第12章 飛んで火にいる夏の虫ってね 608話

 

「不二子はん。ばいとから帰ってくると、一日が誰かのもんになった気ぃする」

「案さんは、時間を売ってるさかいな」

ぼく様は黙る。

窓は少しだけ開いていた。

真昼の熱気が流れ込み、蝉の声が遠くから押し寄せる。

そのとき、一匹のキリギリスが部屋へ迷い込んできた。

畳へ降りると、しばらく動かない。

ふいに跳ねたかと思えば、また止まる。

首を振るように触角を揺らし、部屋の中を確かめている。

ぼく様は目で追った。

「外へ帰りたいんやろな」

へー

キリギリスは光のほうへ跳ねる。

障子に当たり、畳へ落ちる。

また跳ねる。

今度は柱の陰へ入ってしまった。

「案さんも、よう似てます」

「ぼく様にか」

へー

不二子はんは笑わない。

「案さんは時間が惜しいんどす」

「惜しいな」

ぼく様は何も言わない。

「時間が、案さんから離れていくのが嫌なんどす」

またキリギリスが跳ねた。

今度は障子ではなく、開いた窓のほうへ向かう。

ひと跳びで外へ消えた。

ぼく様は、その小さな後ろ姿を見送る。

「不二子はん」

「なんどす」

「成功する人は、何が違う」

不二子はんは、少し考えた。

「成功する人は、お金を数えてまへん」

「残り時間を数えてます」

ぼく様は黙った。

田んぼの蛙の声が、さっきより少し近く聞こえている。

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