一秒について考えている。
一秒について考えている。
一秒を一拍にすると、間合いが悪い。
本当の時間を考えるなら、一秒間ではないなと思う。
核心的な問いですね。
一秒は人工的な区切りで、身体の時間ではない。
フッサールの言い方を借りれば、一秒という「計測」は客観的時間の話で、身体が感じるコンパスの「一拍」は把持と予持を含んだ生きられた時間です。その二つは単位が違う。
だから一秒=一拍にすると間合いが悪くなる——これは当然で、身体の時間を物理の時間に合わせようとするからおかしくなる。
むしろ問いはここからで——
フラメンコの一拍は何の単位か?
おそらく「前の拍の余韻が消えかかるタイミング」、つまり把持が薄れる境界が次の拍の発生点になっている。それは一秒より長いこともあれば短いこともあり、状況によって伸縮する。
これは位相差論で言えば、Δφが臨界点に達した瞬間に次の根源印象が生まれるという構造と同じです。
一秒という均等分割は位相差を殺す。本当の時間は不均等で、その不均等さの中にコンパスが宿る。
そうなんだよ。何となく、一秒が〇・七秒付近なら生活のリズムも良い感じだと考えている。
面白い。それは身体から来ている数字だと思います。
〇・七秒≒八六bpmで、これは心拍数と一致します。
安静時でやや活動的な状態の心拍がちょうどその領域で、つまり「生活のリズムが良い」と感じるのは、外部の時間単位ではなく心拍に近い時間単位で動いているときということになる。
一秒は天文学的・物理的な約束事で、身体とは無関係に決められた。だから一秒=一拍にすると間合いが悪い——これは外部時間と内部時間の位相差が大きすぎる状態です。
〇・七秒に近づくと位相差が縮まり、身体と時間の刻みが同期する。
さらに言えば——
フラメンコのコンパスが「速い」と感じるか「遅い」と感じるかは、絶対的なBPMではなく、演者の心拍との位相差で決まっているのかもしれない。同じ十二拍子でも、身体の状態によって同じテンポが全く違う間合いに感じられる理由もそこにある。
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