このまま進めていけば圃場開拓に明け暮れていたであろう。その行動に神がストップをかけた。と仮説。 なんでもそうだが、今回の大学院の選択でさえ自分で探して希望したものではない。奈良に行って写真家の友人と話しているうちにそういう選択もあるのだと教えてくれたのが始まりだ。決断は自分でするものだが、情報がなければ決断できるものではない。 私は日々、小さな出来事や小さな変化、そして気になる言葉をキャッチして記憶している。それがその時結びつかなくてもいずれ大事な変化の始まりである事を知っているからだ。ありふれた日常など実は実在しない。全ては自分に与えるメッセージである。ありふれてると感じてるのは自らの心が変化や感受性の受け入れを閉ざしているではからないかと考える。 10年目を迎えた農業。様々な実験をして環境負荷の少ない稲作の基本を作り上げたと思う。7町程の面積だが大規模無農薬栽培をする技術を確立したと自負している。農業会社の立ち上げに始まり稲作の無農薬栽培の立案は私であり、その後指導者として活動し普及させて来た。思う事は、写真しか知らない写真家でさえ、己の心に忠実に信念をもてば法人クラスの稲作圃場が出来たという事だ。当初は我々無農薬稲作に対する慣行栽培農家からの偏見や嫌がらせ、暴言が凄まじく大変な思いも幾度となくあった。 さて、農業の研究は一旦打ち切りとして違うアプローチを試みたい。農業について今思う事は基本的な技術は確立しているので、精神的に楽な農業をやってみたいと考えている。これには面白い言葉があるが、要は適当という言葉だ。実は適当と言うものは知ってるから適当に出来ることだ。知らないものが適当にやったら成立しない。 人はなにか目標を見失ったら生きる事さえ辛くなります。放棄する事は楽なようで実はそうでもありません。年齢も関係ありません。むしろ年齢を重ねる程、色々な事に挑戦していいかと思います。私の知る人、全ての方が有意義な人生を過ごされますように。 世界は自由です。そしてクリエイティブです。そのエネルギーの集合体が生命です。ポイントは否定しない事。やってみる事です。失敗して本当の情報と価値を知る事が出来ます。 Dear readers around the world, When people lose sight of their goals, eve...