用の体系が見て取れる。
一方、マルヴィルの《解体する庁舎》は、オスマンによるパリ改造の過程で失われゆく建築を記録した写真である。そこでは劇的な演出や物語性は排され、建築は均質な光のもとで淡々と写し取られている。光は対象に意味や感情を付与するものではなく、表面を等価に可視化するための条件として機能している。この作品において重要なのは、建築が象徴として描かれていることではなく、光の作用によって「そこにあったもの」が表層として記録されている点である。
写真の発明は、絵画が担ってきた「現実を再現する」という役割を外部化した。マルヴィルの写真に見られるように、対象は人間の解釈や物語を介さず、光によって自動的に像を結ぶ。絵画が先行作品や様式を引用・参照しながら発展してきたのは、師から弟子へ、作品から作品へという有機的な継承のプロセスであった。カラヴァッジョからアルテミジアへと受け継がれた光の技法は、まさにこうした継承の一例である。これに対し、写真は光学的・化学的プロセスによって目の前の現実を直接定着させる無機的な記録である。この意味で、写真初期は本質的に非引用的な記録として成立していたのである。
このように、アルテミジアの作品に見られる意味と物語を内包した深い明暗表現と、マルヴィルの写真における表層としての光の提示を比較すると、近代における美術の大きな転換が浮かび上がる。バロックにおいて光は表象の深度を生み出す装置であったが、19世紀の写真においては、光そのものが表象の主体となる。ここに、荘厳な表現から近代的視覚への移行を見ることができる。
Author: Yoshiro Shinkawa
Written on January 19, 2026
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