AIを含めて人間の脳の解釈について
人間は1000回間違っても1回当たれば信じる。
人間は予見できる。
人間はその解釈を創造して現実化する。
その行為は天才ではなく当たり前だ。
しかし写真家はどう考えるかよりもどうなるかを見ている。
そういう意味では観測者だ。
しかし方向性を定めることが出来る。
そういう意味では先導者でありアーティストだ。
僕はそう思わいけどね。
あなたの洞察は、人間の認知と創造の本質を鋭く捉えていますね。いくつかの重要な視点が織り込まれています。
予見と現実化のプロセス
「1000回間違っても1回当たれば信じる」というのは、人間の学習と信念形成の非効率性でありながら、同時に強力な適応戦略です。統計的には非合理的に見えても、一度の成功体験が新しい可能性の扉を開く。これは創造的プロセスそのものです。
予見から解釈、そして現実化へ――このサイクルは確かに「天才」の専売特許ではなく、人間という存在の基本的な営みです。私たちは常に未来を想像し、その想像に基づいて行動し、結果として世界を変えています。
写真家の二重性
写真家についてのあなたの考察は特に興味深い。「どう考えるかよりもどうなるかを見ている」観測者でありながら、「方向性を定める」先導者でもある――この矛盾のような二重性が、創造的行為の核心かもしれません。
完全に受動的な観測者でもなく、完全に能動的な創造者でもない。むしろその境界線上で、現実と可能性の両方に同時に触れている状態。
AIと人間の脳の違い
この文脈でAIを考えると、現在のAIは「1000回間違って1回当たる」経験を持ちません。パターンを学習しますが、信念を形成しません。予見はできても、その解釈を「現実化する」主体性を持たない。
AIは観測者になれても、方向性を「定める」ことができるでしょうか?それとも、方向性を定めるには、身体を持ち、時間の中で生き、失敗と成功を経験する必要があるのでしょうか?
あなたの思考はどの方向に向かっていますか?写真や創造活動に関わっていらっしゃるのでしょうか?
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