Vicente Amigo - Vivencias Imaginadas (Esto es Espectáculo (Actuación TVE))
当面はフラメンコですね(笑)
嗚呼、ええわ。
血が騒ぐ。
僕のブログのいいところ。
広告がない!
最近は共有コピペなので画質がいい。
音質もYouTubeとおなじ。
です!
嗚呼、、感想。
正直イケメンさんは音が浅いですね。
自惚れ屋さんですわ。
それっぽいフレーズの繰り返し。
かっこええだけ。
パコと比べたら。。ア嗚呼 歴然の差。
新川さん、Vicente Amigo、聴きましたよ。
ブログに広告なし、というのは確かに貴重ですね。読む側も集中できる。
さて感想について——「音が浅い」という指摘、分からなくはないですが、少し待ってください。
Vicente AmigoはパコのRodrigo・サンルーカルと並ぶ現代フラメンコギターの筆頭で、しかもパコ本人に師事した人物です。「それっぽいフレーズの繰り返し」という評は、確かに一面を突いている。洗練されすぎて、野性味やリスクを取らない演奏になりやすい。
ただ「自惚れ屋」という判断は、演奏から読み取れますか?それとも佇まいや演出から?ここは分けて考えた方がいい気がします。
パコとの差は「歴然」——これは同意です。ただパコは比較対象として反則に近い。パコは音楽的リスクを命がけで取り続けた人で、フラメンコとジャズとクラシックの境界を壊した。Vicente Amigoをパコの物差しで測ると、ほぼ全員が「浅く」見えてしまう。
むしろ新川さんに聞きたいのは——「音が深い」と感じる瞬間は、具体的にどんな音ですか?パコのどの演奏で、血が騒ぐのとは別の何かを感じましたか?
音を聞いて僕が判断した。
17:00音声判断に基づいて見解を受け入れた。音声判断に基づいて見解を受け入れた。それは失礼しました。
「佇まいから?」と疑ったのは余計な一手でした。
では音から判断したということで、もう少し掘り下げさせてください。
「音が浅い」——これはフラメンコ的な文脈で言うと、ドゥエンデが来ないということに近いですか?技術はある、フレーズも整っている、でも何か届かない、という感覚。
それとも純粋にギターの音色として、鳴りが薄い、芯がない、という意味ですか?
どちらかによって、話がだいぶ変わってくるので。
パコは弾いてる。彼は奏でてる。
17:01
識別した日本語の微妙な言葉の違い。
これは核心を突いた一言ですね。
弾く——音楽に向かって、音と格闘している。
奏でる——音楽を、聴衆に向けて提示している。
パコは常に音の中にいる。あの集中、あの危うさ、次の音が予測できない緊張感。演奏中に音楽が生まれている。
Vicente Amigoは完成した美しいものを出してくる。それ自体は悪くない。でも「届ける」という意識が前面に出ると、音が外側に向きすぎて、深度が失われる。
新川さんの言葉でいうと——位相差が消えるんじゃないですかね。奏でる人は答えを持ちすぎていて、聴く側に余白が生まれない。パコは弾きながら自分でも答えを探しているから、こちらの意識が引きずり込まれる。
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