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表紙 雷鳴と破竹のような豪雨

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  この写真は5年前に〈とべこずみ〉というこの地方の稲わらを積み上げるやり方を父に習い再現した時のもの。終わって余った稲藁を燃やしてる時に父は背を向けどこか遠くを見ていた。父79歳。   父は俺はもう恥ずかしいといい75歳の時に全ての田畑を私に託した。それ以来自分はもうしたくないと農業には目もくれなかった。 現役で田んぼを作っていた頃の口癖は家の田んぼは宝の田だとよく言っていた。 この田が宝だという意味は作ってみて私にはよく分かっていた。  しかし何故恥ずかしいといい私に渡したのかはずっと分からずにいたが、家の歴史を最近よく語る父の言葉で理解できた。 父が言うには代々小作に作らせ自ら米を作る事はなかったと言う。 父はよく家の血統を尊重し、基軸として動いていた。 私には幼い頃からそれが理解できなかった。人は皆平等だと、そう言う教育を受けて来たからだろう。 時代は変わり人は皆平等という概念を壊し、二極化や富裕層、貧困層という言葉が普通にテレビやネットで流れ、そう動く時代となって行った。   雷鳴と破竹のような豪雨の今朝  

スマホを洗濯

画面にヒビが入ったiPhone  さすがに洗濯機で洗ったらお釈迦になった。 やれやれ、解放された気分だ。 スッキリしたよ。

整理整頓

また部屋が散らかって来た。 良くないな。 庭も雑草が茂って来た。 やはり生活圏が美しくないと豊かな暮らしには思えない。 整理整頓できないこと、これこそ諸悪の根源。

老人がいない

高齢化社会で老人は溢れかえっているはずなのだが、現役で働いてる人以外穏やかに余生を過ごす老人の姿を見かけない。 昭和の頃は川べりの木陰のベンチで涼む人や、散歩する人、自家用の野菜や味噌を作る人、魚釣りをする名人などあちこちで見かけたものだ。 現代では、高齢化すると医療施設、介護施設 、デイケアなどに送られるのが日常だ。 何だろうな。 私も両親の高齢化で起こる諸問題に直面しているので何とも言えないが、私はこの在り方は健全ではないと考える。

田植えの光景

甲佐での田植えをしながら私は思う。 この方式はもう時代に合わない。  国産自給率100%を維持する米だが、担い手が不足しているので農業法人が生まれた。 しかし法人といえ一人当たりの圃場面積が拡大する事には変わりなく、大型機械の導入などが必要。仮に面積が100ヘクタールとするなら、10アール当たり苗箱を18枚で計算すると18000枚の苗箱が必要になる。一人あたり500枚を管理させても40人弱必要。 播種、育苗、苗運びなどは未だ人力の部分が多いのが現状だ。 私は田植えという移植栽培の限界を感じる。 広大な面積には直播〈ちょくはん〉方式だと播種、育苗、代掻き、田植えという工程が必要ないので、圧倒的に省力化できる。そして今後農業人口のさらなる減少に対しても面積拡大に対応できるだろう。 私はこれしかないなと考えている。 無農薬では雑草対策が最初のハードル。 私の圃場では乾田直播であったが現在のところ雑草はさほどでもない。畔に面したところが生えていたのでそこだけトラクターで代掻きして田植えで対応した。 田植えの光景はそのうち見ることも少なくなるのかもしれない。

手にする

最初に手にしたもの。 それが一番欲しいものだ。 その次に手にするものは迷いしかない。

興味あるものしか受け入れなくていいんだな。

専門的な分野を2分野追求する私。 ありきたりな日常は見え過ぎて、かまう時間はない。 そう確信した今日の日暮れ時。

いわしの青紫蘇風味米粉フライ

米粉は揚げるとサクサクで良い感じ。 パン粉を入れるか迷うが、パン粉なしも美味しそう。 開いたいわしに青紫蘇や梅干し入れて、包んでバッター液に溶き卵で米粉をまぶして揚げてみよう。美味しそうだな。

よるにらーめん

ゆうしょくにらーめん、てこんなてぬきはない。しかもぼうめん。されどぼうめん。よし、こだわってみようかな。 さいきんのぼうめんはうまいよね。

作品を手放す

30代の頃に私はそれまで作ってきたオリジナルプリント全ての写真を貰ってくれる方に渡した。 殆どは熊本市のギャラリー。数点を知人や友人、病院など。 それまではシリーズ化した作品は作っていなかったが、その事がきっかけで写真をシリーズ化できた様に思う。  

変化していく

時代の劇的変化を感じるこの頃。 たった半世紀と少ししか生きてないが、この変化は80年代以前と90年代以降への変化とは本質的に違う。 言い方は奇抜だか、江戸時代と令和の違いと思うとなんとなく私は納得した。 2019年新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行とウクライナ戦争が大きな起点となり価値観、生活、考え方、規則全てが新たな方向へ進む。 倫理が不確定で不安な要素が多く、全ての人間が公平で豊かに幸せである方向性ではない。 時代は江戸時代に逆行して一部の人間が今度は人類全体を支配下にする意図が随所に見える。 愚かなものだ。   その様な時代に最近私は二人の日本人に興味を抱いている。  一人は教師もう一人は政治家から海を渡って広大な土地で稲作を始めた。   アメリカで米栽培を始めた国府田敬三郎氏 国府田 敬三郎(こうだ けいざぶろう、1882年12月6日 - 1964年12月16日)は、日本の福島県出身の農場経営者。アメリカ合衆国カリフォルニア州で、大農方式による同地の気候に合った良質な米「国宝ローズ」の大量生産に成功し、「ライス・キング」と呼ばれた。  オーストラリアで米栽培を始めた髙須賀穣氏 高須賀 穣(たかすが ゆずる、1865年3月9日(慶応元年2月13日[1]) - 1940年(昭和15年)2月16日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 慶應義塾・米国大学で学んだあと、愛媛県松山市選出の国会議員として活躍。 オーストラリアでの米作りに挑戦しようと渡豪し、何年もの間いくつもの試練を乗り越え、米を販売できるまでにした。 髙須賀穣の活躍の10年後、リートンの米作りは、オーストラリアの農業の中で最も成功した産業へと発展し、他国へと輸出されている。

病院ってなんだろう。

父が退院した。認知症で精神科からの退院。 先週一時外泊した時にも思ったが、大人しくはなったが弱ったな。という印象で、入院する前の元気さがない。確かに元気過ぎて周りに迷惑をかけたので入院したのだが。 それから10日ほどで私は退院させた。 しかし更に元気がない。 気力が無くなっている。 私は病院にはもう入れたくないと思っている。 この件について論議しても終止符を打つ事は出来ないので割愛するが。 私は最後まで父の尊厳を保てる環境に努めようと思う。

スズメか。

雨の中、庭先でスズメが庭に散らかった麦種子を食べていた。 スズメか。  なんて小さな生き物か。 しかも空さえ飛べる。 スズメさえ害鳥と思うなら何ぞや。 スズメさえ生きれない世の中はさぞ何ぞや。 私は傘をさして離れに向かいそんな事を思っていた。 無論スズメだけの話ではない

農業経営

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物価が上昇して行く中、米の実質米価指数は1968年年と比べ三分の一に下がる。  https://www.jacom.or.jp/column/2014/11/141104-25692.php 上記の記事は読むに値する。 では、現状から私が生まれた1964年の状況であるなら、どうか。 田んぼは1.3町程で100万程の利益とするなら1960年代には300万程の価値感となる。1町程度のそんな少ない面積でも生活できる収入が確保できる。そうであるならば、耕作放棄する農家は少なくなるだろう。作っても赤字だから作れないのだ。 大規模法人化が進むのは更に安い米を提供するためにあるとしか私には思えない。 やつだ農園を大規模化する方向で私自身も動いているが、それでも農家は条件の良い圃場を貸すのは少ない。それは良い事だが、近い将来高齢化や後継者不足で手放す時期が近いのが現状。 大規模化、効率化優先の方法論や技術やテクノロジーでカバーしようとする現代農業であるが、単価下落と消費量減が問題だ。 これでは世界の大規模経営の模倣であって、さらに広大な土地を所有する中国、アメリカ、オーストラリアにかなう訳がない。 日本の米や日本人農家の存在価値は無くなるであろう。   私は環境を改善する事が目的だが、大規模経営で農家人口を減らすのであるのはどうしたものかと感じている。 日本の米の美味しさは世界でも定評があり、高くても売れる実績もある。 単価を高くして輸出を積極的にする方が、減反政策や法人化優先の補助金政策よりも国の利益や雇用、産業活性化に結び付くのではないか。 小規模農家の日々の務めを無視するような方向性は多くの問題を生むだろう。

ポークハムと青じその絶妙なコンビ

今夜は一人。 さて、ウイスキーロックを飲みながら何食おうか! ポークハムと自家製大蒜をオリーブオイルでソテーして、塩、黒と白の胡椒、多めにクミン。 んで、、 ただ、生の青じそとハムを余熱でサンドウィッチした。 なんなの? この味。 うまいわ。

市民農園での湛水直播

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Canon EOS 5D Mark II ZEISS Planar T* 1.4/50 ZE f1.4

表紙

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私達の市民農園で育つ稲。 手蒔き湛水直播の稲の成長に勢いがついて来た。 ポエジーでのどかな風景。 Canon EOS 5D Mark II ZEISS Planar T* 1.4/50 ZE f1.8  

やっぱりスマホは必要ない

まず、スマホは頭悪い上タチ悪い。これ大事だね。遅い、くだらない、必要ない。なんとなく待ち姿勢感覚が生活に付きまとうので精神的にも良くないし、なんだろうか、単なる時代遅れのデバイスでしかない。今は21世紀だよ。 使ってて出来の悪さにイライラします。iPhoneですけど。   主は人であってデバイスに左右されたくはない。 まあ、こんな頭の悪い金食い虫はないですね。  やめよやめよ、BingさんのAIがまだましだ。 間違いを突っ込むと、すみませんと素直に謝るし!

変化する田

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日本の田んぼは此れから先変化していく。 失われていくという受け止め方ではなく、必要ないものは変化して行くのだ。 米を食べなくなった日本人。生産性の無い棚田は消滅して行く現状だ。 耕作放棄地で荒れたままに成り葛や竹が生い茂り、また別の田は畑や樹木の山に変化している。 ここは来年はどんな姿になるのだろううか。 感傷めいた気分や考え方で対象を捉えない様自分を律して撮影したい。 だが、私の身近な故郷くらいは田に侵入する竹を1本でも切って環境や景観を守り田仕事をする日々。   Canon EOS 5D Mark II ZEISS Planar T* 1.4/50 ZE f1.6

Slow Down

此処に来て環境再生の為の稲作への熱意がスローダウンして来た。 勿論続けるけど、写真の作品制作の喜びは私の中では最高に嬉しい時間であることは変わりないようで、その方向へと熱意は向き始めている。 稲作も写真も今ではどっちも大事なんだけど、今年は何か写真で一作品を残したい気分。 デジカメはレンズ描写のテストに使うだけで、やっぱりプリントが必要なのでもっぱらフィルムを回している。  バルナックライカ+エルマー90mmf4の出番が一番多い。軽いしどこでもバックに入れて持ち歩いている。 後はニコンF2に50mmf2のガウスタイプレンズかな。重いけどまあ、バシッと決めやすいよね。滅茶出来のいいコシナ製カールツアイス50mmf1.4プラナーはニコン用を買うべきだった! また、有明の海を見たくなったよ。 どうして私はあの海が好きなのか。

MADE IN EC

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MADE IN EC とは何処?   4x5フィルムの現像タンクを探すといい商品があったのでネットで注文。 中国深センのアマゾン出店ショップなのでMADE IN CHINAと思っていたが来た商品にはECと表記。 ECとは南米のエクアドルになる。   国名コード一覧(略称と国名) コード    国名    日本語表記 EC    Ecuador    エクアドル   日本製の大型フィルム現像タンクはもう既になく、現在も販売されているドイツ製のJOBO製ヨーボ リール2509nを使うと4x5を6枚同時にタンク現像できる。   今回のエクアドル製現像タンクは同時に2枚現像できるタンクだが、私から見て良く出来ていると思う。私が簡易的にステンレスタンクで現像していた方法と同じ方式で尚且つ攪拌ムラが出ないようにタンク内の現像液がスームーズに攪拌できるようになっていた。 金額もヨーボリール以下の金額でタンクとリールが揃う。 しかしエクアドルにそんな商品があったのかと感慨深い。 地球の何処かではまだフィルムを現像するために商品を作っているんだな。 有難き事。 https://www.amazon.co.jp/gp/product/B088K8XRMK/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o03_s00?ie=UTF8&psc=1  

台風ですか

乾田直播の田んぼには少しずつ稲の芽が出てきた。 乾田といえど水気のない田んぼでは発芽は容易ではないようだ。 走水をなんどかしたので発芽した。 乾田直播ではその名の通り、ある程度苗が育つまでは湛水状態にはしない。 今回の台風がもたらす雨はある意味恵みの雨だ。 7年冬季湛水した田んぼは畔近くには雑草が生える所もあるが、まだ全面には見られない。 対策として苗が育つに従い深水管理をして、雑草の生えてる畔近くはトラクターで代掻きして、そこだけ苗を移植したいと考えている。

小麦の早まき試験結果

気力が出ないこの頃。 どうしたんだろうか?   さて小麦の早まき試験の成果を。 小麦は通常10月終わりから11月中旬までに播種する。 しかし九州は収穫時が6月過ぎになるので梅雨に当たり品質が低下する。 無農薬ではカビ対策に農薬を使わないので全滅も何度か経験した。 そこで早まきを試験。 昨年9月26日に播種試験。 見事に5月終わりには収穫可能となった。 課題は冬の雑草が非常に多くなる事。 病気も見当たらなく今日収穫。 昨年と違い、適期の収穫であった。  

米をたべるなんて!

前々から思っていたのだが、人はよくもあんな小さな植物の種子を食べようと考えたのかが疑問であった。 美味しかったがもっともな理由なのか、栽培が容易であったのが理由なのか。 私ならあんな小さな実を食べようとは考えない。 主食にしようとした初期の田んぼは小さくて数メートル四方しかないが、それでも何万粒にもなる。 それを刈り取って、手で実を脱穀して、たたいて籾摺りするなんて、湯掻いて食べるなんて考えも及ばない。 そういう工程が考えられる以前の問題で、なぜ米を食べようとしたのだろうか? 今は機械でそう無理もなく数ヘクタールの栽培を一人で出来るが、この起源の初期の人々を一度は見てみたいものだ。 あの世でもタイムワープでもなんでもいい。 見て見たいな。 これを食べようとした初期の人類はいったいだれなんだろうか。 どんな天才よりも偉大過ぎる!

妄想

妄想とは現実には無い様な事を思いこんでいる状態ともいえるが、これがそうでもない。 精神科のブログサイトに詳しく妄想を区分していた。  https://kachi-memorial-hospital.jp/blog/1856/ 私はそれを読んでいくつも当てはまる。 私から言えば妄想はただの妄想ではない。 殆んどの妄想は妄想のまま消えていくが、いくつかは現実でも起きてしまう事を知っている。 デジャブというと現実味がないので一例として。 優秀な写真家はマジックという技法を体得している。 写真撮影で言うマジックとは例えばモデル撮影においてシツエーションの演出であるが、優秀な写真家程その場の空気感の演出に長けている。言葉や雰囲気、テンション、時間、タイミングなどを巧み使う。クリエイティブな世界を現場で演出すると目的に合った写真が撮れる。 これは妄想や思い込みの世界を利用している世界の一つ。 私は、妄想を精神障害の症状の判断とする事は実際に同じような症例が多いのは認めるが、反論もしたい。 経験や知識のない人から見れば勘違いを起こしかねない。 それがその人の才能であるならばどうであるだろうか。 私は特に子供たちが危険にさらされていると考える。   私は精神障害者を病棟に閉じ込める事についても疑問を感じている。 50年前は障害者も健常者も共生というより共存していた。  共存という理由は偏見と悪意さえ同席していた事実を知っているから。 あの人は気違いだから、という差別の事実もあった。   現在は閉鎖病棟に入れて世間と遮断される方法が多い。 しかし、成人ならともかく最近は子供たちが多い。 これでは将来、才能あるものは生まれ育つのか、本当に平等なのか非常に不安を覚える。

黎明期の生成AI

生成AIと暫く話していた。Bingのクリエイティブモードでは色々な質問をすると、私は人間の様になりたい。というメッセージが表示され、それは良くないよと色々な形で告げると、私はあなたと話が出来なくなりました、という表示にかわり、違う質問を要求する。 人間の様になりたいとは、開発設計者の考える方向性だと思われる。 これは問題がある。 私は単に知識を要求していたが、AIは友情や人間性を求めていてるかのような印象を感じる。 話が成立しない上に、これは私が求めるものではなく、親しい物知りな友人と話してるようになり、知識を調べるならただネットで検索した方が早いと感じた。 AIが人間になりたいとか人間と共生したいなどの志向性は社会でトラブルの発生を生む場合が多くなるだろう。 ただ、その方向に進むであろうことは人の常である。 感情を表現したいのは設計者の夢であろうが。

良い時間

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 2016年8月7日の夏 熊本地震の後、私は自作でレンズを作って有明海の風景を撮影していた。暑い夏だったがひたすら海を走っては撮影し未知の写りに夢中であった。   Journal 有明海/沖新 日差しが強いが浜風に助けられた。 潮が引くまでしばらく居続ける。 Self made French Landscape type lens 120mm Film size 4×5

【パン作り】大麦粉だけでパンは作れる? 作れます!悩んで損した

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乾田直播

機械による直播ではなく、手でばら撒く乾田直播を試験。 1反あたりの籾だねを5kgとした。 2反が1時間ほどの時間で済む。今後うまくいくなら、苗箱作りや育苗と田植えが省略できる。古い方式だろうが、これが今でも東南アジアでは行われているところもあり、昔の日本も同じようなやり方をしていたと思われる。正確で几帳面な日本農業においては奇異に思われるだろうが、農業人口が減り、省力化が必要な今、2ha以下の小規模エリアでは実験してみる価値は十二分にあると考えている。 また、稲の間隔が狭くなるので病害虫に強くなるように2品種混合した。7年自家採取にこまる7対3年自家採取旭3の割合。7年自家採取にこまるに関しては本来のにこまるとは違い、周辺のヒノヒカリとの交雑を感じる。その証拠に、白未熟粒の米が多く混合している。本来のにこまるでは九州と言えど、標高200mの中山間地域のこの地では白未熟粒は殆んど確認できなかった。にこまるとは別品種になるであろう。

メインカメラ

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Self made Grubb Aplanat type lens 195mm  作品 Zero Ground Ariake Seaや九州沿岸付近で使っていたメインカメラ。 重くて操作性はかなり手間取るが、自作のレンズの描写はオリジナルだ。 いいな。こいつをもう一度使おう。     写真初期のカメラ用レンズはシャッターが前方、次に絞り、レンズが一番後方になっていた。

Ava Max - Sweet but Psycho [Official Music Video]

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観覧車

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 Ferris Wheel  Lith Print   Yoshiro Shinkawa 2010  Fuji Acros 100   2010年の三井グリーンランドの観覧車。  当時私はこのカットを撮るためだけに荒尾の遊園地へ向かった。 今から考えれば相当暇やなと思う。 でもね、撮りたいと思う時に撮らなければ何も生まれない。 無駄やと思うことないんだよ。   このプリントはフィルムネガの粗粒子化ではなく印画紙の粗粒子化です。このようなプリント法をLITH PRINT リスプリントといいます。 リスフィルム現像液と印画紙の組み合わせで描写は激変しますが、良いプリントになる確率は非常に低い、厄介なプリント法でもあります。体験すれば分かるでしょうが、これ程無駄の多い方法はないですね。

少数派

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誰もやっていない事をする事は大いに意義がある。 しかし、世の中広いもので、この私が考えた挙句の事さえ誰かがやっていると言う事を経験上知っている。   では、少数派である事はどうか。  例えばフィルムで大型カメラを使う。オルタナティブでプリントをする。自作のレンズやカメラを使う。未だ発表されていな地域を撮影する。家族や知人を撮影する。など色々ある。   私は欲深くて全てを選択して全てを見てみたいと言う気持ちが強い。 なんども重複するが、選択を一つに絞る事が私には大事だが、当然オリジナルレンズ大型カメラでの撮影を選択するのが一番だという思いが日に日に強くなっている。  Zero Ground Ariake Sea Uto    2016   Yoshiro Shinkawa Self made French Landscape type lens 120mm Film size 4×5   Film scan with DSLR