第13章 マリアとアルマー 601話
マリアの家は、そう遠くなかった。教会でシスターとして暮らしていた。
アルマーは、その姿を何度か見かけたことがあった。学校の帰り道、教会の前を通るとき、庭を掃くマリアの後ろ姿が見えることがあった。声をかけようとしたことは、一度もなかった。
或る日、マリアがよしろうはんに頼んだ。
「会いたいんです。アルマーに」
よしろうはんは、しばらく黙っていた。それから、短く答えた。
「本人に聞いてみるわ」
アルマーは、その話を聞いたとき、すぐには返事をしなかった。断る理由もなかったし、会いたい理由もはっきりしなかった。
「会うだけや。それだけでええ」
よしろうはんがそう言った。
「はい」
アルマーは、それだけ答えた。
そして、その週末、アルマーはマリアの向かいに座っていた。
「大きくなりましたね」
マリアが言った。アルマーは頷いた。それ以外に、返す言葉が見つからなかった。
「元気でしたか」
「はい」
「よしろうはんと、不二子はんが、よくしてくれていると聞いています」
「はい」
会話が続かなかった。アルマーは、もっと何か感じるはずだと思っていた。涙が出るとか、怒りが湧くとか、何かが動くはずだと。しかし実際には、目の前にいるのは、ただの知らない女の人だった。優しそうで、少し疲れていて、自分と同じ目の形をしている、知らない人。
「聞きたいことは、ありますか」
マリアが聞いた。
アルマーは考えた。聞きたいことは、あるはずだった。なぜ手放したのか。今まで何をしていたのか。自分のことを、一度でも思い出したことがあったのか。
しかし、いざ聞こうとすると、どの質問も的外れな気がした。答えを聞いたところで、何かが変わる気がしなかった。
「特に、ありません」
そう言うと、マリアは少し驚いた顔をした。それから、小さく頷いた。
「そうですか」
「すみません」
「謝ることではありません」
また、沈黙が来た。今度の沈黙は、さっきよりも重かった。アルマーは、自分の中に何かがあるはずなのに、それがどこにあるのか分からなかった。あるはずの場所を触っても、そこには何もない。ただ、何もないという感触だけがあった。
「アルマー」
マリアが呼んだ。名前を呼ばれて、アルマーは顔を上げた。
「今日、会えてよかったです」
アルマーは、それに何と答えていいか分からなかった。よかったのかどうかも、自分では分からなかった。
「はい」
とだけ、答えた。
それで、その日は終わった。
帰り道、よしろうはんが「どうやった」と聞いてきた。
アルマーは、少し考えてから答えた。
「心の中がからっぽで、何を話せばいいのか分かりませんでした」
よしろうはんは、それ以上何も聞かなかった。