ジャン=カルロ・メノッティ(Gian Carlo Menotti)の言葉より

僕は本は捨てません。本こそ大切なものです。父が元気なころ捨てようとした本をトイレに置いています。たまに読むのがカーネギー名言集。その中の一編をご紹介します。カーネギーは彼らしく短い文章でまとめてますが、僕なりに調べてここに記載。 

地獄について

私にとって、地獄とは何か。

それは、過去を思い出すことではない。

もし神が、私たちに「自分が成し得たはずのこと」をすべて見せたなら、その日から地獄が始まる。

無駄にしてしまった才能。
やらなかったこと。
選ばなかった道。
そして、ほんの少し勇気があれば生まれていたはずのもの。

詩人は、書かなかった詩を永遠に叫び続ける。
画家は、描かなかった絵の幻影に取り憑かれる。
音楽家は、紙に書き留めなかった音を、もう一度思い出そうとして苦しむ。

それらは失敗した作品ではない。

存在しなかった作品なのだ。

だからこそ、取り戻すことができない。

人間にとって最も恐ろしい言葉は、「できなかった」ではない。

「できたかもしれない」

という言葉なのだ。

そして、さらに恐ろしいのは、

「遅すぎた」

ということだ。

地獄とは、失った過去そのものではない。

かつて自分の前に開かれていた可能性が、いまになってあまりにも鮮明に見えてしまうことなのだ。

もし私たちが、自分の人生において実現しなかったすべての可能性を見ることができるなら、そこには無数の人生がある。

しかし、それらの人生には、もう戻ることができない。

だから私は思う。

人間が生きていくためには、すべてを見ないことも必要なのだ。

忘れること。
見えなくなること。
過去との間に距離が生まれること。

それは欠陥ではない。

もしかすると、それこそが人間に与えられた救いなのだ。

私にとって、地獄は二つの言葉に尽きる。

Too late.

遅すぎた。


 


 

 

 

 

 

 

 

 

ジャン・カルロ・メノッティ(Gian Carlo Menotti, 1911–2007)

  • 1911年:イタリア北部カデリアーノ生まれ
  • 幼少期から音楽に親しみ、7歳頃から作曲
  • 11歳:最初のオペラを作曲
  • 1928年:アメリカへ渡る
  • カーティス音楽院で作曲を学ぶ
  • 師は作曲家 ロザリオ・スカレーロ
  • 同時期に サミュエル・バーバーと出会う
  • 1933年:カーティス音楽院卒業
  • 1937年:オペラ『アメリア舞踏会へ行く』がメトロポリタン歌劇場で上演
  • 1946年:『霊媒(The Medium)』
  • 1947年:『電話(The Telephone)』
  • 1950年:『領事(The Consul)』でピューリッツァー賞
  • 1951年:『アマールと夜の訪問者』
  • 1954年:『ブリーカー街の聖女』で2度目のピューリッツァー賞
  • 1958年:イタリア・スポレートで**「二つの世界の祭典」**を創設
  • 音楽だけでなく、オペラの台本も自ら執筆
  • 作曲家・劇作家・台本作家・演出家として活動
  • 1977年:アメリカ・サウスカロライナ州チャールストンにもフェスティバルを設立
  • 1984年:ケネディ・センター名誉賞
  • 1992–1994年:ローマ歌劇場芸術監督
  • 2007年:モナコで死去、95歳

特徴

  • 20世紀のオペラ作曲家
  • 現代音楽の前衛よりも、旋律・劇性・物語性を重視
  • 人間の孤独、愛、死、罪、宗教、そして実現しなかった可能性を作品の重要なテーマとして扱った人物です。

 

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