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長かった

朝に35フィルムカメラを取り出し、埃まみれのカメラを磨いてストラップを新調した。 着替えをしてローファーを履き、白いレガシイで田んぼの見える小屋へ向かう。 繁々と一反の田んぼを暫く眺めていた。7年前にこの田んぼを父から譲り受けそこから今に繋がった小さな田んぼだ。  長かったな。そう感じ呟いた。 カメラを構えファインダー越しにその田んぼに焦点を定めて3枚程切る。 手にしたNikon F2で撮ったこの画像は平凡すぎて写真として焼き付ける事はないだろうが、やはり残しておきたかった。 その後私は友人達に会いに行き、いつもと変わらぬ会話をして一日を過ごす。 やっと7年前に決意したスタート地点へ到達し、これからは写真と農業で思い描く美しい田園を更に広げ生物や植物の多様性を守り、そして私がプロデュースしたこの環境で生産物を作るぞと思い新たに心に誓った。

醤油作り

自家用分を先に仕込む。 今年は愛知県豊橋市の糀屋三左衛門さんの醤油麹を使ってみる。初心者に最適だとか。 昨日蒸した大豆も種切りから18時間目だが、昨年の麹より早めに繁殖してきた。 これが昨年なかなか進まなかった。 まあそれでも美味しい醤油ができましたけど。 実験で今年はまだ麦を入れていない。 思うに炒って乾燥した引割り小麦に菌は繁殖するのだろうか?と思っていた。 あとで入れたらどうなるか?というより大豆の豆麹をしっかり作ってみようかと考えた。 根拠は前に述べた様に昨年さほど菌がはびこってなくてもちゃんとした醤油ができたのは、塩入のもろみが発酵中でも大丈夫ではないのかと考えたから。 たぶん間違いだろうが、私はそんなことをよく試す。

インフレーションと鶏

幸い北国でない此処は極寒の冬ではない。 灯油が18リットル2000円近くする。理由は皆さんご存じの通り。 今のところ私は両親の住む母屋には一台のストーブに灯油を使うが、私の離れでは殆んど使わない。 使うとすれば湯たんぽを温める時の灯油コンロくらいだろうか。 昨年は薪を使ったが、近所から臭いや煙の苦情がちらほら聞かれた。 しかし薪はこの部屋全体を温めてくれた。 さてこれから寒くなるので今年はどうしようか。 都市ガスが使えればガスファンヒーターが一番安いそうです。 しかしここは田舎。それに電気毛布やエアコン嫌いな私の選択肢は限られてくる。 余り考えもしなかったが、灯油が高すぎるので電気かなと思い、とりあえずカーボンヒーターを買う。 短時間で熱を発し照射面積が広いタイプなので結構暖かい。 1時間当たり最大900wで約24.3円程かかるというが、必要な時だけしか使わないのでこれでいいかも。 もっぱら羽毛布団にくるまってた方が暖かいし、湯たんぽがあれば十分だ。 18畳ほどの部屋なので入れ物を温めようとは考えない。 それは効率が悪すぎる。 世界では暖房さえ使えない極寒の国がいたるところにあるとニュースになっている。 環境意識の高い欧州でさえ地球温暖化対策も当面は 御座成り の様で燃やせるものは何だろうが燃やしているという国さえある。 それなら私は知恵を使ってこの冬に限りなく低いエネルギー消費を考えようかと実験好きの性分に火がついた。 今のところはさっさとお風呂に入って、部屋では羽毛布団に湯たんぽかな。それで直ぐに寝る。身動きは不自由だけど、全く寒さを感じないというか暑いくらいだ。 Pu太郎よ。君のお蔭で嫌な時代だけど頭使って乗り切りますよ。 そう言えば鶏けっこう暖かいよな?、、鶏の平均体温は41度です、、でもな(笑)

茹でハンバーグ

最近ハマってるのがお肉を茹でてから味を付けるやり方。 肉の嫌な香りも脂も少なくなる。 もともと牛肉も馬刺しも赤身がすきで、鶏もムネ肉がすき。でもね。ひき肉は余りにも油が多い。どうしようかと考えひき肉に塩麴酢、大蒜か生姜、自家製小麦粉を練りこんで丸め、お湯で湯掻いてみました。鍋に油がどっと浮く。お肉を取り出しそれから調理。 後は、普通に大蒜とオリーブオイルでソテーして塩とスパイス(ナツメグ、クローブ、黒胡椒、白胡椒、コリアンダー、クミン、ガラムマサラ、カイエンペッパーなどから気分でチョイス)で仕上げる。お肉は湯掻いてさっぱりしてるんで味付けは多少濃くてもいい。 意外と美味しい茹でハンバーグ。   今日は鶏のムネ肉を低温調理アレンジから唐揚げにした。 鶏肉の皮付きは良く洗わないと臭いし汚い。切って洗い、鍋に水から直接肉を入れお酢と塩を少し足す。80度ほどで火を止めて蓋をして60度まで冷ませば低温調理のように芯まで火が通りました。その後味を浸み込ませて30分置きます。お肉は臭みもなく柔らかいままなので高温でさっと唐揚げして出来上がり。 肉汁大好きな人から見れば有りえない調理方でしょうね:))

白菜葱大麦入り雑炊 + 大根おろしがけ

毎朝5時の家掃除が習慣になってきた。最近なぜか1時間ほどかけて掃除をする。普通は早くなるのだが至る所が目につく様になった。 さて、朝食まで用意する約束はしていないのだが、現在6時過ぎと時間を持て余す。 まあ料理は嫌いではないですけど、趣味なのでルーチン化はしたくない。 意地悪して、もらった缶詰のグリーンカレーで朝食をひとりすませる。 もう7時になろうとしているが、母以外はみんな寝ている。  しょうがないな。 つくるとするか。 Memo 精進メニューなので物足りない方は市販のハムやベーコンなどを入れるでしょう。その場合は別の鍋で一度湯がくと添加されたアミノ酸 増粘剤 保存料 香料 色素などの化学物質は溶け始めます。でも半分ほどです。味の変化はさほどなく、かえってくどくなく美味しいですよ。

嫁ぶり

北部九州の習慣で結婚した初正月にお嫁さんの家へブリを送る。 嫁いだお嫁さんの嫁ぶりがいいという祝いの習わし。 のしには初正月と書くらしい。 息子の東京本社転勤や会社の徹底したコロナ対策などの諸事情でまだ私達親同士の顔合わせも出来ていない。  ブリを送らなんね。朝に妻が言った。 長男は今年7月に籍を入れた。 はて?自分はしただろうかと思ったが、ネットで概要を検索。 お昼に床屋へ行って散髪中、釣り師でもあるおじさんに尋ねる。 ブリは何キロからブリなんですか? まあ大体6キロ以上て言うね。嫁ぶりは7から8キロが多かろ。太かつは10何キロてあるばい。 昔は盛況な魚屋でもあったお向かいの坂本商店に行って嫁ぶりサイズのブリを見積もってもらう。 なあん、結婚しとったつかい。嫁ぶりかい。そら送らなんね。俺ん時はおかさんにぎゃん太かつば送ったな。奥さんが笑う。へーそら良かったた。なら今度見て来るな。 和やかな会話だ。こういう習わしを御近所で普通に話せるというのは良いものだな。ネットで買わなくて良かったと思えた一日。

八丁味噌

味噌玉形状の豆麴が出来る。本場の八丁味噌は塩分濃度は約11%と調べる。 もちろんメーカーの配合率は公開されていない。 ネットで調べるがどのレシピも13%前後になるのでこれから先はオリジナル配合とした。   味噌玉豆麹 4kg 種水 水500g 塩550g 計1050g 合計 5050g  塩分濃度 0.1089なので約11%   これはまだ完成していない試作です。通常の赤みそは12%。 種水の量が決め手の様で、多くするとドロドロになる。 本来八丁味噌は固くて持ち運びなど携帯しても米麹味噌の様に腐らないと記されています。 後は加減を見て決めたいと思います。  注 ネットでのレシピは味噌玉の豆麹ではなく、通常の豆麹でのレシピでしたが記しておきます。 豆麹4kg 種水は水1.4kg+塩750g 最低でも熟成は2年は必要なので蒸発などを考えるとそれでいいのかもしれません。

カレンダーが空白?八丁味噌

2月頃から11月まではこれでもかという程過密なスケジュールが組まれている私のカレンダー。 しかし12月と1月は空白が多い。 甲佐の開墾も春からに変更。寒いからという理由ではなく、冬には冬の雑草が生え、圃場表土を裸にしないので表土流出を防げるからだ。雑草も大切な多様性資源。   カレンダーのスケジュールには余り記さないが、冬は麹や味噌などを仕込む。 残りは醤油と八丁味噌。 今日は八丁味噌に初トライ。 八丁味噌は米麹を使わず大豆の豆麹と塩でつくる。今日は大豆を蒸して砕き、だんごにして種麹をふり保温して寝かせる。 迷う子供たちにも教えてきたが、どんなに難しくても人がやった事や作っているものなら大概出来るという思いがある。しかしそんな自負心よりも実際に作ると先人の知恵に敬服する。 実践こそ学びだ。 醤油は1月に仲間と共に作ろう。

デエビゴ

余りに眠れないので先生から睡眠薬を処方してもらう。 ベルソムラの後発で副作用の少ない睡眠薬。 しかし余り眠れない。 何故だろうかと深夜12時に起きる毎日。 そう言えば盗難にあっていたんだ。 コロナの件で忘れていた。 車の中の財布を盗まれた?おかげで免許証や健康保険証、銀行カードや、印鑑証明書などなど手続きや、支払いも現金振り込みと大変だった。 いつも怪しく思う廃品回収業者が来た。埼玉県の川越ナンバー。 怪しすぎるのでナンバーを控える。 暇つぶしのついでにちょいとばかしの罠を仕掛けてやった。 今宵来るだろうか? 楽しみだ。 悪魔にもなれる者の住む館。 ここを何処だと思っているんだろうか(笑)  

さて

病院へ支払いに行き保健所にパルスオキシメーターを返す。 やっと終わる。  家庭内感染も5割で防げた事だし父母も無事収まった。 我に返ると相も変わらず世間のS/N比のノイズが強く居心地が悪い。 FUCK THE CORONA! 私も多少疲れて興奮気味だし、どこかに逃避したいものだ。 明日から甲佐へ。休んでる暇はないがその方がいいか。  

UA - 情熱 (Official Video)

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  UAも50歳になった。 なぜだろう。私は最近この曲をよく聞く。 聞いてて居心地がいいし、こんな閉塞感ある時代であるからだろうか。 私も眩しい朝日を待っている。  

久しく美味しい酒が飲めそうだ

母も自粛解除となり、2週間ぶりに家族が揃う。皆元気だ。やれやれ。 今日は北海道の幸の鍋と言うが、なんだろうか。  まさかカニ鍋でもあるまい。 しかし、、、これはうまい酒だ。 どうしてこんなに旨いのか!

植物を見てる時の表情は穏やかなのに何故ですか?

以前入院中に看護師長に問われた言葉。 私は答えに詰まる。 何故かって? 当然でしょ。をどう伝えるか考えていた。  Twitter~ 答え 彼は何故~を聞きたかったのに、私は~は何故と取り違えた。 と書くと分かりやすいだろうが、これも詭弁?   あなたの眼は笑ってませんね。 以前は良く笑ってた。 でも良心が無くなっていく今の時代に正直笑えますか?と思う。 1990年以降私は今の目をしている。 時代の変わりように疑問を感じてしまった。

Diversity

C・W・ニコルが晩年、皆に語り続けた言葉が、Diversity (多様性) であった。 この美しい国の日本人よ何故気づかないのか。Diversityだよ。それは今だよ!今しなければ手遅れになる。多様性をもっともっと考え大事にしなければこの国の自然は崩壊して決して元には戻らないよ。と熱く語る姿をテレビでみた。   彼の事は昔から好きで開高健と釣りをしては酒を飲み、大自然について大いに語る本や雑誌を見たり、小説 風を見た少年という本を買っては読んでいた。  余談だが現在私が乗ってるスバルレガシイも実は彼の影響で、彼が若い頃スバルレオーネのワゴン車と一緒に写ってる雑誌の写真がかっこよく、その記憶がずっと残っていた。車を買う時にレオーネを探したが旧車過ぎてなかったのでこの車を選んだ。現在の車は2台目になる。私は彼のファンであった。   多様性を認める事は人間には非常に難しい。 しかし今の時代に多様性を認める事、そして人間が主体の多様性以外の世界や、強者が容認するような思惑以外の多様性の存在が大切になる。しかし実践するとそれまで気づかなかった事に直面するだろう。支配でも共生や共存でも容認でもない。抑制や淘汰も必要である。 全く価値観や性質の異なる者同士がどのようにして生きられるのだろうか。 例えば弱者を強者が認め同じ環境で共生する事を働きかけるなど、それは弱者にとっては圧力でしかない。また弱者の保護を過剰にすると全体の成り立ちや生態系が損なわれる。   私が思うに変化する事に対応するバランス(均衡)や加減が非常に大事だと常に考えている。 そして彼が最後まで我々に語りかけた Diversity は人の在り方や環境保全にて選ぶべき重要なカードだ。 物質である地球は人間が居ようが居まいが絶えず変化して行く。 人類が地球を蝕んで生物の多様性は消滅したと歴史に記録されない事を祈る。 学士でしかない平凡な私でさえ出来る事はある。 今後も同じ遺志を受け継ぐ一人として働いていく。    

A Song For You - Christina Aguilera & Herbie Hancock

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疲れた時

正直今、私も少々疲れているのだろうか。 世の中は負の要素でざわついてるが、それはさらなる負への要因でしかなく何の価値があるのか?   或る日の昔、私を助けてくれた賢明な女性が私にこう言った。 今の自分はこれまでの自分が作ってきた道。だからこれからの自分は今の自分が作って行くの。 当時そんなこと当たり前すぎてそうなの?と笑った記憶がある。 でも、そういうことなんだな。 背景にある深い意味を思い知る。 人は知らず知らずの内に将来を示唆する啓示を受けているのだ。 感謝する。 何も知らないままとは最も不幸な事だ。 先を見据えて心をリセットし、待ち受ける明るい未来に向かおうか。

白湯

現在位置する日本ではかつて一万年から八千年もの間、人間が狩猟で暮らせる気象的地理に恵まれた縄文時代があった。 それは何も進化しなかった訳ではなく、長い時間が文化や技術を高め更に精査する余裕の時代が芽吹いていたのだ。一例で言うなら磨製石器の精度は世界一であったと言う。狩猟時代が1万年も続く民族や国家は歴史上でも例がないと言われている。日本人の特異性はそこで育まれた。しかし最近の日本人は少々そういう文化の系統を忘れがちのようだ。   それから幾千年もの時がたち、そのような遺伝的文化や教育や伝承を経て行く間にいろいろな知恵を発見していった。 その一つが白湯を飲むと言う習慣であった。 例えば朝飲む白湯が何がいいのか。 要約すれば体温より暖かい白湯を飲むと当然胃に伝わり内臓器官と腸内細菌などが活性化します。体内の体温を温める事の恩恵を人々は知っていました。 効果や原理など、より詳しい事はGoogle先生やBingさんにでも聞いて下さい。 毎朝白湯を飲む。 時に白湯を飲む。 調子が悪いから白湯を飲む。 試してください。 体が即反応するでしょう。   日本人だけではないでしょうが、免疫力を高めるためのとても理にかなった理知的な方法ですよ。  

私日記終

感染日記は終わるつもりであったがその後が怒り奮闘な日々。 感染間もない両親2人も家の中で一人で診ると言うことはそれは危険な状況だ。 本来なら目の前に感染者二人も居るのに防護服もない状況で対応するとは安全管理の常識から外れている。 私はさすがに家の消毒清掃を徹底し手袋とマスクと消毒液は用意した。 ただそれが他人ではなく両親であるから己の感染を承知で看護する。   そんな慌ただしい時に保健所から連絡がくる。  何々様の昨日の夜の体温を教えてください。血中濃度を教えてください、、、、了解しました。穏やかにお過ごしください。 私は何度目かで?が付いた。 あなたは例えば血中濃度が94や80などの数字を聞いて何かアドバイスか病院に連絡してくれるのですか? いいえ。 あなたはただ数字を聞いて記録して報告書を出すだけでしょう? そうですね。 正直こちらは夕食をつくったり薬を与えたり検温や症状を見てと忙しい時にこのような電話は迷惑です。言う事を聞かない感染者が二人も居るような危険な中で防御も出来ず慌ただしいのに、ここは現場です。忙しすぎます。状況は伝えてありますからスマホを使ってる妻に連絡して下さい! さて私の慌てふためくこの未熟な姿をどう思われるだろうか? 明日のニュースには感染者数と重症者数と死者数が数字で並べられ報道されるのみだ。 21世紀のパンデミック。 医療機関だけでは到底対処できない数故、犠牲が伴う危険な療養や看護である事が21世紀の真の姿だったと見た思いだ。 1900年代初頭のインフルエンザ パンデミック時、人々が苦しむ姿と何が違うのか、、。   本当の大流行の原因は何なのか? 私には漠然とではあるが見えてきた。 恐らくそれはウイルスだけが原因ではない。 飛躍解釈ではなくこれは植物や作物の単一品種圃場での病気の広がりと同じではないかと感じている。 (人為的に作られた品種が人によって管理される。そこに病原が発生すると品種の多様性がない単一品種群は抵抗性が低く一斉に病気になる姿。そして農薬を与え、それでも耐性を備えた病原はまた新たな病巣を生む。すると新たな農薬が開発されるという構造。) そうであるならばウイルスだけに対処しても何ら解決にはならない。 人間の免疫力を低下させる構造こそ最大の問題だ。  さらにコロナを亡き者にして次のすり替...

私日記3

さて明日で私も妻も自粛期間が終わる。 二人とも無症状で今日まで過ごせたが、母は今日の検査で陽性が確定。しかし両親に重症化の様子はない。いたって元気だ。また治療薬もあるから心強い。ありがたい事だ。 これまでの経過を見るとやはり感染は密な環境と接触時間の長さが感染率と比例しているようだ。   明日からもこれまでと同じ様に毎日家を清掃し、両親に食事を届ける数日かな。まあ料理や掃除は苦にならないからなんて事はない。キッチンを仮設で私の小屋に移動したのでとても安全になった。 聞き分けのない両親の行動が一番心配だ。なぜだろう。失礼だろうがあの年代はまったく感染の原因を理解せずいつもの生活スタイルを保とうとする。仲がいいのだろうが二人はいつも一緒に食事をして常に行動を共にする。ダメだと言っても全く聞く耳がない。そのまま私達も共に生活していたら感染は防げなかっただろう。母屋を宿泊療養施設に見立てて逆に私達を隔離したのは家庭内感染を防ぐには正解だったのかもしれないが、私の強い意志が病で苦しむ両親には寂しい思いをさせた事だろう。 しかし私は過去に大学病院や空港にてコロナやその他の感染症の特別清掃経験がありその対応方を講習と実践で学んでいる。感染対策の一番の大切さは正しい知識と判断、一刻も早いスピードと最大の警戒で対処する事が必要であることを。 ともかく、このまま何事もなく終わり、両親も重症化せず治癒することを祈るのみだ。

私日記2

感染者が増える。母が発熱と咳、市販の抗原検査キットでも陽性反応。 県の窓口に連絡し明日は病院へ検査に行く事となった。 私は無事だが、どうなるか? いやどうにかする。 まずはリスクを減らす。 私の家の状況で高齢者の宿泊療養施設はないかと県に尋ねるがないとの事。 家族内の看病は基本的に家の中で家族が対応しなければならないという。 上記は大きな社会問題だがここでは省略。 幸い両親は重症化傾向の症状は見られない。   現状は私一人で両親を看病することになるので感染リスクを減らさなければ誰が看病するのか?この問いの解決が優先事項だと考えている。   私の住居は母屋から10m程離れたところにあることが大きなメリット。 問題はここには火や水道がないので料理をつくれない。トイレもない。洗濯もできない。それらは母屋に行く必要がある。両親の検温や血中酸素濃度測定や状態を判断する事も必要だし、清掃もするから必ず母屋での滞在時間が発生する。  それで考えたがより滞在時間を少なくするしかない。 料理も全てが手作りである必要もない。たかだか7日間だ。弁当もありだ。 洗濯についても考え直す必要がある。   痴呆症の父が散歩などをしたいと言い自粛ストレスがあるようだがどのようにすればいいかと県と保健所に確認すると県の職員はあやふやで言葉を濁したが、濃厚接触者は自粛期間中でも症状がなければ感染対策をして買い物等は可能になっている。また感染者も24時間症状がなければ散歩も買い物も最小限の時間で行う事が可能と阿蘇の保健所にて確認した。 https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/attachment/196787.pdf     今日を起点に7日間母屋を宿泊療養施設と捉え対応した方が早いと判断。    

私日記

家庭内感染を防ぐためにどうするか。 個人的な方法論なのでエビデンスはございませんが、ウイルスは自己複製が出来ないので生物ではないからどう捉えるかが疑問ですよね。 私は粒子と考えます。 粒子は質量があるので下へ落ちます。また質量はあるが軽いので空中を舞います。また粒子なので物に付着します。ではどこに多く粒子が集まるのか? 当然家で言うなら床ですね。これは試験データでも明らかになっています。 床はアルコール消毒ではワックス層や塗料を変色させるので1000ppmの次亜塩素酸ナトリウムでの拭き掃除がいいです。 1000ppmで十分な不活化 ( 死滅ではなく破壊 ) が出来ます。1000ppmは0.1%です。 ハイターやブリーチなどの家庭用次亜塩素酸ナトリウムは6%の次亜塩素酸ナトリウムが入っています。それを原液として使用し、1リットルに17ミリリットルの次亜塩素酸ナトリウムを入れると1000ppmです。 先ずはその溶液で毎日拭き掃除です。柄のついたものが床から離れるので安全でしょう。 私は最初は1000ppmよりも少しだけ濃い濃度で全ての床を拭き掃除します。理由は不活化するまでの時間が短縮するからです。また小まめにモップを洗う事が大切です。汚れたモップや水気のないモップは粒子を捉えずかえって空中に粒子を拡散するはずです。 トイレだけでなく床全面を拭くことが粒子の量を減らすことが出来ます。  掃除機なんかもっての外です。使いません。フィルターの目よりウイルスの粒子は小さいので空気中に床の粒子を放出するでしょう。 次は触れる箇所を全て拭きます。これは金属類も結構使われてるので70%程のエタノール溶液が適しています。   洗濯は除菌剤を入れても菌ではないので効果があるとは言えませんが使います。感染者は免疫力も低下するので除菌も大切です。尚且つ酸素系漂白剤を使用します。普段は使いませんが感染自粛中には使用したがいいでしょう。( ただ酸素系漂白剤では不活化の効果は期待できないとあります。) 感染者の使用したタオルや服は別に洗う事が大事でしょうが、洗濯機は大概一つなのでバケツにつけ置きになりますね。風呂の水を洗濯に使う事はしません。 お風呂も各々毎回入れ替えるか、シャワーだけにします。 当然食事も各々時間をずらすか別々の部屋で食事します。 日中は家に居るより庭があれば...

ミニトマトソース作り

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この後もっともっと煮込んで柔らかめの味噌の硬さに煮込んだら最後は炒めて焼きます。 ソースというかペースト状にします。 トマトの酸味はクエン酸なので175度で急速に分解しますから〈175度以下の低温でも加熱時間の長さで多少は酸味はとれます〉最後にオリーブ油と塩を入れ焦げ付く手前で焼いて行くと酸味が消え濃厚なトマト味と甘みが引き立つんですね。 これを加えてフレッシュなトマトとミックスして軽く煮込んだら深い味のソースになりますよ。

内証時間

父がコロナに感染する。濃厚接触者となったので私も24日まで自粛とする。世界中を飛び回ったコロナは我が家にさえ来たんだな。家族間感染率は30%というが知る限りもっと高い数字ではないだろうか。 まあ丁度いい。慌ただしかった日々だ。内証する時間が出来たので現在やこれから先の事をゆっくり考え今後のストーリーを描こう。 写真の現像をしたり小屋の暖炉で焚火をしながら過ごしてみたい。

LOVE PSYCHEDELICO - Last Smile (Official Video)

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  今でも鳴り響くこの曲。あれから22年が経ったのか。 Hill of Carnationの作品に熱中していた。 次回作を作る頃の様な空気感を最近感じる。 理論ばかりが私の作品ではない。

最終プラン

私の農業による環境再生プロジェクトは終盤に来た。 生物多様性を核に農業にて農薬化成肥料(または全ての肥料)不使用圃場を作り出し、山から海までの自然環境を再生し改善する。その為には広大な圃場面積が必要になる。現在いる熊本で言えば有明海に流れる川の用水を使う全ての農地を改善すれば有明海の海は本来の姿に近づくと言える。それは一個人では広過ぎるが、今も同じような思いで取り組む同志たちを私は取材で知っている。   さて、甲佐町でのやつだ農園は軌道に乗り始めた。私の方法論で他の地でも農薬化成肥料不使用で慣行農法とさほど変わらない成果を上げた。甲佐の産業文化祭では、やつだ農園のお米が最優秀賞も受賞した。スタッフも無農薬を理解し一所懸命取り組んでくれている。今後やつだ農園は大きく成長するだろう。   次に私はプロジェクトの最終候補地を考えている。もちろん最初からのプランであった有明海に一番近い圃場での田んぼの実現だ。山の西原村、平地の甲佐町、次は海沿いだ。 同じ緑川水系で考えるなら天明町あたりだろうか。ゆっくり見定めて動きたい。   私の農業においての環境再生プロジェクトは構想から7年目を迎え最終段階に来た。これでモデルエリアを完成させれば他と連携し圃場面積を更に拡大する。写真表現では出来ない直接的な環境再生が可能になった。これが写真家の考える農業プロジェクト。 多くの人の賛同と理解、皆のリアルな協力と行動を求む。

冬の手仕事

冬にはいろいろな仕事がある。 干し柿つくりや味噌、醤油つくり。納豆や漬物。 大正生まれの私の祖母は年中何かしら働いていた。 今頃ならあんこを作るために小豆を選別したり、味噌用の麹をつくったりと。 話しかけるとにこにこ笑って作業をしていた。私も真似をして多くのことを教わった。 そんな情景を最近は見かける事が少なくなった。 今の老人は何をするわけでもなく、暇をもてあそぶだけの様だ。 昭和の初めに生まれた父母の姿を見ているが、やり方さえ知らない。   さて、少し早いが今日は塩麹やどぶろく用の麹をつくろうか。 春に切った木を割って薪を準備し、前日に米を24時間水に漬ける。 かまどを用意して火を焚き、1時間ほど蒸して45℃まで冷まし種麹をかけてまぶす。新しい米袋に入れてこたつで保温して時々ほぐす。2、3日程で出来る。 冬には家族のためのいろんな手仕事がある。 豊かで素敵な時間だ。

幸福度

甲佐にてあと4反小麦を播種したら冬は開墾の日々。無農薬無化学肥料の圃場面積を拡大して多様な生物が住める環境を作る事、そして有明海の再生に繋がる事が写真家としての目的だ。幸い来年は甲佐のある地区がまとめて3町をお願いしたいという依頼がある。これは大仕事。耕作放棄地は開墾に近い。背丈の高い雑草が生えそれを切って燃やす。イノシシが壊した畔を治す。痩せて硬い圃場を耕してそれが元の田んぼに戻るには3年ほどかかるのだ。しかしなんだろうこの充実感と幸福度は。有難い日々である。

皆既月食と種

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1580年7月26日安土桃山時代に皆既月食と惑星食が同時に見られたという。それから442年の時を経て皆既月食と天王星食が見れた。なんとも浪漫な時を過ごせた。 私は明日が満月とあり播種時期には最適であったので昨夜に大麦を浸種した。きっとよく育つだろう。この日に生命を吹き返した種を今後も大事に更新しながら育てて行こう。 思い出に残る良いタイミングであった。

冬時間へ

自然に対応しながら生きていける。 日の出が遅く寒い冬は暖かくなってから仕事をしたい。 相変わらず早くから起きてはいるが、家でゆっくり過ごして圃場へ向かう。 そんな冬時間へ体がシフトしていく。 かといって夏は朝5時前からで、冬は8時とサラリーマン並みになっただけだが。 しかし拘束されない心の豊かさは違うかな。

田んぼの二毛作にトライ

冬季乾田の田んぼに大麦を播種して二毛作体系を確立したい。 大麦は小麦よりも育成期間が短いので田んぼでの二毛作に向いている。しかしこの地は気温が低いので難しい故今は誰も行っていない。しかし冬季に裸土のままでは乾燥と風による浸食などで表土流出が起こる。また生態系や炭素吸収などの環境面でも良くはない。  肥料を使わないやり方でどこまで出来るかを実証実験する必要があるので今期から数年をかけて行う。品種は大麦である二条大麦のビューファイバー。

農家の仕事はもっと評価されていい。

正直写真の仕事の収益率とは比較にならない程農業の仕事は低い。 今の量の仕事をしていれば写真では地方でも1000万を超える年収だが僅か5分の1程しかないのは何故だろうと感じる。農業では儲からないと言う仕組みは如何なものだろうか。もちろん補助金を積極的に活用したり圃場面積を更に広げれば1000万以上の収入にはなるのが農業でもあるが、機械購入費用や経費、人件費がかさみ圃場を広げても利益率は低いという農家の意見をよく聞く。 私は一人の作業で1haの面積でいかにして収益を高めようかと試行している。 卸や農協に出さず、買い手に直接販売が最も高値になるので顧客を増やしたり直販店との契約を進めている。また麦は加工食品を開発したり価格の高い嗜好品扱いの商品も手掛けたい。 補助金に関しては農薬化成肥料不使用に支障がないなら積極的に導入したいが、田んぼに冬水を張ること以外は農協が絡んでいるので農協の方針に従わない無農薬商品などは買い取らないなどの制約があるという。 米に関して今の品質を保って何ヘクタールを一人で管理できるかも今後の仕事だ。 今年3haを管理して出来る事がわかったが、せいぜい頑張っても5haではないだろうか。 基本的に食糧や食品なので高くする事は出来ないし、私は無農薬だからと極端に高く売る事もしない。 まだまだ課題は多い。 しかし、安全な食糧を生産したり環境保全まで手掛ける農家ならもっとアート以上に評価されてもいいのではないかと写真家として自問する日々。

大麦を作付け

大麦の一種である二条大麦の種を注文した。 麦ごはんが美味しそうだ。 11月半ばの播種なのでまだ間に合う。 品種は食物繊維であるβ-カロテンの多いビューファイバーにする。  来年は麦みそも作ってみようか。

大地を耕す

甲佐にて田起こしからヘアリーベッチの種を蒔いて来季に備える。麦の播種も始まる。そして新しいエリアの耕作放棄地を田んぼ化へと開墾作業。まだまだ忙しい。 環境保全も楽ではない。でもこれは私が始めた大事な仕事だと自分に言い聞かせる。 6年前に10aの圃場であったが、来季は500aが農薬と化成肥料不使用エリアへと変わる。その内CASA BLANCA圃場200aでは肥料さえ使わない事が可能だと実証出来始めている。 多くの生物たちの姿も見られるようになって来た。 しかし大型機械や化石燃料を使わない不耕起圃場の実現は未だ出来ていない。CASA BLANCA圃場でこれから取り組む大きなテーマである。