第11章 雨に 537話
やっと雨が降る。
田んぼに雨が叩く音を聞きながら、よしろうはんは長う息を吐いた。
「まにおうたな」
不二子はんは縁側から田んぼの方を見た。
「苗も喜んではりますやろな。なぁ、よしろうはん」
そや。
少し間があった。
「きっと苗はよしろうはんを見限ってはりますえ」
「はは(笑)そうかもしれんな」
しばらく雨音を聞いていた。
「ぼく様も、いっぱい見限ったわ」
へー
不二子はんは湯呑みを置いた。
「意味深なお言葉どすな」
「そうや。意味深や」
「うちに聞かせてや。何を見限りはったんや (笑) 」
「内緒や」
へー
「そう言うやろ思てましたさかい」
立ち上がって急須に湯を注ぐ。
「お茶でも淹れましょ。お疲れさんどした。今日が試験の締め切り日やったんやろ。終わりましたな」
「そうやねん。せーふや」
「雨にうたれて、苗もせーふどすえ」
よしろうはんは笑う。
へー
「なんて冷たいお方」
「冷たいんやない」
へー
「ほな、なんで水やりはらなんだ?」
「菌根菌を種にまぶしてたんや。あれら好気性やろ。最初から水張ったら働きにくいねん」
不二子はんは黙って聞いている。
「最低七日、できたら十四日。少し乾かし気味の方が根が下へ行く。軽いストレスが苗の力を引き出すこともある」
少し笑う。
「もちろん毎日見とったで。土の湿りも、葉色も」
不二子はんは小さく頷いた。
へー
「よう見てはりましたわ」
「ローファー履いて、田んぼの真ん中まで行って、片手にワイングラス。中身ウイスキーやった」
「……ばれてたか」
「まあ、ええどす。田んぼやさかい」
雨脚が少し強くなる。
遠くの苗が揺れて、乾いていた土が静かに色を変えていく。
よしろうはんは外を見たまま言うた。
「今日は、ようさん降ってほしいな。不二子はん」
不二子はんは雨を見たまま答えた。
へー
「今年もええ年になりそうどす」
そうか?
「ぼく様の推測ではえらい年になるで。気象、害虫すべて起こりうる。そやからならんように対策練ってるで」
そうでしたか
「よしろうはんは世渡りへたちゃうけど、気にもしてへんから、うちははらはらですわ(笑)」
よしろうはんは何も言わなんだ。
唯、事実を事実として受け入れていた。
蛙がケロケロ グゥア グゥア鳴き始める。
風が止む。
湿度のある空気があたりを支配した。