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11月, 2018の投稿を表示しています

Cipolla rossa

赤玉ねぎ 昨年はうまくできなかった赤玉ねぎを苗植え。 普通の玉ねぎも植える。 シェフが作るRisotto agli spinaci〈ほうれん草のリゾット〉が忘れられず冬場に甘くなるほうれん草を播種。 イタリア語で書くのはカッコつけでなくて検索画像で日本語とイタリア語では違いすぎるからだよ。 Risotto agli spinaci ほうれん草のリゾット 上記で検索してご覧 全く違うでしょ。

Germogli di fallo

夕刻にレストラン専用圃場へ行くとファッロの芽が7㎝ほど伸びていた。 阿蘇での試験栽培ではなかなか育たないと聞いたが、本来欧州の品種で緯度的には北海道と変わらないエリアが多い。石川県での栽培は情報で確認できている。暖かい九州には向かないのかもしれない。しかし現在のところ9月に播種したファッロは順調だ。 食用麦の原産はメソポタミアやコーカサスだから緯度はそう変わらない。 様子を見る。

slow

調子のいい今はスローに限る。 暫し立ち止まろう。

楽しくなって来た

バイトの方も楽しくなる。 作業から離れ教育や管理の仕事をするようになる。 アルバイトなのだがなんでもさせてくれる。 清掃作業も総合的に見ると領域が広い。 私の勤める会社は学校給食や病院や施設での食料の卸しもやっている。 契約農家も多数あるらしい。 無農薬の米を普及させたいと思う私には打ってつけだ。 ここで市場を開拓しよう。

赤牛を飼いたい

子供の頃ホルスタインと赤牛を父が飼っていたので私も世話をしていた。 1頭ぐらい飼ってケミカルフリーで育て外国産の雑草種子のない堆肥を作りたいと思っている。 動物性肥料で出来た野菜の美味しさは私はよく知っている。 また肥育して赤牛の肉を食べてみたい。 鶏の卵も締め方も子供ながらに知っている。 飼ったことがないのは豚と馬ぐらいだ。 風呂は五右衛門風呂で私が火起こし担当だった。 幼少時代の再現をしてみたい。 豊かな本当のオーガニックな生活だった。

サヤエンドウ

Casa Blanca Cafe が出来るので野菜の品数を増やしていく。 ケミカルフリー(無農薬 無化学肥料)の野菜たちを提供し食べてもらいたい。 今日はサヤエンドウ 支柱は使わず土手を這わせる。 もう一つはキャベツ 一本だけ苗を買い、タネを採る。 村内に無農薬生産者は数えるほどしかいないが、その一人滝地区のo氏と今日で最後のイタリアン食堂にて会食をする機会に恵まれた。 印象的であったのは、米は除草剤を使わないと美味しくなる。という一言。 70歳代の農夫の言葉ははっきりと明言し、確かなことだいう。 私の見解は無農薬はすべての作物が植物として元気であることだと伝えた。 多くの農家は除草剤を使うと稲が弱るという。 それは明らかに農薬であるケミカルを使った環境の仕業である。 Casa Blanca は設立した当時からその理念を、美と本質を追求するとしてきた。 10年近くなるがここに来てこのような形でまた新しい出発が出来ることを本当に嬉しく思い、私がして来たことが何かしら社会に還元出来ることを次のパワーにして生きていきたい。

パラダイムシフト

直感と観察から私の見解は、以前阿蘇から加藤清正によって熊本市へとパラダイムシフトが起きたように、また熊本市内から現在の各郡部へとパラダイムシフトが起こりつつある。 現象は一部ではなく東京から地方へ、西洋やアメリカからアジア、アフリカなどへと現代は大きく変わりつつある。

現代とシンクロする

Progressive House が心地いいい。 imacにイヤホンを付け深夜か早朝とも言える寅の刻にdb.maxで聞く。  世情がすらすらと読み取れる。 私はいつも一日の出来事を夢を見ながら再現しているらしい。 音を聞くと、いくつかの記憶の映像をまた再現している。 現地で見た情感をワールドワイドで流行しいる音に変換して世界をリミックスし記憶にする。 その作業がないと私は希望が持てない。

Casa Blanca's Cafe

Casa Blanca の Cafe を3社のコラボレーションでプロデュースする。 九州の食卓が場所を提供し、イタリアン食堂が Casa Blanca の名で初の Cafe Style に挑戦し、私が食材を提供する。 詳細はまた後日。

米と水のリゾット

イタリアン食堂最後の新メニュー 私の新米を使った、  新川さん家の新米と水のリゾット まだ食べていないが、なんて Essential & Artistic & Experimental なメニューだろうと思った。 こういう発想ができるシェフの感性や態度に私はすごく好感を持つ。 この週末までしか食べれないのでお近くの方はどうぞ。 紹介制なので私の名前をお伝え下さい。

久しくゆっくり

最後のかぼちゃ出荷が延期となり、こたつの中でゆっくりテレビでも見る時間ができる。 動き回ってたのか、足が痛い事に気づく。 喉も痛くなり、少し熱があるようだ。 風邪かな。

菊苦菜

キク二ガナ いわゆるチコリーのこと。 一本だけ苗を買った。 チコリーは多年草。 最近私は多年草植物に興味がある。 キク科の植物だけあって花が矢車菊のように青く美しい。 その花を見てみたい。 そしてタネを採って多くの食用チコリーを作りたい。

やっぱり

いいことがあった。 俺はやっぱりひとりじゃないがいいな。

やっぱり

俺はひとりがいいな。

現代の農業は光合成を無視していないか。

植物は根から養分と、葉だけでなく地上部の全体で光合成をしエネルギーに変えている。 農業は肥料を重視するが、光合成についてあまり語る者はいない。 例えば稲の苗を一本植え成長させ次第に深水で栽培すると分蘖する茎は扇状になる。 この事によって稲体全体に光が満面なく注ぎ、茎が太くなり葉も成長する。 植物の栄養成長は土の養分も大切ではあるが、光を求めて成長する植物の様は光合成がいかに大切かが分かる。 そして生殖成長の時、葉や茎や根から養分を蓄積したものを移動させ実となる。 土の栄養分も過大ではない雑草を見れば光合成は植物にとって最大のエネルギー変換であり栄養源であることは分かる。 肥料だけ語るのはそろそろいいのではないか。 植物最大の特性である光をエネルギーに変えれる光合成に着目した考え方も必然としてあると思います。 健全な植物体を作れば、収量も品質も健全なものが出来るのは間違い無いでしょう。

なんとなく見られてる

冬期湛水田の田んぼに微生物の餌として米ぬかを撒いていた。 スバルの軽トラが上の道をゆっくり走り私の作業を見ているのが分かる。 その先は工事で通行止になっている。 米袋をかかえて撒いていたので遠目でもそれがヌカであることは分かっただろう。 私もニヤリ。 軽トラはUターンして走り去った。

次男とグラスドライブ

草原に軽トラを持って行き、次男とドリフトの練習をする。 いやー。 スカッとした。

カワニナの異常事態

田んぼにカワニナを入れようと思い同じ水系の川に行く。 カワニナがいない。 用水路もいない。 やっぱりか。 一時期スクミリンゴガイ通称ジャンボタニシを撲滅するために椿油粕を撒く農家がいた。 魚毒性のあるサポニンが含まれ田んぼに使うのは法的違反。 最近はスクミリンゴガイ専用のケミカル系の農業殺虫剤を使っている農家が多い。 結果は見事にカワニナが全滅した。 これはどうするか。 やはり私の冬期湛水の田んぼで守るしかない。

そろそろ終わりかな

レストランに野菜や米を定期的に運ぶ仕事はあるが、農に従事するのもそろそろ終わり。 3月までの冬の間はお休みだ。 まあやっと本業に帰れるか。 なんだろう。 充実した気分だ。 2017年6月26日に書いたブログから今日までなんとか形になるまで動いてきた。 http://shinkawaphotographiclaboratory.blogspot.com/2017/06/blog-post.html

美味しい作物

美味しい作物の作り方は多数あるが。 私の視点は2通りだった。 美味しい作物を作りたいとすると足し算の考え方になる。 環境を良くしたいと思うと引き算の考え方になる。 私が選んだ視点は引き算で作物にとっていい環境なら味は必然的に良くなる。 というもの。 もう一つは人が作物を管理しコントロールするのではなく、環境を作ったら植物としての作物に全てを任せる。
イメージ

無施肥はさっぱりしすぎて美味しくない。

無施肥の田んぼを1反試しに作った。 収量も6俵と少ない。 味はさっぱりしすぎてどうも不味くはないが美味しくもない。 この辺りの腕利き農家は必ずなたね油粕を入れる。 粘りとてかりが違い味がいいという。 ここで注目したいのは 肥料で味や性質が変わるという現象 だ。 来年はこの辺りを研究したい。 追記 植物本来の味という意見も聞くが、植物本来の味では美味しくないから品種改良や農業技術が発展してきた経緯はどうなのか。 農法や言葉に囚われるより料理と同じでさじ加減ではないか。 もちろんケミカルは使わないが。

Deep House

歳をとると運動が大切になる。 私は仕事柄運動量は多いが、やはり日頃のストレッチが一番大切。 起きてから3から5時間くらいのパソコン作業がある。 無音で作業していていると体が固まっている。 ディスコを基調にしたDeep Houseはノリが私の身体に良く合う。 足を動かしたり頭や体を揺らいだりと、ちょっとした動きをしている自分に気づく。 誰もいないので大きめのアクションをストレッチ感覚でするとさらに効果がある。 現役90歳を目指すのではなく、息子が帰るのはその位だからそれまでは動き回れる体を保たなければ。

早朝のclub

もう2年は行ってないけど、深夜の1時や2時に起きることが多いので、飲んでない時は市内のサンクチュアリやその他のクラブに出かけた。 80年代のDISCO絶頂期を大阪で踊ってた若い頃が楽しい思い出。 今はHOUSEやEDM 初期のDISCOのノリと変わらない。 HIP HOPと現在のR&Bは苦手なのでその間が空白。 50代で行くのは気恥ずかしいが、田舎町のクラブなのでそう気にはしない。 最後の出荷は来週で終わる。 その後忘年会があるらしい、皆は二次会はキャバクラと言ってるけど、バーに行ってクラブに行く方が断然楽しい。 まあ今回は付き合うか。

紅芯大根 ピンクのスープ

紅芯大根をスライスし軽く茹でミキサーにかけてもう一度煮る。 塩、胡椒、好みでチーズやコンソメ。 ピンク色の美しいスープができる。 今回はコンソメを入れたが、入れない方が優しい味で美味しい。 添加された作られた味はもう食べれないな。

ファッロの種を蒔く

満月の7日前に雨が降ったのでファッロの種子を播種。 さてこれが来春に種取りをし、再来年には一町の畑に蒔くことになる。 まだいろいろな問題はあるが、買えば済むハードルなので気にしていない。 それより買い手の開拓が最も大切だ。 このパスタ食ってみたい。

アーティチョークの咲く畑

かつてイタリア人シルビオの畑を取材した時に最初に目についたのがアーティチョークの花の実だった。 なんて綺麗なと思い多くのカットを撮った覚えがある。 それ以来自分でも植えたいなといつも考えていた。 米袋がなくなったのでハンズマンにいいのがあると言うことで行く。 ハーブの注文があったので苗を見るとそこにあった。 3つの苗を買い早速畑に植える。 さて、どんな味がするのか、どんな料理になるのか。 まったく未知数。 その他 レモングラス、フェンネル、ディル、オレンジタイム、チコリー、 イタリアンオレガノ etc.

門出パン

門出パン(もんでぱん) 私のにこまるの米ぬかを使ったパンが商品化される。 昨年は試作でイタリアン食堂で作ってもらった。 なかなか好評で今年からメニューに出る。 門出は私の田んぼがある字の名。 米ぬかの香りが香ばしいパン。

高菜がうまい

父の作った三池高菜。 浅漬けで食べる。 うまい。 今考えてることは漬物なんだよな。

世界の中でも

日本は気候と環境に恵まれた位置にあり、台風や地震こそあるが天候や雨量そして四季のある国だ。 そのことは植物が生育しやすい環境にあり、当然農作物も然り。 その中で九州そして熊本は温暖な気候に恵まれ、稲作に適した場所だ。 私が今いるここは熊本の中でも中山間地域の標高200mの位置にあり、平野の酷暑を避けられ尚且つ水が豊かな場所にある。 このように世界的にも恵まれた場所で生産している。 ここだけの話ではない。 今いる自分の場所がどういう所なのかを知ると視点が変わる。 今いる自分の場所は地方でも田舎でもない。 そうであると言う見方もあるが、私は思ったことがない。 こんなに恵まれた場所は他にはない。 いつもそう思って生きて来た。 だから私は変わらない。

父の姿

ひとつの思い出がある。 いつだったか、それは忘れたが 米の収穫を終えライスセンターから米を運んで来た。 それぞれに配達する量を数えていた。 父が言う。 今年はよく採れた。 あのおばあちゃんは飯も食われんくらい困っとるけんやってくる。 「あのお婆さんはご飯も食べれない(買えない)くらい困っているから差し上げる。」 そう言って30kgを2体車に積んで運んで行った。 その姿や一言は今でも思い出に残る。 いや、思い出というより、今後の私の農に対する姿勢の基本になるだろう。 母に今年の俺の米をそのお婆さんに持って行っていいからと伝えた。

Sauvage

ソバージュ農法(意味 ソバージュは野生の) 今年から私が試験的に行ったサンマルツァーノの放任栽培はソバージュ農法というものに近かった。 芽かきをしないのは同じだが、ソバージュ農法は支柱を使っている。 私は何もしない。 トマトは茎が土に着くと盛んに根を出す。 支柱を立ててもその現象は起こるが土まで届くことはない。 農法 色々なやり方がある。 しかし、放任という意味ではなく、その植物の種を撒いた後、人が介入しないというやり方は私に新しいインスピレーションを与えそうだ。 1万2千年前に野生種を栽培し品種改良して来た歴史から、もしかもしたら今の品種を野生的に栽培する方法もあるのかもしれない。 種を撒いた後、農業技術を使わない野菜たちをこの春から作っている。 追記 不耕起や無施肥栽培は今の私にはなぜか興味を抱けない。 耕起が農の原点で、施肥が農の発展であるのではないかと考えている。 あとは加減の問題ではないだろうか。 ケミカルは使わないがおそらく私は農法に固執することはまずない。

在来種の糯 刈り取り

3畝程の圃場に植えた在来種の糯 いつまでたってもひこばえが生える。 キリがないので今日刈り取りをコンバインのa氏に頼む。 余程美味しいのか、種まきの時から発芽してはスズメが食べ尽くし、やっと出た残りの種が発芽して育ち実をつけるとスズメが食べる。そしたらまた茎が伸び稲穂ができる。またスズメが食べたらひこばえが実るという繰り返し。 私は何もせずただじっと見て居た。 おそらく収量は30kg程だろう。 でもこの種には在来種であるという大きな魅力がある。 遥か昔からスズメもこの糯を食べてきたのだろう。 来年からは水稲栽培にして商品化するのでそれでは困るから対策が必要だが、私のことだからまあいいかと眺めるかもしれない。 気温が適正であるなら何度でも茎を出し稲穂をつけるという生態。 最後は茎の横からひこばえを出すという生態。 スズメが好む味はどういうものか。 そして在来種とはどういうものか。 興味が尽きないテーマばかりだ。

赤大根のおでん

とろけるー。

アキアカネの産卵

長崎や鹿児島では、 絶滅危惧II類(VU)- 長崎県 分布特性上重要 - 鹿児島県 とある。 この辺りでもあまり見ない。 2対のつがいが私の田んぼで産卵していた。 この時期の産卵なら田んぼは乾田が多いので産卵する場所がないのだろう。 カラスだろうがなんだろうが動物の数は私の子供の頃に比べて半数の比ではなく千分の一以上の激減ぶり。 余りにも少ない。 せめて冬期湛水の私の田んぼで命を繋いで居てくれ。

自然農への疑問から

多くの自然農を見てきたが、私には疑問が常にあった。 森林農法 草生栽培 不耕起栽培 無施肥栽培 それらは見習うべきことは多かったが、短刀直入にいうなら収量が少ないという事だ。 多収を実現している優秀な生産者もいるが、全ての圃場で実現できるかというと難しくハードルが高いので普及にまでは至ってない。 もう一つは何のための農業かという事。 2018年現在で75億5千万人の人口だが、分業化した社会では個人が生産することは不可能で農業は皆の食料を生産しなくてはいけないという命題がある。 日本の人口は1.268億、農業就業人口181.6万人。 数字での計算だが、1人の生産者が70人分の食料を生産する事になる。 自然農では到底賄えないのではないかと考えられる。 私の考えは近代以前の農業の再現と発展で、農薬や化学肥料が当たり前になかった時代。 環境に負荷も少なく生物多様性が可能であった時代に視点をもって取り組む。 最後に自然農を否定するものではない。 そういう農業が現代に現れるのは当たり前の現象だと思う。 むしろ怖いのは90億の時代と託けて遺伝子操作で作った多収品目を生産したり、それには化学農薬や生物農薬が必要だと啓蒙している現代の主流の流れが怖い。

トマトから学ぶ

サンマルツァーノは夏と秋に実った。 興味を持ったのは味の違い。 夏は皮が硬くしっかりした実で酸味もあり甘みはそう多くはない。 秋は皮が薄くまったりとした食感で酸味はなく甘い。 ミニトマト系が赤く実る積算温度は800℃ 夏場で 30日ぐらいで、今頃の季節では50日くらい。 つまり温度と時間が違う。 米に興味がある私にはやはり登熟期の温度と季節が頭に浮かんだ。 味を求めるなら早植えはだめだ。 米もまた今頃の収穫がうまいだろう。 ひこばえがうまいという民間の言い伝えは理解できる。 食味に関してもその変化は実に興味深いが、同じ植物が季節で変化する様にはもう一つ深い興味が湧く。

トマトの越冬実験

夏を過ぎ今やっと秋トマトが収穫できた。 味はまったりと甘い。 トマトは多年草というので来春までそのまま置いておこう。 藁や籾をかぶせ越冬させたい。

レンゲの種を蒔く

広門は藁をとべこずみにしたのでレンゲを蒔いた。 少なめにした方がいいので2.3反に5kg 昨夜の雨で発芽は早いだろう。 レンゲは春に鋤くが見かけの窒素量は開花前が多い。 しかし長期に肥効を効かせるには種ができ黄熟期に鋤く方がいい。 開花前の窒素量は流出し減少するのが早い。 また黄熟期に鋤けば来年は種を蒔く必要もなく経済的である。 秋に田を耕し、乾燥させ、レンゲを蒔いたり水を入れたり。 来季への準備は整った。 私は米作が一番好きだ。

形容

例えば私なら 気難しそう 苦手な感じ 怖い などとよく言われる。 バイトの清掃で最近は教育係を担当しているが、上司から新人さんに紹介される時、見かけはこうですが優しい人ですからと紹介される。 なにそれ?と思ってたけどまあ慣れた。 なんでかな、 初対面の時に絶対に笑わないからだろうか。 やっぱり容姿かな。 わからない。

恋愛02

そこにあるのは振動だ。 雌花と雄花があり、何かしらの振動があると移動し出会う。 面白いね。 農業ではない視点が楽しくなる。 農業というイメージが私は嫌いだ。 それは理であり、システムだ。 新しい視点で皆が取り組めばいい。 理系には面白い実験圃場だ。 私なんかより素晴らしい可能性をもった人が取り組んで欲しい。 私は見る事に特化している。 それぞれの能力で、農業ではなく、私が食べるものは皆にも食べてもらいたいという単純な動機で始める人が私以上に、そして私など関係なく、そして従事する事を学んで欲しい。

今は農業技術を使わない

米以外に関して当面野菜は農業技術を使わない。 目的はその野菜が人間が介入しない育ち方を見てみたいというもの。 トマトもナスも匍匐性の性質があるので支柱も立てず芽かきもしない。 農業技術を使えば多収になるのは知っているが、あえてしない。 素性を見る。 その方がアイディアが浮かぶ。

恋愛

歳を重ねても恋愛する心を忘れたら、ただ歳をとり枯れて死ぬだけ。 それが事実だとしたら。 私は? いや、あなたはどうする。

冬期湛水の開始

冬期湛水を始める。 昨年と違うのは乾土効果を取り入れた。 一度耕し、土を乾かす作業を2回行う。 乾土効果は有機物と土を耕し、天日で乾燥させる事によって有機物を脱水させ、変性させる。 そこに水分を与えると微生物の分解が促進し無機態窒素が増えると言うもの。 一反あたり平均500kgの米がとれる。 田んぼに残された稲体の重量は1500kg以上。 乾燥していないならその2倍の重量がある。 これだけの量の有機物を微生物で分解させ無機化する必要がある。 乾土効果は稲作の大切な冬の作業だ。 本当ならば12月まで土を乾燥させる計画だったが、思うことがあり一昨日から開始。

青々

あーあと打ち込むと青々となった。 あしからず。 でもそんな気分で丁度いい。 弦が緩む。 その様な時は大切だよね。 緩ませよう。

圃場

1町(1h)はイメージでは広いが実際は100mx100m この面積を一人で管理するとする。 全ての面積を同じようにやるやり方と必要な所だけするやり方で労力は変わる。 1.上手い人は必要なところだけ手を加える。 2.下手な人は面倒なのでしないところがある。 3.勤勉な人は全ての面積を同じクオリティで作業をしていく。 2より1が収穫量も品質もいい。 3は収量も品質もいいが、労力は相当なものだ。なので3は1町を2町するときに無理がかかるので1町の中でより高品質生産へとシフトする。1は圃場面積を広め収穫量を増やす。 さて品質だが、高品質へシフトした3は品種の選定や肥料効果をより高次元で高めようとする。1はコストを考え減施肥へいく方が多く、収益があるので機械化を積極的に行う。品質が悪いかと言うとそうでもなく、自然農に近い環境になるので十分な品質だ。 今の私の目にはその様に写っている。 私は基本的には1の考え方だが、2.3.も圃場によっては実施している。 まだまだ経験が足らないので一年の内に意図的に色んな方法で試す。

10年前

そのころ試験的にハーブと人参を作っていた。 無施肥の人参が美味しくローズマリーで包んでレンストランに持って行った。 そう数は多くはなかったがその頃このような生活もいいなと漠然と思っていた。 生産したものがレストランでメニューになり調理されたものをお客さんが食べ美味しいという。 その夢は現在3件のレストランで実現出来ている。 たまにレストランへ食事をしに行くと、お客さんの会話からこの野菜美味しいとか聞くと本当に嬉しく思う。 料理も美しく綺麗であることも。 採算ベースに合うかというと実はそうでもないが、そう言う事は自分の中で無視している。 なんだろう。 嬉しいと言う気持ちが私のやりがいになるからだろう。 料理とおいしそうな顔や声を聞くと、ただ一人で圃場で仕事をしていても全く疲れなど感じない。 有難い事だ。

Magic

デジタルカメラや携帯電話やタブレット、ナビなどから離れて一年以上になる。 80年代の生活になり思ったように快適な日々。 とても身軽で行動的になり生産性が高まる。 マジックからの解放で目覚める。

計画

2年後には稲作の圃場を3町(3h)にする。 その間は私有地の1.6町を二期作と二毛作で3.2町と同じ収穫を試験する。 有明海の再生のためには無農薬と減施肥の圃場を拡大することがもっとも大切であり、私が今後拡大していく圃場面積では到底なんの効果もないに等しい。 より効果的に進めるためには普及が最も大切になることはすでに見えている。 農法ではなく、近代以前の農薬や化学肥料もなく、外部から入れる肥料も緑肥や自らの田んぼの藁を牛に与え、その堆肥をまた圃場に返す循環と環境を手本に考えるなら、川の水も有明海の海水も当たり前の姿に徐々に変わるだろう。 島原 諫早 筑紫平野 熊本の圃場全てが何らかの形で無農薬、減施肥である必要がある。 普及は到底私一人の力では出来ない。 また私にはその能力がない。 拡散 人に伝えるためには本心を言ってはならない。 私が有明海の再生といって何人が賛同しようか。 皆無だ。 しかし、収量や粗利が上がるとするなら人は動く。 買い手も慣行農法と変わらない値段なら、無農薬を買う。 そのことが、大切だと思う。 拡散が広まるのは早い。 私はただ、今のやり方を模索しながら続けていこうと思う。

最近の若者

癒し、いらない。 何聞いてる? ロック。 いいな。

10cm2に10本

セイバンモロコシが雑草も生えない群生の条件は10cm2に10本が必要のようだ。 安易だが仮に稲と換算すると播種量は慣行農法の10倍以上必要になり10aあたり20kgから40kg必要。 稲の場合陸稲でも3本位の分蘖はあるので20kgもあれば十分だろう。 来年の試験用圃場は20a確保し、今レンゲが芽吹いてきた。 春先までレンゲのアレロパシーで雑草の発芽を抑制させ、根粒菌との共生で肥料を蓄える。 レンゲがある程度種を作ったら漉き込み、2週間畑化し、満月の数日前に播種し籾殻と稲藁をマルチ(堆積)にする。 目的は陸稲群生。