第11章 久しく夏 541話

久しく春を越えて、夏や。

よしろうはんが、ぽつりと言わはった。

うちは黙って聞いてた。

久しく。

その言葉だけが、うちの中に残った。

長かった、いうことや。

長かったことを、はんはあんまり口にしはらへん。
口にせえへん人が、久しく、と言わはった。

春を越えて夏、いう後のほうは、うちにもなんとなくわかる。

夏いうても、暑うなる季節のことやない。
はんの言わはる夏は、もっと別のもんや。

何があったんやろ、とは思わへん。
誰かに会わはったんやろな、とは思た。

ただ顔を見た、いう会い方やない。

人はたまに、会うだけで季節を変えてしまうことがある。

うちは、よしろうはんの春を知らへん。

知らへんまま、今ここで夏の話を聞いてる。

それでええ、とも思てる。

春には春を知ってた人がおる。
うちは、夏から知ればええ。

せやけど。

久しく、いう言葉だけが、まだ胸の奥で転がってる。

そうか。

はんにも、久しくがあったんやな。

それを知ったら、うちは少しだけ、困ってしまう。


このブログの人気の投稿

第11章 歩きつづく 523話

第11章 雨に 537話