花のあと、人はどう生きるのか
植物には、栄養成長と生殖成長がある。
芽を出し、根を張り、葉を広げる時期。
そして花を咲かせ、種子を残す時期。
では、その後はどうなのか。
生命は、そこで役割を終えるのだろうか。
私はそうは思わない。
古い木には、若い木にはない時間がある。
長い年月を生きた幹には、若さとは違う存在感がある。
人間も同じではないだろうか。
若い頃は、自分を作る時代。
経験を積み、技術を磨き、社会の中で自分の場所を築いていく。
そして次の世代へ何かを渡していく。
しかし、その後の時間について、私たちはあまり考えてこなかった。
現代は、若さを維持することばかりが語られる。
若く見えること。
若い身体でいること。
若者と同じように動けること。
しかし、人間の価値は本当にそこだけなのだろうか。
昔、長老という存在がいた。
若者には未来があり、長老には時間の深さがあった。
そこには互いへの尊敬があった。
今は、身体が衰えると、その人が積み重ねてきた経験や感性まで、一緒に失われたように扱われることがある。
本当にそれでいいのだろうか。
人間には、若さの後に来る、まだ十分に発見されていない生命の段階があるのではないか。
子孫を残したあと。
社会的な役割を終えたあと。
それでも人は創造できる。
考えることができる。
誰かと深い場所で語り合うことができる。
男女が一緒にいることも、いつも恋愛だけではない。
同じ時間を過ごし、互いの世界に触れることもある。
人はいつの間にか、自分の年齢や立場によって、自分自身を小さくしてしまう。
もう若くないから。
もう遅いから。
そうやって、自分の可能性に蓋をしてしまう。
しかし生命は、本来そんなに単純なものではない。
木は古くなるほど根を深くする。
時間を重ねるほど、別の力を持つ。
人間もまた、年齢とともに失うだけの存在ではない。
経験も、記憶も、出会いも、すべてを抱えながら、まだ新しいものを生み出すことができる。
若さを取り戻す必要はない。
老いをただ受け入れるだけでもない。
生命が最後まで変化し続ける、その先の時間。
まだ名前のない第三の季節。
私は、その可能性について考えている。