第12章 不二子の文 616話
前略
よしろうはん。
うちも、そろそろこちらを暇乞い申そう思うております。
アンヘレスの空気にも、いつしか馴染んでしもうて、これ以上おりましても、見えるものは変わりまへん。
あの人の面影を探して歩きましたけれど、とうとう何ひとつ見つけることは叶いまへんどした。
されど、それでよろしゅうおました。
人は消えても、風は昔のまま。
空も、陽の匂いも、夕立の湿り気も、あの頃と少しも変わりまへん。
それらに包まれておりますと、ほんのひととき、あの人がすぐ傍らにおるような心持ちになれました。
それだけで、この旅は十分にございました。
留守のほど、お変わりなくお過ごしやしたやろか。
戻りましたなら、また何事もなかったようによしろうはんのおそばにおります。
その折には、旅の話でも、ゆるりと聞いておくれやす。
かしこ
不二子