表紙 雷鳴と破竹のような豪雨

 
この写真は5年前に〈とべこずみ〉というこの地方の稲わらを積み上げるやり方を父に習い再現した時のもの。終わって余った稲藁を燃やしてる時に父は背を向けどこか遠くを見ていた。父79歳。
 
父は俺はもう恥ずかしいといい75歳の時に全ての田畑を私に託した。それ以来自分はもうしたくないと農業には目もくれなかった。
現役で田んぼを作っていた頃の口癖は家の田んぼは宝の田だとよく言っていた。
この田が宝だという意味は作ってみて私にはよく分かっていた。 
しかし何故恥ずかしいといい私に渡したのかはずっと分からずにいたが、家の歴史を最近よく語る父の言葉で理解できた。
父が言うには代々小作に作らせ自ら米を作る事はなかったと言う。
父はよく家の血統を尊重し、基軸として動いていた。
私には幼い頃からそれが理解できなかった。人は皆平等だと、そう言う教育を受けて来たからだろう。
時代は変わり人は皆平等という概念を壊し、二極化や富裕層、貧困層という言葉が普通にテレビやネットで流れ、そう動く時代となって行った。
 
雷鳴と破竹のような豪雨の今朝
 

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