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土佐鉈

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職人が使う鉈を森林組合で買う。 こんなに切れる鉈は知らない。 24cm両刃の腰鉈、 柄は自分でコンロで焼きオリーブオイルフィニッシュした。

大型の盆栽

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幅1メートルを超えるサツキの盆栽を作ってみた。 父が盆栽をしていた頃、病気で全滅したが、いくつかは残り地植えしていたものの一つ。 これ以外は大きすぎて盆栽には相当の力量がいるだろう。 松とかいいものがあるのだがいつかやってみたい。 中々景色のいい木だった。 掘り起こし、根を切り、鉢を選択し、土を作り、少し傾け、苔などを這わせる。 オーソドックスな手法だがこれはこれでいい。 根付いて欲しい。 それより父の嬉しそうな顔が印象として焼きつく。

紅しぐれ大根を干す

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  切り干し大根の味にはまる。 今回は皮付き丸切りで

写真と文章

写真に文章を添えると写真が浅く見え、 文章に写真を添えると文章を深く読まない。 私は数年前からそう思い、ためらう。

梅酢で沢庵

赤大根を京の千枚漬けをヒントに大根、梅酢、酢、味醂、塩、昆布で漬け込んでみた。 二週間位たち食べてみる。 妻が、これはもう漬物だねと言う。 食べる。 沢庵だ。 こんなに簡単なのか。 他に赤大根の切り干し大根を作る。 意外なほど美味しい。 これから赤大根、滝沢大根、紅芯大根に聖護院蕪、名も知らぬ自生蕪と多岐にわたって漬物の冬になりそうだ。 友人が今幸せでしょ。 と投げかけた。 そうかもしれないと頷く。 私は自分の事が一番分からないが。 少なくとも地に足をつけた生き方をしている様だ。 以前何度も呟やいた、蟻とキリギリス。 私はキリギリスと思っていたが、いつの間にか、蟻でもなくキリギリスでもない生き方を選択しているようだ。 幸を貰って生きている。 多くの人に幸あれ。

お茶の種を蒔く

軒先きに古い品種のお茶の木がある。 よく釜炒り茶にしたり紅茶にしたりと楽しんでいる。 以前は畑に2反以上の茶畑があり、土間の広い玄関で自家用の釜炒り茶を作っていた記憶がある。 このお茶の木は美味しいので増やそうと思い、今朝茶の実を探してみた。 花が咲いている。 よく見ると昨年の花の実も10個ほどあった。 早速畑に植える。 以前お茶畑だった畑だ。 来春芽が出て育って欲しい。 一年分の自家用のお茶ぐらい作ってみようか。

羅針盤

行く先が見えなくなったり、今の状況からもっと進みたくなった時、ある種のスピリチュアルな方法を私は使う事がある。 神に祈っても変わる事はない。 私は腕時計を新調すると次の方向に進む。 今はまたそんな時かな、と。

埃にまみれた蛇腹

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 W. Butcher & Sons  Carbine   The British made wooden body 1: 6.3 f135mm Carl Zeiss Tessar Jena Lens  1903-1930 Butcher & Sons Carbine という100年前のロンドン製カメラを久しくメンテナンス。 人から借りているものだが私の手元になければ熊本地震で確実に消えていただろう。 持ってていいというのでそのままお借りしている。 とても私に知識やセンスを与えてくれたカメラだ。 今では手元にないと落ち着かない。 秋も終わり冬を迎え農の仕事も少なくなった。 あのカメラはどうしたかと思い手にしたら埃まみれだった。 なんとも。 100年の歳月が過ぎてもこのカメラは生きている。 そう言えば大正生まれの祖母と同じ生まれなのか。 私の作品は何故か冬に撮影したものが多い。 所有している19年目の古いスバルに乗ってどこぞの海へと向かいたくなった。

静謐な夜

子の刻から2刻程に目が覚めたら一人でパソコンの前に座る。 エアコンを切り、テレビを切る。 灯油ストーブをつけ、家の横を流れる井出の水音を聞き、湯を沸かして白湯を飲む。 最近思う事はDTPC以外のデバイス及びそのシステムは要らないな、という事。 寧ろない方が事は早く運び、ゆっくりとした時間さえ生まれる。 便利なものは便利ではないと、疾うの昔から知ってはいるが。 何だろうな。 もっと静かな時間と場所が欲しい。 其処から生まれる閃きや思想が欲しい。

風邪にはジンが効く?というより旨い。

とうとう風邪、インフルではないのが体でわかる。 今日の作業を超スピードで片付け今飲んでいる。 大概、風邪ではタバコもまずい、酒もまずいが、ジンは旨い。 試してごらん。

鳶〈トビ〉か鵟〈ノスリ〉か

鳶〈トビ〉であった。 今年になり家の上空から田んぼにかけて旋回している。 トビは尾羽が直線で、ノスリは丸い。 今年は鳥類も盛んに飛来する。 カラス、カモ類、サギ類、カワセミ、スズメ、セグロセキレイ、トビ。 夏には雄のキジが稲の中から出てきたのは驚いた。 警戒も余りせず暫しその美しい姿に見とれて居た。 有りとあらゆる生物が農薬や化学肥料を使わない冬季湛水田には集まって来る。 これこそ私には、やり甲斐が有ったというものだ。 とても嬉しく思う。

シナモンとかゲンゴロウ

今日は薪をもらう為に森林組合の事務所にお邪魔して居た。職人用の鉈を注文したり、チェーンソーを修理したり。 薪をもらうとニッキの木もあった。 シナモンの香りと同じだ。 どちらも同じ楠の仲間。 日本産は樹皮には香りが少なく根っこに多い。 それでも十分な強い香りが枯れた樹皮から発していた。 夜になり田んぼの散歩。 満月の夜。 ゲンゴロウの仲間2種類を確認。 小さなハイイロゲンゴロウと大きなコガタノゲンゴロウ若しくはゲンゴロウ。 強力なライトに驚いてクルクル泳いでいる。 本当のゲンゴロウは11月半ばから冬眠するという。 さてどちらのゲンゴロウなのか。 調べなくても冬にはわかる。 家に帰る。 シナモンがあったので生姜を加えマサラチャイを飲む。

明日から特に来週土曜日にかけて霜がいつ降ってもおかしくはないだろう。 今朝は妻と小菊カボチャに霜除けの不織り布を掛ける。 季節遅れに播種した小菊カボチャなのでこの時期の対策は予想出来ていた。 9月に播種したが、本来なら8月初旬に播種するのが普通だ。 でも多分出来るだろう。 1町以上にヘアリーベッチのタネを蒔いているが、3年冬季湛水した田んぼにはそれ以外の草は生えない事に驚く。 秘密の水路を見て多くの生き物がいたので安心。 ドンコも居た。 メダカが見つからない。 こうして時が過ぎる。

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カボチャに興味をもつために色々リサーチする。 調べていくと多岐にわたる品種を見て楽しくはなる。 十分に写真のモチーフになりそうだ。 とはいえ私はしないが。 交雑によって出来る形のユニークさも圃場で見かけるが交配についても非常に興味が湧く。 色々な品種を見て思うことは、もうすぐ収穫の神田小菊かぼちゃは日本的な美しいカボチャであることを知る。 Kogiku で知られる日本の小菊カボチャ 作りがいはあるようだ。 何より美味しい。 形が良く美味しいというのは私にとっては大変重要な動機と継続の因子である。 受粉で良く見かける蜂。 陸上での生物多様性。 それは有りかもしれない。 養蜂も近い将来考えている。

91歳の知恵を聞く

近くに住むお婆ちゃんと圃場で何気に話していた。 味噌の作り方や漬物など。 生きていれば101歳の静江婆ちゃんの味が美味しかった。など。 面白い keyword を聞き出す。 くず米の使い方だった。 利用法はくず米を自宅で精米して、麹と混ぜ米袋に入れて湯たんぽで温めたら、米麹ができ、それを味噌や甘酒、醤油に使ったという。 なるほど。 捨てていた青米やくず米の利用価値がこんなところにあった。 捨てるものはない。 その知恵に頷く。 大正や昭和初期の年代から聞く話は、当時あたりまえでも今では宝のように為になる。 地名や作物の品種、作り方もまた然り。 今年は表が緑で裏が紫の紫蘇、南原からもらった赤芋、筍芋を頂く。 大事に育て継承したい。

その次の先

漠然とだが、考えている。 農業を目指しているのではないので、差し詰め私の圃場は生物多様性による環境再生の為の実験場だ。 方法は簡単でケミカルを使わなければ自ずと答えは出る。 だからその次のまたその次も考えてしまう。 連鎖と反応 違う。 私には荷が重すぎる。 次の指針はまだ見つかっていないが、私のパターンでは文化に行き着くだろう。

レモングラスの越冬と盆栽など

冬に備えていろいろと準備の仕事。 レモングラスはすべて刈り込んで土とモミやワラなどで覆い越冬に備える。 フェンネルなどは寒くても育つのでそのまま。 里芋は良い種を数個必要な分だけ揃え、畑の土手に横穴を掘りワラで覆い、土で蓋をする。 梅の木の剪定は今頃から。 3年目の木は主軸の枝を切って横に生える枝を3本ほど残し、脚立にのぼって千切らなくても良いように低く育てる。 余談と実験 松の苗を育てていたが、赤松と黒松を父の盆栽用にあげた。 本来なら4月ごろだが、暖かいので気温的には問題ないだろう。 父はさっそく地植えをして来春に備えていたが、私も赤松をもう一本引き抜き、早速盆栽にした。 私は長年、父のサツキの盆栽を見てきたので心得はある。 梅の盆栽はこれまで何度も作り、長期の入院中時に盆栽名人の医者にも手解きを受けた。 ただどうも自然の風景を真似るような世界観が気に入らない。 私の考えで一品作りたくなった。 環境を作ったら何も触らないという思想が写真から生まれ農業にも応用している。 それを試したい。 設定は 環境とは鉢である。 次に土。 鉢の環境は浅根で生かす事なので、主根を断つ。 以上だけの条件を設定して、水や肥料以外、人間の意志の介入を絶つ。 剪定や誘因で針金などで形を作るのではなく、赤松自身がその環境の中でどう育つのかを見てみたい。 先の長い楽しみが出来た。

アカハライモリ

来年からまた新しく借りる田んぼ1反の準備を始める。 まずは草刈りから。 目的は圃場の形や植生、水口の確認や井出の確認などを草刈りしながら知ること。 嬉しい出会いがあった。 今年まで12年間使われた方の水桶に大きなお腹のアカハライモリのメス1匹と、雄3匹が住んでいた。 このままでは生き残れないのでそのまま冬季湛水田に移動させ放つ。 子孫が出来、ここがまた田んぼになったら返してあげよう。 ここを使われた方と、環境再生や子供達の環境教育などについて語りあったり、私がヘマして車を脱輪させJAFを呼んだりと色々あったが、二人とも私が何故こういう事をしているのかを話すと気心が知れ笑顔で理解してくれた。 それでも一番嬉しかったのはアカハライモリとの出会いだろうか。 水生生物にとても興味のある自分には嬉しい事であった。 10代の頃の記憶にある多くの生物と人間が共存出来ていた田んぼの再現は少しずつだが、確実に広まっている。 生物多様性の環境、そして教育。 私にはそこまでの能力はないが、お手伝いできれば幸いだと思えるようになってきた。

真理

それは、諦めるか、そうでないか。 ただ、それだけだ。 その先に見えるであろう世界。

さてさて

我が家はそれなりに良好。 私が未だ不変で真理を求められるのは負荷を省いているから。 人間は面倒なのだ。 尚且つ愛らしい。 まあね。 そう思う日々。

漬物の担当

祖母が亡くなってから、我が家に漬物が消えた。 母は全くできないので、私が梅干を作っている程度しかない。 買ってくる漬物は砂糖の味がして美味しくない。 本物を知ってる私を始め父も食べなくなった。 以来、父は高菜漬けを自ら作り始めるが、とうとう今年は作らなくなった。 さて品目 私 味噌 白菜漬け たくあん 梅干 高菜漬け なすの柴漬け 妻 浅漬け ぬか漬け

記録

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2018 久しくデータを見ていたらこの地方で、とべこずみ という稲わらを積み上げるやり方を父に習い再現した。 昔は牛などの餌として使っていたという。 もう2度とすることはないだろうから記録として。

実証できる生き方

事実やたわごとを含め、それが何 という意識が常にある。 そういうものには見向きもしない。 いつの日か人の目を見ることをやめた。 見え過ぎる。 この条件でどうなるかを見ている。 しかし適期を見定める訳でもない。 回りくどい生き方だ。 なんなんだろうね。 私は。

小菊かぼちゃ とヘアリーベッチ

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  9月に播種した固定種の小菊かぼちゃ。 どうにか霜の降る前に収穫できそうだ。 着果して受粉後、30日で収穫。 畑の緑肥としてヘアリーベッチを合計40kg を100aの圃場に撒く。 水田以外も動物性堆肥を入れない畑にする為の最初の作業を終えた。

冬季湛水田を見る

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妻に撮影してもらう。 今年は2年前と同じよう、冬季湛水田は荒起こしをせずそのまま水をかけ流す。 ひこばえの芽が出てそこに蜘蛛が巣をかける。 朝夕は美しい光景が見える。 この方が、生物が速やかに再現するようで、細菌を始め、昆虫や両生類も戻ってきた。 昨年は荒起こしをして水を入れたが、水の浸透が深く、深いぬかるみが幾つか出来、小型のトラクターでは荒代さえ出来なかった。

今思うこと。

3年前、精神科の医者が私を双極性障害ではなくアスペルガーと診断し、社会適応性の為に人と接する仕事を進められた。 それから半年ほどして清掃のアルバイトを始めた。また農業だけでは収入が足りないこともあった。 私は常にマイペースで動くし、仕事をする。 面白いことが分る。 私の行動を見るだけの人には嫌われるか理解されず、仕事を見る人は好かれたり、驚かれたりする。 仕事の人間関係において好き嫌いを基本的に持ち込まないので、よく人が見える。 最近になり社会適応性の為という医者の言葉が理解出来るようになる。 ただ何時迄もこのような状況に甘んじていけない。 基本的に自立を好む。 次男が進路を今考えるよう、私もこの先の進路を見据えた行動を取らなければ。 生物多様性を核に農業を捉え、その有様から学び、これまでの自分のskillを使って写真を突き詰めるまでだが、少しの方向性さえ狂えば見失う世界。 家族には悪いが私はお金や名声を最後まで求めないだろう。 その方法しか純粋な動機を保ち続けられないから。

101歳の死

遠い親戚にあたるという。 101歳の死。 皆は平穏に構える。 さて私がそのまま生きたら46年後の事である。 なんとも。 現代においての老後は非積極的な迎える。過ごす。の風潮だが、昔は違った。 長老の世界。 さてさて。 これまで生きてきた年月に近い時を過ごすのに、どちらも私には退屈だと考えた。

アキアカネの産卵

稲刈り時から気になっていたが、トンボのアキアカネが交尾したまま、乾いた稲わらに産卵していた。 倒れた稲を前にして、果たして今年水を田んぼに入れるか思案していた。 昨日、今年倒れなかった田んぼの冬期湛水を開始した。 霧がはった翌日の朝を迎え、田んぼ一杯に水がたまる。 日が差し日中に水量の調整に出かけると、アキアカネが今度はちゃんと止水した水に産卵していた。 何つがいだろうか。 10かそこらは確認。 田んぼの住人であるトンボの幼生のヤゴはスクミリンゴガイの繁殖を抑制できる大事な役割がある。 美しいアキアカネ。 間に合ってよかった。

収量

予想通り夏の長雨が米の開花期と重なり、不稔籾が多くなり不作となった。 結果は反5俵というもの。 早植えの田は反3.5俵であったと聞く。 昨年が全体で8.4俵なので4割減。 まあ自然とはこうあるもの。 来季は更に広範囲に播種時期を分散する必要があると考えている。 食味は昨年よりいい。 特に甘みが強い印象。 しかし3年前の特においしかった米と比べると平均的であると思えた。

団粒構造

明日の稲刈りを迎え田んぼの中を少し観察。 見る わかった事は稲は倒れるとその強度に関わらず、熟れる、又は枯れる。 その両方の作用が働く。 掘る 湛水田の土の構造が面白い。 有機物を多く含んだ層が5センチから8センチあり、その下3センチから5センチが団粒構造の土で根をよく張っている。その下がグライ層で青い無酸素で多少の臭気を含んだ土になる。 この事に所見を述べたかったが、気分良くお酒を飲んでるので、事実のみ記す。

欲がなくなる。

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60過ぎると欲がなくなるとよく聞く。 品行方正な様ならまだしも、よく聞けばそういうものでも無いらしい。 要はやる気がなくなるそうだ。 幾つになればどうなるとの話はこれまでもよく聞いてきたが、私にはいつも当てはまる事はなかった。 しかし、最近長続きしないことがある事を知る。 かぼちゃ栽培だ。 どうしても興味が途中で失速してしまう。 米は常に興味は絶えないが、それは米ばかりでなく水生生物や植生の多様さを見て大きな環境の連鎖を見て取れるれるから。 かぼちゃが好物ならまだしも、嫌いではないが食べなくていい食物と思っている。 単に農業でしかないからだろう。 何かに関連付ける作業が必要なようだ。

記録 平成30年度産の米のラベル

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カメラマンが作った米という考えで昨年から展開した。 農家だけでなく異業種のつくる米があってもいいとという思いが米を作りながら感じていた。 収量や品質にこだわるものだけでなく、環境や生態系を重視した稲作を行う。

米のラベル

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九州の食卓であるナインフィールドの坂田氏にデザインして頂いた。 2019年産の米は3品種 にこまる イセヒカリ 在来種糯