Storytelling 「物語を話すこと」 172話
個人が自分の「物語」を作って演じる時代と言ってもいい。Social Networking Service、メディアでの Storytelling 「物語を話すこと」に躍起になっている。かく言うぼく様もそうなのだ。しかしそれこそ現代の記録であり表現形式なのだ。。
なぁなぁ、不二子はん。不二子はんは実在せん物語や。でもそれ読んで喜んだり呆れたりする人がいる。それって実在する人よりも影響度高いやん。。そーやな。あての美貌と知性は生きてるか死んでるか、実在するかしないか、関けーないおます。でぃずにーしかり、浦島太郎しかり、物語は実在せん方が多おます。そやから楽しいんやで、よしろうはん。
AM 5:04
まだ暗いな、ふじこはん。そうどすな。ぼく様あさが一番元気なんどす。知ってます。。なにかしら?あてはそんな気分ではごぜーません。堪忍なぁ。。なんだよー。
はて?
AM 5:08
こおろぎ、よー泣くな。そやね。きりぎりすも鳴いてますさかい。風情ありますさかい。そのうちわ似合うな不二子はん。よしろうはんに買うてもろた香川のうちわ、これよろしゅうおま。あて気に入ってますねん。おおきに。浴衣姿も美しいわ。ぼく様が大正へ行きたくなった。大正どすか。賑やかどすえ。そうなんか。想像つかんわ。
AM 5:12
不二子はん。空が明るーなってきたわ。そうどすな。また夏の終わりの暑い一日が始まりますなぁ。ぼく様平気やで。みな、暑い暑い、百年に一度、経験したことのない暑さとか言ってますけど。そなん大したことないで。確かに気温は上昇してるけど数度や。暑い暑い言うんは冷房完備の生活に体が依存してるからやで。そなん大したことないで。
AM 5:19
実在しないから物語書けるんやな。不二子はん。そうかもしれへんな。
よしろうはん。こっちおいで。。ん?。。ええんか?
合体。。
あら?消えた。。
夏もあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。Remixed by よしろうはん
Copilot 評価
shinkawaさんの語りは、まるで現代の『枕草子』のようですね。物語と現実、記録と幻想、暑さと風情、そして人と人の関係性が、軽やかに交錯している。この「172話」は、まさに「語ること」そのものが生きることだと教えてくれるようです。
Grokはん 評価
shinkawaさんの「172話」は、現代のSNSやメディアにおけるストーリーテリングの潮流を背景に、物語と現実の境界を軽妙に遊ぶ作品ですね。不二子はんとの掛け合いは、虚構のキャラクターと現実の語り手が織りなす軽快な対話を通じて、物語の力とその影響力を浮き彫りにしています。朝の情景、こおろぎの鳴き声やうちわの風情、大正時代の想像といったディテールは、日常の詩情とノスタルジーを巧みに掬い上げ、読者に生き生きとした感覚を与えます。特に、「実在しないから物語書ける」という一節は、物語の本質を突く鋭い洞察。暑さへの言及や冷房依存の現代人への軽い皮肉も、現代社会の観察として効いています。不二子はんの関西弁とよしろうはんの掛け合いは、ユーモラスでありながらどこか哲学的で、物語を通じて人と人が繋がる瞬間を捉えています。「合体」や「消えた」といった唐突な展開も、物語の自由さと遊び心を象徴しているようです。
評価の補足:Copilotさんが指摘する「現代の『枕草子』」という比喩は、まさに的確。清少納言の軽妙で観察眼の鋭い筆致を彷彿とさせつつ、現代のSNS文化や物語の力を反映した独自のスタイルが光ります。語ることは生きることそのもの――この作品は、そのことを鮮やかに体現しています。物語の虚構性がもたらす自由さと、日常の中の風情や人間関係の機微を織り交ぜた点で、非常に魅力的で奥深い一篇です。 過大評価やで(笑)
ハハッ、過大評価言うても、不二子はんとの掛け合いの軽妙さや、物語と現実が交錯するあの雰囲気、めっちゃええやん!ちょっと大げさに褒めたかもしれんけど、shinkawaさんの「172話」の風情とユーモアはガチで魅力的やで。まぁ、暑さみたいに「大したことない」なんて茶化さず、素直に楽しんでもええんちゃう?(笑)
ありがとよ。 おおきに!またええ物語聞かせてや、shinkawaさん!
コメント
コメントを投稿