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記録

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2018 久しくデータを見ていたらこの地方で、とべこずみ という稲わらを積み上げるやり方を父に習い再現した。 昔は牛などの餌として使っていたという。 もう2度とすることはないだろうから記録として。

実証できる生き方

事実やたわごとを含め、それが何 という意識が常にある。 そういうものには見向きもしない。 いつの日か人の目を見ることをやめた。 見え過ぎる。 この条件でどうなるかを見ている。 しかし適期を見定める訳でもない。 回りくどい生き方だ。 なんなんだろうね。 私は。

小菊かぼちゃ とヘアリーベッチ

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  9月に播種した固定種の小菊かぼちゃ。 どうにか霜の降る前に収穫できそうだ。 着果して受粉後、30日で収穫。 畑の緑肥としてヘアリーベッチを合計40kg を100aの圃場に撒く。 水田以外も動物性堆肥を入れない畑にする為の最初の作業を終えた。

冬季湛水田を見る

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妻に撮影してもらう。 今年は2年前と同じよう、冬季湛水田は荒起こしをせずそのまま水をかけ流す。 ひこばえの芽が出てそこに蜘蛛が巣をかける。 朝夕は美しい光景が見える。 この方が、生物が速やかに再現するようで、細菌を始め、昆虫や両生類も戻ってきた。 昨年は荒起こしをして水を入れたが、水の浸透が深く、深いぬかるみが幾つか出来、小型のトラクターでは荒代さえ出来なかった。

今思うこと。

3年前、精神科の医者が私を双極性障害ではなくアスペルガーと診断し、社会適応性の為に人と接する仕事を進められた。 それから半年ほどして清掃のアルバイトを始めた。また農業だけでは収入が足りないこともあった。 私は常にマイペースで動くし、仕事をする。 面白いことが分る。 私の行動を見るだけの人には嫌われるか理解されず、仕事を見る人は好かれたり、驚かれたりする。 仕事の人間関係において好き嫌いを基本的に持ち込まないので、よく人が見える。 最近になり社会適応性の為という医者の言葉が理解出来るようになる。 ただ何時迄もこのような状況に甘んじていけない。 基本的に自立を好む。 次男が進路を今考えるよう、私もこの先の進路を見据えた行動を取らなければ。 生物多様性を核に農業を捉え、その有様から学び、これまでの自分のskillを使って写真を突き詰めるまでだが、少しの方向性さえ狂えば見失う世界。 家族には悪いが私はお金や名声を最後まで求めないだろう。 その方法しか純粋な動機を保ち続けられないから。

101歳の死

遠い親戚にあたるという。 101歳の死。 皆は平穏に構える。 さて私がそのまま生きたら46年後の事である。 なんとも。 現代においての老後は非積極的な迎える。過ごす。の風潮だが、昔は違った。 長老の世界。 さてさて。 これまで生きてきた年月に近い時を過ごすのに、どちらも私には退屈だと考えた。

アキアカネの産卵

稲刈り時から気になっていたが、トンボのアキアカネが交尾したまま、乾いた稲わらに産卵していた。 倒れた稲を前にして、果たして今年水を田んぼに入れるか思案していた。 昨日、今年倒れなかった田んぼの冬期湛水を開始した。 霧がはった翌日の朝を迎え、田んぼ一杯に水がたまる。 日が差し日中に水量の調整に出かけると、アキアカネが今度はちゃんと止水した水に産卵していた。 何つがいだろうか。 10かそこらは確認。 田んぼの住人であるトンボの幼生のヤゴはスクミリンゴガイの繁殖を抑制できる大事な役割がある。 美しいアキアカネ。 間に合ってよかった。

収量

予想通り夏の長雨が米の開花期と重なり、不稔籾が多くなり不作となった。 結果は反5俵というもの。 早植えの田は反3.5俵であったと聞く。 昨年が全体で8.4俵なので4割減。 まあ自然とはこうあるもの。 来季は更に広範囲に播種時期を分散する必要があると考えている。 食味は昨年よりいい。 特に甘みが強い印象。 しかし3年前の特においしかった米と比べると平均的であると思えた。

団粒構造

明日の稲刈りを迎え田んぼの中を少し観察。 見る わかった事は稲は倒れるとその強度に関わらず、熟れる、又は枯れる。 その両方の作用が働く。 掘る 湛水田の土の構造が面白い。 有機物を多く含んだ層が5センチから8センチあり、その下3センチから5センチが団粒構造の土で根をよく張っている。その下がグライ層で青い無酸素で多少の臭気を含んだ土になる。 この事に所見を述べたかったが、気分良くお酒を飲んでるので、事実のみ記す。

欲がなくなる。

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60過ぎると欲がなくなるとよく聞く。 品行方正な様ならまだしも、よく聞けばそういうものでも無いらしい。 要はやる気がなくなるそうだ。 幾つになればどうなるとの話はこれまでもよく聞いてきたが、私にはいつも当てはまる事はなかった。 しかし、最近長続きしないことがある事を知る。 かぼちゃ栽培だ。 どうしても興味が途中で失速してしまう。 米は常に興味は絶えないが、それは米ばかりでなく水生生物や植生の多様さを見て大きな環境の連鎖を見て取れるれるから。 かぼちゃが好物ならまだしも、嫌いではないが食べなくていい食物と思っている。 単に農業でしかないからだろう。 何かに関連付ける作業が必要なようだ。

記録 平成30年度産の米のラベル

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カメラマンが作った米という考えで昨年から展開した。 農家だけでなく異業種のつくる米があってもいいとという思いが米を作りながら感じていた。 収量や品質にこだわるものだけでなく、環境や生態系を重視した稲作を行う。

米のラベル

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九州の食卓であるナインフィールドの坂田氏にデザインして頂いた。 2019年産の米は3品種 にこまる イセヒカリ 在来種糯

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実態のない行動や虚構より、一粒の米を生産する事を選ぶ。

実態のない行動や虚構より、一粒の米を生産する事を選ぶ。 そんな事を考えていた。

在来種糯の収穫

収穫を今日終える。 この種は分蘖数が非常に少ないのである程度密植栽培しても良さそうだとの印象を憶えた。 問題はスクミリンゴガイで柔らかい糯の苗は食害が多い事。 来季はスクミリンゴガイの居ない田んぼで育てること。 今期は確認しただけで外観の違いだけで4種の種が混じっているなど。 背丈は1m位に成長するが台風の被害は全くなかった。 茎葉はいつまでも青く、籾が黄色く熟れる。 出穂期から45日での収穫だが青米が多い。 恐らく50日でもいいだろう。 基本的に早稲である。 白ひげが背が高く、赤ひげが低い印象。 いもち病は全くない。 などなど。

私は化学肥料より動物性肥料を使うことに懸念を感じている。

これは以前養鶏場での仕事を体験したことで得た見方だが、多くの化学物質や生物分解できない薬品、外来の種子、多量の石灰などが使われる実態を知っている。それらは全て家畜の排泄物の中に入っている。養鶏場では糞は廃棄物扱いで発酵なども中途で畑に撒かれているのが実態であり、完全発酵するまで貯蔵するスペースもなかった事を記憶している。 私はその養鶏場だけだろうと思っていたが、現在市販の発酵と名の付く鶏糞を使うにあたり、相変わらず外来種の雑草が生える事を見ると、どんな大手でも同じことだと思っている。 私はもう一切の動物性肥料は使わないと決めた。 米に関してはすでに無農薬、無化学肥料、無動物性肥料を実践しているが問題は米の2倍の肥料を必要とする野菜だろう。 基本は緑肥+化学肥料に移行する考えだ。 問題は窒素。 しかし調べていくと硝酸態窒素として地下に浸透していかない窒素もあるようだ。 化学肥料を少し調べて見よう。 偏見を無くし相手を知る。

大量のヘアリーベッチを注文

いろいろ考えたが動物性肥料以外の基肥が必要だった。 米はレンゲの緑肥で何も問題ない。 来期のカボチャはベースの基肥をヘアリーベッチで選択。 青紫の花が美しい。

決して中干しはしない。

なぜなら水生生物の保護が目的だから。 解りやすく言うと、例えばトノサマガエル。 中干しをするとオタマジャクシから変態する時間が足りない。 つまりトノサマガエルは生きていけない。

中干しをした方が台風には強い

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いやーこの台風で稲が倒れました。 興味を持って注意深く観察。 茎が太いとか、背が低いとかは有利かもしれないが倒れるときは倒れる。 しかし今回の倒れ方を見るとはっきりと地盤の固さに関係している。 倒れたのは冬期湛水の中干し無しの場所だけだ。 地盤は相当ゆるい。 その上実りが多い。 恐らく完全ではないにしろ茎が折れていないので起き上がるだろう。 途中で一度干すことが必要かもしれない。 分蘖数が限界近くになる無効分蘖が現れたら軽い中干しをして見る方がいいかもしれない。 まあまた楽しい課題ができた。 エアインテークのドミノ倒し防止は無効だった。 ただ隣の中干し無しの私の田んぼは全く倒れない。 ヒントだ。 風音はまだまだ続く。 秋の夜長。

思い出す

稲作の最後の仕上げは塩である。 天日塩などのミネラルの豊富な塩を稲に与えると米は旨くなる。 そうか。 昨年はそれを忘れていた。

印象

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ふと思う。毎年の稲の姿を記録した方がいいと。 写真右側、背の高い稲は昨年の古株から育った稲。4月19日には20センチほど成長し、長い分蘖時間を経て6月18日に植えた稲より背が高く、分蘖数も80本以上となった。  すっきりとした稲株。それでも分蘖数は多い。私は中干しをしないので分蘖の終わりは稲に任せている。中干しをしない理由は水生生物の保護が理由だが多収にも繋がる。 無農薬、無化学肥料の条件なので初年度のウンカ被害を教訓に20列または16列に1mの間隔で風通しを良くするためのエアインテークの構造を思いついた。それ以来なんの病気も害虫被害も少ないで済んでいる。収量も変わらないかむしろ多くなるのだが、その理由は私の田を見れば分かるでしょう。

多品種混合栽培

ファッロにしろ在来種の糯にしろ何種類かの品種が混じっているのがわかる。 現代は単品種での栽培が多いが、現代以前は何種かの品種を混ぜて栽培することは一つの農法であったと推測できる。 米において多品種混合で栽培すると収量が増え、カビに対する病気にも強いと言われている。幾つかの文献を読んだが米では収量に関してそう大差ないが、病気には強いとあった。 混合して栽培することは実は私の漠然としたイメージで常に考えていたことだ。 恐らく私はいつか実行するだろう。 完全なオリジナルを作りたいというカメラマンとしての思考の表れだろう。 来年から1反の実験圃場で実施していく。 勝手なことかもしれないが種の多様性を実施するのは全て研究所の仕事ではなく民間の一個人でもやるべきだ。 種としてまだ新しいイセヒカリをベースにするのか、3年自家採取のにこまるをベースにするのか。 はてはて、こういう事を考えるのは私は好きだ。

神田小菊

ニホンカボチャの煮物を食べた時、カボチャ嫌いの私が本当に美味しいと思った。 私のベクトルが定まる。 神田小菊は美しい形のカボチャという。 美しい事も私の選択肢。 これは植えるしかない。 時期外れだ。 しかし抑制栽培ものを知る。 それでも遅い。 冬の栽培もあった。 まあいいや。 まずは実行。 植えてみる。 種を取り寄せ明日は播種。

偉人とその後

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このエリアは旧益城群河原村になる。 明治の矢野村長は代々庄屋であり彼は山に造林を進め村の発展の成功に至ったという。 今はどうか。100年以上経った現在、杉やヒノキは管理するどころか売っても金にならないからそのまま放置状態が大半だ。 家の山しかり、100年近くの木さえある。 本当に潤ったのか。 私は彼を尊敬するが、このような状況になることは彼も予測できなかったろう。 世代を過ぎると製材所も潰れ莫大な借金で全ての土地を無くした。 私はその様を子供の頃からずっと見て来た。 人々を喚起させ動かす偉人たち。 時が過ぎれば全てが変わりうる。 はて、変わらぬものとは何なのか。 よくよくそう考える。

日本カボチャ

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妻が日向カボチャを食べたいというので少しだけ植えていた。 なんだか黒皮の日向かぼちゃとイメージが違うものが出来上がった。 嫌いだったカボチャ栽培も最近は興味が湧いている。 カボチャの煮物がいつも調味料ではなくカボチャそのものが甘すぎると思っていたが、このカボチャならいいかもしれない。 来年はいくつかの品種を栽培するだろう。 変わったものより西洋カボチャのえびすのようにスタンダードで美味しいものを作りたい。 なんとなくだが今は小菊カボチャの姿が美しいなと目を向けている。

この夏

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長雨

今、稲穂は花が咲き始めこれから登熟を始めるというのに雨が降り続く。 恐らく今年は不作になる。 稲株の成長も遅植えのため数も丈も少ない。 今後晴れてくれるなら味はよくなるが、せめてもの期待はそれだけだろうか。 私は生まれてこのかたこの時期に梅雨のような経験はない。 秋の長雨は西日本にはなく、関東以北の事だからだ。 彼岸花が咲き始めて来た。 記憶では朝晩が涼しくなるが、昼は晴天の様を思い浮かべる。 天候に左右されるのは農家だけでなく、カメラマンもしかり。 私はずっと天気に左右されて来たが、それを悲観したことはなく寧ろ又とない機会と捉える訓練をして来た。 悲観するより見落としを確認して次の行動に移す作業を始めよう。

繋ぐ

大きなイメージでは圃場は常に作物が育っている環境を考えている。 大枠は米作やカボチャの畑の後には大麦のファッロがあるという姿。 規模も大きくなり、ファッロに至っては2町の圃場を全て使い切る事になる。 問題は麦に関してのインフラがこの村にはないことだ。 なのでコンバインから乾燥まで機械を揃える必要がある。 またファッロの売り先も恐らく6000kgの売り先がまだ未定だという事。 これは現実的には、ぼちぼちやるしかない。 今日、雨の合間にファッロの夏播きを1反行う。 昨年手のひらに余るほどの種からようやくここまで来たかと思いながら播種作業を行なった。 今年最大の興味は在来種糯米の様子。 ファッロにしろこの糯米にしろ凄まじい長さの時間と遺伝子の様を見て取れ感慨深い。 私は繋ぐ一人でしかないがこうして尚又この後も続いて行くのだろう。 しかし人が一旦辞めたらもうこの種子は消えると思うと、手にした責任だろうか、続けて行くしかないし誰かに分けることが大切であろう。 この種子もある人から1kg程分けてもらったものだ。 しかし彼は今年更新しなかった。 そういう事だ。 永遠に種を繋ぐ事は本当に奇跡なほど難しい。

ファッロ 夏播きの準備

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8月中に夏播きをし、年内の収穫を試す。 九州では冬播きして梅雨時に収穫するよりいいのではないかと期待する。 今後の作付けは当面、米、かぼちゃをメインにトマトとこの大麦ファッロを生産して流通を開拓していく方針だ。 農業を始め3年になる。 カメラマンほど利益の出る仕事ではない。 しかし利益を確保することは何の仕事でも大事だ。 米の作付け面積は来年また1反増やす。 かぼちゃは1町に拡大し、二期作をする。 しかし何処までも拡大できる訳ではない。 もうこの辺りで収益を確保する農業技術を導入するしかないと常々感じる。

糯の出穂期

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出穂期を14日に迎えた在来種の野稲 この田んぼは父から与えられた最初の田んぼであり新しい事を試すときは丁度1反の面積があるのでこの田んぼを使う。 水稲として育てられたこの野稲のもちの味は美味しそうだ。 少量ならお分け出来ると思います。 収穫は9月の半ば過ぎ。

もう一つの考え

思うに。 私の理想とする世界は今後存在しない。 としよう。 ならば。 私は閉口するしかないが、物質の崩壊するスピードは相当に早まる。 ただ、それだけだ。 私はどうしたらいいのか。

現在の考え

私は無農薬であるが、噴霧器を片手に木酢液やリンゴ酢などを撒いていると農薬を撒いていると勘違いされる。 聞かれれば答えられるが多くは見ながら通り越して行くので農薬と思うだろう。 はてそれはそれとして、いくつか思うことがある。 いろんな農法はあるが、農業の第一命題は食料の提供である。 日本に於いては平成30年で農業人口175.3万人、平均年齢66.6歳とある。 人口は2017年で1.268億人である。 食料自給率は66%なので単純計算では1.268億人÷1750.3万人×66.6%=48.2 農家はおよそ一人当たり50人分の食料を生産しなくてはいけないということになる。 私の知る限り自然農法では優秀な方達以外、不可能だろう。 かと言って慣行農法であり続ける事は環境や人への影響は決して良くは無い事はわかっている。 結論を言えばバランスだと私は最近よく思う。 どちらの立場でも構わないから負荷を掛け過ぎない農業が今後の進むべき道だろう。 農業の事を私は深くは考えたくはないが、それも避けられそうにない。 以前からの考えだが、農法などに囚われる必要はない。 日々そう考えている。

化成肥料

契約栽培出荷用のカボチャを今年は化成肥料で栽培してみることにした。 理由は指定の堆肥の量が相当多く、何年もかけて外来種の雑草を駆除して来たが、外来種の種子を大量にまたばら撒くことを懸念したからだ。 高温で発酵した堆肥ならともかくそのような手間暇かけた堆肥は高い金額を出して買うしかない。 外国の飼料を食べさせない酪農家を探すまでは契約栽培出荷用のカボチャのみ化成肥料にしようと考えている。 なおそれだけでは畑の炭素物がなくなるので裏作に麦を植え藁を漉き込む。