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微小位相差論――写真における「現在」と知覚の複数性

  微小位相差論――写真における「現在」と知覚の複数性 京都芸術大学大学院 芸術研究科 芸術専攻 写真映像領域 新川芳朗 1.はじめに――「現在」は一つなのか 私たちは通常、「現在」を一つの時間的な点として考えている。過去はすでに過ぎ去り、未来はまだ到来しておらず、現在だけが現に存在している。しかし、私たちが実際に経験している現在は、本当に一点として成立しているのだろうか。 たとえば、目の前にある風景を撮影したとする。その写真は撮影された瞬間を記録しているように見える。しかし、写真を見る時点では、撮影された時刻と鑑賞している時刻はすでに異なっている。さらに、対象から発せられた光が撮影装置に到達するまでにも時間が必要であり、写真を見るという行為においても、撮影時、光の到達時、記録時、現像・表示時、鑑賞時という複数の時間が関係している。 もちろん、ここから直ちに「物理的な光の遅延が、人間の意識における時間経験を決定する」と結論することはできない。物理学における時間と、現象学における時間は異なる水準に属するからである。本論は両者を一つの因果的な理論へ統合することを目的としない。 むしろ問題にしたいのは、現在が完全に一致した一つの点として与えられるわけではないということである。物理的観測においても、知覚においても、写真を見る経験においても、現在は複数の条件や位相の関係によって成立している。 本論では、この問題を「微小位相差」という概念によって捉える。 微小位相差とは、単純な時間差ではない。それは、異なる二つの状態がほとんど同一でありながら完全には一致せず、その差異が知覚の中で関係づけられることで生じる状態である。 この概念は二つの側面を持つ。一つは、現在を単一の時間点ではなく、複数の位相が重なり合う知覚的・関係的な場として捉える理論的側面である。もう一つは、その構造を写真によって可視化する実践的側面である。 本論では後者を「双構図」と呼ぶ。双構図とは、二枚の写真を単純に並べることではない。二枚の写真が十分な同一性を保持しながら、完全には一致しないように配置することで、両者の差異そのものを鑑賞者に経験させる方法である。 ここで重要になるのが「第三の画面」という問題である。しかし、この第三の画面は第三の写真でも、AとBの間に存在する第三の像でもない。本論ではそれを、二つ...

エール

「自分自身の道を切り開く者への歓迎」 今という場所に、 そこが唯一立っていられる場所であるかのように、 しがみついてはいけない。 自分の進む方向を決め、 動き始めよう。 人生には、 壁があまりにも高く、 道があまりにも狭く、 光があまりにも遠く感じられる瞬間がある。 けれど、どんなに小さな隙間からでも、 太陽はそこへ差し込む道を見つける。 もしかすると人生は、 世界が変わるのを待つことを 求めているのではない。 むしろ、 その世界の中で、自分の立つ場所を変えること を求めているのかもしれない。 一歩、前へ。 「今」と呼んでいる境界を突き破り、 その向こうで待っている 新しい「今」を見つけよう。 年齢が、それを禁じることはできない。 不遇が、それを禁じることもできない。 どんな状況も、 動き始めた心を完全に止めることはできない。 暗闇の向こうでは、 世界そのものがすでに、 そこへ向かって歩く者のために 場所を用意しているのかもしれない。 そして、ついにそこへ辿り着いたとき、 美しいことに気づくかもしれない。 あなたが向かっていたのは、 扉ではなかった。 その扉を開けられる人間へと、 あなた自身がなっていたのだ。 進もう。 人生は、自分自身の道を切り開く者を歓迎する。   A Welcome to Those Who Carve Their Own Path Do not cling to the present as though it were the only place you can stand. Choose your direction, and begin to move. There are moments in life when the walls seem too high, the road too narrow, and the light too far away. But even through the smallest opening, the sun still finds a way to enter. Perhaps life does not ask us to wait for the world to change. Perhaps it a...

今晩のおかずずず。。

鶏むね肉とゴーヤのバジル炒め 材料(1〜2人分) 鶏むね肉 1枚 白ゴーヤ 1/2本 生バジル ひとつかみ 韮の花  にんにく 1片 オリーブオイル 大さじ1 塩 少々 黒こしょう 多め 醤油 小さじ1 レモン汁 1個 作り方 よく洗った鶏むね肉を薄めにそぎ切りにする。塩と黒こしょうを振る。 白ゴーヤを薄切りにする。 フライパンにオリーブオイルと薄切りのにんにくを入れ、弱火で香りを出す。 鶏むね肉を入れ、両面をゆっくり焼く。 鶏肉に火が通ってきたら、白ゴーヤを加える。炒めすぎない。 醤油、黒こしょうを加える。 火を止める。ニラの花そして最後にバジルをたっぷり入れる。 レモン汁と薄切りの皮もたっぷりちゃぷちゃぷやねん。

1960s Italian Love Songs 🌹 Romance in the Streets of Italy

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Italian Deep House 2026 | Golden Hour in Rome

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Playlist,,deep house,Music Played in Dior stores

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[2026] Billie Eilish, Cigarettes After Sex, Carla Morrison, Emma Peters, Edmofo, OMER BALIK, YA NINA

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懐かしい曲のリミックス 

最近の活動

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研究のインターフェースとして機能しだしたFB Grzegorz Gorczyński氏のアンケートからサイト出典そして出版へと展開する。     実現するなら私の記念すべき1ページに成りそうだ。 長年に渡って無欲で研究した甲斐があった。  研究者そして写真家として物(炭素物)としての本になるのは大変栄光だ。  是非実現して欲しい。    また、多くの教授や学者、写真家、芸術家からのコメントも実に有意義だ。 洗練された情報さえくれる。  ヴロツワフのエウゲニウシュ・ゲッペルト記念ヴロツワフ美術大学で美術史および視覚芸術の教授の Emilla Oktawia Łagiewskaさんがユニークな動画を添えてくれた。 György Ligeti: Poème symphonique for 100 metronomes   Emilla Oktawia Łagiewska  Professorより György Ligeti(ジェルジ・リゲティ)の「100台のメトロノームのためのポエーム・サンフォニック(Poème Symphonique for 100 Metronomes)」を添付します。 私は、伝統的な和声や旋律を欠いたこのエントロピーが好きです。8分間にわたる「音のポリリズミックなジャングル」と、その最後の和音。そこでは、私たちが投げ込まれた混沌から、今度は空虚へと投げ込まれ、そこから絶対的な静寂が現れます。そして音は、まるで時間そのものが死んでいくかのように、最後のフレーズで消えていきます。 「ポエーム」の初演(1963年、オランダ・ヒルフェルスムで開催されたGaudeamus Musiekweek)では、スキャンダルが引き起こされました(叫び声、ブーイング、口笛、作曲家に向けられた公然たる脅迫など)。 ……それが60年後に、St. Mark’s Episcopal Church on Capitol Hillで(添付された動画のように)演奏されたときには、集中と熟考の中で聴かれています。 間違いなく、観客/聴衆の成熟度や、作者の意図に対する社会的な認識が、作品の受け取られ方に影響します。また、作品がどこで、どのような環境・雰囲気...

寝るる

ぼく様相当疲れていたようです。 魔界からのがれ、寝る。少し起きる。すぐ寝る。 1日4回も寝ました。 バグる手前の脳細胞が修復できるまで。 今からまた寝るる。。

第12章 鳴く虫の館 620話

屋敷へ入ると虫の音が響き渡る。 よしろうはんの家に入ると鈴虫やらコオロギやらなんともまあようさん虫が鳴いとる。 草もようけ生えとるけど、それで居るんやろか。 今どきは鈴虫がよう聞こえる。 雨の中でもようさん鳴らしとるわ。 あ、それか? なんもせんといたらこうなったんや。 親父の時は除草剤ばかりやったから草も生えんかった。 見かけはええけどぼく様からみたら砂漠やったな。 これでええんよ。 風雅やで。  へー うちもこのほうがよろしいでぇ。 

ポーランドの写真家Grzegorz Gorczyński氏が私を紹介

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Od piktorializmu do postfotografii.   września 02, 2026    https://grzegorzgorczynski.blogspot.com/2026/09/photography-as-material-state.html     https://grzegorzgorczynski.blogspot.com/2026/09/fotografia-jako-stan-materii.html     Grzegorz Gorczyński氏                 写真は物質の状態である 新川芳朗と歴史的写真技法の新たな可能性 現代における歴史的な写真技法への関心は、しばしば「過去への回帰」として語られる。サイアノタイプ、銀塩によるさまざまな技法、リスプリント、その他のオルタナティブ・プロセスが再び注目されるとき、それはデジタル以前の写真への郷愁、あるいは手作業による写真制作の復権として理解されやすい。 しかし、日本の写真家・写真研究者である**新川芳朗(Yoshiro Shinkawa)**の実践は、そうした単純な解釈では捉えきれない。 新川にとって歴史的な写真技法は、過去を再現するための目的ではない。それはむしろ、 画像、物質、プロセス、時間、写真オブジェクトの関係そのものを問い直すための方法 として機能している。 新川は「新川写真研究所」を拠点として、オルタナティブ・フォトプロセス、高耐久写真プロセス、そして自身が展開する「双構図」と「微小位相差論」について研究し、実験の記録や理論的考察を公開している。[1] そこでは作品制作、技術研究、材料研究、理論形成が明確に切り離されていない。 この点こそが、新川の実践を考えるうえで重要である。 歴史的な技法は、保存されるべき「過去の技術」ではない。それは現在において新たな問いを生み出すための出発点となっている。 再構成から実験へ 新川は、歴史的・オルタナティブな写真技法への関心を形成するうえで、Mark Ostermanから大きな影響を受けたと語っている。[2] Osterm...