第11章 農法 第542話
令和八年五月三十日 月齢十三、大安
栴檀とトネリコの間から田を見下ろす、この場所がよしろうはんは好きやった。
理由は言えん。
ただ、ここに立つと余計なことを考えんでよくなる。
夕暮れが山裾へ降りてきて、田の水面が空の色を映し始めていた。
不二子はんも黙って隣に立っていた。
風が来るたびに、田植えを終えたばかりの苗が、いっせいに同じ方を向く。
まだ細い。
けれど、その緑は夕の光の中で妙に鮮やかやった。
よしろうはんは、〇〇農法いう言葉が好きやなかった。
自然農法も、有機農法も、なんとか式も。
名前がついた途端に、なんや窮屈になる気がしてならんかった。
そのことを、ぽつりと話した。
不二子はんはしばらく田を見ていた。
それから静かに言うた。
「よしろうはん」
「なんや」
「どんな農法でも、なってますやろ」
「そうやな」
「なんでやと思います?」
よしろうはんは答えんかった。
不二子はんは苗の方を見た。
「稲は気にしてへんのかもしれませんな」
風が渡った。
苗がまた、いっせいに同じ方を向いた。
「人はよう農法に名前をつけますけどな」
不二子はんは少し笑うた。
「稲は聞いてへん思いますえ」
よしろうはんが答えた。
「そうやで。稲が合わせてるだけや」
東の山の端から、まるい月が昇り始めていた。
月齢十三。
明日には満ちる。
田の水が、その月を静かに受けていた。