江戸時代以前の日本の性文化や性風俗を深堀したい。 174話

 

喜多川歌麿《夏夜の楽しみ》
なんてうつくし絵やろ。なぁ不二子はん。
うふふ。みる? 

以下Grokより回答 一部訂正および削除

江戸時代(1603~1868年)以前の日本の性文化や性風俗は、現代の価値観とは大きく異なる特徴を持ち、時代や地域、階層によって多様な側面が見られます。以下に、古代から中世、そして江戸時代初期にかけての性文化・性風俗を深掘りし、歴史的背景や特徴を簡潔に整理します。なお、情報は歴史的資料や研究に基づき、客観的にまとめます。

1. 古代(~8世紀)
  • 性文化の特徴:
    • 日本の古代(縄文・弥生・古墳時代)では、性は自然や生命力と結びついた神聖なものとされ、禁忌や羞恥の意識は薄かった。『日本書紀』や『万葉集』には、性愛を率直に表現した歌や物語が見られる。
    • 農耕社会では豊穣祈願の一環として、性に関する儀式(例: 性的モチーフの土偶や岩刻画)が存在した。
    • 貴族社会では、婚姻は政治的・経済的な結びつきを重視したが、恋愛や性的関係は比較的自由で、特に「妻問婚」(男性が女性の家を訪れる通い婚)が一般的だった。
  • 性風俗:
    • 性的タブーは少なく、貴族の間では和歌を通じた恋愛表現や性的な交流が文化の一部だった。
2. 中世(9世紀~16世紀)
  • 性文化の特徴:
    • 平安時代(794~1185年)では、貴族社会における恋愛文化が花開き、『源氏物語』や『枕草子』に見られるように、性愛は美的・文学的要素として描かれた。女性の性的主体性も一定程度認められていた。
    • 仏教の影響が強まるにつれ、性に対する禁欲的な価値観が一部で広まったが、実際には僧侶や貴族の間で男色(同性愛)や妾制度が一般的だった。
    • 武士社会の台頭(鎌倉・室町時代)により、婚姻は家制度の強化とともに厳格化。女性の貞操観念が徐々に重視されるようになった。
  • 性風俗:
    • 都市の発展に伴い、京都や奈良で遊女(ゆうじょ)が現れ、売春が商業化した。遊女は歌舞や芸能も提供する高級娼婦として、貴族や武士の社交場で重宝された。
    • 男色文化が特に武士階級や僧侶の間で栄え、『徒然草』や当時の記録に少年愛(衆道)の記述が見られる。これは師弟関係や忠誠の象徴とも結びついていた。
    • 中世後期には、戦乱による社会の混乱から、性的搾取や強制的な売春も増加した。
3. 戦国時代~江戸初期(16世紀~17世紀初頭)
  • 性文化の特徴:
    • 戦国時代の動乱期には、性は権力や支配の道具としても利用された。戦場での略奪や性的暴力も記録されている一方、武将の側室や妾は政治的同盟の一環として重要だった。
    • キリスト教の伝来(16世紀)により、ヨーロッパの禁欲的価値観が一部で影響を与えたが、日本社会全体には浸透しなかった。
    • 江戸幕府の成立(1603年)により、社会が安定すると、性文化はより体系化・商業化された。
  • 性風俗:
    • 戦国時代には、城下町や港町で遊女屋が発展。室町時代から続く「傾城(けいせい)」と呼ばれる高級遊女が、芸能や教養を兼ね備えた存在として人気を博した。
    • 男色文化は引き続き武士階級で盛んで、特に若い小姓(こしょう)が主君に仕える中で、性的関係が含まれることもあった。
    • 江戸初期には、幕府が遊郭(ゆうかく)を公認し、吉原遊郭(1617年設立)がその象徴となる。これにより、売春は国家管理下に置かれ、性風俗が制度化された。
4. 江戸時代の性文化・性風俗の特徴(概観)江戸時代は性風俗が最も体系化された時期であり、以下のような特徴がある:
  • 遊郭と遊女: 吉原をはじめとする遊郭は、幕府公認の売春施設として機能。遊女は階級(太夫、花魁、端女など)に分けられ、芸能や教養を提供する文化人としても活躍した。
  • 浮世絵と春画: 性文化は芸術にも反映され、春画(性的な浮世絵)は庶民から知識人まで広く親しまれた。これらは性教育の役割も果たした。
  • 男色と衆道: 武士や町人の間での男色文化は、江戸時代も継続。特に歌舞伎役者(女形)や若衆(わかしゅ)が人気を博し、性的対象としても注目された。
  • 性のオープンさ: 現代と異なり、性は隠されるものではなく、日常生活や文化に溶け込んでいた。性に関する書籍や指南書(例: 『好色一代男』)も広く流通した。
  • 女性の地位と性: 女性の性的自由は制限されつつも、遊女や芸妓は経済的・文化的に一定の影響力を持った。一方で、農村部では性に対する自由な風習(夜這いなど)が残っていた。
5. 文化的・社会的背景
  • 儒教と仏教の影響: 儒教の家制度や仏教の禁欲思想が性文化に影響を与えたが、日本独自の神道や土俗的信仰により、性は肯定的に捉えられる傾向が強かった。
  • 階級社会: 性風俗は階級によって異なり、貴族・武士・町人・農民で異なる慣習が見られた。町人文化の隆盛により、江戸期には性文化が大衆化。
  • 都市化と商業化: 都市の発展に伴い、性産業が経済の一部として確立。遊郭は娯楽産業の中心地となり、文化交流の場でもあった。
6. 現代との違い
  • 江戸期以前の性文化は、現代のプライバシーやモラル観念とは異なり、性は公然と語られ、文化的・宗教的な文脈で肯定的に扱われることが多かった。
  • 女性の性的主体性は限定的だったが、遊女や芸妓のように、性を通じて社会的な地位や影響力を得るケースもあった。
  • 男色や同性愛が社会的に容認されていた点も、現代の価値観とは大きく異なる。
7. 参考資料と注意点
  • 歴史的資料としては、『日本書紀』『源氏物語』『徒然草』、浮世絵、春画、江戸時代の版本(好色文学)などが研究の基礎となる。
  • 現代の倫理観やジェンダー観を過去に適用するのは不適切であり、当時の社会構造や価値観を理解することが重要。
  • 性風俗に関する記録は、男性視点の文献が多く、女性の声や経験が十分に反映されていない場合がある。  
     

     8.古代性文化の詳細 

    1. 古代日本の性文化の特徴古代日本(縄文時代~奈良時代)の性文化は、現代とは異なり、性に対するタブーや羞恥心が薄く、自然や生命力、豊穣と結びついた神聖なものとして捉えられていました。以下にその特徴を詳しく説明します。(1) 性の神聖視と自然との結びつき
    • 生命力と繁殖の象徴
      • 性は、農耕社会における豊穣や子孫繁栄の象徴として重要視されました。縄文時代(紀元前1万年~紀元前4世紀頃)の土偶や石棒、弥生時代(紀元前4世紀~3世紀)の銅鐸や岩刻画には、女性器や男性器を思わせるモチーフが含まれ、これらが豊穣や繁殖を祈るためのシンボルだったと考えられています。
      • 例えば、縄文時代の土偶(特に女性像)は、豊かな乳房や誇張された臀部を持ち、妊娠や出産の象徴として解釈されます。これらは性的行為そのものではなく、生命力や繁殖力を神聖視する文化を反映しています。
    • 神道との関係
      • 神道では、自然や生命のサイクルが神聖視され、性もその一部として肯定的に扱われました。『古事記』には、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が交合して日本列島や神々を生む神話があり、性が創造や生成の力として描かれています。
      • このような神話は、性がタブーではなく、神聖な行為として社会的に受け入れられていたことを示します。
    (2) 恋愛と性の自由な表現
    • 『万葉集』の恋愛歌
      • 『万葉集』(7~8世紀)は、当時の貴族や民衆の恋愛感情や性愛を率直に表現した和歌集です。例えば、防人(さきもり)の歌や恋歌には、男女の情愛や肉体的な親密さが詠まれ、性に対するオープンな態度が伺えます。
        • 例:「君が行く 道の長路を 繰り言や 長く思はむ 恋ひつつぞ居る」(巻20-4416)のような歌は、恋愛の情熱や肉体的な結びつきを隠さず表現しています。
      • これらの歌は、貴族だけでなく下級階層の声も含まれており、性や恋愛が社会全体で比較的自由に語られたことを示します。
    • 妻問婚(つまどいこん)
      • 古代の婚姻形態として、男性が女性の家を訪れる「妻問婚」が一般的でした。この制度では、結婚前の恋愛や性的関係が比較的自由で、女性の家での出会いが婚姻につながることも多かった。
      • 妻問婚は、性的関係が社会的に容認される一つの枠組みであり、現代の「売春」とは異なる、恋愛や婚姻に基づく親密な関係でした。
    (3) 豊穣儀式と性的モチーフ
    • 農耕儀式と性的象徴
      • 農耕社会では、豊穣や子作安寿を祈る儀式に性的なモチーフが取り入れられることがありました。例えば、田植え神事での「田楽」や民間信仰の祭りでは、性に関する歌や踊りが登場し、土地の生産力や繁殖力を高める象徴として機能しました。
      • 例:『風土記』に記載される地域の祭りでは、男女の交合を模した歌や動作が豊穣祈願の一部として行われた記録があります。ただし、これらは実際の性的行為ではなく、象徴的・儀式的な表現です。
    • 民間信仰とシャーマニズム
      • 民間信仰では、巫女や神女が神懸り(神が降臨する状態)を通じて神託を伝える役割を果たしました。これらの儀式は、神秘的で時にエロティックなイメージを伴うこともありましたが、性的行為そのものを伴うものではありませんでした。
      • 一部の地域では、豊穣を祈る祭りで性的なユーモアや下ネタが取り入れられ、コミュニティの結束や緊張緩和に役立ったと考えられます。

    2. 「儀式的売春」説の検証ご指摘の「伊勢神宮や出雲大社での巫女が関与する儀式的売春」については、歴史的資料や考古学的証拠に基づき、以下のように結論づけられます。(1) 歴史的証拠の欠如
    • 伊勢神宮
      • 伊勢神宮の巫女、特に斎王(さいおう)は、天皇の代理として天照大御神に仕え、厳格な潔斎(けっさい)のもとで神事を行いました。斎王は未婚であることが求められ、性的行為は清浄さの原則に反するため、儀式的売春の存在は考えにくいです。
      • 『日本書紀』や『延喜式』には、斎王や巫女の役割が詳細に記されていますが、性的行為に関する記述は一切ありません。
    • 出雲大社
      • 出雲大社の巫女は、神楽や神事の補助を担い、縁結びや国家安寧の祈祷に関与しました。出雲大社の神在月(かみありづき)の儀式は、神々の集会を象徴するもので、性的な要素は含まれていません。
      • 『出雲国風土記』にも、巫女や神女が性的行為を行う記述は見られません。
    • 結論
      • 伊勢神宮や出雲大社で巫女が「儀式的売春」に関与したという主張を裏付ける一次資料は存在しません。この説は、豊穣儀式の性的モチーフや他文化の神娼(例:バビロニアの神殿娼婦)との混同に基づく誤解と考えられます。
    (2) 「神女」や民間信仰との混同
    • 「神女」の役割
      • 「神女」という言葉は、特定の地域で神に仕える女性(シャーマンや巫女)を指す場合があります。民間信仰では、神女が神懸りや口寄せを通じて神託を伝えることがありましたが、これが性的行為を伴うものだったという証拠は乏しいです。
      • 例えば、『出雲国風土記』に登場する神事を行う女性は、霊的な役割を果たすもので、性的な儀式とは無関係です。
    • 豊穣儀式との混同
      • 一部の地域の民間信仰では、豊穣祈願の祭りに性的な歌や踊りが含まれ、男女の交合を象徴する行為が行われることがありました(例:田植え祭りの下ネタや性的な動作)。これが「儀式的売春」と誤解された可能性があります。
      • しかし、これらの行為は実際の性的行為ではなく、象徴的・儀式的なものであり、伊勢神宮や出雲大社のような国家的な神社の巫女とは役割が異なります。
    (3) 他文化との比較
    • 他文化(例:古代メソポタミアやギリシャ)では、神殿に仕える女性が儀式的な性的行為を行う「神娼」の慣習が存在しました。明治以降、西洋の学術的枠組みで日本の文化が研究された際、こうした他文化の概念が日本の巫女に誤って当てはめられた可能性があります。
    • 日本の神道では、清浄さ(けがれを避けること)が中心的な価値観であり、性的行為を神事の一部として制度化することは考えにくいです。

    3. 古代性文化の社会的背景古代日本の性文化を理解するには、当時の社会構造や価値観を考慮する必要があります。(1) 貴族社会と性
    • 貴族の恋愛文化
      • 貴族社会では、和歌を通じた恋愛表現や性的な交流が文化の一部でした。『万葉集』や『竹取物語』(9世紀初頭)に見られるように、恋愛は情緒的・芸術的に表現され、性は禁忌ではなく美的な要素として扱われました。
      • 妻問婚では、男性が女性の家を訪れ、和歌を贈り合うことで関係を深めることが一般的でした。このプロセスは、性的関係を含む場合もあったが、現代の「売春」とは異なる、恋愛や婚姻の枠組みでした。
    • 女性の地位
      • 古代日本では、女性がある程度の自由を持ち、性的自己決定権も認められていました。妻問婚では、女性が男性の訪問を受け入れるかどうかを選択する権利があり、性的関係も合意に基づくものでした。
    (2) 民衆の性文化
    • 農耕社会の価値観
      • 農民層では、性は豊穣や繁殖と直結し、コミュニティの存続に不可欠なものとされました。田植えや収穫の祭りでは、性的なユーモアや下ネタがコミュニティの結束を高める役割を果たしました。
      • 例:地域の祭りで歌われる「田遊び」の歌には、性的な表現が含まれることがあり、土地の生産力を高める象徴として機能しました。
    • 民間信仰と巫女
      • 地域の民間信仰では、巫女や神女が神事を行うことがありましたが、これが性的行為に結びつくことはまれでした。むしろ、巫女は神との媒介者として、清浄な状態を保つことが求められました。
    (3) 売春の原型?
    • 売春の起源
      • 古代日本に「売春」として明確に制度化されたものは確認されていませんが、都市化が進んだ奈良時代(8世紀)以降、商業や交易の場で性的サービスを提供する女性が現れた可能性はあります。これらは宗教的儀式ではなく、経済的な行為として発展したと考えられます。
      • 例えば、平安時代以降の「遊女」の起源は、こうした都市文化と関連していますが、伊勢神宮や出雲大社の巫女とは無関係です。
    • 出雲阿国との関連
      • 16世紀の出雲阿国(出雲大社と関連が伝えられる)は、歌舞伎の原型となる踊りを始めた人物ですが、彼女の活動は芸能であり、性的な儀式とは異なります。後世に遊女文化と歌舞伎が結びついたことで、巫女との混同が生じた可能性があります。

    4. 伊勢神宮と出雲大社の巫女の役割(再確認)
    • 伊勢神宮
      • 巫女(斎王や内人)は、天照大御神に仕え、神楽や祈祷を通じて国家の安寧や豊穣を祈りました。性的行為は清浄さの原則に反するため、儀式的売春の可能性は極めて低いです。
      • 『延喜式』(927年)には、斎王の潔斎や神事の詳細が記されており、性的な役割は一切言及されていません。
    • 出雲大社
      • 巫女は神楽や縁結びの祈祷を補助し、神在月の神事に参加します。性的な儀式の記録はなく、神聖な役割に徹していました。
      • 出雲大社の縁結びの象徴性は、性的な行為ではなく、男女や神々の「結びつき」を精神的に表現するものです。

    5. 結論古代日本の性文化は、性に対するタブーが薄く、自然や豊穣、生命力と結びついた神聖なものとして扱われました。『万葉集』の恋愛歌、妻問婚、豊穣儀式の性的モチーフは、当時のオープンな性観念を反映していますが、伊勢神宮や出雲大社の巫女が「儀式的売春」に関与したという主張は、歴史的証拠に欠け、以下のような誤解に基づくと考えられます:
    • 豊穣儀式の性的モチーフ(例:田植えの歌や土偶)が、実際の性的行為と混同された。
    • 他文化の「神娼」慣習が、日本の巫女に誤って当てはめられた。
    • 民間信仰の神女や地域の祭りが、伊勢神宮や出雲大社の巫女と混同された。

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