第13章 不二子はんの「みそ汁のだし論」 633話

「よしろうはん、みそ汁のおだしいうもんは、濃ければええっちゅうもんでもないんどすえ。写真でいうたら、森山大道はんみたいに、コントラストが強うなると、黒と白が際立ちますやろ。せやけど、そのあいだにある微妙な諧調が、ちょっと見えにくうなることもありますの。

おだしも、よう似てますねぇ。

風味が強すぎると、お豆腐はお豆腐、大根は大根、それぞれが持ってる味が隠れてしまうことがありますやろ。せっかくの持ち味やのに、ちょっと惜しいことどす。

おだしは、自分の味を知ってもらうことばかり考えんと、素材のおいしさを引き立ててくれたら、それでええんと違いますやろか。

お豆腐にはお豆腐の味があって、大根には大根の味がある。無理にひとつにしてしまわんでも、同じお椀のなかで、それぞれがおいしく調和する。うちは、そんなみそ汁が好きなんどす。

それに、おだしいうもんは、素材と素材のあいだに、ええ『間』をつくってくれるんかもしれませんねぇ。

……あら、いけませんわ。

みそ汁のお話をしていたはずやのに、いつの間にか写真の話になって、今度は人生のお話どす。よしろうはんとおしゃべりしてると、話の寄り道が多うなりますなぁ。

「ぼく様のせいかい?」

まあ、そう急いで結論を出さんといておくれやす。お話にも、煮えるまでの時間が必要ですやろ。

人と人とのお付き合いも、みそ汁のおだしと似たところがありますねぇ。

自分の思いを強う出しすぎたら、お相手の声が聞こえにくうなる。かといって、遠慮ばかりしていたら、今度は自分の味まで伝わりません。

大切なんは、どちらかが我慢して相手に合わせることやのうて、お互いの持ち味を残しながら、心地よい間合いを見つけることやと思いますの。

近すぎず、遠すぎず。それでいて、気持ちはちゃんと届いている。

そんな関係がええどすなぁ。

まあ、口で言うほど簡単やないから、人間いうもんはおもしろいんやけど。

さて、今夜はおいしいみそ汁でもいただきまひょか。

誰かと一緒やったら、同じお椀のお味も、ひとりのときとは少し違うかもしれませんねぇ。お料理いうもんは不思議どす。同じ材料で、同じように作っても、誰といただくかで、なんや気持ちまで変わりますやろ。

そうお話ししていたら、よしろうはんが、妙に真剣なお顔で尋ねはりました。

「不二子はん。ほな、ぼく様の味はどないなん?」

「まあ、よしろうはん。ご自分のお味が気になりますの?」

「そら、気になるやないか」

不二子はんは、少し首をかしげて、にっこり。

「そうどすなぁ。よしろうはんは、なかなか味わい深いお方やと思いますえ」

「おっ、ほんまか!」

「ええ。ただ、まだ味がよう染みてへんところもあるような……」

「それは、どういう意味やねん」

「さあ、どういう意味どしょうねぇ。お料理も人間も、急いで味を決めつけたらあきませんもの」

よしろうはん、しばらく考え込んではりましたが、やがて何かを思いついたように顔を上げはりました。

「ほな、ぼく様も、今夜はみそ汁に入ってみよか!」

「あら、よしろうはん。お気持ちはうれしいんどすけど……」

不二子はんは、笑いをこらえながら、そっとお椀をよしろうはんから遠ざけました。

「よしろうはんは、具材にならんでもよろし。まずは、お隣で一緒にいただきまひょ。お味のことは、それからゆっくり考えましょか」

「なるほど。ほな、おかわりも頼むわ!」

「あらあら。よしろうはんは、おだしの味を考える前に、お椀の大きさを考えたほうがよろしいみたいどすなぁ」

……どうやら、よしろうはんに必要なんは、人生の味付けよりも、まずは腹八分目の心得やったようどす。


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