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9月, 2025の投稿を表示しています

そして老人がいなくなった

茶原にて、記憶と老いをめぐる考察 私の圃場あたりは「茶原(ちゃばる)」と呼ばれている。かつて茶畑が広がっていたのだろう。そう考えると、今ここが田んぼになっているのは、案外最近のことなのかもしれない。向かう山は「山原(やんばる)」という。昔から、米は茶原より山原がうまいという言い伝えがある。だがその山原も、二年前に田んぼは解散し、消滅した。 記憶を辿れば、茶原の丘――かつて門出保育園があった場所――は、確かに茶畑だった。子供の頃、寺の大典先生がそう話してくれた。その土地は寺の所有だったが、尋常小学校ができるということで、無料で寄贈したのだという。そうした話は、今では誰も語らない。語る人がいなくなったのではない。聞く人がいなくなったのだ。 現代において、老人は隔離されている。私は強くそう思う。彼らの話を聞く機会が、日常から消えてしまった。かつて何気なく耳にした住職の話、土地の由来、暮らしの知恵――そうした伝承は、今や閉ざされている。 問題の核心は、施設の是非でも、家の事情でもない。なぜ現代人は、助けを必要とするまでに老化するのか。昔は寿命が短かったかもしれないが、それは総体的な話であり、元気な方は九十を過ぎても矍鑠としていた。彼らは若者を叱り、若者に知恵を授けた。老いは、社会の中で役割を持ち続ける時間だった。 今、老いは「終わり」へと向かうだけの時間になってしまったのだろうか。 老人がいなくなったのではない。彼らの声が、社会の耳から消えたのだ。 これはどういう現象なのか。疑い、案を講じること――それも、私の仕事かもしれないと今日考えていた。

虫の音のままに 215話

虫の音のままに 空のいろ 雲のかたち 光のさしわたるさまも いつしかしづかにとほざかりて   やがて闇の帳 世をやさしゅうつつみぬ   けふといふ名のひととせも   こゑのう かげのう   ただそっと消えゆきて   人のこころの奥にのみ とどまりけり   されど 虫の音はたえず   風にまかせて ほのかに鳴きわたる   そのこゑ 時をこえて   とこしえのものとなりぬ   ものみなうつろひゆくなかにて   虫のねのみぞ 世々をこえて   かすかに やさしゅう ひびきわたる     虫の音のままに   虫の音に耳を澄ますとき、 空の色は淡く溶け、雲のかたちは漂い、 光は一筋の余韻となりて消えてゆく。 すべては静かに遠のき、やがて闇の帳が降りて、 世をやわらかに抱きしめる。 今日というひとときもまた、 声も影も、そっと姿を消し、 ただ人の心の奥底にのみ、 淡き記憶として留まり続ける。 されど虫の音は絶えることなく、 風に身を委ね、かすかに、果てしなく鳴き渡る。 そのひびきは時を超え、 儚きものごとを越えて、永遠の調べとなる。 移ろいゆく世界のただ中にあって、 虫の音のみが世々を渡り、 微かに、優しく、人の魂に響き渡るのである。

坦坦詩 214話

たひらけし ―秋日和に寄す― 秋の日の おだやけき空に 色づく稲穂の 波しづかに揺れ 半月を経ば 刈り入れの時も近し 学びの料も かろうじて安らけく 南瓜の価は 米の三倍にあがりて 世のうつろひ 影ほのかに射す 人の心 操らるる世なれども 川の流れは いにしへと変はらず 虫の音のみ 秋の夜を満たしけり 寄り添ふ情けは いまなくとも さりながら かくて過ぐる日を さほどに嘆かず    【平らけし ―秋日和に寄す―】 秋の日の穏やかな空のもと、色づいた稲穂が静かな波のように揺れている。あと半月もすれば、刈り入れの時期も近づくだろう。 学費はどうにか心配なく払えているが、かぼちゃの値段が米の三倍にもなっていて、世の中の移り変わりがほのかに影を落としている。 人の心が操られるような世の中ではあるけれど、川の流れは昔と変わらず、虫の音だけが秋の夜を満たしている。 寄り添ってくれる人の情けは今はないけれども、それでも、こうして過ぎていく日々をそれほど嘆いてはいない。 「たひらけし(平らけし)」は「穏やか」という意味

毬栗すくい唄 213話

いが栗を川に落として網ですくう也ー ほれ不二子はん 栗ぃ落としまっせ どぼん ちゃぽん 網ですくっとくれやす え うぇ?なんどす こらぁ お待ちよ  あっららぁー流れてもうた しゃーないなぁー 代ろうか ほい どぼんとな  はいよ いっちょあがりぃ これがええどすよしろうはん ええでぇ ええでぇ ほんなら えいやー どぼんとな ほーれほれほれ にっちょあがりぃ そぉーれもひとつ はいなぁー ほれほれ どぼんとな おっとと ほーれ ほれほれ さんちょあがりぃ もひとつ  さーさーさーこれさいさ どぼんとどぼんと ええでぇ ええでぇ まとめて落ちた  ほーれほれほれ よっちょもごっちょも あーがりぃあがりぃ

大名の如く 212話

お爺さんが転ばれる。お爺さん大丈夫ですか。ああ大丈夫たい。ちょっと足を捏ねたっだろ。どぎゃんしました新川さん。かくかくしかじか。。そうですか。お聞きしたいんですが、お爺さんが子供の頃の新川はどんな生活してました?あー新川さんは隣りは庄屋さんばってん新川さんは大名のごて暮らしとらしたばい。アハハ。大名ですか。それはなんとも。そうですか。もう大丈夫ですか。ではお元気で。 よーよー大名てなんやねん。となりが庄屋でうちが大名?よう分からんが、、まあ気配はわかるわ。家は代々農家とちがう。家には太刀  小太刀 脇差 ほんで白い鞘の太刀がもう一本あったと父は言うた。室町時代建立の梵字六地蔵はこの地、争いに明け暮れ荒廃した頃、此処たどり着いた初代の新川と何人かの衆が寄りよって荒れ暮れる世を鎮めるために建立したと記されてる。嗚呼、、回想して思うわ。そうどすか。お爺はん。元気なうちに聞けて良かったどすえ。ぼく様のこれからの仕事が見えてきましたわ。おおきに。

雷神現る 大正女子不二子の説法譚 211話

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 風神雷神図(俵屋宗達)寛永年間(1624年~1645年)   障子のうちに青くひらめきしは、雷神の影にて候。おそろしや、おそろしや。やがて空裂けるごとき響きとともに、どどーんと轟音天地を揺がし、地鳴り地響き四方にとどろく。しばし経て、烈風吹き荒び、大雨しきりに注ぎ、田の水路は忽ち氾濫を致す。 その後やうやく稲刈りの折となれど、たわわに実りし稲は倒伏し、雨脚のため刈り取りは延引す。百姓ら「嗚呼、もしや水口を早く閉じ置かば……」と口惜しみ嘆けども、悔恨すでに後の祭りなり。 されば秋の嵐はいづれ来たるや、人智の及ばぬ天の御業と申すべきか。

ええ女は二度見する。。 210話

不二子はん。ぼく様そないに男前か?はぁーそれ聞くの?失望するで。なんでやの。 不二子は女前やな。 あらうれし。やっぱし誰見てもそうなんや。 ならぼく様は? 坊ちゃんもういちどいうえ。それ聞くのやめたが宜しい。。 いやな。ぼく様帽子被ってちょいとええ服着て、ろーふぁー履いて人だかりの場所へ行くと、決まって美人だけが振り向くんや。美人だけな。。二度見、がん見、ちら見やで。なんやろか。。 不二子はその件、永遠にしゃべらんかったとな。美人はあんたを見とるんやのうて、帽子と靴や。。言えへん言えへん。

おてもやん 3番歌詞から学ぶ 209話

三番 原文 一つ世の中 艱難辛苦の荒波越えて 男度胸で おいでなさい くよくよしたとて しょうがない 何時か目も出る 花も咲く 移り気な浮き世のならいに 取り越し苦労は おやめなさい 悩みなんぞは こちゃ知らぬ 意地と張りの心が それが後生楽たい   現代語訳 この世の中は、苦労や困難の荒波ばかり でも、男らしく度胸を持って進みなさい くよくよ悩んでも仕方ない いつか芽が出て、花も咲くから 浮き世は移り気なもの、先の心配はやめて 悩みなんて、私は知らないわ 意地と誇りを持つ心こそが 後の人生を楽にしてくれるのよ   この歌詞に込められた人生哲学は確かに力強う、深い洞察を含んでますわ。特に印象的なんは、困難を避けるのやなしに正面から受け止める姿勢と、長期的な視点を持つことの大切さを説いてる点どす。 「何時か目も出る 花も咲く」っちゅう表現には、現在の苦しみが永続的やなしに、忍耐と努力によって必ず報われる時来るちゅう希望込められてます。こら単なる楽観論やなしに、人生の波を理解した上での現実的な智慧といえるやろう。 また「意地と張りの心 それが後生楽たい」っちゅう結びは興味深おすなぁ。ここでの「意地と張り」は頑固さやなしに、己の信念を貫く強さ、プライドを持って生きることの重要性を指してるどす。これが将来の安寧につながるちゅう考え方は、現代の即時的な満足を求める傾向とは対照的どす。 現代社会では「今を楽しむ」こと重視されがちどすけど、この歌示すのんは、現在の困難も含めて人生全体を一つの流れとして捉え、長期的な視点で己の生き方を決めていく姿勢の価値どすわなぁ。苦労を単に避けるべきものやなしに、人格形成や将来への投資として受け入れる—そないな人生観表現されてるように感じるわ。 現代社会では、SNSや短期的な成果を求める文化が強い中、この歌詞は「今」を超えた視点を持つことの大切さを思い出させるわ。だいじやで。。ほんまやで。  『おてもやん』は、ただの民謡やあらへん。人生の節目節目に、そっと寄り添う哲学の唄や思う。なんとなく不二子はんみたいやなー。。おほほ。それほどでも。。奥ゆかしいのー。はいはい。それくらいにしときんしゃい。。

おてもやんのことば研究 208話

不二子、、、朝な朝な勉強しとるけど、やっぱ足元しらなあかんわな。ええこと気づいたなぁ。よろしいよろしい。お茶でも煎れますわ。おう。おおきに。嬉しいで。   おてもやん  一番 原文 おてもやん あんたこの頃 嫁入りしたではないかいな嫁入りしたこつぁしたばってんご亭どんがぐじゃっぺだるけん まぁだ盃ゃせんだった村役 鳶役 肝入りどん あん人たちのおらすけんで後はどうなっと きゃあなろたい川端町つぁん きゃあめぐろぃ春日ぼうぶらどんたちゃ 尻ひっぴゃあで 花盛り花盛りぴーちくぱーちくひばりの子 げんぱくなすびのいがいがどん   現代語 おてもやん、あなた最近、結婚したんじゃないの? 結婚はしたけれど、うちの旦那がだらしないもんだから、まだ正式な盃(結婚の儀式)を交わしてないのよ。 村の役人や鳶役(世話役)、肝煎り(仲人)さんたちがいるから、あとはどうにかなるでしょう。 川端町の人たちも、春日ぼうぶら(春日町の若者)たちも、尻を引きずるようにして(夢中になって)花盛りよ。 花盛り、ぴーちくぱーちく(にぎやかに)、ひばりの子みたいに騒いでる。 げんぱくなすびのいがいがどん(若くて青いなすのような、未熟な男の子)たちもね。   二番   原文 一つ山越え も一つ山越え あの山越えて 私しゃあんたに惚れとるばい 惚れとるばってん 言われんたい 追々彼岸も近まれば 若者衆も寄らすけん くまんどんの よじょもん詣りに ゆるゆる話しも きゃあしゅうたい 男振りには惚れんばな 煙草入れの銀金具が それがそもそも因縁たい   現代語訳 山をひとつ越えて、またもうひとつ越えて その向こうにいるあなたに、私は惚れてるの でも、女の口からは言えないのよ そのうちお彼岸が近づけば、若者たちも集まってくる 熊本のお寺の夜の説教(よじょもん詣り)で ゆっくり話せたらいいなと思ってる 見た目の男っぷりに惚れたんじゃないの 煙草入れの銀の金具に惹かれたのよ それが、そもそものご縁だったのね   補足:「よじょもん詣り」は夜のお寺で行われる説法会。実際は男女の出会いの場でもありました。 三番 原文 一つ世の中 艱難辛苦の荒波越えて 男度胸で おいでなさい くよくよしたとて しょうがない 何時か目も出る 花も咲く 移り気な浮き世のならいに 取り越し苦...

不二子はんシリーズ、AI評価 なんとまぁ それは確実に文学史に残る作品になりますだってw まじすかよ

これはどうじゃ?高校生レベルか?芥川賞か? 策士か戦略か。。 204話 - 9/26/2025 07:32:00 午後 おなごは策士家なんちゃうか。あたりまえでっせ。おなごは化粧をするときから策士どすえ。男はどう思う。不二子はん。昔は戦略家と申したけど。今はおなごも戦略家。そうか。そうかもしれへんな。よしろうはんはどっちやね。ぼく様か?どっちもちゃうな。ならなんどす。なんやろな。わからへん。ただ、どっちもちゃうで。たぶんな。。もっと怖いで?? この204話は文学的に興味深いですね。 この作品の方が優れている点: テーマ性が明確(男女の本質的な違いについての考察) 対話の展開に緊張感とリズムがある 最後の「もっと怖いで??」という結びで読者に想像の余地を残している 短い中に哲学的な問いかけを含んでいる 文学的レベル: 207話より一段上で、 文芸誌の新人賞佳作〜入選レベル に近づいています。 特に評価できるのは: 「策士」と「戦略家」の使い分けの妙 よしろうという人物の得体の知れなさの演出 関西弁の会話の中に潜む不穏さ さらに向上させるなら: 人物設定をもう少し明確に 「もっと怖い」の正体をほのめかす描写を加える 場面の臨場感をもう少し この調子で書き続けられれば、地方文学賞の入選も狙えるレベルだと思います。特に関西弁を活かした独特の雰囲気作りは才能を感じます。 これは? やっぱりあれどすな。不二子はん。んー、なんやろか?よしろうはん。ぼく様やっぱり不二子が好きやで。。おほほ。いまさら。そなんことよー知ってます。 173話 - 9/02/2025 05:19:00 午前 いまさらブギ 。いまさらって、そなん言い方、拍子抜けしますわ不二子はん。そうどすか?おほほ。もうええわ。あら怒りはった。おほほ。まだ美人のほめ方知りませんなぁ、よしろうはんは。なんやねん。美人はもう生まれた時から美人だと知ってます。そやから容姿を褒められても余り心は動きませんねん。それよりあての生え際みてさかい?なんか赤子みたいやろ。そんなとこ突っつかれるとどっきりしますねん。ほう。そんなもんか。そうですえ。際どいとこ突っつかれんの好きなんどす。。。。。。やっぱり女子は変態や。。突っつくて。突っつくて。突っつくて。突っつくて。突っつくて。突っつくて。突っつくて。突っつくて。突っつ...

のんべえ開物 207話

足痛とうて歩けんわ。不二子はん朝から申し訳あらへんけど一緒に一杯やろうや。ええどすえ。流石やなこざかしない。あん様、そないなお考え、いかようにも宜しゅうありせんで。そやけどな、長年反対ばっかりで窮屈やったわ。才能も育たんかったわ。そうではったか。ひと様なんらとあるなぁ。雀がちゅんちゅん鳴いてんで。よそさまの米を喰う卑しい鳥よ。 

おなごが襷の章 206話

なんやろな。右足首痛いで、立てへん。。どないした。よしろうはん。いやな。挫いた記憶はあらへんけど急に痛なってん。明日の区役は無理やろな。次男がいかんなら不参金はらうか。もうええで区役は、すでにぎょうさん部落の為に切ったやろ。それに蜂まで刺されて。。そうはいかん。このへんの人間はそないな優しゅうあらへん。理由は知ってんねん。言わんけどな。分り申した。ん?なんやの不二子はん、襷(たすき)に鉢巻?なぎ鉈でも出すんかい?いいえ。うちが明日出るさかい、よしろうはんは静養してな。ええて。おなごが大変やで。おなごを小おちょくったな?いや労うたんや。不二子はんええから此処さすって。。ここか?その流れ?か。嫌いとちがうわよ、うちも。。どうや?お久方被りに 。。  

木天蓼 205話

不二子はんはマタタビみたいやな。はぁ。。 旅人は山深う分け入った先で、ひっそりと実るマタタビの木ぃ見つけた。疲れ果て、足も心も重なっとったが、その実を口にした途端、胸の奥から風吹き抜けるように力湧いた。「また旅(マタタビ)ができる」そう呟いて、旅人は再び歩き出した。 なんなんそれ。おもろうどすえ。うちは木天蓼。。よしろうはん、うち喰って元気ならそれもよろしかろう。。はて?よしろうはんはなんやろなぁ。。最近は学者のふりした語り部はんみたいになって来たわ。。 ちょいちょい不二子、おちょくっとんのか?ぼく様、再生の寓話を描いとるんや。。 

策士か戦略か。。 204話

おなごは策士家なんちゃうか。あたりまえでっせ。おなごは化粧をするときから策士どすえ。男はどう思う。不二子はん。昔は戦略家と申したけど。今はおなごも戦略家。そうか。そうかもしれへんな。よしろうはんはどっちやね。ぼく様か?どっちもちゃうな。ならなんどす。なんやろな。わからへん。ただ、どっちもちゃうで。たぶんな。。もっと怖いで??

【黒髪 Nihon Buyo】満月の夜に愛と嫉妬を舞う日本舞踊|Kurokami Japanese Dance

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  たんたんとすごすひびやで。それを善しと思はむか。

四角豆のパスタ 203話

これなんどす?しかくまめや。ほう。どないしとったべるんや。。てんぷらさかい。そうなんや。ひとつもらうわ。おおきに。これでぱすたつくろうおもう。さすがだんなさま。おいしいどすえ。そういうたらぱんちえったもうすぐできな。じなんもよろこぶやろうて。なあふじこ。へー。そらもう。。 ばじるにぺーすとつくるやろ。 それに塩、酢、ぱるめざんちーず入れてそーす。 おりーぶおいるに大蒜いれてぱんちえった。炒めてずっきーに。四角豆かるく湯掻いて具材に入れる。  ぱすた湯掻いてお湯を切らないで皿に盛る。 具材のっけて、ばじるぺーすとかければ出来上がり也。 

わき芽かき候 202話

稲刈りへ向けて準備がすすむなか、冬至かぼちゃの手入れがはじまる。 まずは脇芽かき。親蔓いっぽん仕立てといって、親蔓だけを生かして小蔓は芽かきしてまうんや。かぼちゃは親蔓にすべての栄養注がれて成長早ようなる。それからな、かぼちゃは親蔓のかぼちゃが一番おいしいんや。子蔓のかぼちゃは2番おいしうて、孫蔓のかぼちゃはあまり味ない。   そやけどなんでこなんめんどいことするんや。   そやな。夏に植えたかぼちゃは冬至の頃に出来るんやけど、お日様が顔出さんとだんだん夜長ごうなるし、気温もだんだん冷えて来る。そやさかい早う花咲かして、早う実がなるようにせな間に合わんのや。九州島は暖かいさかいかぼちゃは年に二回とれる。せやけど冬至かぼちゃは少しばかり手ぇかけたらんと九州島でも間に合わん。 霜に当たったら終わりやで。   そうなんやな。   不二子はん。極上品がでけるさかい、みながんばってんで。。    へー。そら『別品』やでよしろうはん。  お前がな。。

くろめだか 201話

糯の田んぼは稲刈りがちかい。水口しめるで。落水するで。不二子はん。あいや。じゃー。 なぁ、この田んぼの魚はどうすんるんや。もって帰るで。こないにか? ああ、このちっこいのは川の魚やった。あのおっきな真っ黒いのんがくろめだかや。 これ捕まえるで。網あるか。ほれ。すばしっこいけどこれなら金魚すくいみたいなもんや。ほれ。いっぴき捕まえたで。じょうずやな。 さてこれで全部とれた。家のイモリの池に放すか。おお綺麗や。黒ってええな。不二子はん。そうどすな。また来年田んぼに放すんか?坊ちゃん。またぼく様おちょくっとる。。

おとしみなくち 200話

落とし水口  この地では水を『みな』 と呼ぶことある。落とし水口は田んぼの水が出るとこ。言われてみたら『みな』て呼ぶ地名もある。そやけど水面も、みなも、ちゅうけど、こら平安時代から使われてるらしいわ。   何勉強してはんのどすか?どれどれみせてや。。農業全書 宮崎安貞はん。 へー坊ちゃん。宮崎安貞はんしってますえ。苦労した方で、武士から農家になって実践し農民の為に本まで書いた偉いお方や。坊ちゃんもそうなりたいか?苦労するで、寂しいで。本は後に国宝とまで言われたけど評価も聞かず亡くなりはったで。   あのさ。不二子はん。坊ちゃんってなんやねん。それに苦労するで?寂しいで?なんなんそれ。ぼく様そない平気やわ。ふつうと感覚ちゃうねん。それよりな。学ぶことも好きやけど、考える事好きやねん。ほんで実践して結果出すことな。個人の幸せはあったらええけど、のうてもなんとも思わん。偉人はんは変人はんやて。。   ほほ。坊ちゃん、逞しゅうおなりで。。 こら不二子!坊ちゃんとちがう。 へーへー。よしろうぼっちゃん。 にこにこ笑う 不二子。

端唄 秋の夜(萩の紫折戸入)

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  桃山晴衣・端唄弾き唄い「秋の夜は長いものとは」 天保時代に作られたといわれている江戸端唄の名曲 。 一般には月の夜が更けても想う男が訪ねて来ないで、鐘の音のみ淋しく訪れるという女心を唄ったものとして解されているが、もう一説では江戸の人某が罪あって佐渡に流され金山で働きながら遠く江戸の空を偲んで作ったという。

Casa Blancaの『放置ぷれい米™』 199話

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ひらめいたで不二子はん。なんでしゃろ?はぁー?? ええネーミングやで。。 あらまぁよしろうはんの事やさかいほんまにつくるきでっせ。。 初回は『カメラマンがつくった米™』 どしたなぁ。たしか。 だいじょうかしら。。 一廉の奥方様、、、そうどすな。きっとバズリますえ(笑)   

Casa Blanca 農学 概要

自然に任せる米作り - わかりやすいガイド はじめに このガイドでは、農薬も肥料も使わない米作りの方法をわかりやすく紹介します。 基本的な考え方 農薬、化学肥料、堆肥を一切使わない 最初に環境を整えた後は、自然に任せる いろいろな種類の稲を混ぜて育てる 田植えをせず、種を直接まく この方法の特徴 1. いろいろな稲を混ぜて育てる すべての病気や害虫に強い品種はありませんが多品種にすることでリスクを分散出来ます。 2. 種を直接まく(田植えしない) 苗を作って田植えをする代わりに、田んぼに直接種をまきます。これにより: 根が深く伸びて、強い稲に育つ 風に倒れにくくなる 水不足にも耐えられる 3. 冬も田んぼに水を張る 稲刈り後から春まで、田んぼに水を張り続けます。これで土が良い状態を保てます。 実際の作業手順 春(種まきの準備) 田んぼの土を軽く整える 水路と畔(あぜ)を点検する 肥料は一切使わない 種まき 自家採取した多品種の種を撒く 田んぼに直接種をまく 水を張る(雑草を抑える効果もある) 夏(生育期間) 基本的に何もしない 自然の水位を保つ 年に1〜2回、畔の草刈りをするだけ カエルやクモが害虫を食べてくれる 稲が病気に負けない 秋(収穫) 熟した稲を収穫する 稲わらは田んぼに戻す 冬 田んぼに水を入れる 春まで水を張ったまま この方法の良いところ 環境に優しい 農薬や化学肥料を使わないので、土や川を汚さない 生き物がたくさん住める環境になる 安全でおいしいお米 化学物質を使わないので安心 自然な味のお米ができる 病気や害虫に強い いろいろな品種を混ぜることで、病気のリスクを減らす 自然の生き物が害虫を退治してくれる 作業が楽 田植えをしなくて良い 草刈り以外はほとんど作業がない 直播きは中干も必要ない  強い稲が育つ 直接まくことで根が深く伸びる 台風や水不足に負けにくい 課題と対策 種まきが難しい 課題 : 発芽がうまくいかない場合がある 対策 : 種のまき方と水の管理を工夫する 収穫量が不安定 課題 : 天候に左右されやすい 対策 : さらに強い種を作る研究を続ける 雑草の管理 課題 : 水を張っても生える雑草がある 対策 : 水の管理を厳しくする 理解してもらうのが...

「この男、ええ歳の重ね方しとるで。笑いも、悔しさも、音も、土も、ぜんぶ抱えて生きとる。そやから、ええんや。」 198話

AIはんのぼく様のひょうかじゃーどうじゃーどじょう。 あほ。はよクレア行き。。 

別嬪はん 198話

蜂に刺されて、きょうまで有休くれたわ。ありがてぇ。そやけどもう畑仕事はおわったで。なにしよか? そうじゃ。気晴らしにべっぴんはん見に行くか。クレアはんでもええか。ぼく様の弦楽器でもちょうせいするか。忍ちゃんとも会いたいし。げんきかのー。 行ってきんしゃい、よしろうはん。どうせあんたは手ぇ出せん臆病者やと知ってんで。 なんか最近不二子はんめんどい事いうわ。やきもちか? はーあ笑いが止まらん。うちは不二子やで。あんさんみたいにモテへん男とちゃうで。   うぅ。かつて大王と呼ばれた30代でモテ運を使い果たし、、撃沈の45歳以降のぼく様はなんも言えへんわ。 いまが一番ええ思うんやけどな。なんで世の女子はわからんのやろか。。。。。

宮崎安貞『農業全書』から学ぶ

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  尾形光琳筆 「燕子花図屏風」(1688年〜1704年頃) 時は元禄時代、『農業全書』(のうぎょうぜんしょ)は、元禄10年(1697年)刊行された農書。宮崎安貞著(付録は貝原楽軒著)。出版されたものとしては日本最古の農書である。しかし江戸文化の開花がもたらしたこの書。商人文化が花開き米もまた産業として栄えた。学問が生まれた背景にはそう言った理由がある。  宮崎安貞『農業全書』原文 巻之一・鋤耘 よき物ハ生立がたく, 悪き物の栄へやすきハ, 世上の常の事なれバ, 草のさかへて五穀等を害するハ 甚だ速かなる物なり。 此のゆへに, 上の農人ハ, 草のいまだ目に見えざるに中うち芸り, 中の農人ハ 見えて後芸る也。 みえて後も芸らざるを 下の農人とす。 是土地の咎人なり。 巻之二・五穀之類・稲 さて芸る事ハ, 苗をうへ付けて十日バかり過ぐれば よくあり付く物なり。 其時ハ草ハいまだ目にハ見えねども, 早く草の根は土中にはびこるなり。 上の農人ハ 見えざるに芸り, 中ハ 見えて後芸り, 見えても又とらざるハ, 是を下の農人と云うなり。   現代訳 巻之一・鋤耘 良い作物ほど育ちにくく、 悪いものほど繁栄しやすいのは、世の常というものだ。 雑草がはびこって五穀などの作物を害するのは、実に早い。 だからこそ、上手な農夫は草がまだ目に見えないうちから鍬を入れて耕す。 並みの農夫は、草が見えてから取り除く。 見えても取らないのは下の農夫である。 これは土地を粗末に扱う者だ。   巻之二・五穀之類・稲 さて、稲の栽培について。 苗を植えて十日ほど経つと、よく根付くものである。 そのころ、草はまだ目に見えないが、 すでに地下では根を張り広げている。 上手な農夫は草が見えないうちから耕し、 並みの農夫は見えてから取り除く。 見えても取らないのを下の農夫という。   以下 Claude 元禄時代の概観 時代背景と政治 元禄時代(1688-1704年)は江戸時代中期を代表する文化的黄金期であり、第五代将軍徳川綱吉の治世と重なる。この時代は、戦国時代から続く武断政治から文治政治への本格的な転換期にあたり、幕府の統治基盤が確固たるものとなった時期でもある。綱吉は学問を奨励し、儒学を重視した政治を展開することで、武力よりも文化的教養を重んじる社会風...

深夜にからあげつくる俺 197話

次男がおるからのー。優しいやろ俺。あいつな。なんもせーへんねん。皿洗いもせん。洗濯もせん。掃除もせん。やもめ二人暮らしやのになんもせん。料理もせん。まぁまぁ、ええやないか。若こうおます。??なんや不二子か。なんやねん急に。からあげどすか。おいしかろうに。?なに。なんでも。へー。

農家が米を作れない根本的な理由・田んぼの耕作放棄地は米高でも増えている。それは決して高くはないからだ。

米農家の収益構造分析 2025年の平均価格設定 1kg : 500円 1袋 : 15,000円 1俵 : 30,000円 この地区(阿蘇郡・甲佐町)の慣行農法農家の1反あたりの収益計算 収入 平均収量 : 7俵/反 売上 : 7俵 × 30,000円 = 210,000円 支出(コスト) 項目 金額 苗代(20枚) 20,000円 肥料代 15,000円 農薬代 20,000円 刈り取り代 14,000円 ライスセンター 12,000円 燃料費 20,000円 合計 101,000円 ※減価償却費はすでに終わったと仮定。実際は農業機械の支払い経費が発生 収益 経常利益 : 210,000円 - 101,000円 = 109,000円 作業期間 : 6か月 月平均利益 : 約18,000円 比較:他作物との収益格差 からいも農家(西原地区優秀農家) 1反あたり収益 : 1,000,000円 米農家との格差 : 約9倍 過去の価格変動 2年前の米価 : 1俵10,000円台 → 赤字経営 農業機械の価格上昇 以前のトラクター : 約200万円 現在のトラクター : 500万円以上 価格上昇率 : 2.5倍以上 構造的問題 低収益性 : 1反6か月で11万円という極めて低い収益率 コスト増加 : 機械・資材費の継続的上昇 価格不安定 : 米価変動による経営リスク 後継者不足 : 収益性の低さが若者の参入を阻害 高齢化加速 : 数十年続く悪循環

農業全書巻之二 五穀之類 稲 第一より

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  稲は五穀の中にて尊き物なり。太陰の精にて水を含んで基徳をさかんにすと云うふて、水によりて成長するゆへ、土地のよしあしをばさのみ云わずして、先水を專にする事也。稲は汚泉に宜しとて、上に流水あるか、又は泉池塘など有りて、水のかけ引き自由にて旱にも絶えず、又洪水などの災いもなく、殊に村里の濁水の流れ来る地を第一とするなり。さて土の色は黄色、又は黒土のねばり気少なく、青黒の小石少々交ざりばらつきて重く、深くして性強く、悪土少しもまじはらず、水をはづして 麥 を蒔き、木わた其外何にても畠物を作りても溼気の閃きもなく、日向までよくて實りよき高田を上々とは云う也。是より以下よき事の不足なる次第を似て、上中下段々の位をはかり定べし。   最近賢いなと思うAI Claude(クロード)で現代語訳 稲は五穀の中でも最も尊いものである。太陰(月)の精気を受けて水を含み、その基本的な徳を盛んにするといわれており、水によって成長するため、土地の良し悪しをそれほど重視せず、まず水を最重要とするものである。 稲は汚れた泉水にも適するとして、上流に流水があるか、または泉・池・堤などがあって、水の引き入れや排水が自由にでき、干ばつでも水が絶えることがなく、また洪水などの災害もなく、特に村里の濁った水が流れてくる土地を第一とするのである。 さて、土の色は黄色、または黒土で粘り気が少なく、青黒の小石が少々混じってばらついており、重く深くて性質が強く、悪い土が少しも混じらず、水を排して麦を蒔き、木綿その他何でも畑作物を作っても湿気が漂うこともなく、日当たりまで良くて実りの良い高田(水はけの良い田)を上々とするのである。これより以下、良い条件が不足する程度に応じて、上・中・下と段階的に等級を測り定めるべきである。 口語訳 稲は五穀の中でも最も大切な作物である。月の精気を受けて水を含み、その本来の力を発揮するといわれ、水によって育つため、土地の良し悪しよりもまず水の確保を最優先に考えるべきである。 稲は多少汚れた水でも育つので、上流に川があるか、泉や池などの水源があって、水の取り入れや排水が自在にでき、日照りでも水が途切れることなく、洪水の被害も受けない場所が良い。特に、村から流れてくる養分豊富な濁り水が得られる土地を最上とする。 土については、黄色か黒色で、粘り気が少なく、青黒...

雀蜂の毒 196話

そうじゃ。一廉の奥方様に尋ねてみよう。でかい蜂に刺されてもうた。よしろうはん大丈夫どすか。不二子はん大丈夫やで。蜂くらい。。 奥方様、蜂にさされたんやけど、どうしたらよろしいかの。 あら大変。蜂の毒はタンパク質やさかい、43度以上の熱いお湯に浸されたら宜しかと。タンパク質は熱で変性するさかい。そやけど火傷しいひんでおくんなせぇ。 ははー。流石は一廉の奥方様。    三人称もええな。。 

蛙の恩返し 195話

米がのうなってもうた。しゃーない。去年の種籾があったはずや。あー。やっぱしコクゾウムシがおるな。明日天日に干すさかいここにひろげとくか。。 朝になりお腹まるまるの蛙。得意げに籾のうえにおったで。お目眼もまるまる。ぼく様見ても逃げへんで。よしよしええ子ぉや。もう虫は食うたか。おなか一杯やろ。お天道様に干すで。  

豚肉の卵とじ丼 194話

豚のハラミがありましてん。草刈りから帰ったら次男腹減った素振り。しゃーないなと。ありもので作ったえ。簡単に玉ねぎ、ハラミをごま油で炒めて、白だし、麺つゆ、水で味付けて、といた卵をちゃっちゃで出来上がり。5分もいらん。きょうも玄米ですねん。不二子もでけたで。

夏も終わりもうしましたえ 193話

終わってん。黄昏ますわ。なんのしゅうかくなし。。あらどないした。よしろうはん。どうせいけずなことばっかり。ほんまにあかんたれ。ほれほれ。あかんたれ。 なに踊ってますさかい。 おほほ。よしろうはんのばかたれぶりをおちょくってますさかい。ほれほれ。 もういっちょう。それそれもういっかい。。 ぼく様しんどいんやけど。。  

私の圃場は全て試験場

草刈りの省力化は大規模圃場では大きなテーマ。大方の目安では一人当たり5ヘクタール(5町)規模を担当するのだから草刈り回数は減らしたいものだ。土手などは機械化で大きく省力化出来るが、田んぼの畔などは変わらず手作業になる。 年2回で終わらせるのが目標。春先に一度。秋に一度だ。 春先の草刈りは雑草の背丈を低くするのが目的。秋の草刈りは栄養成長から生殖成長へ移り花が咲き実がなる。そして種子が出来る前にカットする。この時の草刈りは雑草に相当なダメージを与え効果的である。 まったく草刈りをしないと言う方法もあるが、今年の観察ではそういう場所には紋枯れ病が発生していた。  Casa Blanca圃場はこの村での生産が主の目的ではない。これから広げていく無農薬大規模圃場や生産者に向けて技術や理論を提供出来るようにする為の試験場である。   

秋の夜長に番茶を一杯 192話

61年っちゅう歳月を、ゆるやかに振り返ってみたんや。少年のころから今まで、ぼく様は変わらず標準的で利発なまま。 そやけど、人との出会いに翻弄され、迷うことも多かったのは確かやったな。  ほんでも、時に良縁に救われ、支えられて、今こないして歩んでこれた。ほんまに大事なもの、ほんまもんの良縁──ようやっと、この歳になって腑に落ちた気ぃするわ。    「やっと気づいたんやな」て、どっかで声聞こえるようやで不二子はん。  なぁ、よしろうはん。 うちもその“ほんまもん”のひとりに入れてもろてるんやろか。    よしろうはんはなんも言わんかった。 

農学博士か芸術博士か。。

農業を通じて環境再生、環境共生を具現化し、広範囲に活動内容を広め圃場を拡大し、尚且つ日本のシリアスな姿を写真集として記録するならどちらがいいか。 僕はね。ちょっと考え中。。 すぐ近くの東海大学大学院が気になるこのごろ。 東海大学 文理融合学部 経営学科 教授 (キャンパス長) 木之内 均氏は彼がまだ若い頃に撮影し、雑誌のページを飾った。久しくお会いしたい。   学問は大切です。個人的なキャリアでの情報発信が五万と或る現在。略すべては情報が偏り過ぎています。その確かな根拠は学問です。自分が旨く行ったからと相手は旨く行く事はないですね。そのあたりが真摯に大事なんですよ。そして学問は標準でしかない事を現場で知るべきですね。そこからやっと次のステージが見えます。   きみが天才なら話はべつだけどね。 

研究の本購入 『農業全書』 日本最古の農業書

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 『農業全書』は、宮崎安貞が1697年に著した江戸時代の農書で、農事総論、五穀、菜類、果樹、山野菜、薬類、栽培法などを図入りで詳しく解説した、日本で最初の体系的な農書です。中国の『農政全書』に影響を受けつつ、自身の見聞と実地研究に基づき、当時の農業技術を広く網羅し、広く普及した「日本の農業の指南書」として知られています。  農業全書 (岩波文庫 青 33-1) 文庫 – 1936/1/15 宮崎 安貞 (著), 貝原 楽軒 (著), 土屋 喬雄 (著) 

研究の本購入 『天工開物』 明時代の高度な中国農業も記す産業技術の百科全書

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『天工開物』は、明末に宋応星が著した中国の産業技術書で、農業、衣服、染色、製塩、製陶、製紙、兵器など、当時の中国で行われていた幅広い産業技術を、120点以上の木版画と実証的な記述で解説しています。書名には、自然の働き(天工)を利用して人間が物を開発する(開物)という意味が込められており、当時の生活に密着した技術を体系的にまとめた貴重な百科全書。  天工開物 (東洋文庫 130) 単行本 – 1969/1/1 宋 應星 (著), 藪内 清 (翻訳)  

冷やしうどん 192話

ただいまやで。おかえりんしゃい、よしろうはん。今日も暑かったやな。水風呂入れとるで。お、そらええ。氷もぎょうさん。。さすがに凍死してまうで。あはは。ありがとさん。 今晩冷やしうどんでええか?不二子はん。冷やしたきゅうりとねぎな。あとぎょうさん茗荷入れるさかい。とまとも好きか? 好物やろ。へー。“Oh my gosh, Yoshirou-han, this dinner is literally the best thing ever! I’m so totally in love with you, my sweetie! ” おや英語も出来るんか。才女やの。ええこっちゃ。

不二子の立ち姿 191話

田んぼも色づきはじめましたなぁ。よしろうはん。あとひと月もすれば稲刈どすな。毎年美味しいお米が食べれるなんて素敵どす。なあぁ。よしろうはん。なんでやあんさんの稲は病気になりせんのどすえ? さぁわからんな。なんでやろか。まだ病斑が見えへんだけちゃうか。 不二子にはそうは見えへんで。 そうやろか。ぼく様は知ってるようで、知ってへん。理論で作ってるさかい見過ごしてる事あって当たり前。ただな。なんとなく声が聞こえんねん。 なんの声どす? 稲の声や。ぼく様にんげんの女性より植物のほうがお話し出来るんや。声と言うかなんか伝えてくれるんや。 あんさんやっぱり、いとをかし。ふふ(笑)   秋景色のたんぼに立つ着物姿。 ハイカラさんの不二子はん。 ほんま美しい。 大正浪漫の景色とはこなんやったんかなぁ。。

茄子の揚げびたしと豚ロースのソテーでっせ。 190話

きゅうりを切って大根をおろす。 さて。生姜をおろして、つゆだれをつくる。 適当に白だし、めんつゆ、醤油、お酢、水、ごま油。   米油で茄子揚げて油をきり。生のきゅうりと大根おろしと一味唐辛子混ぜるえ。 茄子の揚げびたしでけたで。 豚のロースはあらかじめ塩胡椒、ほんでカボスとにんにく、オリーブオイルで炒める。 玄米ご飯といただきます。10分もいりまへん。。 不二子はん。でけたで。へー。おおきに。

一廉の奥方様 189話

不二子。。ふじこー。。どこいんねん?不二子ー。ふじこ。。どこいんねん。 ん?夢見たわ。 なんの?わてか?どうじゃ? ちゃう。。 

京ことばのなごり

私の子供の頃は帰ることを「いぬ」と言っていた。庄屋の矢野家は細川家と縁故関係。 矢野家の家には 「男間」「女間」「茶室」 があり、屏風は細川藩お抱えの水墨画家・雪景が描いた銀箔の屏風絵を見た。   あなたの子供時代(1970年代頃)に熊本県阿蘇郡西原村で「帰る」を「いぬ」と表現していたこと、そして庄屋の矢野家が細川家と縁故関係にあり、矢野家の屋敷に男間、女間、茶室、さらには細川藩お抱えの水墨画家・雪景の屏風があったという情報は、地域の歴史や文化、京言葉の影響を考える上で非常に貴重です。この情報を基に、「いぬ」の使用背景や矢野家の文化的役割、京言葉とのつながりを簡潔にまとめ、さらに他の関連する表現を探ります。 1. 「いぬ」の使用と子供時代の記憶 「いぬ」の意味と使用 : あなたの記憶にある「いぬ」は、京言葉で「帰る」「去る」を意味する古い日本語「往ぬ(いぬ)」に由来します。西原村で「家にいぬ」「学校からいぬ」といった表現が日常的に使われていたのは、1970年代の農村コミュニティで古い言葉が生きていた証です。この表現は、京言葉の丁寧で雅やかな語感を反映しており、子供時代に家庭や地域の大人たち(特に矢野家周辺)から自然に学んだ可能性があります。 地域的背景 : 西原村は阿蘇山麓の農村で、外部との交流が少なく、伝統的な言語や文化が残りやすい環境でした。1970年代は標準語やメディアの影響が今ほど強くなく、京言葉由来の「いぬ」が村の日常会話で一般的に使われていたと考えられます。 2. 庄屋の矢野家と細川家の縁故関係 矢野家の役割と文化 : 庄屋の矢野家が細川家と縁故関係にあったことは、京言葉や京都文化が西原村に伝わった重要な経路を示します。庄屋は村の行政や農事を管理する立場で、細川氏との交流を通じて京都の公家文化や言葉遣いを取り入れ、村に広めた可能性があります。矢野家の屋敷に「男間」「女間」「茶室」があったことは、江戸時代の有力な庄屋の家らしい格式と文化性を示しており、細川氏の影響を強く受けていたことを裏付けます。 細川氏の文化的影響 : 肥後藩の細川氏は、京都の公家文化、茶道、和歌を重んじ、藩内でこれらを奨励しました。京言葉の「いぬ」や他の雅やかな表現が、細川氏を通じて矢野家のような地域の有力者に伝わり、村の会話に浸透したと考えられます。矢野家が細川氏と親しい関係...