ポーランドの写真家Grzegorz Gorczyński氏が私を紹介

Grzegorz Gorczyński氏

 

 

 





 

 

 

 

 

写真は物質の状態である

新川芳朗と歴史的写真技法の新たな可能性

現代における歴史的な写真技法への関心は、しばしば「過去への回帰」として語られる。サイアノタイプ、銀塩によるさまざまな技法、リスプリント、その他のオルタナティブ・プロセスが再び注目されるとき、それはデジタル以前の写真への郷愁、あるいは手作業による写真制作の復権として理解されやすい。

しかし、日本の写真家・写真研究者である**新川芳朗(Yoshiro Shinkawa)**の実践は、そうした単純な解釈では捉えきれない。

新川にとって歴史的な写真技法は、過去を再現するための目的ではない。それはむしろ、画像、物質、プロセス、時間、写真オブジェクトの関係そのものを問い直すための方法として機能している。

新川は「新川写真研究所」を拠点として、オルタナティブ・フォトプロセス、高耐久写真プロセス、そして自身が展開する「双構図」と「微小位相差論」について研究し、実験の記録や理論的考察を公開している。[1] そこでは作品制作、技術研究、材料研究、理論形成が明確に切り離されていない。

この点こそが、新川の実践を考えるうえで重要である。

歴史的な技法は、保存されるべき「過去の技術」ではない。それは現在において新たな問いを生み出すための出発点となっている。

再構成から実験へ

新川は、歴史的・オルタナティブな写真技法への関心を形成するうえで、Mark Ostermanから大きな影響を受けたと語っている。[2] Ostermanは歴史的写真技法の研究と再構成を長年にわたって行ってきた研究者であり、写真の保存において、画像を形成した技法を理解することが重要であると論じてきた。[3]

しかし、新川の実践は再構成にとどまらない。

彼は歴史的な処方について、

「歴史的なレシピは出発点であって、固定された規則ではない。」

と述べている。[2]

歴史的な手順から意識的に逸脱し、その結果を繰り返し検証し、最終的に信頼できる独自の方法へと発展させる。そのとき、再構成は個人的な実践へと変化する。[2]

ここには重要な転換がある。

再構成が問いかけるのは、**「過去にはどのように作られていたのか」**という問題である。

それに対して実験が問いかけるのは、**「その技法は現在において何になり得るのか」**という問題である。

この違いによって、歴史的な写真技法は単なる保存対象ではなく、現代の写真表現のための実験的な語彙になる。

画像と物質は切り離せない

新川の考えを最も端的に表しているのが、次の言葉である。

「私にとって、画像と物質的なプロセスは切り離せない。表面そのものが、見えているものに参加している。」[2]

この考えは、写真についての一般的な理解を大きく揺さぶる。

写真を見るとき、「画像」が本質的なものとされ、紙、乳剤、化学反応、表面などは、その画像を成立させるための技術的手段として扱われることが多い。

新川はその関係を逆転させる。

表面そのものが、見るという行為に参加している。

つまり、写真の表面は単なる支持体ではない。紙、木、陶、乳剤、化学構造、光沢、質感、密度、経年変化などが、画像を見る経験そのものに影響を与える。

この考え方からすれば、同じ画像が異なる写真技法によって制作された場合、それらは単なる「異なるプリント」ではない。

そこでは物質的な状態そのものが変化している。

プロセスの違いは、写真オブジェクトの違いにつながり得る。

ネガとデジタルファイルは「可能性」である

新川は、ネガやデジタルファイルとプリントの関係について、非常に簡潔な考えを示している。

「ネガやファイルは一つの可能性であり、各プリントはその可能性の一つの実現である。」[2]

ここで、ネガやファイルは完成した写真そのものではない。それらは複数の可能な実現を含む潜在的な状態として捉えられている。

プリントは、その可能性が具体的な物質の形として実現した一つの状態である。

さらに新川は、異なるプロセスや素材によって制作されたプリントは、新しい写真オブジェクトとなり、通常は新しい作品にもなると考えている。[2]

この考え方は、写真のオリジナルと複製をめぐる問題に重要な視点を与える。

画像そのものが変わらなくても、異なるプロセスや素材によって実現された写真は、別の物質的存在となり得る。

つまり、写真は単一の完成物としてではなく、一つの画像がさまざまな物質的状態として実現される可能性として理解することができる。

歴史的レシピは発明のための起点になる

新川の実践で重要なのは、歴史的技法を忠実に再現することだけが価値ある方法ではないという点である。

歴史的な処方に意識的な変更を加え、その結果を繰り返し検証し、安定した方法へと発展させる。そのとき、歴史的な技法は個人の創作方法へと変化する。[2]

ここでは、

歴史的技法を保存すること

歴史的技法を使って新しいものを発明すること

が区別される。

この違いは、現代のオルタナティブ・プロセスを考えるうえで重要である。

写真家は、過去の技術を単に保存する人ではない。

過去から引き継いだ技術を、現在の材料、現在の環境、現在の問いに接続し直す実験者なのである。

永続性そのものを主題にする

新川の研究で特に特徴的なのは、写真の耐久性に対する強い関心である。

彼は陶板や木板などの代替支持体を用い、サイアノタイプ、ラッカー、柿タンニン、ケイ酸ナトリウムなどを組み合わせた新しいプロセスを研究している。[2] また、新川写真研究所でも、支持体の物性や写真材料の長期保存について継続的に検討している。[1]

極めて長い保存期間を想定したプロセス開発についても言及しているが、ここでは注意が必要である。将来的な保存年数は研究上の目標であり、その数値がすでに実証されたという意味ではない。実際の保存性を評価するには、加速劣化試験をはじめとする検証が必要である。

しかし、ここで本当に重要なのは具体的な年数ではない。

新川にとって、

「永続性そのものが主題である。」[2]

のである。

したがって、耐久性は単なる技術的な性能ではなく、作品の主題となり得る

さらに彼は、不安定性についても、

「不安定性は失敗ではなく、素材についての情報として扱う。」[2]

と述べている。

これは非常に興味深い視点である。

保存修復の観点から見れば、不安定性は一般に抑制すべき問題である。しかし新川にとって、素材が変化すること自体が、その素材について何かを伝える。

写真は、完成した瞬間に固定されるものではない。

それは、物質が変化してきた履歴を持つオブジェクトにもなり得る。

写真は時間を止めるのか

この考えは、新川の「微小位相差論」と深く関係している。

2026年に公開された理論的文章では、新川は、あらゆる存在が絶えず微細な位相差の中にあるという考えを提示している。そこでは、静止して見えるものも完全には静止しておらず、知覚できないほど小さな変位が継続している。[4]

この理論から展開された実践が「双構図」である。

同じ対象をほぼ同一の位置から撮影し、一定の時間間隔を置いた二枚の画像を対として提示する。二枚の画像は独立した記録ではなく、その間に存在する微細な差異を知覚させるための構造となる。[4][5]

新川は、自身の回答の中で写真について次のように述べている。

「写真を、一つの瞬間を固定した記録ではなく、複数の状態が共存する場として見るようになった。」[2]

ここでは、写真に対する基本的な考え方そのものが変化している。

写真は時間を止めるのではない。

むしろ、時間を未解決の緊張状態として保持する

「双構図」において意味は、一枚目の画像にも二枚目の画像にも単独では存在しない。二枚の間にある差異を、鑑賞者の知覚が関係として成立させる。[4]

その結果として現れるのは、一見すると静止した画像でありながら、その内部で何かが変化しているという感覚である。

写真は静止している。しかし、その静止の中に変化が存在する。

作者性は完全なコントロールではない

歴史的写真技法では、化学反応、温度、湿度、露光、紙質、処理条件など、多くの変数が結果に影響する。

そのため、これらを完全に制御することが熟練の証として考えられることも多い。

新川は、予測できない変数を単純な障害とは考えない。

彼にとって重要なのは、作者の意図と素材の振る舞いとの間で行われる交渉であり、その交渉自体が作者性の一部になる。[2]

ここでは、作者性は完全な支配を意味しない。

作者が決定する。

素材が反応する。

作者が対応する。

その相互作用によって、最終的なオブジェクトが形成される。

したがって、偶然は必ずしも作者性の外側にあるものではない。

それは、作者と素材の関係の内部に組み込まれる可能性がある

歴史的技法は過去への回帰ではない

新川は自身の実践について明確に、

「これは過去への回帰ではない。」[2]

と述べている。

デジタル画像やAIによる画像生成が一般化した現在、手作業によって制作された物質的なオブジェクトは、別の種類の「権威」を持つ可能性がある。新川はそれを、特定の時間と人間の手によって制作されたという証拠と結びつけている。[2]

これは、化学写真のほうがデジタル写真より「真実」であるという意味ではない。

問題は、異なる種類の物質的証拠である。

デジタル画像は容易に複製され、変更され、再生成される。一方、物質的な写真には、表面、化学反応、手作業、素材の変化、経年など、制作の痕跡が残る。

その意味で、歴史的写真技法は現在において新しい役割を獲得する。

それは過去に属しているから使われるのではない。

デジタル画像とは異なる物質的・時間的な存在を生み出すことができるから使われるのである。

この意味で歴史的プロセスは、デジタル画像の無形性や複製可能性に対する、一つの批判的応答にもなり得る。

写真家であると同時に研究者であること

新川の実践には、制作と記録の密接な関係も見られる。

彼は研究ノートや実験記録を公開することを、創作とは別の補助的な活動としてではなく、自身の実践の一部として扱っている。[1][2]

これは、歴史的な写真技法の継承という観点からも重要である。

歴史的技法の知識は、書籍、マニュアル、保存修復、ワークショップ、再構成実験などを通じて伝えられてきた。新川の場合、それに加えて、実験を行い、その過程を記録し、結果を公開すること自体が創作の一部になっている

研究室と暗室。

ノートと写真。

実験と作品。

それらの間に明確な境界はない。

ここで写真家は、同時に制作者、実験者、観察者、記録者、そして理論家となる。

いつ画像は作品になるのか

新川の最後の回答は、彼の考え全体を非常に明確にまとめている。

「写真画像が作品となるのは、プロセス、オブジェクト、意図、文脈が一体として作用するときであり、そのどれか一つを取り除けば、語られていること自体が変わってしまう。」[2]

ここでは、作品の本質を一つの要素だけに求めることができない。

画像だけでは十分ではない。

技法だけでも十分ではない。

素材だけでも十分ではない。

物理的なオブジェクトだけでも十分ではない。

作者の意図だけでも十分ではない。

作品は、それらの関係の中に成立する

この考え方によって、歴史的写真技法の意味も違って見えてくる。

問うべきなのは、単に「どの技法で作られたか」ではない。

その技法が画像をどのように変化させたのか。

素材は意味にどのように参加しているのか。

時間はどのように作品の内部に入り込んでいるのか。

そして、最終的な写真オブジェクトはどのような文脈の中で作品として機能するのか。

この視点に立てば、プロセスは作品が成立する前の単なる作業工程ではない。

プロセスそのものが、作品の存在条件の一部なのである。

歴史的技法から現代の写真へ

Yoshiro Shinkawaの実践は、歴史的な写真技法を単なる復古や保存の対象として理解することの限界を示している。

歴史的な技法は、現代の材料に移され、変更され、実験され、独自の方法へと発展し、新しい写真オブジェクトを生み出し、さらに写真そのものを考えるための理論と結びつく。

そこにあるのは、歴史的写真への単純な回帰ではない。

歴史的な技術を通して成立する現代写真である。

そのとき、中心となる問いも変わる。

単に、

「古い写真技法をどのように復元できるのか」

ではない。

むしろ、

「現代の写真実践が化学、表面、素材、時間との物質的な関係に再び入るとき、写真は何になり得るのか」

という問いになる。

新川の考えは、デジタル写真やAIを否定するものではない。また、アナログ技法が本質的に「より真実」であると主張するものでもない。

彼が示しているのは、物質的なプロセスによって、デジタル環境では見えにくくなり得る写真の側面を再び可視化することである。

表面。

時間。

物質の抵抗。

人間の手。

そして、オブジェクトが持つ固有の履歴。

歴史的技法が現代において新しい意味を持つのは、それが過去のものだからではない。

画像が存在する条件そのものを変えることができるからである。

この意味で、サイアノタイプ、リスプリント、銀塩技法、あるいは新しい支持体を用いた実験は、単なる「古い写真技法の復活」としてではなく、技術史を現在の問題へ接続するための方法として理解できる。

画像がアルゴリズムによって生成され、ほとんど無限に複製され、瞬時に変更される時代において、物理的な写真オブジェクトは、そこに含まれる情報だけには還元できない性質を持つ。

表面には痕跡が残る。

素材は反応する。

化学反応には時間が必要である。

手は痕跡を残す。

そしてオブジェクトは、それ自身の履歴を持つ。

新川の実践が示唆するのは、歴史的写真技法の未来が、過去の技術をそのまま保存することにあるのではないということである。

その未来はむしろ、画像が物質的抵抗、時間的な厚み、そして固有の物理的な生命を獲得したとき、写真とは何になるのかを問い直すことにある。

そのとき歴史的技法は、過去を再現するための技術ではなく、写真の未来を考えるための技術になる。

[1] 新川芳朗(Yoshiro Shinkawa), 「新川写真研究所(Shinkawa Photographic Institute)」. オルタナティブ・フォトプロセス、高耐久写真プロセス、「双構図」「微小位相差論」などに関する研究・実験記録。新川写真研究所の公開資料。[Web source] (Shinkawa Photographic Laboratory)

[2] 新川芳朗、歴史的写真技法、物質性、永続性、作者性、写真オブジェクト等に関する質問への回答、2026年、電子メールによる回答。

[3] Mark Osterman, “The Importance of Research and Practice of Historical Photographic Processes in Photograph Conservation,” Journal of the Society of Photographic Science and Technology of Japan, 72(1), 2009, pp. 30–33. 同論文では、写真画像の同定、保存、修復、展示を適切に行うために、その画像を形成した写真技法について理解することの重要性が論じられている。 (J-STAGE)

[4] Yoshiro Shinkawa, “Micro Phase Difference Theory and Dual Composition: A Theoretical Summary,” June 8, 2026. 「微小位相差論」と「双構図」の基本的な考え方を示し、静止して見える画像の内部に時間的な差異が存在するという理論を展開している。 (Shinkawa Agriculture)

[5] 新川芳朗、「微小位相差論——理論生成ノート」、2026年5月。完成された理論書ではなく、批判や問題提起を受けながら理論が形成されていった過程を記録した思考ノートとして位置づけられている。 (Shinkawa Photographic Laboratory)

画像について: Yoshiro Shinkawa, Hill of Carnation / Paired Composition, 2026. 新川芳朗のブログ掲載画像。作者の許可を得て掲載。
https://shinkawayoshirou.blogspot.com/2026/05/hill-of-carnationpaired-composition.html

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