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実態のない行動や虚構より、一粒の米を生産する事を選ぶ。

実態のない行動や虚構より、一粒の米を生産する事を選ぶ。 そんな事を考えていた。

在来種糯の収穫

収穫を今日終える。 この種は分蘖数が非常に少ないのである程度密植栽培しても良さそうだとの印象を憶えた。 問題はスクミリンゴガイで柔らかい糯の苗は食害が多い事。 来季はスクミリンゴガイの居ない田んぼで育てること。 今期は確認しただけで外観の違いだけで4種の種が混じっているなど。 背丈は1m位に成長するが台風の被害は全くなかった。 茎葉はいつまでも青く、籾が黄色く熟れる。 出穂期から45日での収穫だが青米が多い。 恐らく50日でもいいだろう。 基本的に早稲である。 白ひげが背が高く、赤ひげが低い印象。 いもち病は全くない。 などなど。

私は化学肥料より動物性肥料を使うことに懸念を感じている。

これは以前養鶏場での仕事を体験したことで得た見方だが、多くの化学物質や生物分解できない薬品、外来の種子、多量の石灰などが使われる実態を知っている。それらは全て家畜の排泄物の中に入っている。養鶏場では糞は廃棄物扱いで発酵なども中途で畑に撒かれているのが実態であり、完全発酵するまで貯蔵するスペースもなかった事を記憶している。 私はその養鶏場だけだろうと思っていたが、現在市販の発酵と名の付く鶏糞を使うにあたり、相変わらず外来種の雑草が生える事を見ると、どんな大手でも同じことだと思っている。 私はもう一切の動物性肥料は使わないと決めた。 米に関してはすでに無農薬、無化学肥料、無動物性肥料を実践しているが問題は米の2倍の肥料を必要とする野菜だろう。 基本は緑肥+化学肥料に移行する考えだ。 問題は窒素。 しかし調べていくと硝酸態窒素として地下に浸透していかない窒素もあるようだ。 化学肥料を少し調べて見よう。 偏見を無くし相手を知る。

大量のヘアリーベッチを注文

いろいろ考えたが動物性肥料以外の基肥が必要だった。 米はレンゲの緑肥で何も問題ない。 来期のカボチャはベースの基肥をヘアリーベッチで選択。 青紫の花が美しい。

決して中干しはしない。

なぜなら水生生物の保護が目的だから。 解りやすく言うと、例えばトノサマガエル。 中干しをするとオタマジャクシから変態する時間が足りない。 つまりトノサマガエルは生きていけない。

中干しをした方が台風には強い

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いやーこの台風で稲が倒れました。 興味を持って注意深く観察。 茎が太いとか、背が低いとかは有利かもしれないが倒れるときは倒れる。 しかし今回の倒れ方を見るとはっきりと地盤の固さに関係している。 倒れたのは冬期湛水の中干し無しの場所だけだ。 地盤は相当ゆるい。 その上実りが多い。 恐らく完全ではないにしろ茎が折れていないので起き上がるだろう。 途中で一度干すことが必要かもしれない。 分蘖数が限界近くになる無効分蘖が現れたら軽い中干しをして見る方がいいかもしれない。 まあまた楽しい課題ができた。 エアインテークのドミノ倒し防止は無効だった。 ただ隣の中干し無しの私の田んぼは全く倒れない。 ヒントだ。 風音はまだまだ続く。 秋の夜長。

思い出す

稲作の最後の仕上げは塩である。 天日塩などのミネラルの豊富な塩を稲に与えると米は旨くなる。 そうか。 昨年はそれを忘れていた。

印象

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ふと思う。毎年の稲の姿を記録した方がいいと。 写真右側、背の高い稲は昨年の古株から育った稲。4月19日には20センチほど成長し、長い分蘖時間を経て6月18日に植えた稲より背が高く、分蘖数も80本以上となった。  すっきりとした稲株。それでも分蘖数は多い。私は中干しをしないので分蘖の終わりは稲に任せている。中干しをしない理由は水生生物の保護が理由だが多収にも繋がる。 無農薬、無化学肥料の条件なので初年度のウンカ被害を教訓に20列または16列に1mの間隔で風通しを良くするためのエアインテークの構造を思いついた。それ以来なんの病気も害虫被害も少ないで済んでいる。収量も変わらないかむしろ多くなるのだが、その理由は私の田を見れば分かるでしょう。

多品種混合栽培

ファッロにしろ在来種の糯にしろ何種類かの品種が混じっているのがわかる。 現代は単品種での栽培が多いが、現代以前は何種かの品種を混ぜて栽培することは一つの農法であったと推測できる。 米において多品種混合で栽培すると収量が増え、カビに対する病気にも強いと言われている。幾つかの文献を読んだが米では収量に関してそう大差ないが、病気には強いとあった。 混合して栽培することは実は私の漠然としたイメージで常に考えていたことだ。 恐らく私はいつか実行するだろう。 完全なオリジナルを作りたいというカメラマンとしての思考の表れだろう。 来年から1反の実験圃場で実施していく。 勝手なことかもしれないが種の多様性を実施するのは全て研究所の仕事ではなく民間の一個人でもやるべきだ。 種としてまだ新しいイセヒカリをベースにするのか、3年自家採取のにこまるをベースにするのか。 はてはて、こういう事を考えるのは私は好きだ。

神田小菊

ニホンカボチャの煮物を食べた時、カボチャ嫌いの私が本当に美味しいと思った。 私のベクトルが定まる。 神田小菊は美しい形のカボチャという。 美しい事も私の選択肢。 これは植えるしかない。 時期外れだ。 しかし抑制栽培ものを知る。 それでも遅い。 冬の栽培もあった。 まあいいや。 まずは実行。 植えてみる。 種を取り寄せ明日は播種。

偉人とその後

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このエリアは旧益城群河原村になる。 明治の矢野村長は代々庄屋であり彼は山に造林を進め村の発展の成功に至ったという。 今はどうか。100年以上経った現在、杉やヒノキは管理するどころか売っても金にならないからそのまま放置状態が大半だ。 家の山しかり、100年近くの木さえある。 本当に潤ったのか。 私は彼を尊敬するが、このような状況になることは彼も予測できなかったろう。 世代を過ぎると製材所も潰れ莫大な借金で全ての土地を無くした。 私はその様を子供の頃からずっと見て来た。 人々を喚起させ動かす偉人たち。 時が過ぎれば全てが変わりうる。 はて、変わらぬものとは何なのか。 よくよくそう考える。

日本カボチャ

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妻が日向カボチャを食べたいというので少しだけ植えていた。 なんだか黒皮の日向かぼちゃとイメージが違うものが出来上がった。 嫌いだったカボチャ栽培も最近は興味が湧いている。 カボチャの煮物がいつも調味料ではなくカボチャそのものが甘すぎると思っていたが、このカボチャならいいかもしれない。 来年はいくつかの品種を栽培するだろう。 変わったものより西洋カボチャのえびすのようにスタンダードで美味しいものを作りたい。 なんとなくだが今は小菊カボチャの姿が美しいなと目を向けている。

この夏

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長雨

今、稲穂は花が咲き始めこれから登熟を始めるというのに雨が降り続く。 恐らく今年は不作になる。 稲株の成長も遅植えのため数も丈も少ない。 今後晴れてくれるなら味はよくなるが、せめてもの期待はそれだけだろうか。 私は生まれてこのかたこの時期に梅雨のような経験はない。 秋の長雨は西日本にはなく、関東以北の事だからだ。 彼岸花が咲き始めて来た。 記憶では朝晩が涼しくなるが、昼は晴天の様を思い浮かべる。 天候に左右されるのは農家だけでなく、カメラマンもしかり。 私はずっと天気に左右されて来たが、それを悲観したことはなく寧ろ又とない機会と捉える訓練をして来た。 悲観するより見落としを確認して次の行動に移す作業を始めよう。

繋ぐ

大きなイメージでは圃場は常に作物が育っている環境を考えている。 大枠は米作やカボチャの畑の後には大麦のファッロがあるという姿。 規模も大きくなり、ファッロに至っては2町の圃場を全て使い切る事になる。 問題は麦に関してのインフラがこの村にはないことだ。 なのでコンバインから乾燥まで機械を揃える必要がある。 またファッロの売り先も恐らく6000kgの売り先がまだ未定だという事。 これは現実的には、ぼちぼちやるしかない。 今日、雨の合間にファッロの夏播きを1反行う。 昨年手のひらに余るほどの種からようやくここまで来たかと思いながら播種作業を行なった。 今年最大の興味は在来種糯米の様子。 ファッロにしろこの糯米にしろ凄まじい長さの時間と遺伝子の様を見て取れ感慨深い。 私は繋ぐ一人でしかないがこうして尚又この後も続いて行くのだろう。 しかし人が一旦辞めたらもうこの種子は消えると思うと、手にした責任だろうか、続けて行くしかないし誰かに分けることが大切であろう。 この種子もある人から1kg程分けてもらったものだ。 しかし彼は今年更新しなかった。 そういう事だ。 永遠に種を繋ぐ事は本当に奇跡なほど難しい。

ファッロ 夏播きの準備

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8月中に夏播きをし、年内の収穫を試す。 九州では冬播きして梅雨時に収穫するよりいいのではないかと期待する。 今後の作付けは当面、米、かぼちゃをメインにトマトとこの大麦ファッロを生産して流通を開拓していく方針だ。 農業を始め3年になる。 カメラマンほど利益の出る仕事ではない。 しかし利益を確保することは何の仕事でも大事だ。 米の作付け面積は来年また1反増やす。 かぼちゃは1町に拡大し、二期作をする。 しかし何処までも拡大できる訳ではない。 もうこの辺りで収益を確保する農業技術を導入するしかないと常々感じる。

糯の出穂期

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出穂期を14日に迎えた在来種の野稲 この田んぼは父から与えられた最初の田んぼであり新しい事を試すときは丁度1反の面積があるのでこの田んぼを使う。 水稲として育てられたこの野稲のもちの味は美味しそうだ。 少量ならお分け出来ると思います。 収穫は9月の半ば過ぎ。

もう一つの考え

思うに。 私の理想とする世界は今後存在しない。 としよう。 ならば。 私は閉口するしかないが、物質の崩壊するスピードは相当に早まる。 ただ、それだけだ。 私はどうしたらいいのか。

現在の考え

私は無農薬であるが、噴霧器を片手に木酢液やリンゴ酢などを撒いていると農薬を撒いていると勘違いされる。 聞かれれば答えられるが多くは見ながら通り越して行くので農薬と思うだろう。 はてそれはそれとして、いくつか思うことがある。 いろんな農法はあるが、農業の第一命題は食料の提供である。 日本に於いては平成30年で農業人口175.3万人、平均年齢66.6歳とある。 人口は2017年で1.268億人である。 食料自給率は66%なので単純計算では1.268億人÷1750.3万人×66.6%=48.2 農家はおよそ一人当たり50人分の食料を生産しなくてはいけないということになる。 私の知る限り自然農法では優秀な方達以外、不可能だろう。 かと言って慣行農法であり続ける事は環境や人への影響は決して良くは無い事はわかっている。 結論を言えばバランスだと私は最近よく思う。 どちらの立場でも構わないから負荷を掛け過ぎない農業が今後の進むべき道だろう。 農業の事を私は深くは考えたくはないが、それも避けられそうにない。 以前からの考えだが、農法などに囚われる必要はない。 日々そう考えている。

化成肥料

契約栽培出荷用のカボチャを今年は化成肥料で栽培してみることにした。 理由は指定の堆肥の量が相当多く、何年もかけて外来種の雑草を駆除して来たが、外来種の種子を大量にまたばら撒くことを懸念したからだ。 高温で発酵した堆肥ならともかくそのような手間暇かけた堆肥は高い金額を出して買うしかない。 外国の飼料を食べさせない酪農家を探すまでは契約栽培出荷用のカボチャのみ化成肥料にしようと考えている。 なおそれだけでは畑の炭素物がなくなるので裏作に麦を植え藁を漉き込む。

オタマジャクシ

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多くはアマガエルのオタマジャクシ  今年田植えは6月16と18に、在来種の野稲とにこまるを植えた。 イセヒカリは7月半ばとなるようだ。

藻類

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アオミドロだろうか、本当に青い緑色だ。 湛水田は相当な地力があるようだ。 繁殖が多いことに加え、泥濘が気になるレベルになり作業性が落ちるので一旦田んぼを干すことにした。

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The shape of a rice field that will disappear someday.   いつの日か消える水田の形 しかし古代の水田に見る形の様な田が今でも残っている方が不思議なのかもしれない。 阿蘇郡西原村滝地区

コストルート フィオレンティーノの定植

この夏とても期待しているイタリントマト コストルート フィオレンティーノはユニークな形のトマトで味がいい。 サンマルツァーノは市場にぼちぼちあるが、このトマトは見たことがない。 新しい事は先が見えないから楽しい。 100本以上の定植。 売ることも大切だが、個人的に食べて見たい。 トマトソースもまたいい味がする様なので期待してる。 やはり、食べたいものを作ると言う事は大切だと思う。 以前取材で嫌いな作物もまた良しと聞いたが、、私はそうではないらしい。

芽が出て根が出る

私は勘違いをしていた。 米の種子は芽が出て根が出るようだ。 でも、もっと実験したい。 この生活は私には向いてるようだ。

写真について  形なきもの

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写真について  形なきもの Zero Ground Ariake Sea 諫早湾 2016 1983年、大学の夏休みに私は水俣に向かった。 ユージンスミスの水俣は今どうなってるのか。 しかし私の見た水俣は美しすぎた。 海は青く、のどかな景色があった。 埋立地は異様であった。 チッソの工場からだろうか、排水の匂いは独特の悪臭であった。 しかし、スミスの写真集に見る様な景色は無かった。 告発的なドキュメンタリー形式に当時疑問を感じていた。 二十歳そこらの私は幾人かの被害者の方々にあったがシャッターを切る事はなかった。 結局当時は500本のブローニーフィルムを撮ったが今どこにあるかもわからない。 私は頭の中の印象をイメージとしてしか捕らえなかった。 何故なら具体的な形が見えないからだ。 私はあるテーマを大学時代に思いつく。 簡単に言うなら 私は目の前にある風景を見て写真に撮るが、撮りたいものは目の前の風景ではなく、違う思いを写したいと思っていた。 ある壁を写した。 一枚で表現したらそれは壁でしかないが、4枚で構成したら違う情報を見るものに伝えられた。 アンディーウォーホールの手法にも通じるものだが、私は当時満足できなかった。 表現されたのもは私の思いとは別のものになったからだ。 当時 Thinking to Zero として発表した。 私は20数年前にこの九州に再び来て写真を撮っている。 テーマは九州の環境と生態を記録する。 現在は有明海の再生にテーマを絞っている。 https://shinkawayoshirou.blogspot.com/search/label/Zero%20Ground しかし有明海の状態を写そうと思っても見えない現実がある。 まさしく水俣のそれと似ている。 危機的状況が写真に写せない。 形になって見える様になればそれは問題として手遅れだろうが、形なきものを形にしようとするのは写真家的には苦労する。 視点を変え海抜ゼロメートルに近い地点から見る有明海を撮ろうと考えた。 Zero Ground Ariake Sea と言うタイトルでサイト上で発表。 パリのウエブサイトマガジンで表紙と中ページで紹介される。 https://issuu.com/magazinef...

自閉症スペクトラム

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決して全てではないが、私は人に美しさや驚き、そして発見を見出させなくなった。 野の花の方が遥かに美しく愛しくもある。 それは障害ではなく、真実などでもなく、ただ事実であると思わざるを得ない。  Elderflower 美しい人もいることは知っている。 そんな人が教えてくれた花

風物

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桐の花が畑に散る様 初めて見る光景

祖母の花

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芍薬が今年も咲く 祖母が植えた花。 今年は少し背が低い。 大正生まれの静江お祖母さんは名前の通り物静かで優しかった。 亡くなってもその人の思いは花にも宿るのかもしれない。

ファッロや今の畑の姿

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   farro 180cmのファッロは倒伏しても問題ない。翌日には起きあがる。全く逞ましい。  陸稲もち  陸稲もち  陸稲にこまる  陸稲の雑草及び鳥の食害対策で試験的に藁を敷く スズメやハトなどの鳥たちは稲穂に残った米だけ食べ新芽を穿って種を食い荒らすことはなかった。敷き藁は多すぎたようだが雑草の抑制効果は物理的なだけでなく藁に含まれるモミラクトンのアレロパシー効果は大いに期待できる。雑草は全く生えないではないが数量が少なく雑草の成長が著しく遅くなる。夏場の干ばつでは圃場から水分の蒸発も緩やかになるし、雨が降ればまた水が土まで届き、ビニールマルチより手間はかからない。収穫が終われば剥ぐ必要もなく、そのまま漉き込み肥料や炭素資材になる。微生物の住処であり餌となり分解する。藁はとても使い勝手のいい素材であることを改めて実感している。  チコリの董立ち 早く青い花を見たい  アーティチョークの蕾  ビーツの蕾 フローレンスフェンネルの株

ファッロの分蘖と倒伏

ファッロは分蘖数が多いようだ、約25本前後でイメージとしては稲に近い。 麦ふみの必要はあるのだろうか。 分蘖の数としては必要ないようだが、背丈が高くなるので踏み固めた方がいいのかもしれない。 少しの鶏糞をやったところは青々しているが背丈は180cm以上になっている。次に高いのはケイカルを入れたところ、次は無施肥だ。どちらも黄緑色で160cm程。 基本的には無施肥でも育つようなので、ケイ酸補充とカルシウム補充のみで十分であろう。 もちろんその土地の土による。 反当たりの播種量は麦類が8kgから10kgというがこの分蘖数をみるともっと少なくしていいだろう。 風通しを良くしないと所々に赤錆病が見られる。 このように背が高くなったので倒伏しやすい。 この数日の雨風で早くも多くが倒れた。 少しずつ起き上がっては来るが様子を見よう。 本場イタリアのファッロ生産者の圃場は無施肥のように薄い緑で株間の隙間が多く見られた。背丈もそう高くはない。 この辺りの地はとても肥えているので1万年前から続くような種には施肥は無用だろう。 私はこの麦にとても愛着が湧いて来た。 この冬には多くの面積で作付けする予定だ。 商品化というより売り先の開拓を始めなければ。

麦の花

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麦の花 その言葉が浮かんだ時、私は見たことがないことに気づいた。 ファッロの麦は何品種かの麦が混ざっているというが、殆どはエンマー小麦が多いようだ。