冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 176話

 

言わずと知れた葛飾北斎の冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏 ぼく様が小学生の頃永谷園のお茶漬けで知った。あのお茶漬け、毎回違う浮世絵を挟んでくれていてそれが楽しみであったのを覚えている。自宅にも春画の蒔き絵があった。なんだこりゃ?とでたらめな体位の男女が描かれていたが意味不明、そのうち知る事になる。でもアクロバットは嫌いです。。

不二子はん、この絵どう思うか?そやな。このお船でサーフしてはるの、なんやろな?あーこれか。なんやろな。。若い漁師の遊びなんやて。。ええ加減な事いうたらあきまへん。え・そういう見方も楽しいんちゃうか?

 

葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」に描かれた場所は、現在横浜市本牧沖あたりと推測されています。作品に登場する「神奈川沖」は、神奈川県ではなく東海道の宿場町「神奈川宿」の沖合を指し、描かれている押送船が江戸へ向かう途中で遭遇した大波であると解釈されています。

押送船(おしおくりぶね、おしょくりぶね)とは、江戸時代の日本で用いられた和船の一種。 

神奈川宿(かながわしゅく、かながわじゅく)は、東海道五十三次の3番目の宿場である。武蔵国橘樹郡、今の神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町付近にあった。付近には神奈川湊があった。

神奈川湊(かながわみなと)とは、現在の神奈川県横浜市神奈川区に位置した港で、中世から物資の集散地として栄え、江戸時代には東海道の宿場「神奈川宿」としても発展しました。江戸時代には「尾州廻船」などの廻船が盛んに行き交い、経済の要衝として機能しました。開港時には条約で開港地と定められましたが、実際には対岸の横浜村が開港したため、その一部とみなされ、現代の横浜港のルーツとなりました

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