第10章 不二子はん アンソロジー編 516話
鏡の中の不二子はん
鏡の前に立つと、不二子はんがいる。
「お久しぶりや。よしろうはん」
おう。不二子はんだ。見えるわ。
暫し沈黙。
「よう見えるか?うちの姿」
「見えるで」
「触ってええか?」
うふふ
「ええで。もちろんやさかい」
髪の毛に触れる。うなじ、耳。頬、目、鼻、唇。
「よしろうはん……ちょっとエロいで(笑)」
不二子はここに居る。なぜ見えないんや。鏡の中ではなぜ見えるんや。
不二子はんの写真が食卓のサイドテーブルに置いてある。尊敬のまなざしを込めた、清々しい表情。
どないした?不二子はん。
「あら。はひふへほーざます」
さいきんおかしいで(笑)。なぁ、はよ写真から出てきてや。さびしいで。
「ながいですえ……早く人間に成りたい」
「はよ書いて」
「わかった」
二人して軽トラで有明海をドライブしていた。
「なあぁ?よしろうはん、海がやけに青いな」
「有明海は灰色が正常なんや。濁ってる事が健全なんや」
「そうやそうや。浮泥が混じったグレーやった。それが大事なんやと父上にも教わりましたで」
鬼池港から通詞島へ渡り、港へ出た。水平線と波、そして光の反射にきらめく海——それは、いつもの有明海であった。
——あぁ、これや。これやこれや。この単調な世界こそ、俺が写したい世界や。
不二子には、何も聞かずとも、その心が見えていた。
どこいっとったんや、不二子はん。気づいたら知らない土地を歩いてましたんや。海やった。美しい海。青い海。
「よしろうはん。海行かへんか……有明の海へ」
「よし。行こか」
軽トラで二人して有明の海をドライブした。鬼池港から通詞島へ渡り海を眺めた。そして長崎の口之津へ渡り、島原、諫早、小長井、太良、佐賀へと車を走らせる。延々と続く干潟の風景。光り輝く土泥と海と太陽。抜けきった太陽の光がここでもシアン帯びた色で見える。ふたりはこの時間帯を走った。永遠に変わりそうもないこんな浜辺でふたりは同時に呼吸していた。
まだ薄暗い早朝、昨日は雀が先に鳴いていたが、今朝はカラスが一番早く鳴いている。
「よしろうはん? カラスが鳴いてますえ」
「そうやな。今朝はカラスが早起きしたで」
「うふ……何事でっしゃろか」
さあな。
「よしろうはんが早起きするから、うちも早起きになってもうた」
「済まないな」
「ええどす。それがええんどす」
ステップを踏んでCLUBのホールで踊る不二子。なんて美しい。よしろうもボックスを踏む。不二子の踊りはスローだ。幾つものテンポを受け流しては躱す。どう形容しようか。優雅だ。よしろうはいつまでも不二子と踊っていた。
今日も終わり明日が始まる午後11時59分58秒で不二子はカウンターにてテキーラを飲んだ。よしろうが12時01分00秒にカウンターの不二子と呑む。
笑顔の絶えない良き日。うつろな日は踊るのが一番ええ。そんな会話もいつしか消えていった。