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表紙 一年目の乾田直播

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  手蒔き散播  いつも私の稲はざわざわしてるけど、今年はいつも以上にざわざわしてる。

販路あるから作付け出来る

意外な程売れる物産館が一つある。 私の農薬肥料不使用の米は1kg500円の販売価格であるが、他の直播農家の慣行栽培米も同じくらいか少し高い。その為か売り場ではよく売れる。 以前小分けせずに委託して売っていた頃1kg400円で卸した米が800円程の値段が付いていた店があったが販売量はわずかであった。  慣行栽培農家が直播せず農協に出すなら昨年は60kg1万800円程であった。実に1kg180円と言う価格だ。これでは小面積の農家の経営は成り立たない。  1ha規模の小さな私の圃場では直取引の個人の方や直販店での販売がいい。 現在は一年以内で在庫は無くなるが、後1haは増やしたいのでより多くの販路がこれから必要になる。

Jean-Jacques Rousseau

ルソーは言った。 生きてることは呼吸する事ではなく行動する事だと。   日記のつもりで記してるブログ。 2年間ログインしなければ消えるそうだ。 これは有って無い世界だな。 デジタル世界とはそういうものだ。  消えて行く写真データも何年も前から私のパソコン内で現れている。 画像が画像ではないトッドに変化したり、サムネイルだけが表示され本画像は再現されない事になる。 記録を目的とするなら撮影そのものが無駄だと感じる。 これって写真にとっては致命的である。   それにしても暑い日が続く。 最近運転しながら思う事は、印画紙に画像を定着させる事を選んだ方が遥かに私にとって意味があるなと。 2017年以降、私は実体のない世界で呼吸をしているだけだなんだろう。  

脂っこいのを食べたくない夏

冷蔵庫を開けると豚こま。 さて、、 水から湯掻いて冷やし水を切り、生姜おろし、レモン汁、きゅうり、味噌、塩、黒胡椒。

JASM

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久しくTSMCの子会社である Japan Advanced Semiconductor Manufacturing(JASM)の今を定点撮影。 農地の多い菊陽町周辺が、この工場を起点として今後どう様変わりしていくのか見逃せないエリア。

中干し

あさに私の田んぼを見て回る。 今日から中干しとなる。 水の循環や生物たち。 ここの環境はとても順調に動いている。 全く手のかからない田だ。 8年の取り組みが理想的に動いている。 これなんだよな。 求める世界は。 私の田んぼに癒されていた。

海老、エビ、えび

甲殻類が好きな私。身はプリプリで殻ソースの旨味が決めて。   海老の殻をむき殻を塩水で茹でる。殻をミキサーにかけて荒越ししたら基本のソースの出来上がり。 ごま油と大蒜、塩胡椒、強火で短時間に海老をソテーして皿に盛る。  豆腐をスプーンで荒くそぐって海老にもる。 ホットソースとニラと生姜を刻んで残り油で炒めてソースと混ぜ海老にかける。 飾りはベビーサラダとフレッシュブリーベリー 。 好きな青じそを塩もみしてリンゴ酢をかけ、刻んで皿に振りかけたら出来上がり。

熟成させた白干し梅

青梅を塩漬けさせた容器の蓋を開けると梅酒のような香りが漂っていた。 梅の実も色が変化していい感じだ。 今年はもう少しこのまま熟成させて天日干しをしよう。 きっと美味しくなるだろう。

乾田直播の状況

発芽までの水分不足という初歩的なミスをした今年の稲は収穫量は減る見込み。 発芽していない場所や隙間なく育つ所が点在している。 実験は大きな圃場でしなければ分からないことがある。 今後は混み合った稲に病気が発生しないのか、倒伏度合いはどうなのかなどの経過観察が大事だ。 気になるは稲の茎が緑色ではなく黄緑というか白っぽい。

記憶の村

棚田で美しかったこの村。 いつしか村人は耕作を諦めた。 変化する景色。 棚田は葛や女竹に覆われる。 記憶の村はもう蘇らない。 そう感じる程に荒れ果ててしまった。 それはここだけではない。 日本中の山里で経済性のない棚田はもの凄いスピードで消えている。 記録すべき対象。 今後どのような姿に変化して行くのか。 私が棚田を維持できる面積など幾ばくか。    

そら豆ソースの海老パスタ

もう雨は止むでしょう。 気分転換に今日の夕食を。   そら豆は塩ゆでしてゆで汁を少し入れミキサーへ。 あとはいつもの様に海老を大蒜とオイルで火が通るまで炒めたらパスタと絡ませ、ソースを皿に描き、パスタを盛れば出来上がり。 今日はシンプルに粗挽き黒胡椒と自家製ホットソースで。

大きな壁より足元の塵

どんなに大きな壁だろうが解決できない事はさほどない。 だけど生活圏の足元が散らかっていたら何も達成出来ない。

特産化で環境保全を考える

河原の米は昔から美味しいと評判で寿司屋が買い付けに来るほどであった。しかしその後営業を積極的にする事はなく、特産品とする動きも意識もない。 残念ながら現在では食用米の面積よりも飼料米の面積が多いのではないかという状況だ。 農家にとって米は安くて魅力のないものになってしまい耕作放棄地さえ後を絶たない。 つまりこのままでは今後田んぼそのものが消えてゆくのだ。 対策として昨年から米の特産化を考えていた。 無農薬栽培や無肥料栽培も環境保全の一つではあるが、農家が栽培を続けられなくなるのでは本末転倒である。 この地域の米はとても美味しいのは事実だ。 私は九州各地の米を食べる取材をしていたがトップクラスであることを知っている。 農家や行政がその事を再認識して特産品として消費者に受け入れられるならこの地域の経済も農家の自負も創生されるのではないか。

瞳の奥

59歳になったとはいえ試練と感じる事が在るのなら、それはまだ若いという事だろう。 そう考えて見た。 瞳の奥に見える世界がある。 それも思い込みなのかもしれないが。 何もないことよりも、何かがあったほうがまだいいのかもしれない。 そう思い笑ってみた。 それは希望かもしれないが。   洪水、土砂崩れでの法面崩壊と井出の土砂埋没。 環境を守る、維持する事を試されている今だと思う。

出穂

3月11日に直播した、ヒエリという品種が今日出穂。 四国の香り米で、気候が3月でも気温が高かったので播種したがこんなに早く穂が出るとは思わなかった。8月中には収穫出来るかもしれない。 移植した同じ品種はまだまだ成長が遅い。 災害で気落ちした中、たくましい稲の成長は良い意味で心を揺さぶった。

表紙 雷鳴と破竹のような豪雨

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  この写真は5年前に〈とべこずみ〉というこの地方の稲わらを積み上げるやり方を父に習い再現した時のもの。終わって余った稲藁を燃やしてる時に父は背を向けどこか遠くを見ていた。父79歳。   父は俺はもう恥ずかしいといい75歳の時に全ての田畑を私に託した。それ以来自分はもうしたくないと農業には目もくれなかった。 現役で田んぼを作っていた頃の口癖は家の田んぼは宝の田だとよく言っていた。 この田が宝だという意味は作ってみて私にはよく分かっていた。  しかし何故恥ずかしいといい私に渡したのかはずっと分からずにいたが、家の歴史を最近よく語る父の言葉で理解できた。 父が言うには代々小作に作らせ自ら米を作る事はなかったと言う。 父はよく家の血統を尊重し、基軸として動いていた。 私には幼い頃からそれが理解できなかった。人は皆平等だと、そう言う教育を受けて来たからだろう。 時代は変わり人は皆平等という概念を壊し、二極化や富裕層、貧困層という言葉が普通にテレビやネットで流れ、そう動く時代となって行った。   雷鳴と破竹のような豪雨の今朝  

スマホを洗濯

画面にヒビが入ったiPhone  さすがに洗濯機で洗ったらお釈迦になった。 やれやれ、解放された気分だ。 スッキリしたよ。

整理整頓

また部屋が散らかって来た。 良くないな。 庭も雑草が茂って来た。 やはり生活圏が美しくないと豊かな暮らしには思えない。 整理整頓できないこと、これこそ諸悪の根源。

老人がいない

高齢化社会で老人は溢れかえっているはずなのだが、現役で働いてる人以外穏やかに余生を過ごす老人の姿を見かけない。 昭和の頃は川べりの木陰のベンチで涼む人や、散歩する人、自家用の野菜や味噌を作る人、魚釣りをする名人などあちこちで見かけたものだ。 現代では、高齢化すると医療施設、介護施設 、デイケアなどに送られるのが日常だ。 何だろうな。 私も両親の高齢化で起こる諸問題に直面しているので何とも言えないが、私はこの在り方は健全ではないと考える。

田植えの光景

甲佐での田植えをしながら私は思う。 この方式はもう時代に合わない。  国産自給率100%を維持する米だが、担い手が不足しているので農業法人が生まれた。 しかし法人といえ一人当たりの圃場面積が拡大する事には変わりなく、大型機械の導入などが必要。仮に面積が100ヘクタールとするなら、10アール当たり苗箱を18枚で計算すると18000枚の苗箱が必要になる。一人あたり500枚を管理させても40人弱必要。 播種、育苗、苗運びなどは未だ人力の部分が多いのが現状だ。 私は田植えという移植栽培の限界を感じる。 広大な面積には直播〈ちょくはん〉方式だと播種、育苗、代掻き、田植えという工程が必要ないので、圧倒的に省力化できる。そして今後農業人口のさらなる減少に対しても面積拡大に対応できるだろう。 私はこれしかないなと考えている。 無農薬では雑草対策が最初のハードル。 私の圃場では乾田直播であったが現在のところ雑草はさほどでもない。畔に面したところが生えていたのでそこだけトラクターで代掻きして田植えで対応した。 田植えの光景はそのうち見ることも少なくなるのかもしれない。

手にする

最初に手にしたもの。 それが一番欲しいものだ。 その次に手にするものは迷いしかない。

興味あるものしか受け入れなくていいんだな。

専門的な分野を2分野追求する私。 ありきたりな日常は見え過ぎて、かまう時間はない。 そう確信した今日の日暮れ時。

いわしの青紫蘇風味米粉フライ

米粉は揚げるとサクサクで良い感じ。 パン粉を入れるか迷うが、パン粉なしも美味しそう。 開いたいわしに青紫蘇や梅干し入れて、包んでバッター液に溶き卵で米粉をまぶして揚げてみよう。美味しそうだな。

よるにらーめん

ゆうしょくにらーめん、てこんなてぬきはない。しかもぼうめん。されどぼうめん。よし、こだわってみようかな。 さいきんのぼうめんはうまいよね。

作品を手放す

30代の頃に私はそれまで作ってきたオリジナルプリント全ての写真を貰ってくれる方に渡した。 殆どは熊本市のギャラリー。数点を知人や友人、病院など。 それまではシリーズ化した作品は作っていなかったが、その事がきっかけで写真をシリーズ化できた様に思う。  

変化していく

時代の劇的変化を感じるこの頃。 たった半世紀と少ししか生きてないが、この変化は80年代以前と90年代以降への変化とは本質的に違う。 言い方は奇抜だか、江戸時代と令和の違いと思うとなんとなく私は納得した。 2019年新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行とウクライナ戦争が大きな起点となり価値観、生活、考え方、規則全てが新たな方向へ進む。 倫理が不確定で不安な要素が多く、全ての人間が公平で豊かに幸せである方向性ではない。 時代は江戸時代に逆行して一部の人間が今度は人類全体を支配下にする意図が随所に見える。 愚かなものだ。   その様な時代に最近私は二人の日本人に興味を抱いている。  一人は教師もう一人は政治家から海を渡って広大な土地で稲作を始めた。   アメリカで米栽培を始めた国府田敬三郎氏 国府田 敬三郎(こうだ けいざぶろう、1882年12月6日 - 1964年12月16日)は、日本の福島県出身の農場経営者。アメリカ合衆国カリフォルニア州で、大農方式による同地の気候に合った良質な米「国宝ローズ」の大量生産に成功し、「ライス・キング」と呼ばれた。  オーストラリアで米栽培を始めた髙須賀穣氏 高須賀 穣(たかすが ゆずる、1865年3月9日(慶応元年2月13日[1]) - 1940年(昭和15年)2月16日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。 慶應義塾・米国大学で学んだあと、愛媛県松山市選出の国会議員として活躍。 オーストラリアでの米作りに挑戦しようと渡豪し、何年もの間いくつもの試練を乗り越え、米を販売できるまでにした。 髙須賀穣の活躍の10年後、リートンの米作りは、オーストラリアの農業の中で最も成功した産業へと発展し、他国へと輸出されている。

病院ってなんだろう。

父が退院した。認知症で精神科からの退院。 先週一時外泊した時にも思ったが、大人しくはなったが弱ったな。という印象で、入院する前の元気さがない。確かに元気過ぎて周りに迷惑をかけたので入院したのだが。 それから10日ほどで私は退院させた。 しかし更に元気がない。 気力が無くなっている。 私は病院にはもう入れたくないと思っている。 この件について論議しても終止符を打つ事は出来ないので割愛するが。 私は最後まで父の尊厳を保てる環境に努めようと思う。

スズメか。

雨の中、庭先でスズメが庭に散らかった麦種子を食べていた。 スズメか。  なんて小さな生き物か。 しかも空さえ飛べる。 スズメさえ害鳥と思うなら何ぞや。 スズメさえ生きれない世の中はさぞ何ぞや。 私は傘をさして離れに向かいそんな事を思っていた。 無論スズメだけの話ではない

農業経営

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物価が上昇して行く中、米の実質米価指数は1968年年と比べ三分の一に下がる。  https://www.jacom.or.jp/column/2014/11/141104-25692.php 上記の記事は読むに値する。 では、現状から私が生まれた1964年の状況であるなら、どうか。 田んぼは1.3町程で100万程の利益とするなら1960年代には300万程の価値感となる。1町程度のそんな少ない面積でも生活できる収入が確保できる。そうであるならば、耕作放棄する農家は少なくなるだろう。作っても赤字だから作れないのだ。 大規模法人化が進むのは更に安い米を提供するためにあるとしか私には思えない。 やつだ農園を大規模化する方向で私自身も動いているが、それでも農家は条件の良い圃場を貸すのは少ない。それは良い事だが、近い将来高齢化や後継者不足で手放す時期が近いのが現状。 大規模化、効率化優先の方法論や技術やテクノロジーでカバーしようとする現代農業であるが、単価下落と消費量減が問題だ。 これでは世界の大規模経営の模倣であって、さらに広大な土地を所有する中国、アメリカ、オーストラリアにかなう訳がない。 日本の米や日本人農家の存在価値は無くなるであろう。   私は環境を改善する事が目的だが、大規模経営で農家人口を減らすのであるのはどうしたものかと感じている。 日本の米の美味しさは世界でも定評があり、高くても売れる実績もある。 単価を高くして輸出を積極的にする方が、減反政策や法人化優先の補助金政策よりも国の利益や雇用、産業活性化に結び付くのではないか。 小規模農家の日々の務めを無視するような方向性は多くの問題を生むだろう。

ポークハムと青じその絶妙なコンビ

今夜は一人。 さて、ウイスキーロックを飲みながら何食おうか! ポークハムと自家製大蒜をオリーブオイルでソテーして、塩、黒と白の胡椒、多めにクミン。 んで、、 ただ、生の青じそとハムを余熱でサンドウィッチした。 なんなの? この味。 うまいわ。

市民農園での湛水直播

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Canon EOS 5D Mark II ZEISS Planar T* 1.4/50 ZE f1.4

表紙

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私達の市民農園で育つ稲。 手蒔き湛水直播の稲の成長に勢いがついて来た。 ポエジーでのどかな風景。 Canon EOS 5D Mark II ZEISS Planar T* 1.4/50 ZE f1.8  

やっぱりスマホは必要ない

まず、スマホは頭悪い上タチ悪い。これ大事だね。遅い、くだらない、必要ない。なんとなく待ち姿勢感覚が生活に付きまとうので精神的にも良くないし、なんだろうか、単なる時代遅れのデバイスでしかない。今は21世紀だよ。 使ってて出来の悪さにイライラします。iPhoneですけど。   主は人であってデバイスに左右されたくはない。 まあ、こんな頭の悪い金食い虫はないですね。  やめよやめよ、BingさんのAIがまだましだ。 間違いを突っ込むと、すみませんと素直に謝るし!